27小節目 忘却するのも突然に
先日二年生の
そして、そのまま早めに帰ってテスト勉強をする日々をこなし、テストの日も何事もなく過ぎる。まあ、多少は緊張していたが。
中学校のテストは小学校のものよりも難易度が高く、100点は容易に取れないと先生から聞いていた。僕はそれに身構えてそれなりには勉強をしたと思う。
しかし、最初なだけあって範囲は狭いし、内容もそこまで難しくはない。むしろ、丸一日テストで終わるという形態に慣れる方が本命なのでは、と思った。
「……あ、俺数学100点だ」
だからこんなことも起こる。多分人生最後の100点だろう。僕はその三桁の数字を指でなぞった。
……ちなみに、幼馴染である
「『マイナス3kg増える』って意味が分かんないんだけど! 普通に3kg減るでいいじゃん!」
「数学のテストだからねー……あとサックスケース振り回すな死ぬ」
--※--
テストが終わり、約一週間ぶりに部活へ行く。僕にとっては、テストよりもこっちの方が問題だったりする。
一週間ぶりに持つ金色のトランペット。やけに重く、冷たく感じる。何だかしっくりこない感じ……。
とりあえずいつも通りのことをしよう。マウスピースだけで軽く唇を慣らしてから楽器に取り付ける。唇を震わせて息を管に吹き込んだ。確かに粒の荒い音ではあるけれども、ちゃんとトランペットの音が出てくれた。
ちゃんと音が出るかどうか不安だったけれどもとりあえず音が出て僕は安心する。今まで頑張って音を出せるように練習してきたし、それに楽器を持ってもうすぐ二か月目になるんだ。今の僕なら、楽器から一週間離れた程度なら大丈夫なんだ。
まあ、大丈夫とは言っても、音を一つ発したくらいじゃあ完璧に感覚は戻らない。ロングトーン、リップスラー、音階……基礎練習のメニューでウォームアップをする。身体に埋まっていた感覚が、音を発するごとに浮かび上がってくるのを感じてくる。
あれ。何だか、楽しいぞ。あの時――粕谷先輩に拉致されたときに吹いたときのあの感触は、やはり一週間以上も経てば逃してしまっているのだが、それでもやっぱり楽しいものは楽しい。
そんな感じでウォームアップをしていると、隣から何だか異様な雰囲気を感じ取った。
何だか怖いので目だけを向ける。
「……アンブシュア、ブレス、リリース……タンギング、バズィング、リップスラー……ハロー、ハウアーユー、アイムファインサンキュー、ハウアバウチュー……」
同級生の
「よしっ、大丈夫大丈夫、ボクは大丈夫っ……」
神妙な顔をしながらマウスピースを恐る恐る楽器に取り付ける高野。そして、深呼吸をして精神を落ち着かせる素振りを見せてから……楽器に息をふうっと吹き入れた。
しかし、僕の耳に伝わってきた音はひゅう、と管の中に息が通る音のみ。トランペットの音色は出ない。
「にゃ……あ……」
高野は愕然とした。焦って何度も何度も息を吹き込むが、まるで音が出る気配はなし。出てくるのはかすれた情けない空気の音のみだった。
……いや、いくら何でもそんなことがあるものなのか? と、疑問に思うも、実際起こっているしあの高野だから何とも言えない。
「どうしたの玲奈ちゃん……?」
「かおる先輩っ……音が、音がっ……出ないっ……ですっ……」
僕が声を掛けようか悩んでいると、パートリーダーの三年生である
一方の高野はよほどショックを受けているのかもはや半泣きである。気持ちは分かる。
「落ち着いて。もしかしたら楽器が壊れてるだけかもしれないし。ちょっと貸して?」
山先輩は高野から楽器を借りると、そのトランペットの調子を確かめるように息を吹き入れる。そっか、女子同士だからその辺は全然気にならないんだな……と思った。先日、『あんなこと』があっただけに。
結論から言えば、高野のトランペットは壊れていなかった。山先輩は音階をパラララパラララと軽快に吹いていて、特に詰まるところだったり吹きづらそうにしているところもなかった。むしろ何だか高野のトランペットの方が音がいい気さえしてきた。
つまり、原因は……残念ながら楽器からしばらく離れていた高野自身ということになる。
「っ……ぁ……」
言葉を失うとは、まさにこのことだろうか。
高野は山先輩がトランペットを難なく吹いている所を見ると、全身をくまなく使って絶望をできうる限りで表現した。……この際壊れていた方が良かったと思ったのは僕だけじゃないはずだ。
--※--
一応山先輩がつきっきりで高野の面倒を見たおかげで、何とか今日のうちに音を出すことだけには成功した。改めて山先輩の凄さを認識する……。
