18小節目 いつだって、君の声が

 ノリノリでウキウキな言いだしっぺの吹奏楽部部長、やまかおる先輩と、そこそこ楽し気にしている1年生の僕と越阪部おさかべ夢佳ゆめかと――山先輩にがっちりと手を繋がれて強制連行されている学生指揮者の花岡はなおか恵里菜えりな先輩。けれども、カラオケが苦手だという花岡先輩もそこまでどんよりとはしていない。やれやれ、仕方ないな、って感じの表情を浮かべている。


 そんな四人で駅近くのカラオケボックスに来た。山先輩が色々手続きを済ませてくれて、指定された部屋に入って――


「はい、トップバッター」


 ――さも当然の流れであるかのように、山先輩から僕にマイクが渡された。


 ……まあ、唯一の男ですもん、そりゃあそうなりますよね。そんな感じでもはや達観している僕は、何かもう色々と取り返しがつかないところに行っている感じがしなくもない。


 しかし、とりあえず何を歌えばいいんだ。僕は端末にひもでつながれているタッチペンを持ちながら、50音キーボードを表示している液晶画面とにらめっこしていた。

 そもそも僕はカラオケ自体、家族や親戚たちの付き合いでしか行ったことがない。部活仲間と歌うんなら最初はどんな曲を歌えば受けがいいんだろうとか、そもそも僕ってそんなに歌える曲ないんじゃないか? とか、ぐるぐるぐるぐる頭の中で渦巻く。

 一文字打っては消し、また一文字打ったら消しをひたすら繰り返す。予測欄に出てくる楽曲が、なんか違うんだよな、今僕が歌いたいのはそれじゃないんだよな、って曲ばかりしか出てこないような錯覚。トップバッター、ドツボにはまる。


「はやくーはやくー」

「……」


 山先輩がスマホをいじりながら急かす。僕の手元を見つめる越阪部から無言の圧力を感じる。

 なんかもう、色々限界。たすけて。僕は救いを求めて花岡先輩の方を向いた。


「……?」


 花岡先輩は柔和な微笑みを向けて……何も、してこなかった。


 何も、してこなかった。


 ……あれ? もしかして、僕がカラオケに行くきっかけを作ってしまったから……恨まれてるのか、これ?


「はい、時間切れー。じゃあこれ歌って」


 そして山先輩に端末を奪われ、勝手に選曲されて勝手に送信された。その曲が誰もが知っていて、なおかつ一番手には結構いい曲なんじゃないかって選曲だったので、僕は何も反論できずにただ先輩に指定された曲を歌うべく準備するのだった。……いや、ホント僕、情けな……。


 まあ、楽器を持って指揮棒が振られれば楽器を吹いてしまうのと同じように、マイクを持って曲が流れ始めてしまえば歌を歌ってしまうのが僕という人間なわけで。さっきまで選曲でうじうじ悩んでいた僕を吹っ切って、僕は先輩の手によって目の前に置かれた一曲を歌い始める。


 いざ声を出してしまって、勢いのある曲に乗ってしまえば、もう後は流されるまま。

 まあ、ちょっとは……いや、割と結構上手く歌っているように見せたいって気持ちはある。でも、どう背伸びしようとも、どう見栄を張ろうとも、歌声は正直だ。単純な僕のありのままが100%流れ出てしまう。複雑を装うなんてことはできやしない。


 ……でも、なんか、それでいい気がしてくる。歌が進むにつれてその思いは強くなって、上手くあろう、見栄を張ろうだなんて気持ちはどこかに消えてしまった。

 ただ、曲に乗って歌を歌う。それでいい。カラオケの楽しみ方なんてそれだけでいいんだ。そんなに上手くなかろうが、自分自身が歌ってて楽しいと思えるんならそれでいい。自分の歌でこの場の人間が盛り上がってくれればなおいい。


 そっか。音楽の原点って、案外こういった単純なものなのかもしれない。人間ってやたら凝り性な生き物だから、長い年月をかけてよりよいものを追求していった結果、外側の姿かたちが大きく変わっていって、こういう単純な原点が埋もれてしまうんだろう……なんて、そんな哲学じみたことも思ってしまって。


