5小節目 ウチらから始める

 仮入部3日目、つまり楽器体験2日目が終わった。昨日はトランペットを吹いたので唇と頬を酷使し、そして今日は弦バスを弾いたので弦を抑える左手の指を酷使した。


「何で楽器って普段使わないとこばっかり使うんだろ。おかげでヘトヘト……」


 いくら水泳やってたとはいえ、慣れないことをするのは大層疲れる。僕は情けないことに一緒に帰っている女子2人の前で、うだうだと愚痴を吐いてしまった。

 僕は昨日と同じように、幼馴染である佐野さの心音ここねと、その友人である越阪部おさかべ夢佳ゆめかと共に学校から家に帰っている。


「おまけに強制連行されて、お疲れ様っ」

「誰のせいだよ誰の」


 心音の言う通り、あまつさえ今日は先輩に拘束されて強制連行された。その差し金である心音にそんなこと言われちゃちょっとカチンと来る。


「まあまあ、落ち着きたまえ。……疲れたと言えば、私もだよ。今日は幸運にもフルートを体験できたのだが、あれ、見かけによらずキツい楽器なんだな」


 越阪部が肩をほぐすように回して、僕の愚痴に乗っかってくれた。フルートと言えば、見た目は小さくスリムで可愛らしく、そして音色も澄んでいて清楚な横笛だ。よく小鳥のようなイメージを持たれるこの楽器は当然女子からも人気を集めていて、吹奏楽部でも1,2を争う人気楽器と聞く。

 越阪部が幸運にも体験できた、なんて言ったのは人気故に中々体験できないから、ということなのだろう。


「へえ、そうなの?」

「ああ。あの姿勢、結構腕が辛い。それに息も大量に使うから酸欠で倒れそうになったな……」


 そうやって苦笑する越阪部。小鳥が忙しなくバタバタと羽を動かして飛ぶように、フルート奏者も同じようなものなんだろうか。

 そんな越阪部の話に、心音も自分のことを話したげに話に加わる。


「触ってみないと分からないことって結構あるんだよねー。ウチも今日、サックスと吹き方が似ているクラリネットをちょっとだけ触れたんだけど、全然感覚が違ったよ」

「ふむふむ。どんな感じだったか、私に教えて貰えるか?」

「んー……サックスはぶあーって感じだけど、クラリネットはしゅぴーんって感じ」

「そ、そうか」


 ぶあー、と、しゅぴーん。分からない……。これが、心音語ここねごというものなのだろうか。越阪部が思わず微妙な反応を返す辺り、周囲を困惑させる性能はかなり高い。


 そんな全体混乱魔法の使い手である心音の手には、横に長い大きな黒い箱。アルトサックス? とかいうサックスの入ったケース。学校のものではなく、正真正銘の心音の私物である。

 心音はスクールバッグの取っ手部分をリュックの背負う紐のアレに見立てて背中に背負い、サックスのケースを何だか重そうに両手で握っている。そんなに重そうなら、学校に置いていけばいいのに。僕は聞いてみる。


「そういえばサックス、学校に置いてこないの?」

「うん」


 即答だ。置いていけば良かった、なんてボケが飛んできそうかと思ったが、どうやらちゃんと自分の意志で持って帰っているらしい。

 だとしたら、何で?


「何で? 重くない?」


 家に帰っても吹くからなのだろうか。それとも、大事にしていて肌身離さずに持っていたい、とか。

 しかし、心音から帰ってきた答えは。


「護身用」

「え」


 意味がわからない。


「護身用なの」


 心音……お前たった3日で吹奏楽部に毒されたのか……。いや、まあ、ケースでぶん殴るとそれなりに人ころせそうではあるけれど。


「……待って、何で護身用? 家に持って帰って練習するとかじゃなくって?」

「父さんが言ってたの。楽器をいつも大事にしていると、いざというときに応えてくれるって」

「……んん?」

「だから、いざというときのために持ち歩いてるの」

「そういう意味じゃないと思うんだけどな……」


 どうやら吹奏楽部は関係ないようだった。心音自体が吹奏楽部適正のある人間だった、というだけらしい。まあ、そんなニオイはしていた。

 とりあえず心音のお父さんに、あなたの伝えた言葉、ちゃんと心音に届いてませんよ、と伝えておきたい。


「なるほど、護身用か……いい響きだな」

「でしょ?」


 そして、何故か共感する越阪部。越阪部も越阪部で頭吹奏楽部らしい。でも不思議なことに、越阪部が楽器を持つと何かほんとに護身用として機能しそうな気がする。越阪部が持つオーラというものなんだろうか?


