29小節目 心霊現象も突然に

 突然、超絶技巧を披露したのちに気を失ってしまった高野たかの玲奈れな

 一応状態は良くなったがまだ目を覚ましてはいない。いくら高野が小柄とはいえ四階の音楽室から一階の保健室に運ぶのは難しいため、とりあえず複数の椅子でベッドを作りそこに寝かせてある。


 なんか色々と、僕の思考では追いつかないことが立て続けに起きすぎていて混乱している。

 混乱しているが……きっと今、このタイミングでしか聞けないことがある。


 僕は、部長の中井田なかいだ文香ふみか先輩に思い切って聞いてみることにした。

 あの『視線』のことだ。このような状況が起こった以上、もうごまかされることはないだろう。


「先輩。……さっきも、俺は『視線』を感じました」


 中井田先輩の表情が硬いものに変わる。やはり、知っている。


「……一体、何なのですか? 先輩なら知っているはずです。教えてください」


 僕は語気を少し強めた。このことは絶対に知っておかなければならない……何だかそんな感じがしたから。

 しかし、中井田先輩は静かに首を横に振った。


「いいえ。私は何も知らない。……知っていたとしても、今のあなたに教える必要はないわ」

「どうしてですか」

「必要がないからよ。このことを知ったところで、あなたの役に立つとは私は思わないわ」


 理由になっているようで、なっていない。

 まるで僕のことを知っていて、それを決めつけるかのような言い方。

 ……はっきりと、イライラを感じた。


 僕は案外キレやすい。


「そんなの分からないじゃないですか」


 僕はゆらりと立ち上がって反論する。


「必要がないなんて、そんなの誰が分かるというんですか。この先のことなんて何が起こるか誰にも分からないじゃないですか。……なのに、なんでそんな、全てを知っているかのような言い方をするんですか!」


 中井田先輩は一切の動揺を見せない。表情を全く変えないすましたその態度が、どうしようもなく腹が立った。


「俺はそうやってはぐらかされるのが嫌いです。……言ってください。高野に何があったんですか? あの『視線』は何なのですか?」


 ぎり、と僕は中井田先輩を睨みつけた。緊張した空気が張り詰める。


 ……中井田先輩は僕を無視して、再び弦バスの弓を構えた。


「待ってくださいよ、それはないでしょう!」


 もはや何を言っても無駄なようだった。何を言っても、中井田先輩はこのことを教えないつもりらしかった。


 ……しかし。


『文香、そう意地にならなくてもいいんじゃない?』


 どこからともなく降ってきた声に、中井田先輩が動きを止めた。

 副部長、やまかおる先輩の声だが……山先輩は先に帰っていて、間違いなくここにはいないはずだ。僕が周囲を見渡しても、この音楽室にいるのは僕と高野と中井田先輩しかいない。


まい!? 出てきて良かったの、あなた!?」

『……あはは、ちょっと調子に乗っちゃったらバレちゃった。ごめんごめん』


 信じられないことが目の前で起こった。

 中井田先輩の隣に、さっきまでは明らかにいなかったセミロングの女子生徒が突然現れたのだ。

 髪型のせいでちょっとよく分かりにくいが、山先輩と似たような雰囲気をしている。そして、声質はまんま山先輩だ。


『初めまして、見澤みさわくん。といっても、本当は初めましてじゃないんだけどね?』

「は、初めまして……」


 小さくウインクを飛ばしてくる女子生徒。ますます山先輩っぽい。


『私は清水しみずまい。訳あって、ここの音楽室に居ついている幽霊です。よろしくね?』


 え。


「……い、今、なんて言いました?」

『え? よろしくね、って。普通に』

「いや、そうじゃなくて、その前……」

『あ、あー……なるほどね。あはは、まあそれなりに珍しいもんね。幽霊って』


 よく見れば、何となく彼女が半透明のような気がする。


 なんてこった。

 マジもんの幽霊と、僕、会話してるよ。普通に。


『私はちょっと昔に死んじゃったここの生徒。吹奏楽部で、トランペット吹いてたんだ』

「まるで、山先輩みたいですね」

『やっぱりかおるに似てる? それもそっか、だって一応かおるのお母さんの姉だもん、私』

「え、そうなんですか?」

『うん。ちょっと似すぎかもしれないけどね、かおるとは』


 幽霊、全然怖くないが。

 むしろさっきの中井田先輩より怖くないまであるが。


「……ということは、あの『視線』って」

『そう! 私の力、みたいなものなのかもね。幽霊の専売特許!』


 果たしてそれは本当に専売特許なのか……というのはさておいて。

 とりあえず、結構な大きな謎がわりかしあっさりと解けてしまったことになる。こんな、奇妙な形で。


 にしても、その力ってどういうものなのだろう。僕が疑問に思うのを見通してか、中井田先輩が補足説明をしてくれる。


「舞の『視線』は、何かしらの潜在能力を引き出すことができるの。たとえば私なら、さっきの『個人練』のような感じ。実はこれ、舞に頼んで力を解放させてもらっていたのよ」

「……もしかして、ドレミをみんなの前で演奏した時、緊張が消えたのって……」

『そう! トップバッターに指名されてガチガチになってる見澤くんがちょっと可哀そうに思えたから、少し力を貸してやったのだ』


 またウインク。山先輩の家系は、みんなこんな感じなのだろうか。


『ああ、でもさっきの玲奈ちゃんは私が直接身体を借りて吹いちゃったやつだから』

「え……それって、身体を乗っ取ったってことですか?」

『そ。文香の演奏聴いてるとついつい吹きたくなっちゃって。男の子の身体借りるのは色々と刺激が強すぎるから、玲奈ちゃんにしたんだ。……ちょっと悪いことしちゃったけど』