 ……ホントに今日の僕は変だな。やってることはただのカラオケなのに、何でこんな気取ったことを考えちゃうんだろう。

 ま、いいか。多分僕の年頃はこういうもん。悩まなくていいことで悩んで、他愛のないことから変な発見を生んでしまう。こういうことを繰り返して大人に近づいていくのだろう、たぶん。



--※--



 山先輩は最近流行りのJ-POPを中心にノリノリで歌って、越阪部は2000年代くらいの洋楽ロックをキーを上げつつも少々カッコつけた感じで歌う。僕の選曲は親や親戚の影響でやや古めだったり。

 そして、カラオケが苦手だと言っていた花岡先輩は聞き専に回っていた。歌うのが苦手ってだけで、他の人のを聴く分には全然大丈夫なようだった。実際身体を揺らしながら聞いているし。

 そんな感じで、山先輩の思い付きで始まった吹奏楽部四人のカラオケの時間は平和に過ぎ――


「ねー、恵里菜ー、歌おうよー」

「嫌だよ!? 絶対、絶対に嫌だからね!?」


 ――ていかないようだった。現在、山先輩が花岡先輩に何とかして歌わせようとマイクを押し付け中。花岡先輩、首を横に結構な勢いで振って拒絶している。カラオケに行く経緯も経緯だったし、ちょっとかわいそうになって僕は山先輩をなだめにかかる。


「山先輩、そんなにこだわらなくても」

見澤みさわくんは恵里菜の歌声聞きたくないの? すごく綺麗な声してるよ?」

「そ、それは……」


 ……聞きたいか聞きたくないかと言われればすごく聞きたい。花岡先輩の声は独特な透明感があって、歌ったらきっと素敵なんじゃないかなんて思ってる。絶対言えないけど。

 そして、そのことを僕より多少は言いやすい立場にいる越阪部が。


「彼が別にいいと言っても私は聞きたいです」

「うぇええっ!?」


 花岡先輩が思わず身体を引いてしまうほど、珍しくずいっときて食らいついた。


「お、分かってるねー夢佳ちゃん! ほれほれー観念したまえー」

「や、もうっ! 歌わないったら歌わないのーっ!!」


 ……なんか、花岡先輩、ごめんなさい。


 そんなやり取りを繰り返していると、やがて山先輩がいったんマイクを押し付けるのをやめた。その代わり、ウインクを飛ばしながらこんな妥協案を取り出してくる。


「あ、それじゃああたしと二人で歌おう」

「……かおるが一緒に歌ってくれるなら」


 ……花岡先輩、案外簡単に折れたな……。

 山先輩がタッチペンを持って花岡先輩の前に端末を持っていく。2人で端末を覗き込む形になる。


「曲は……やっぱりこれ?」

「う、うん。わたし、この曲大好きだから」

「りょーかい。歌いやすいようにキー上げとくね」


 山先輩がタッチペンを置く。どうやら送信し終えたようで、二人でそれぞれのマイクを持った。花岡先輩はやはり緊張しているのか、両手でぎゅっとマイクを握っている。

 やがて、カラオケの画面に出てきた文字は……『ジターバグ』。聞いたことのない曲だ。エレキギターのコードの音と、テンポの速いカウントの音から曲は始まる。どうやら、いきなり歌から始まるタイプの曲のようだ。


 山先輩と花岡先輩が声を揃えて歌い始める。花岡先輩が好きな曲と言えばゆったりとしたバラードとかだと思っていたけれど、この曲は真逆だった。パワフルで、疾走感あふれる曲。聞けば、歌えば、落ち込んでいる気分なんて全部吹っ飛んで元気になれるような……そんな曲。

 ただ、やっぱり花岡先輩は控えめな音量で、山先輩の声にかき消され気味だ。けれども、山先輩だけの時とは明らかに違う聞こえ方がした。芯の通った力強い山先輩の歌声を、花岡先輩の柔らかい声が包んで深みを生んでいる。それでいてどちらかが足を引っ張って速いテンポにおいて行かれることもなく、グイグイと曲の勢いに乗り――まるで二人で一人だったような、そんな感覚すら覚えてしまう。


