17小節目 偶然って来てほしいときに割と来てくれる

 演奏会の帰り道。僕は同級生の越阪部おさかべ夢佳ゆめかと共に、駅に向かっていた。

 演奏会を素直に楽しめず、心がちょっと沈みかけていた僕と越阪部だったが……こういう時に思わぬ遭遇というものは、案外あるものだったりする。


「あ、見澤みさわくんと夢佳ちゃん。やっほー」

「……やっほ。ふふ」


 駅のホームに着いて電車を待っていると、向こうからやってきた先輩二人に声を掛けられる。僕ら真中まっちゅー吹奏楽部の副部長であるやまかおる先輩と、学生指揮者の花岡はなおか恵里菜えりな先輩だ。当然二人とも私服姿で、山先輩は黒いカーディガンにオレンジ色のシャツ、下は濃いめの青い色をしたジーンズと派手目で元気な服装をしているのに対して、花岡先輩はふんわりとしたフリル付きの白ワンピースを着ていた。

 色々と対照的な2人だが、とても仲がいいらしい。そんな三年生二人に手を振られて、僕と越阪部は軽く会釈をした。


「偶然って、あるものですね」


 ここまでずっと表情が晴れていなかった越阪部の顔も、ほんのり柔らかくなったような気がする。僕も、背中にのしかかっていた重いものが、ふっと軽く、薄くなるような感覚を覚えた。

 まるで、よどんだ空気を換気したかのよう。先輩二人が僕らの間に入ってきただけで、気持ちがだいぶ楽になった気がする。どんなに強がっても、やっぱり僕らは単純だ。


 間もなく電車が到着した。電車内に入れば、四人座れるだけのスペースはちゃんとあった。当然僕は四人の端に座るべく一番後ろに付いていく。

 しかし。


「はいはーい、見澤くんは真ん中ねー」

「え!? あ、ちょっと、山先輩!?」


 山先輩に手を掴まれ、無理やり間に挟まれてしまった。ドア側から順番に、越阪部、僕、山先輩、花岡先輩という構図。両太ももから体温を感じる。ジーンズがこすれる。どぎまぎして挙動不審になってしまう。僕は山先輩を少し恨めしく思って横目で見た。


