第二部

G 鳥かごの中のDreamer(夢佳√)

47小節目 各駅停車、大人行き

※2周目以降のお話です。

 13小節目『楽しむ権利』から派生します。




『私を認めると、私じゃなくなるから』


 何であんなことを言うんだろう、彼女は。

 何であんなに強情に、自分を低くし続けるのだろう。

 友達を突っぱねて自分さえ敵にしてしまうとなると、一体誰が味方になるのだろう。


 ……そんなのはやっぱり辛すぎる。昔に孤独な戦いをしてきた僕は分かる。

 たとえうぬぼれた自信だったとしても、自分自身を前に押してくれるものがあるだけでだいぶ変わるんだ。

 自分自身を後ろに押しとどめ続けるのは辛い。新しいステージへと踏み出すことさえできなくなる。可能性を自分でつぶしているところなんて、僕は見たくないんだ。


 吹奏楽部に入るということ。それは今の彼女にとって自分を追い詰めるものを増やすということと同じなんじゃないかと思った。

 そのうちキャパシティを超えて壊れるんじゃないか、あいつ……。



 学校の帰り道で別れた後も、そして日を越して朝になっても……僕は越阪部おさかべ夢佳ゆめかのことが頭から離れなかった。

 僕と重なるところがあって、なおかつ僕よりも辛い境遇にいる気がするんだ、あいつは……。




--※--




 ゴールデンウイーク。僕らは顧問の先生の勧めでとある高校の吹奏楽部の演奏会に行ってきた。真中まっちゅー吹奏楽部と比べると部員数はすごく多い所で、実際音圧に見事に圧倒された。音楽だけでなくパフォーマンスも楽しかった……と、思う。実際終わった後の客席は満足げな雰囲気で包まれていた。

 本来なら僕は何も考えずに楽しめていたんだと思う。でも、吹奏楽部という身分がそのことを阻害した。


 実はこの吹奏楽部、下手というわけでもないけれどもすごく上手いというわけでもない。細かいミスというか気になる点を、大人数での音圧と音楽ホールの残響でかき消している側面があると僕は直感で思ってしまった。


 いや、『思い出してしまった』という感覚に近い……。吹奏楽などの演奏を聴いてそんな細かいミスを認知した経験なんてないから、思い出すなんて明らかにおかしいけれども。


 ……まあ、とにかく。だからこそ、色々と考えてしまうんだ。演奏の粗探しを無意識にしてしまう。

 そうすると素直に楽しめなくなる。上手いわけじゃない吹奏楽部の演奏に楽しい気持ちになるか、なんてことさえ考えてしまってひねくれる。そんな大人ぶった子供みたいな最低な僕に嫌気がさす。


 そして……一緒に演奏を聴いていた越阪部も同じようだったんだ。元々表情にあまり出ない越阪部だけれども、何だか終始浮かない感じだった。

 本番前に越阪部は『演奏を参考にする』と言っていた。だから、多分僕と同じような姿勢で……いや、越阪部のことだ。僕よりも厳し目な姿勢で演奏を聴いていたんだろう。その結果が彼女の難しい表情に繋がっている。

 会場の真ん中で僕ら二人、盛り上がる周りからぽつんと取り残されていた。完全に浮いていた。


 音楽を知らなければ良かったのかもしれない。もっと子供なら良かったのかもしれない。

 いや、むしろもっと大人になりたいとも思った。それはそれ、これはこれと割り切って、障壁を取っ払って会場の空気に流されてしまえば良かったとも思う。

 そう、僕は、中途半端に大人で中途半端に子供だった。我ながら本当に面倒くさい年頃なのだと、嫌々ながら自覚してしまった。


 このステージ、素直に楽しめればいいのにな……。心の奥の奥でぼやけた思いを認識してもなお、僕はひねくれたままだった。

 素直になりたいと思うだけで簡単に素直になれたのなら、とっくのとうに僕は素直になって楽しんでいるはずだ。『単純に見られたくない』という、大人ぶった子供っぽい変なプライドがつっかえて邪魔をしてるんだ。