しかし、それでも結構な経験値を失ってしまったらしい高野は相当に悔しがって、誰からでも見て分かるくらいに落ち込んでいた。
……ちなみに、本番まであと一週間と少ししかない。
最初の舞台に立つのがこの状態というのは相当来るものがあるんだろう……そう思えば、僕に高野を放っておくなんてことは出来やしなかった。
それに、もしそうなってしまえば高野のことだからずっと立ち直れないかもしれないし、それはそれで僕らにとっても迷惑極まりない。あと……僕には高野にちょっとした借りもある。
正直、今の状態の高野は誰も近づけないくらいに負のオーラを放っている。何かが高野に触れると、そこから腐ってしまうようなそんな感じさえもする。
けれども僕は、とにかく、まあ、色んな要因から……思い切って落ち込みに落ち込んでいる高野に声をかけた。
「高野」
「……なんですか、
……なんて続ければいいんだ、これ。
声をかけたのはいいが、その続きを何も考えてなかった。何やってんだ僕。
大丈夫、は違うと思う。まだ時間はある、も無責任だと思う。
じゃあ、何と言えばいいんだ。
頭が真っ白になっていく。焦る。焦って楽譜に手を伸ばしてパラパラとめくり、何かヒントを得ようとする。……実際はそんなんじゃなくて、ただ手を動かしていないと落ち着かないというだけなのだが。
でも、僕のギリギリ残った冷静さ……というか、直感というか。それが、一つの思い出を見つけ出す。
覚えている。忘れているわけがない。
ある日、僕が上手い音が出なくて煮詰まったときに、高野が声をかけてくれた。一緒に演奏をしてみないか、と。その時にやったのがこの楽譜だったんだ。
上手くできないだとか、楽しいと楽しくないだとか……色々な悩みを抱えながら練習して募ったイライラ。それが高野と二人で吹いて、ハモって、演奏したら、いつの間にかそんな悩みは吹っ飛んでいて……残ったのはただ、楽しいという感情だけになっていて。
そして、今。まさに高野が悔しい思いをしている。上手く吹けなくなっているということに、相当な悔しさを感じているだろう。
……ならば、今度は。
「一緒に、吹こう」
僕が、そのお返しをする番だろう。
「一緒に……ですかっ……?」
「ああ。今回は俺についてきてくれ。さすがに音符の読み方とか、運指とかは忘れてないよな?」
「だ、大丈夫ですよっ。ボクを何だと思ってるんですかっ、失礼ですねっ……」
……ごめん。高野だからあり得そうとか思ってごめん。
内心で謝罪しながら、僕はチューナーの電子メトロノームをセットする。あの時と同じ、少しゆっくり目なテンポだ。
「それじゃあこっから。いい?」
「は、はいっ。いきますっ……!」
ガチガチにトランペットを構える高野。余計な力が入りすぎて軽く腕が震えている。
そんなに力んだら出る音も出ないよ。僕は苦笑するけども、高野はガチガチのまんま。
「行くよ。……さん、し」
僕がカウントを取って、久しぶりの初心者二人による合奏が始まる。
前回と違って、今度は僕がペースを取る番。前回よりもさらに音が小さく、意志も弱々しくなった高野の音に寄り添いながらも、その手を引っ張って前に連れ出す感じ。
相手のことを気にはかけるけれども……僕のいる場所に来い、僕らのいる場所に戻ってこい、と思いながら。
優しい強引さとでも言えばいいのだろうか。
独りよがりにはならないように気を付けながら、それでも一緒に弱気になってはいけないと心を強く持って。
そうやって吹いていると、最初はまともに出ていなかった高野の音が、段々と形を成していくのが分かっていって。
形が分かり、輪郭線も見えてくると、弱々しかった高野の意志が何となく見えてくるようになっていって。
完全復活には遠く及ばない。けれども、高野らしい理知的な音が垣間見られるくらいにはなっていくのを僕の耳は感じた。
確かに、高野と合奏をすることはできた。
合奏をすることはできたが、結局……僕と一緒に吹いただけでは高野の音は元通りには戻らなかった。まあ、僕との演奏でいきなり変わったらそれこそ奇跡だろう。
しかし、音こそ良くはならなかったが……高野は。
「今日居残りましょうっ。一緒にっ」
……何か、やる気を出したみたいだ。僕を巻き込んで。
ん? 居残る、ということは……つまり、あの人が『個人練』をする空間で練習するんだよな……?
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