 ……むしろ、花岡先輩が山先輩を前へ引っ張ってるんじゃないだろうか。曲が進むにつれて花岡先輩の音量が上がっていって、感情もこもっていって……二人が歌い上げる歌詞の内容が、僕の心に響いてくるようになって。


 凹んだ時に、闇にとらわれてしまったときに……隣にいて励ましてくれる。

 山先輩は、きっと花岡先輩にとってこういう存在で。

 そして、花岡先輩はいつか山先輩みたいになりたいのかな……なんて。


 そんなことを考えていると、頭の中に何か僕の考えたものではないイメージが少しずつ流れ込んできて、形を成していくような……そんな、ふにゃふにゃとした感覚が僕を包み始めた。比喩でも何でもなく、この二人の歌声には不思議な力があった。

 その感覚にまるで酔うように僕はその歌を聞いていて――曲の終わり近い大サビに差し掛かった時、そのイメージが急にハッキリとしたものに変化して、やけに生々しく再生される。



--※--



 その風景は、まだ空が明るい夕暮れ時。学校からの帰りだろうか、夏服の二人の女子が並んで歩く。


「……恵里菜」


 普通の長さのポニーテールをした、若干日に焼けた女子。山先輩に似ていて、少し違う気がする。

 花岡先輩の名前を呼ばれた女子もやはりそんな若干の差異があって、銀縁眼鏡こそかけているけれど、髪型は部長である中井田なかいだ文香ふみか先輩みたいなロングヘアだ。

 そして、花岡先輩ぽい女子は左手を握ったり開いたりを繰り返している。色白の手は傷だらけでごつごつとしていて、その上に中指の先には絆創膏が巻かれていた。


「あたしは、恵里菜の音、必要だと思ってるから」


 優しくも強い、淡々としているが感情のこもった真剣な口調。

 花岡先輩ぽい女子は、山先輩ぽい女子の呼びかけに答えることなく、自分の手を見つめて――涙を一滴、落とした。


「みんなからも、先生からも必要ないって言われても、あたしは――」


 山先輩ぽい女子がそう言いかけると、花岡先輩ぽい女子はうつむいていた顔を起こして山先輩ぽい女子の顔をまっすぐ見ようとした。

 しかし、そこにあるはずの顔はどこにもなくて。


「……」


 山先輩ぽい女子は、跡形もなく消えていた。まるで、幻のように。

 そして、花岡先輩ぽい女子は再び下を向く。今度は自身の指ではなく、歩幅を小さくして歩いている自分の足をじっと見つめた。



--※--



 イメージが途切れる。僕はハッとなって、歌を歌っている先輩二人を見る。

 歌が終わる最後の最後で山先輩が歌うのをやめて、花岡先輩の独唱となっていた。花岡先輩は山先輩と二人でずっと歌っていたせいか曲に乗っていて、山先輩が突然いなくなっても最後までしっかりと歌い切ってみせた。……もしかすると、その歌詞の内容が花岡先輩の願いそのものだから最後まで歌い切れた、という線もなくはないのかもしれない。


 やはり、透き通っていて綺麗な声だった。音程は多少不安定ではあるけれども……少なくともその綺麗な声は自信を持っても十分すぎるようなものだった。

 そんな感想が、たったワンフレーズの独唱で僕の頭に浮かんでくる。


 その曲は、勢いと疾走感を保ったままにブツ切りに近い形で終わった。曲が終わるや否や、花岡先輩は山先輩に噛みつく。


「かおる! 何で最後歌わなかったのー!?」

「だって、恵里菜の歌聞きたいんだもん。ダメだった?」

「恥ずかしいからダメ! かおるだけならまだしも越阪部さんと見澤くんもいるし!」


 山先輩をぽかぽか叩く花岡先輩を、僕は上の空で眺めていた。



 ――さっき先輩たち二人が見せてくれたのは、いったい――?




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