第13話

 おれの眼前で、女が歌い続けていた。ヤマハのエレアコを抱えながら歌うその女、スナダミキのことを、おれは調べ上げていた。

 スナダは魔法のiランドというサイトで自分の音楽活動を紹介するページを作っていた。そのサイトに書かれていたプロフィールから彼女が三十代、未婚で普段は会社員をしながら音楽活動をしているということをおれは知った。また、スナダはこれまでおこなったライブの日時、会場名、セットリストを事細かにそのサイト上に書き記していた。


 スナダミキは、自主制作の音源を一枚作っていた。おれはそれを自宅に取り寄せて今日までに何度も何度も聞き込んでいた。スナダはその活動歴のわりには持ち曲は多くなかった。

 CDウォークマンで聴いていたスナダの演奏は、ローコードでの演奏が主体であることにおれはすぐに気がついた。しかし、一曲だけハイコードを多用する曲を見つけた。セットリストの公開のおかげで、最近のライブではその曲をいつも最後かそれ付近で演奏しているということを知った。だからこそ、おれはその曲、『海中から見た陽(ひ)』というタイトルがつけられたその曲だけで使われるはずのハイポジのフレットに焦茶色に塗ったカッターの替刃を貼り付けておいたのだ。


 あらかじめおれは、今日の出演者たちがリハーサルをおこなっているあいだに楽屋に侵入していた。本日のトリを務めるスナダが一番はじめにリハーサルを終え、楽屋にギターケースを置き、楽屋から席を外した隙にそれを仕込んだのだ。楽屋にはちらほらと人がいたが、広々とした『リップコード』の楽屋にいる人間たちがその場にいるほかの人間には大して興味を持たないことをおれは知っていた。

 おれはさも当然のようにスナダのギターケースを楽屋から持ち出すと、男子トイレの個室に入った。瞬間接着剤を使って、フレットと同系色に染めたカッターの替刃を丁寧にフレット上に貼り付けた。見た感じの違和はほぼなかった。その作業が終わると、すぐに楽屋の元の場所にそのヤマハのギターが入ったギターケースを戻しておいた。そして、おれは悠々とインド料理店『ボードガヤー』へ赴いたのだった。と、そこでおれは気がついた。あの店で流れていたオリジナルソングから花夏がこの場所を導き出すことはむずかしいことではないかもしれない、と。


 用意周到に仕掛けたこの罠は、あくまでも前哨戦にすぎない。生涯最後になるだろうスナダミキのライブを有耶無耶(うやむや)なものにするための。千亜と同じように、スナダの最後のライブは不本意なものでなければならないのだ。

 あのイベントの日、千亜が本来のギター、ギルドのギターを持ってさえいれば、夢に向かって前進をしていたのは花夏ではなく、千亜だったはずだ。あの日、すべてが錯綜してしまったのだ。スナダが間違ってギルドのギターを持って帰りさえしなければ。いや厳密に言うと、スナダがギルドのギターをすぐに『リップコード』へ持って来てくれていれば。


 スナダミキの自主制作の音源を入手したおれは、ジャケットに映っていたその顔に既視感を覚えた。そして、その顔があの日、千亜の最後のライブとなったあのイベントの日、とある居酒屋にいた女と一致した。

 おれと千亜がスナダミキを探すために居酒屋を覗いたとき、スナダはいかつい顔をした坊主頭の男の身体に不自然にもたれかかっていた。おそらく千亜の登場に気づいたスナダが咄嗟に顔を隠したのだろう。しかし、おれの立ち位置からはスナダの顔がはっきりと見えていた。

 このとき、千亜の立ち位置からはスナダの顔を確認することは出来なかったはずだ。その場で千亜がスナダミキを発見することがなかったのだから。


 ネット上でスナダとつながっていた坊主頭の男の素性はすぐにわかった。『CORE―pro』というハードコアバンドでドラムを担当している男だった。おれは男が参加するバンドのライブへ向かい、あの日のことを、スナダミキのことを、男に詰問した。

 そして、スナダが日頃から千亜の才能に嫉妬し、千亜のことをよく思っていなかった事実を知った。


 あのイベントの日、打ちあげ会場についたスナダはギターケースの取り違えにすぐに気がついたが、『リップコード』に戻るのが面倒だし、なにより千亜が困れば幸いと、ギターケースを放置して酒を飲んでいたという。花夏からの電話も、それを察知したスナダが悉(ことごと)く無視したらしい。


 もちろん、ギターケースを間違えたことは故意ではなかったという。しかし、千亜に対する強烈な悪意がそこにあったのは事実だ。故に、おれにとって復讐を果たすべき相手は、今おれの眼前にいるこの女なのだ。

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