C ちょっとした昔話

19小節目 夢か現実か

 窓から差し込む朝の日差しに揺り起こされ、僕はベッドから身体を起こす。さっきまで見ていた夢が、やけに脳裏にこびりついていた。

 嫌な夢だった。

 本当に嫌な夢だったけれど――これはきっと夢ではなく、僕ではない誰かの、実際にあった出来事の記憶なんだろう。未だ夢の余韻が残る頭で、僕は直感的にそう思ってしまった。



--※--



 まるで、僕を起こすためだけに太陽が出ていたようだ。ほんの一時間も経たないうちに日差しは分厚い灰色の雲にさえぎられた。


 奈々岡ななおか高校の演奏会を聴きに行った翌日は、GWゴールデンウイーク中ながらも部活がある日になっていた。学校に行く途中に幼馴染の佐野さの心音ここねと、その友達の越阪部おさかべ夢佳ゆめかと合流する。

 僕はこの二人に今朝見た夢の話をすることにした。特に越阪部には昨日の内容にリンクすることもあるから、伝えておきたかった。


「今日さ、嫌な夢を見たんだよね」

「どんな夢? ウチ、気になる」

「おわっ、落ち着けって」


 ずいっと身を乗り出して聞いてくる、(自称)護身用サックスを両手で持っている心音。僕は思わず身体を引いてしまう。

 越阪部は僕らのやり取りを静観しているが、何となく聞きたげに見える。何となく。


「……ええっと。まあ、吹奏楽部の夢なんだけど――」



--※--



 ――夢の中の吹奏楽部は大所帯だった。60人はいたと思う。

 その中で僕はなぜだか弦バスを持っていた。


 そして、僕らの前にいた顧問の先生は長谷川先生とそっくりだった。つまるところ、非常に若い男の先生だ。


 しかし、言動はその正反対だった。


『いいか、お前ら。合奏中は決して笑うな。顔の緩みは気持ちの緩みだ』


 凄みの効いた声で、その先生は僕らを指導する。

 ――いや、これは指導じゃない。これは支配だ。洗脳だ。

 そして、僕らはその場から動けない。動けやしない。


 先生が指揮棒で譜面台のふちを叩いた。詰まった金属音。

 そのまま指揮棒を上げた。僕はコントラバスの弓を構える。


 曲は何事もなく通される。どんな曲だったかは覚えていない。曲のタイトルも知らない。

 先生は言った。


『音楽という漢字は、音を楽しむと書く。……だが、演奏者側は決して楽しいなどと思うな』


 誰も彼もが動じない。僕もそうだった。

 ……しかし、それはあくまでも外面の話。内面ではその先生の言葉にひるんでしまっていた。


『その漢字は聞き手側の視点に立ったものだ。演奏者は聞き手に音楽を提供しなければならない。音を楽しませるような演奏をしなければならない。これは義務だ』


 先生の鋭い目が僕を射抜く。世界が二人だけになる。

 何も動けない僕に先生が怒鳴った。


『いいか――楽しいという気持ちを捨て去れ!』


 ぐわん、と頭が揺れる感じがした。まるで何かで殴られたような。


『演奏には、気持ちも、感情も、心も、全部必要ないものだ! 捨てろ!!』


 先生が指揮棒を地面に投げつける。プラスチックで出来た指揮棒は空虚な音を立てて転がった。

 恐怖で身体の震えが止まらない僕を、先生は睨みつけ……静かに、しかし有無を言わさぬような声で、こう『命令した』。


『機械になれ。ただ楽譜を完璧に再現するための機械になれ』


 そうすれば音は究極に統一され、作曲家が思い描いた通りの音を聞き手に届けることができる――その先生の持論に反対をする人間は、誰一人いなかった。



--※--



「――僕が覚えているのはここまで。多分続きはあるんだろうけれど、それより先はもやもやしていて思い出せない」

「……そ、そっか……」


 興味津々な様子だった心音が明らかに落ち込んでいる。逆に越阪部の方が興味を持って僕の話を聞いていた。


「ありがとう。何だか昨日のことを思い出すな……」

「ん? 昨日何かあったの?」

「ああ、心音。実は昨日、私たちが心音と別れたあと――」


 昨日のことを知らない心音が、越阪部に聞いてきた。

 越阪部は相変わらずの回りくどい言い方で、昨日あった出来事を話した。昨日の演奏会を楽しめてないというところは伏せて。


 昨日は演奏会の帰りに偶然出くわした三年生の先輩二人と越阪部でカラオケに行った。

 僕と越阪部は正直演奏会を素直に楽しめなかった。しかし僕は、そのカラオケによって結構気持ちが楽になった。それとはまた別に気になるところは出てきてしまったけれど……。


