28小節目 謎展開も突然に
部活が終わり、大半の部員が帰った後。僕は同級生で同じトランペットの
テスト期間で部活が休止になり、しばらく楽器に触っていなかったせいで感覚を忘れてしまった高野。それを取り戻すべく、このようなことになっている。
「久しぶりね、見澤くん」
「はい。久しぶりに残って練習していきます」
弦バスの部長、
楽器を演奏するのが好きだからなのか、ストレスを発散しているのか。もしかしたら家庭事情が複雑で帰りにくい……なんて線もありえる。
中井田先輩は部長ではあるが一人で行動していることが多い。一応後輩の一年生はいて、ちゃんと指導もしているらしいが。
「久しぶり、ですかっ?」
高野が僕の言葉に引っかかって聞いてくる。
「うん。前に一回残ったことがあって。中井田先輩、すごかった」
「すごかったっ……?」
だいたい一か月ほど前のことだろうか。僕と一緒に居残り練習をしていた中井田先輩が突然、部活では一切やらない超絶技巧の演奏をした。
それはもう、凄まじいものであって……あれを聴かされた僕はその気迫に押されて、あの後まともに練習もできなかったくらいだった。
何も知らない高野はどんな反応をするんだろうか。ちょっとした意地悪な心が顔をのぞかせた。
「そう。……まあ、今日分かるさ」
「……?」
「二人とも、私のことは気にしないで音出して構わないわ」
「はい」
「わ、分かりましたっ!」
中井田先輩の言葉を合図に、三人が三人、各々の練習を始めた。
中井田先輩はチューナーにある電子メトロノーム機能を使って、配られた楽譜を一通り通す。的確なテンポキープ。
高野は基礎練習を中心にやっているようだ。感覚を取り戻すために一度初歩に立ち戻ろうということだろうか。何も吹かない時間が合間合間にやや多かったのは、考えて音楽に当たる高野の性格故だろう。
そして、僕はそんな高野の様子を気にかけながら、今度の本番で演奏する曲を通したり、最近新しく配られた楽譜の譜読みを進めたりした。
しばらくはこんな感じで平和な個人練の時間が過ぎていった。全く言葉を交わさず、耳に入る音は二つの不安定なトランペットの音と一つの安定した弦バスの音。楽器の音しか聞こえないこの環境こそが、僕の集中を高めた。
……そして、その時は前触れなくやってくる。
来た。あの、『視線』だ。僕がこれを感じると何かが起こる。
前の居残り個人練のときには、その視線を感じた直後に中井田先輩が超絶技巧を披露して、僕は一切動けなかったのを覚えている。
今回も、やはりそれか。思わず音を止めて身構えてしまう。
僕が唐突に音出しを止めたのを不思議そうに高野が見た。ロングトーンを吹き続けながら。
間もなく、すぅっ……と音を立てて息を吸う音が中井田先輩の方から聞こえた。あの時と同じ前兆。僕の目は中井田先輩にくぎ付けになる。
そして……中井田先輩は手に持った弓を大きく振りかぶって……弦バスに叩きつけた。
「っ……!?」
練習を続けていた高野が目を見開いて硬直する。弦バスの鋭く悲痛な叫びが音楽室中に響き渡ったのだ。
その攻撃的なサウンドは、前に僕が聴いたときと何ら変わらなかった。
音楽というよりかは、雑音。ただただ無意味な音の羅列。魔女が奏でる、不協和な響き。
気にしないで練習していい、と言われた。前にも同じことを確かに言われた。でも……やはり、この音の前では何もできない。高野も同じようで、身体を小刻みに震わせながら中井田先輩を真剣な眼差しで見つめ続けていた。
……嘘をついた。高野は、僕とは違った。
高野はあの音に包まれながらも、トランペットを再度構え直したのだ。
あの、普段は弱気な高野が、である。僕は驚きを隠せずに、高野の横顔を見つめた。
違和感。
目が、虚ろだ。
そう直感で思った、その直後。
高野のトランペットから、信じられないようなサウンドが飛び出した。
初心者には吹けっこない、とんでもないハイトーン。普段の高野の何十倍にも感じるような爆音。
そして……中井田先輩の超絶技巧を彷彿とさせるような音の羅列。
しかし、その音に高野の意志は感じられなかった。むしろ別人の意志が乗り移っているかのようにすら思えた。
さすがの中井田先輩も演奏を止めて、目を丸くして高野の方を見た。
……しかし、それもつかの間。にやりと笑みを浮かべると、それに被せるように弦バスの音をぶつけにいった。
二人の技巧が。二人の音色が。二人の不協和音が……この音楽室を支配した。
片や吹奏楽の花形、トランペット。
片や低音楽器にして唯一の弦楽器、コントラバス。
音域も音色も性質もまるで共通点のない二つの楽器の音。
それが、何だか複雑な絡み合い方をしているように思えた。まるで、小さくまとまった糸くずのように。
……もしかして。無意味に思える音の羅列同士で、デュエットをしているのではないか?