 純真な本心が、ひねくれた作られた心にあっけなく弾き返される。

 ……何で僕はこんな損を、自分の意志でしているんだ。


 いや、意志とかそんなんじゃない。

 多分これは……呪い、なのかもしれない。そう思えるほどに偽物の心情は頑固でどうしようもないものになっていた。


 本当に、僕は……面倒くさくて、どうしようもないやつだ。

 中途半端に聴こえてしまった演奏ではなく、中途半端な年頃の自分自身にため息をついた。未だホールに残る興奮の余韻によって、僕のため息はなかったことにされた。

 いや、なかったことにしてくれた。僕らの事情を知らない周りの人たちだけには。


 僕の中だけでそのため息がこびりつく。それは周囲の興奮に逆らうような、異常に冷めきった態度を呼び起こす。

 本当は、そうしたくないんだけど、な……。


 誰にも知られないように、そっと奥歯を噛みしめた。



--※--



 ホールを出て、駅へと続く帰り道。

 世界を染めるは橙色。染めたものの後ろには、決して離れぬ大きめの闇が付きまとう。


「夕陽がオレンジ色なのは、一番遠くまで届く色だからなんだ」


 少し間を空けて隣を歩く越阪部が、不意に小さくも良く通ってしまう高い声音で言葉を落とした。


「……どうして急に」

「思い起こしてくれたんだ。遥か彼方からやってきた、この光がさ」


 越阪部は言う。どこか気取ったセリフに反して可愛らしい声だ、と思ってしまった。

 でも、その口調はどこか他人事のようで、彼女はひどく離れた距離から眺めているようにも思えた。


 空を見た。越阪部も同じ、空を見る。赤く焦がれている空。

 誰かにひどく離れた距離から眺められているようにも思えた。

 一体どう見えるのだろう、僕ら2人は。この距離感、さすがにカップルとは思われないだろうな。それでいいのだが。


 光の赤みが増していく。

 闇もまた、長くなっていく。僕らが変化を認識できないほどの遅さでゆっくりと……しかし、加速度的に速く。


 会話はない。微妙な距離を保ちつつ、せわしなく行きかう車両たちのノイズを受け入れながら。

 ひんやりとした微風が正面から吹き付ける。越阪部の短めに整えられた髪を小さく揺らして、何事もなかったかのように通り過ぎていく。


 不思議だ。越阪部と二人きりで歩くのは実は今日が初めてだが、無言がそれほど嫌ではない。

 むしろ、今の僕にはそうするのが正しいとさえ思えた。思い込みの複雑に支配された単純な僕は、越阪部のそばで自分に引きこもりたかった。


 こんがらがった糸くずをほどくのではなく、小さく小さく丸めてしまう。

 声どころか、視線すら交わることはないこの関係性が……今だけはありがたいと思ってしまった。

 そのままでいい訳はどこにもないのだが。


 そして、そのまま駅に着く。影と光の境界は曖昧になっていた。


「……さすがに、不自然だよな」

「ああ。キミが隣に座る分には構わない」


 空席の目立つ車内。端に座る越阪部の隣に僕は続いて座った。

 ただ、決して接触はしないように。詰めて座るが、間は空ける。仲はいい方だが距離感が特別近い人間というわけじゃない。そういうことは、絶対に気にしなくてはいけない。


 走行音と揺れに支配される空間。座席の布が絶妙に温かい、右半身から感じる気温が不自然にほんのり熱い。

 それだけ。ただ、それだけ。越阪部と僕は何も交わらない。


 広告の文字を無意味に見ていた。


 ……逃げている。ずっと。

 隣にいる越阪部の中にあるだろう糸くずから。

 中心の真ん中の芯にいる僕の糸くずから。

 僕は、逃げている。


 もう少し子供であれば、遠慮なく越阪部と会話ができる未来があったのかもしれない。

 もう少し大人であれば、気を配って越阪部と会話をアプローチする未来があったのかもしれない。

 でも、僕は。

 なんで、僕は。


 すごく、中途半端な人……。


「はあ……」

「はぁ……」


 ため息が重なり、思わず顔を見合わせる。


「ふっ……」

「……あはは」


 お互い苦笑した。あんなに丁寧に丸めていた糸くずが、簡単にほどけてしまった。

 ああ。ため息が重なったという本当にくだらない理由で笑えるなんて……結局単純で、結局子供なんじゃないか、僕らは。


「何を考えてたんだ、越阪部」

「……それは言えないな」

「じゃあ俺も言わない」


 何となく分かっている。多分、僕と同じだ、越阪部は。それでも言葉で共有なんてしない。したくない。

 理解はされたいけれども、簡単に理解はされたくない。

 そうやってカッコつけながらも、変な意地を張り合う僕らは。


「はは……俺たちって、子供だな」

「ああ。ただの子供。ただの中一だ」


 未来、多分ほんの少し先の未来の僕らは、それでよくないのかもしれないけれど。

 ……今は、それで、良かった。

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