 そして、越阪部もカラオケによってある程度は沈んだ気持ちが浮き上がってきた、らしい。少なくとも帰り際の会話の内容を思い返す限りは。

 ただ、『カラオケはカラオケ、部活は部活』らしく、部活中に楽しめるかどうかというのはまた別の話らしい。何ともストイックだ。


「ずーるーいー、今度ウチも誘ってよー!」

「分かった、分かったからそのサックスケースを頭上で振り回すな普通に死ぬから!」


 慌ててしゃがんだことで僕はすんでのところで天国行きを回避した。いつ誰が死ぬか分からないこの世の中だから気を付けなければならない。

 ……というかサックスケースって案外重量あるのに、それを片手で軽々と振り回す心音って意外とやばくないか。


「……で、まるで水を差すようにその夢がキミにあらわれたって感じか」

「まあ、そういう風に思えるよなあ……それにさ」


 僕は越阪部に朝起きて思ったことを話す。


「この夢、どっかで本当に起こったことなんじゃないかなって……俺、そういう風に思っちゃうんだよな」


 越阪部は「そうか、なるほどな……」と、肯定もせず否定もせず、ただ僕の考えをニュートラルに受け止めた。


「悠斗は何でそう思うの?」


 心音が聞いてくる。数秒前は頬を膨らませて不満顔だったというのに、今は眉をハの字に曲げて何だか不安そうだった。

 その表情に僕は嫌な胸の締め付け方を感じた。


「……夢の僕が、僕じゃないような気がした」


 頭上の分厚い雲を眺めながら、僕の口を割った言葉はこれだった。


「仮入部でこそ体験したけど、僕が弦バスを触ったのはそれっきり。なのに僕は夢の中で弦バスを持っていたんだ。……それって、やっぱりおかしいと思うんだよ」


 僕がそう考え込むと、越阪部が何か思いついたかのように聞いてきた。


「なあ。キミはちゃんと弦バスの場所で合奏していたのか?」

「……していた、と思う。僕がいつも合奏で見る景色とは違っていた気がする」

「そうか。じゃあ、そうかもしれないな」

「何でだ?」


 越阪部は自分で自分の言葉に納得したようにうなずいて、知識を披露し始める。


「夢というものは、あくまでも自分で記憶したことの範疇でしか起こりえないんだよ。ここでの記憶というのは現実で自身が体験した記憶のほかに、仮想の記憶……言うなれば小説やアニメといった創作物で受け取った記憶も含める」


 心音が身を乗り出して聞いている。僕はその様子を見て少し苦笑しながらも、越阪部の言葉を受け止めている。


「それでだ。おそらくキミは弦バスから見た合奏の景色というものを体験していないはずだ。現実でも、仮想でも。そうだろう?」

「まあ……そうだな」

「それに大所帯の吹奏楽部の中にいるという経験も、そして……あの先生の強烈な言葉の数々を聞いたことも」

「ああ。そんなことはないな」


 ……似たようなことはあったが。


「記憶していないことが夢で起こるというのはおかしいんだ。だから、私もキミが見た夢は誰かの記憶なんじゃないか、と思う」


 おー、と声を上げて小さく拍手する心音。そのリアクションを見て、なぜだか越阪部が微妙な顔をした。……あれ、何か怪しいぞ。


「……越阪部?」


 僕は横目で越阪部をいぶかしむ。越阪部は表情を一切崩さずに、こう言い放った。


「ちなみにこの理論の根拠はあの曇天の遥か彼方だ」

「……」

「つまり根拠はない」


 その言葉を聞いた瞬間、心音が排水溝の溝につまずいてタイミングよく転倒した。

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