僕がその考えを思い浮かべた瞬間、二人の奏でる音楽の性質がガラリと変わったような気がした。
高野のトランペットが吐き出す馬鹿みたいなハイトーンに、中井田先輩が限りなく低い音域の連符で応答する。
中井田先輩が一気に半音階を駆け上れば、その後をすかさず高野が追いかけて追い越してしまう。
複雑極まる音の羅列は、絶対に不気味な響きになるようになっていた。聞いていて気持ちのいい和音が鳴る瞬間は一瞬たりとも存在しない。
何なんだ。
何なんだ、一体。
無意味で不気味で、ただただ頭に思い浮かんだ雑音を好き勝手出しているだけのものだと思っていた。
しかし、そうじゃないんだ。あんな、まともに聴こうとすれば精神がすり減っておかしくなってしまうような音楽であっても……二人は、『意図的に』こういう音を出し、こういう音楽を二人で、なおかつ即興で作っている。
並大抵の、いや、おそらくプロのプレイヤーでもできっこないだろう。何しろ二人の間には一切の打ち合わせもないし、指揮者やメトロノームといったものもない。高野の虚ろな目を見るに、アイコンタクトすら取っているかどうか怪しい。
それなのに……唐突なテンポ変化や細かな連符ですら、一切の認識のズレなく演奏が進んでいるのだ。単純に、人間が出来ることを超えている。
時間としてはさほど長くはなかった。二分もないくらいの、短い演奏だった。
しかし、僕にはその時間が凄まじく長いものに感じた。
強烈な音の響きに圧倒され、意識すら手放しそうになった。
音がぶつりと途切れた。音楽の始まりが唐突ならば、終わりもまた唐突だった。
そして……まるで電源が切れたかのように、高野の身体が脱力して前へと倒れる。
「っ……お、おい!?」
僕は慌てて高野の身体を支えた。
トランペットは無事だ、どこにもぶつけてないし落としたりもしていない。
「大丈夫か!?」
しかし、高野の方は一切の返事がない。肩を叩いても、身体を軽く揺すっても……何の反応もない。
肌の色が、やや青くなっていた。息が浅く、速い。
「……大丈夫よ。ただの酸欠だと思うわ」
「中井田先輩……うわっ!?」
突然中井田先輩がオーバースローで何かを僕に投げつけてきた。僕は反射的にそれを両手でキャッチ。
硬く冷たい金属の衝撃がてのひらに走る。結構痛い。
気になる、何かの正体は……
酸素スプレー。
ま、まあ……確かに今の状況にドンピシャのアイテムではある。
しかし。しかしだ。
……何で今、これを持ってるんだ。
「これ、使って。この前テストで早く帰った時にヒマだったから、富士山に登ったのよ。その時に持って行ったものなんだけど……なぜか、学校にまでついてきてしまったようね」
頭、吹奏楽部だ。
一見まともそうな人だと思っていたけれど、ああ、そういえばあの変人達の集まりである吹奏楽部の部長だったんだ、この人。
頭吹奏楽部であるのもうなずけ……ないな、これは。
……なんですか、これ?
いくら何でも、ぶっ飛びすぎやしませんか、これ?
僕は相当混乱しつつも、結局言われた通り高野の頭を軽く上げて酸素スプレーを吸入させた。
すぐに目を覚ましたわけではなかったが、苦しくはなくなったようだった。
僕は安心した。安心したが……あえてもう一度、言わせてもらいたい。
なんですか、これ?
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