 今回の被害者である高野は、相変わらず小さく寝息を立てながら寝ている。目を覚ますのにはもう少し時間がかかりそうだ。


 ……にしても、さっきの演奏が清水……一応吹奏楽部の先輩だから清水先輩と呼ぼう。

 その清水先輩の力量だというならば、この人もとんでもない演奏者ということになる。


「それで、あなたには必要ないと私が言っていたのは……舞の力には、とても大きな副作用があるの」

「副作用、ですか?」

「そう。大きな大きな、副作用よ」


「……粕谷かすやさんから昔の話、聞いたのよね」

「えっ。何で粕谷先輩からだって分かるんですか」

「かおるから聞いたのよ」


 中井田先輩が僕の顔を真っすぐに見据えた。

 そして……落ち着いた雰囲気のまま、ゆっくりと語り出した。


「直前になって私がコンクールメンバーから外されたのは知っているわよね。その時の私は絶望して、とにかく上手くなって私が必要であることを証明して、見返してやりたい……そう思った。上手くなるためには手段も選ばない……そう思うくらいに追い詰められていたのよ」


 自分自身が体験した重い話のはずなのに……中井田先輩は、どうしてだかどこか他人事のように語っていた。

 他人事だと思わないとこの話をするのが辛いからなのだろうか。先輩の感情は憶測でしか分からないが。


「その時に手を差し伸べてくれたのが舞だった」

『あまりにも可哀想な目にあって、うなだれている文香を見てるとほっとけなくなってきちゃって……ついついコンタクトを取っちゃったわけ。もちろん、文香が一人だけの時にね』


「舞は自身の力と、その副作用について説明してくれたわ。手段を選んでいられない私は、即座に了承した」

『了承したって文香は言っているけど、ホントは脅されたって感じ。『助けてくれないとここから飛び降りる』って』

「そ、それは言わないで。……まあ、そのくらい追い詰められていたのよ、私は」


 一見完璧に見える中井田先輩。そんな彼女も大きな挫折を味わっていたのだ。……もっとも、そこから立ち直る方法というのが全く持って特殊なわけなのだが。


「で、舞の力の副作用のことなんだけど……まず一つ前置きね。継続して舞の力を受け続けなければ、副作用は発動しないから安心して」

『見澤くんはあの一回だけだから副作用は出てないよ。大丈夫』


 僕は清水先輩の言葉にうなずいた。ちょっと安心。


「……さて。その、舞の力の副作用なのだけれど……」

『あ、文香ストップ! 玲奈ちゃんが!』


 清水先輩が制止して、寝ている高野を指さした。……もぞもぞと動いて、何だかもうすぐ起き上がりそうに思える。


「……ごめんなさいね。この話は、またあとで」

『当然みんなには内緒だからね。ばらしたら呪い殺す』


 怖っ。さすが幽霊だ。


『それじゃーねー』


 清水先輩は手を振りながらすーっと消えていった。……なんだか、嵐のような人だった。

 ……人、というか幽霊だった。


「んんっ……あれ、ボク……寝てましたかっ……?」


 高野が目をこすりながら起き上がる。学校椅子を並べただけのベッドはやはり硬いようで、ちょっと背中を痛そうにしている。

 ……まあ、内緒にしないとだよな。というか馬鹿正直にしゃべっても信じてくれないだろう。


「高野、おはよう。練習しすぎて疲れてたのか?」

「そうかもですねっ……なんだか、頭がふわふわしますっ……とと」


 立ち上がろうとすると、バランスを崩して倒れそうになる。

 僕はとっさに高野の身体を支えた。……変なところは触っていない。大丈夫。


「高野さん」

「は、はいっ」


 中井田先輩に呼ばれてちょっと緊張気味に返事をする高野。


「少し休んで落ち着いたら、今日のところは家に帰るべきね。本番まで時間がなくて焦る気持ちは分かるけれど、舞台に立てなくなったら本末転倒よ?」

「そう、ですねっ……分かりましたっ」


 外はもう、結構暗い。ただでさえ何か危なっかしい高野である上、体調も万全ではない。

 となれば、僕がするべきことはおのずと見えてくる。


 もっとも、それが高野に受け入れられるかどうかは別問題ではあるが……ここは男子として、一応提案しなければいけない場面ではあるだろう。


「俺、高野の家まで送ってく」

「えっ……?」

「一人だと、またどこかで倒れるかもしれない。外もそこそこ暗いし。……だから、俺に送らせてくれないか」


 高野の頬が若干赤みを帯びた気がした。


 ……そんなつもりじゃ、ないが……?


「い、いいですよっ。ボクなんかのためにっ、見澤くんに迷惑なんかっ……」


 そんな感じで一旦拒否するのが高野のキャラだ。僕はそれに被せるように、ちょっと強引めに。


「俺は迷惑だなんて思っていない。むしろ、万が一があるとそっちの方が迷惑かかる」

「み、見澤くんっ……」


 高野はぎこちない動きで目を逸らした。……耳まで赤くなってる。


 だから、僕、そんなつもりじゃないのだが……。


「……じゃあ、お、お願いしますっ……!」


 ぐわんっ、と深々とお辞儀をした。何も変なことを言っていないはずなのになぜだか申し訳なくなる。




 ……というわけで、僕は高野を家まで送ることになった。

 なんか、色々と、アレな気がするが……多分思春期特有の異性を意識しすぎるやつとか、そういうんだろう。多分。きっとそうだ。うん。


 ……というか、そうじゃないと……色々と、困る。

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