「おっと、もうこんな場所。ここでお別れだな」

「ん。じゃあね」

「またね、夢佳」


 ちょっと会話の内容が混沌としてきた所で、何てことないごくごく普通の十字路に差し掛かる。越阪部とはここで別々の道となる。


「ああ。明日はサックスに行くから、心音が教えてくれ」

「了解。楽しみにしてるね!」


 越阪部はもう、吹奏楽部に入るつもりなんだろう。心音はそんな越阪部に優しく手を振った。

 心音や越阪部だけじゃない。クラスメイトたちも、少しずつ入る部活を固めている頃合いだ。入部届を出してしまった人も結構いると聞いている。


 そんな中、僕は――吹奏楽部に入り浸っておきながら、吹奏楽部に入る決心が全くついていない。

 もう、下手だとか、入部をしたくない理由らしい理由なんて実際はないんだ。けれども、心の中のモヤモヤしたものが僕の決心を踏みとどめている。

 そのくせに、周りに置いてかれている。そんなことを僕は思ってしまう。

 そして、周りに追いつかなければいけないと思う僕と、逆にいっそのこと周りと逆行してしまえと思う僕がせめぎ合いを始めている。


 部活を決めなくては。でも、入部届を出さずに先生達を困らせてみても面白いのかもしれない。なんたって、部活に入りたくないのに部活に入れって強制するのはおかしいじゃないか。


 ……まあ、そんなことしたら後が怖いので、僕は実行に移せないんだけど。


「……心音は、吹奏楽部に入るんだよな」

「当たり前でしょ?」


 思わずふと口をついた質問。心音は不思議そうな顔を浮かべた。そりゃそうだ、小学校からサックスやってて、おまけにマイ楽器持って来てたら入らないという選択を取るわけがない。心音なら尚更。


 でも、僕は。


「何で入るんだ?」


 何でそんなことを聞いたんだろう。僕が、僕自身が分からない。


「え? 理由、いるの? ……どうしたの、何か変だよ?」


 心音は僕の顔を怪訝そうに覗き込む。何かに上から押さえつけられるように、僕の歩みがピタリと止まってしまった。


「変なのは分かってる」

「……悠斗?」


 息を大きく吐き出す。空の色はオレンジ。淡い、オレンジ色。そんな空を見ると、僕は少しだけ楽になった気がする。

 少しだけ、胸の中でつっかえていたものが取れた気がした。


「……俺、何とかして自分自身を納得させたいんだよ。吹奏楽部に入るための、確固たる何かを持っておきたい」

「そんなもの、今持つ必要ってある?」

「心音は違うかもしれないけれど、俺は必要」


 何かを拒否するのに理由はいらないけど、何かを始めるのには確かな理由が必要。そんな弱い僕に、心音は少し呆れ気味になった。


「……面倒くさいね」

「俺でもそう思うよ」

「……」


 弱いのは分かりきっているのに、そうやって変にふてくされて、開き直ろうとしてさ。……ほんと、今の僕、かっこ悪い。

 かっこ悪いのは分かっているけれども、それでもそうしてしまう。だって、弱い僕が嫌いで、受け入れることなんてできないから。


 しばらく、僕と心音の間に言葉が途切れる。普段は気にならない車の往来の音が、意外に大きいことに気がつく。

 言葉がなくなっても、お互い歩き出すことはなく。僕と心音は、何でもない歩道でただ二人、立ち止まっていた。


「……あのさ」


 沈黙を破ったのは心音だった。夕陽に照らされて、明暗くっきりと分かれた心音の顔。……思わず、息を飲んでしまう。

 僕は何も言わないながらも、頭を動かし顔を向けることで、聞いている、のサインを送る。


 心音は、僕に伝えた。


「……ウチと一緒に音楽ができる。それって、入部の理由にならない?」


 思考が止まった。心音と一緒に音楽ができる。それが、僕の理由……?


「心音と、一緒に」


 僕の口は無意識に動いて、小さく自分に言い聞かせていた。心音は黙って、とても小さくうなずく。いつもの心音とはまるで想像が付かない、控えめな仕草だった。

 心音は僕を思って、こんなことを言ってくれたのだろう。だとするならば、僕は……。


 僕が何かを言いよどんでいると、心音がさらにこう付け足す。


「それでもダメだったら……ウチらから、新しい真中マッチュー吹奏楽部の音楽を作っていくんだ、って」

「僕ら、から?」


 心音は前に2、3歩進んで、スカートを翻らせながらくるりと僕の方を向いた。


「そう。ウチ、気づいてるんだよ? 吹奏楽部が変わり果てて、悠斗が落ち込んでるの」

「あはは、お見通しか……」


 僕は苦笑いした。5年経っても、どうやら心音には敵わないままみたいだ。


「だけど、ウチらが3年生になった時も変わらず下手なわけないでしょ? というかウチがいるんだもん、そんなの有り得ない」


 心音の自信が、今は何だかすごくありがたい。苦笑いで硬くなってた頬が、だんだん柔らかくなる。


「悠斗。……ウチらから、始めよう?」


 心音はアルトサックスのケースの取っ手から片手を離し、僕の方へと手を差し出してきた。

 何だか、眩しい。でも……心音は心音のままで、何も変わっていない。それが僕を安心させた。


 だから、僕は。


「……ん」


 心音の小さくて柔らかな手を、固く握った。しっかり、僕の決意が固まるように。

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