A ようこそ、真中吹奏楽部へ

6小節目 本入部!

 仮入部の期間が終わり、今日からいよいよ本入部となる。

 僕は吹奏楽部の入部を迷いに迷っていたが、昨日の心音ここねの後押しのおかげで入部届を提出できた。だから、今日から僕はれっきとした吹奏楽部の一員。……楽器も吹けなければ、楽譜も読めないんだけど。


見澤みさわ悠斗ゆうとです。希望楽器はトランペットです。よろしくお願いします」


 新入部員の自己紹介、最後の一人を僕が締めくくる。仮入部期間で固めた僕の希望は、結局トランペットになった。


 今年は僕を含め21人の一年生が新入部員として入った。なお、男子はやっぱり僕1人だけだった。

 ただ、21人という数は2、3年生を合わせた人数よりも6人も多いというから、先輩達は概ね喜んでいた。多分、若くてイケメンな長谷川先生の持つ魅力というものも結構大きかったのかもしれない。

 

 指揮台に立っている長谷川先生、僕ら新入部員の自己紹介が終わると話を切り出す。


「仮入部で吹奏楽部ばかり来ていた子もいれば、色々な部活を見ていた子もいると思う。だから、今日はまだ一年生には楽器体験をしてもらおうと思ってるんだ」


 これから少なくとも3年間、一緒に付き合う楽器を決める。そんな大事なこと、簡単に決めてしまえるものではない。長谷川先生は、ついさっき自己紹介をしていたときに何やら書いていたメモを片手に続ける。


「ただ、自由に楽器体験に行ってもらうわけでなくって、僕が指示をした所に行ってもらう。もちろん希望はなるべく聞くんだけど、個人の向き不向きだったり、編成のバランスというものもあるからね。申し訳ないんだけれど、そこは理解してもらいたいんだ」


 仮入部の時の印象としては、特にフルートに人が固まっていた印象がある。フルートばかりで他の楽器がいなくなったら演奏が成り立たないのは、音楽をやっていない僕だって分かることだ。


「それでは、名前と体験してほしい楽器を読み上げるね。もちろん、これで楽器を確定させるわけじゃないし、途中で別の所に行ってほしいとお願いすることもあるから気をつけて」


 楽器体験のための読み上げが始まる。僕ら一年生は初めての部活の場だ、当然緊張している。そのため、希望楽器になってもならなくても一喜一憂なんてせず、淡々と返事、または気弱な女子なんかは軽く頷くだけ。なるべくみんなが浮かないように、空気を読んで行動をする。


 既にこの時点から、戦いは始まっているのだ。……もっとも、だいたいの人は保身に回っているからあんまりいい戦果は挙げられていないのだけれど。


「……最後に、見澤くんはトランペット」

「はい」

「これで以上だと思うんだけど、もし呼ばれてない人がいたら――」


 僕の場合は多分希望が通るだろうと思っていた。何しろ、楽器体験初日に『男の子にはまずトランペットを勧める』って長谷川先生が言っていたから。

 ちなみに心音は当然のごとくアルトサックスで、越阪部おさかべはフルートだ。


「――よし。じゃあ、2、3年生は仮入部と同じ場所で準備をお願い。1年生は楽器の場所に行ってくれ。もし場所が分からないのなら、俺か先輩に聞いてね。それでは、時間まで解散」


 パン、と長谷川先生の手が打たれ、指揮台を降りる。それを合図に静かで緊張感のある空気が一瞬にして緩み、2、3年生の先輩方は楽器体験の準備を始めた。



--※--



「おー、さすがに音を出すまでは慣れたもんだねー」


 僕は3年生の副部長、やまかおる先輩に教えてもらっている。

 トランペットを吹くときに口をつける、何か三角フラスコの底が抜けたような形をした部品……マウスピースだけで音を出し、その後に楽器をつけて音を出す。仮入部の時の経験があるおかげで、そこまではもう苦労することもなくなった。

 相変わらず、音自体はへなちょこだけどさ。


「じゃあ、出せる音を増やしてみよっか。とりあえずドレミファソラシド、だね。えっと、確かソまでやったと思うから――」


 山先輩の指導は分かりやすい上に僕に十分配慮してくれているから、かなりやりやすく思える。おかげさまで音程をマスターする過程で、ふにゃふにゃだった音に少しずつ芯が入っていくような感じもする。

 ただただトランペットの音を出しているだけ。音楽を奏でるなんて、夢のまた夢。それでも、楽しい。前出した音よりも今出ている音の方が少しだけ綺麗になる。

 そりゃあそうだ、何も経験がないところから始めてるんだ。これ以上悪くなりようがない。だからなのだろう、やればやるほど上手くなってるって自分でも明らかに分かるのって。


 そして何よりも、上手くなるのが分かるのって……楽しい!


「お、いい笑顔じゃん。楽しい?」

「はい。俺、楽しいです」

「それは良かった。眩しい眩しい……」


 山先輩がおどけて目を覆ってみせる。先輩も1年生の時は僕と同じように下手で、こんな感じだったのだろうか? 想像つかないけれど。


「大げさですよ、先輩」

「恋愛と音楽は多少大げさなくらいがちょうどいいの」

「恋愛?」

「……さっ、続き続き」

「あ、今流しましたね」


 集中している時間は早く過ぎる。楽しい時間も早く過ぎる。その二重の相乗効果で、楽器体験の時間はあっという間に過ぎていく。


 出る、出ない、出はしたけれど全然ダメ……そんなことを繰り返しながら、個別練習は進んでいく。そして……


「……よっし」


 ドレミファソラシド。全部、吹ききれた。思わず僕は左手で拳を作りぐっとした。


「おー、できてるじゃん! さすが長谷川先生が見込んだだけあるね」

「あはは、そうですか?」

「うんうん。これは、あたしを追い越す日も近いかも」

「そんなことないですよ」


 ドレミファソラシド。ピアノなら指で鍵盤を押すだけで誰でも簡単に出せてしまう音。

 だけれども、今の僕はその簡単な音を出せるようになっただけでも、大きな達成感に包まれていた。


 こうやって吹奏楽部は、僕に優しい面だけを見せながら動いていく。


 ……そう、優しい面『だけ』。



--※--



 翌日、廊下で長谷川先生と一人の女子生徒がやり取りしているのを見かけた。上履きの色は赤。一年生だろう。

 一体どんな会話をしているのだろうか。長谷川先生、女子への人気が結構あるから多分それで話しかけられているのだろうか……。


 なんて思いつつしばらく遠目で見ていると、女子生徒が申し訳無さそうにその場を去っていった。長谷川先生は分かりやすく肩を落とした。

 どうやら、ただの雑談だとか、そういうものではないらしかった。


 一体、何があったのだろうか。僕は長谷川先生に事情を聞いてみた。


「……入部届を取り下げられたんだ」

「え……まだ、本入部して1日経っただけですよ?」

「だからこそ、と言えるのかもしれない。けれど……」


 長谷川先生の顔が曇る。僕はこの後、衝撃の一言を聞くのだった。



「……昨日今日で6人も取り下げるだなんて、何かおかしいと思わないか」



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