第2話 結婚式
夕食の時間になり、食堂に通された。
あの人たちはなかなか来なかった。
不意に、外で大きな音がした。大きな声や何かを壊すような音がしたようだった。悲鳴と言うのはないが、怒声は聞こえた。
私は腰を浮かせた。
何があったのか知りたかった。
危険ならば逃げないとならない。
執事がやってきた。
彼は落ち着いていた。むしろ、最初にあった温和な表情がこわばっているため、想定外の事件があったのかもしれない。それでも、落ち着いた雰囲気を醸し出そうとしているのは、私に対しての礼儀と考えているからだろう。
この家の主人にと嫁ぎに来た私に対して。
「皆さまが突然バスを発車させたのです。そのため、門にぶつかり少々大ごとになっております。むろん、救助の手は差し伸べておりますので、ご安心ください」
私はそれ以上何も言えなかった。
彼らがなぜ逃げ出そうとしたのかわからないからだ。
怯えているということは逃げ出すということにつながる。
ここにあるという恐怖に対して、私は何も知識がなかった。
それが怖い。
一方でそれでいいと思った。
私は、不安を押し殺して、執事に対して「彼らが無事帰れるとよいですね」と言うにとどめた。もし彼らの怪我が大したことがないならば、きちんと家に帰れることがよい。もし、不幸にも命を落としてしまっているとしても戻れることに越したことはない。
一泊するように言ったこの屋敷の人たちは善意だっただろう。道中の道の悪さは私も実感しているのだから。
私は一人で夕食を取り、その日はベッドに入った。
私はそれから何事もなく過ごす。
この屋敷の人たちは貴族の女性がするような趣味をあれこれ用意してくれていた。
時代錯誤だという認識は記憶があいまいな私でもわかった。時代が違う。しかし、用意されていることは私にとっては新鮮だった。
刺繍をやったことがあっても、様々な技法を駆使して描くようなものを作ったことはない。それ以外にも用意されているのは、この地域の歴史についての著書だったり、どこかの詩集など、読み物もあった。
ゆっくり、のんびりとしたときが過ぎる。
それだけで相手の人については全く言及がなかった。
それだけが不思議であり、かといって問いかけることもできなかった。
この屋敷の主人について問うということはタブーかもしれない。知らない方がおかしいのかもしれないと思ったからだ。外から来た私にとって知らないことは当たり前だ。しかし、ここに来た時点で風習等を知らないことはおかしいことであるかもしれない。
私は色々考える。
この考えることがいけないかもしれない。
素直ではないとみられることもある。
考えて考えて、自分でどうしようもなくなってから問うからだ。
そういえば、どこかで「可愛くない女だ」と言われた記憶がある。男だろうが女だろうが、考えることは必要だと私は考える。もちろん、わからないことは初めから聞いたほうがいいことだってある。それの判断だって考えることであり、知識の蓄積である。
私は頭がごちゃごちゃしたときは庭の散歩をする。これは許される。許されるとは言え、敷地が大変広いため、十分なほど散歩はできる。
私が動くと、侍女がついてくる。
初めのころは不思議な気分になっていたが、数日経てば、当たり前の状況だった。
独りでいることはない。
誰かが一緒にいる。
ただ、それだけのこと。
ある時、侍女が嬉しそうに言った。
「結婚式の日取りが決まりました。星の並びを考えた最良の日でございます」
私はとうとうその日が来たという認識を持っただけだった。どのような相手なのか結局わかっていない。
この屋敷に今はいないのかもしれない。
それだからこそ、私と使用人しかいないような静けさなのかもしれない。
よく、ドラマなどで見る貴族の屋敷だと、人の出入りがある。主人だって仕事をしているため、それにより、出入りがある。
この屋敷は静かだ。
「あの……私は、いつ、その……」
「当日でございます」
さすがに問いかけたところ、侍女は的確な答えを持ってきた。私が疑問に思っていることは理解していたのだろう。
むしろ、問わないのが不思議がられていたのかもしれない。
「あのお方は基本的に表には出ません。執事を通し、必要なやりとりはしております。あの方が現れるのは、必要な儀式のときだけでございます。そのため、わたくしは遠い昔にありますが、最近勤めるようになったものたちは、主様のご尊顔を知らないはずです」
私はほっと息を吐いた。知らなくて当たり前だったということで。
一方で、どうして表に出てこないのかが不思議になる。何かの物語のように、野獣のような姿なのだろうか、それとも病弱で動くこともままならいのだろうか、など想像する。
いずれにせよ、私はここに嫁ぐしかないのだ。
だから、どんな相手にせよ受け入れるしかない。
なぜ、そのような役割になったのか……疑問がもたげた。
私は、何者のなのだろうか?