「ど、どうしてこうするんですか……」

「そっちの方が面白いでしょ?」

「それって山先輩だけでしょ!? 僕は面白くないですよ!?」


 小さくウインクを飛ばしてくる山先輩に精一杯の反撃。まあどうせ効いてない。


「かおる、見澤くんのこと気に入ってるねー」


 花岡先輩がかけている銀縁眼鏡を片手でなぞりながら会話に割って入る。


「まーねー。待望の男子部員だし、あたしがいるうちに『色々』鍛えておかないと」

「色々って何されるんだ……」


 女子こわい先輩こわい。というか山先輩、ほんとに場の空気全部持ってくよなあ……。


「……」


 で、なぜか半目で睨んでくる越阪部。


「なあ、越阪部……」

「そうかそうか、つまりキミはそういうやつなんだな」

「誤解!?」


 両手に花? 違う。両手に腹を空かせた食虫植物だよこれは。前の席に座る男子大学生らしき人の目線が痛いが、その人は今の僕の精神的疲労を全く分かっちゃいない。

 このままだとただでさえ危険な僕の地位が更にずるずると落ちてしまう。何とかしなければいけない。……とりあえず、こういうときは話題を逸らすのが一番いい。

 ええっと……そうだ。ここに副部長と学指揮がいるのに、肝心の部長さんがいないじゃないか。


「……そ、そういえば。中井田なかいだ先輩、一緒じゃないんですね」

「あー、文香ふみかは中々こういうとこ行かないんだよ」

「そうなんですか、意外」


 真面目そうな中井田先輩ならこういうのにも熱心に見に行くと思っていたのだが、山先輩はそれがさも当然のことのようなトーンで質問に答えた。


「中井田さん、日曜日も大体用事で埋まってるらしいんだよねー」


 と、花岡先輩が付け足す。用事とはまた、ぼかした言い方をする。僕は突っ込んでみる。


「用事って何なんでしょうね……」

「分からない。聞いてもはぐらかされるだけだし……かおるは何か聞いたことある?」

「んーん、全然。街でばったりなんてこともないし、ホント謎なんだよね」


 花岡先輩も山先輩も、本当に思い当たる節がないようだった。中井田先輩のミステリアスさは同級生に対しても発揮されているようだ。



「さてと、文香のことは置いといて……演奏会、どうだった?」


 にっこり笑った山先輩が僕らの方を向いて聞いてくる。楽しかった、って答えればいいだけの話なんだが……正直僕らはそう答えにくい。

 素直に楽しむのは中々できないし、かと言ってごまかすのも難しい。なのに、何で負の感情は素直に出てしまうんだろう。ホント、僕らは色々損をしてる。


「あれ? 微妙?」

「えっと、微妙っていうか……」

「正直そこまで上手くなくて、そこが気になってしまいました」


 言い淀む僕に対して、越阪部は越阪部なりに気を遣いつつ正直に言った。その返答に山先輩は意外そうな顔をして、花岡先輩の方を向く。


「え? そうだったの恵里菜?」

「ちょっとホールの残響でごまかすこと前提で吹いてた感はしたかもね。音がちょっと粗くても、残響があればわりと『ぽく』聴こえちゃうものだし」

「んー……みんな中々見る目が厳しいなー」


 と、山先輩は少し考え込んで……


「ていあーん!」

「うわっ」


 隣で思い切り手を挙げるもんだから思わずびっくりしてしまった。越阪部も少しびくりと身体を震わせたのが感触で分かる。


「……今回ばかりは嫌な気がする」


 花岡先輩が何かを察したようだ。そして、山先輩はそんな花岡先輩のことを気にせずに。


「せっかく四人いるんだし、結構いいチャンスだから……電車降りたらカラオケ行こ!」


 その提案は何の前触れもない唐突なものだった。

 カラオケ。流行りの歌を歌う、音楽遊び。


「カラオケ……ですか?」

「ず、ずいぶん急ですね」


 困惑する僕と越阪部。しかし、それ以上の困惑を見せたのが花岡先輩だった。


「……かおる、わたしカラオケ苦手なの分かって言ってる?」

「言ってる」

「ちょっとかおるー!!」


 花岡先輩、学指揮として前に立っているときはすごく堂々としていて頼もしく見えるから、カラオケが苦手というのは正直意外だった。

 賛成1に反対1、そして困惑2。この流れであるならば、このままカラオケの話は流れるのが普通だと思う。でも、僕は……何というか、山先輩があまり演奏会を楽しめなかった僕らに何かきっかけを掴んでほしくてカラオケに誘ったんじゃないか、って思ってしまった。自分でもそれはちょっと勘繰りすぎじゃないかとは思うんだけど……でも、今の僕にはそう思えてしまった。


 音楽を上手い下手の基準で楽しい楽しくないって判断するのは、やっぱり損してるんだ。それは僕にだって分かってる。

 だから、歌が上手くなくても、その場のノリで楽しめてしまうカラオケに行けば……大人になりたくて損してる、そんな僕の何かを変えることができるはず。


 こんなことを一瞬で思って、考えてしまうだなんて……何だか必死だな、僕。まるで嫌いな僕自身をとっとと変えてしまいたいような、そんな感じじゃないか。実際、そうなんだけどさ。


「……行きましょう、先輩」


 そんな必死な僕は、気が付けば山先輩の提案に乗っていた。


「キミ……やけに乗り気じゃないか?」


 越阪部が少し驚きの感情を混ぜてそう言ってくる。そりゃあ、真っ先に僕が乗ってくるとは誰も思わない。僕自身も含めて。

 ホント変だよな、僕は。そう思ってしまえば、口角がほんのりと上がってしまうのが分かってしまう。


「僕だって、なんで僕がそんなに乗り気になってるのか、分かんない」


 越阪部の頭上に『?』が浮かぶ。そりゃそんな返答を聞かされればこうなる。


「まあ、でも……今日あった出来事を、上手い具合に清算できるきっかけになりそうだと思ったんじゃないかな、なんて……ああ、自分でもよく分かんないや」


 越阪部のカッコつけた喋り方が少しうつった感じがして、僕はちょっと照れくさくなって笑ってごまかす。越阪部もそれにつられてわずかに口端が上がって、


「キミという人間は実に変だな」


 と、直球すぎる言葉をぶん投げてきた。いや、まあ、正論なんだけど。今の僕はあからさまにヘンテコである。けれども、その後に越阪部は。


「……でも、そうか、そういうことか……」


 なんてぼそりとつぶやき、ゆっくり目を閉じて二、三度小さくうなづく仕草を見せた。


「……ええっと……越阪部さん? カラオケ行かない、よね……?」


 花岡先輩が不安そうに越阪部の顔をのぞき見ている。でも、残念ながらこれはもうカラオケに行く流れが出来てしまっているのではないだろうか。多分。なんて、心の中で僕は花岡先輩をほんの少しだけ憐れむ。

 そして、目を開けた越阪部はまっすぐ山先輩の顔を見て。


「山先輩。行きましょう、カラオケ。面白そうじゃないですか」


「よし来た! 3対1でカラオケけってーい!!」

「うそだそんなことーっ!?」


 握りこぶしを作って天に突き上げる山先輩。頭を抱えて地に伏せる勢いで落胆する花岡先輩。

 ……なんか、花岡先輩、ごめんなさい。

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