48小節目 子供を演じるということ 

 『soliソリsoloソロの複数形。『メロディーとして目立つように演奏する』という解釈が一般的』


 楽譜に僕が書いた書き込み。先生の説明を簡単にメモしたもの。

 僕はそれをじっと見つめていた。


「ソロじゃない。ソリなんだ」


 Awakenedアウェイクンドゥ Likeライク the Mornモーン。西部地区研究発表会、すなわち僕らにとって初めての本番に演奏する曲。その合奏の練習にて、フルートの一年生、越阪部おさかべ夢佳ゆめか長谷川はせがわ先生に注意されていた。その口調は決して強くない。


「ここで必要なのは二つ分のフルートの厚み。1.5の厚みじゃあ、何ていうか……届かないんだ」


 むしろ、普段よりも慎重に言葉を選んでいる節がある。表面上こそ明るいが、重い過去を経験している不安定な吹奏楽部。その崩壊をとても恐れているようにも思えた。

 あれ……重い過去があるなんて話、誰からも聞いてない気がするんだけど……?


「多分越阪部さんのことだから、遠慮をしているんだと思うんだ。でも、もっと思い切りよく吹いて欲しい」


 食い入るように見つめる越阪部に、長谷川先生はしっかり向き合っている。表情をこわばらせることなく、優しく諭すように。


「失敗してもいい。それよりも、今しっかり吹いておくことが大事だ。しっかり吹くクセを今のうちに付けよう」

「はい」


 越阪部の返事。出来る限り声を低くしていたように聞こえた。それは元から高い声を隠すためか、それとも自らを引き締めるためか、戒めるためか……。

 多分、戒めるためなんだろう。越阪部は、自分自身を低く低く評価して生きている人間なのだから。


 吹奏楽部において、名指しで注意されることなんて何回でもある。ほんとうに何気ない合奏の一幕。

 だけど僕は思ってしまった。


 どうか、壊れないでくれ……と。




--※--




 普段、僕は越阪部、そして僕の幼馴染で越阪部の友人である佐野さの心音ここねと共に下校している。しかし、予想通りというか何というか……今日の帰りは二人だけになった。

 『用事があるから一緒に帰れないんだ』なんて、なんて下手すぎる嘘だろう。越阪部は絶対に音楽室で……いや、音楽室は部長が毎日居残りをしているので、おそらく適当な部屋で一人で練習をするんだろう。越阪部には人の目を感じながら居残るイメージがない。


 でも、嘘をつくのは何かしら僕の知らない理由があるんじゃないかと思ったから、それを信じてあげた。何となく予想は出来るけれども、その予想が確実という自信はないし、もしそれが間違っていたらどうすればいいのか僕は分からない。

 一緒に居残りたい気分もしたけれども……多分今の僕と越阪部では、それが許される距離感ではないと思った。まだ、踏み込むには時間が必要なんだと思ったんだ。


 けれども、その慎重さが裏目に出ることを心配する僕も確かにいた。

 その結果。


悠斗ゆうとー」

「うーん……」

「おーい。悠斗ー?」

「あー……うー……」


 心音の手のひらが僕の顔の前で往復する。それを確かに認識しても僕の意識は上の空のまんま。

 やっぱり、何かしてやった方が良かったんじゃないのか、とか……そんな思いが僕の制服のすそを掴んで後ろに引っ張り続ける。

 とはいえ、ここで心配が空回りするのも良くないし、越阪部に引かれるのも良くないし……ああ、めんどくさいな僕。


「もう……もしかして、そんなに夢佳のことが気になるの?」

「んー……うん。分かるもんなんだな、こういうの……」

「まあね。ウチと悠斗の付き合いだからさ」


 そういう時、心音が察してくれるのがすごくありがたく思った。こういうのは中々自分からは言い出せない。それにおそらく心音は僕よりも越阪部のことを知っているはずで……。


「少なくとも今日は大丈夫だよ、夢佳は」


 そう言って心音はにこりと笑ってみせた。後ろに掛かっていた力がすっと消えたような感じがした。

 でも……今日は、という言葉に僕は引っかかる。


「……今日は?」

「うん、今日は。危険だなって思ったら止めに入ってるから」

「分かるんだ、そういうの」

「そりゃ付き合い長いからねー、分かる分かる」


 ああ。本当に、僕の隣に心音がいて良かった。このことを共有できて、しかも越阪部のことをしっかりと知っている人がいて、本当に。もしかしたら越阪部の巻き添えで僕が壊れる可能性だって、どこかにあったのかもしれないのだから。


「まあ、悠斗なら分かると思うけどさ。ちょっとめんどくさいんだよね、夢佳って」

「うん」


 心音の言う『めんどくさい』は、長所ではないが多分短所でもないもの。越阪部のことを分かっていないなりに僕は感じ取っていた。

 というか、僕自身がめんどくさい人間だし、さ。


「ま、そんなとこも好きなんだけどね? ウチって素直すぎるから、素直じゃないとこを持ってる夢佳が羨ましいなって思う」

「そうなの?」


 意外なことを言う。素直じゃない所に憧れる、だなんて。僕は素直すぎる心音のことを羨ましく思っているというのに。


「うん。何というかさ、素直じゃないからこそ……惹かれるっていうかさ」


 すると、心音は足を止めて、果てない夕空を眺めてから。


「ウチと違うから好きになれるって感じがするんだ。夢佳と一緒にいると、何だか世界が広がりそうな気がする」


 こんな凄いことを言いながら、ただただ眩しい微笑みを僕に向けてくる。

 自身の持つ純粋さを一粒すら押しとどめることなく、惜しげもなく外に出すんだ。この心音という人間は。


「……まだ、全然広がってないんだけどね?」


 性格や考え方が全然違う人間とも一緒にいたい。世界が広がるかもしれないから。

 外側はまるっきり子供っぽく見えるけれども、内側では考えをしっかりと持っている心音。僕にとってはとても遠くにいる人間に見えた。

 まるで、僕のなりたいと思っている理想の人間が、そのまま外に出てきたかのような……そんな錯覚。


 劣等感。それを隠すように、僕は……。


「何というか」

「ん?」

「心音って、実は大人だよなって思う」


 僕は、心音を『大人』なんだと認めてやった。

 すると心音は照れを隠すように、僕を思いっきり笑った。


「ちょっと、そんなに笑うことないでしょ……」

「大人だって言われたの初めてな上に、それが悠斗の口から飛び出すなんて。笑っちゃうよそんなの」

「もう、心音……」

「見て分かるでしょ? ウチは子供も子供。精神年齢8ちゃい

「それはサバ読みすぎだと思うけど」

「あはは……」


 こうやっておどけてみせる心音は確かに子供っぽい。でも、それはただの子供を演じる仮面に過ぎなくって。


「でもさ。違いを認めて受け入れるとか、そんなの中々出来ないことだから。大人より大人かもしれないよ、心音」


 内面はすごく大人びている。間違いなく。


「ううん。違いに憧れてるだけだよ、ウチは。知らないことをたくさん知りたい盛りの子供なんだよ」


 でも、外面で子供ぶっていたり、外見が子供であるうちは、きっと……。


「……まあ、そうやって言い合っているうちは子供だよな、俺ら」

「ふふっ、そだね」


 子供でいられるんだろうな、僕らは。

 ……子供として、扱われてしまうんだろうな、僕らは。


 そして、それを受け入れているのが心音で。

 受け入れることが出来てないのが、僕で。


 ああ。……やっぱり、心音は大人じゃないか……。

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