疑問に思ってはいけないと分かっている。
たぶん、あの、軍の人たちのように、逃げ出したくなることがあるのだろうから。
私は不安と共にその日を待った。
衣装を作ることは最初こそワクワクしたが、衣装ができていくにしたがって、恐怖と不安がのしかかってきていた。
それを表に出すことは自分にとって死と同じだと感じてる。
なぜだかわからないけれども、逃げる場所などどこにもないのだ、この世の中に。
当日、私は衣装を着て、案内されるがまま、礼拝堂に向かう。
礼拝堂は宗教は何かわからない。私が知っているものではないようだ。世界のすべての宗教を知っているわけではないけれども。
参列者は多くいる。きっと、この地域の人たちなのだろう。その人たちは静かに私を見る。
その視線は好奇心と敬意を感じる。怯えも感じるのは気のせいだろうか?
正面の祭壇の前に私は立った。
祭祀を取り持つ黒衣の男は得体のしれない言語でしゃべる。私は付き添いに従い、膝を折った。
私の頭上に男の声は響く。意味は分からないが、厳かな雰囲気はする。
不意に頬に冷たいものが当たる。それが何か私は見ることはできなかった。ぬるりとして磯の匂いがしている。
その感触の冷たさに、全身が凍るようだった。
それが離れた後、しばらくすると立つように促された。
隣には背の高い男性がいた。体形はがっしりとしてしまった様子である。着ているのは礼服だ。私の来ているドレスに合わせた色合いである。
年齢は四十代後半だろうか。顔は私の顔を覆うケープで見えない。それでも輪郭は端正で、すっきりとした雰囲気はしている。もし、この人を町で見かけた場合、有名な俳優ではないかと思うくらいである。
まだはっきりと見ていないため明確ではないけれども。
その人は、祭祀を執り行っていた男と同じ言葉で、何か言う。私の手を取り、そこに口づけをした。
何を行うかわからないため呆然としているだけだった。ただ、男性にこのようなことをされたことがなかったため、心臓が跳ねあがった。
「君が純粋なのは……あのせいなのか、それとも……」
ぽつり、男性がつぶやく。
その声は深く低く、まるで包まれるような声だった。
何のことかはわからない。その声音がどこか同情に満ちているのが気になる。
私は何者なのだろうか?
結婚式はつつがなく進む。
庭での立食パーティーが開かれる。
私は夫となった人の隣で、全体が見えるところで静かに座るだけだった。時々、料理を口に運ぶが味がよくわからなかった。
ひっきりなしに挨拶に来る人達の対応に追われたのもある。
どこか潮の香りがする。
山の中だったはずだが不思議だ。
やってくる人たちの風貌はどこか似ている。それは、この地域の血筋が濃いせいなのかと感じられる。何かしきたりがまだあるのだろう。私は渡された地域の歴史に目は通した。しかし、海との関係や、外を締め出すと言った風習は見られなかった。
故意に外されたのだろうか?
郷土資料に対してそういうことをする必要性があったのだろうか?
いろいろ考えながら、夫となった人と挨拶を受ける。
このときもレースは外さないようにと言われていた。ゆったりとしているから、食べることは意外とできた。
このおかげで見ないでいいものは見なかったのかもしれない。
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