第11話
雑居ビルの五階からエレベーターに乗り、おれは地上へ降り立った。
八王子の繁華街をふらふらと歩き、おれが辿り着いたのは、インド料理店『ボードガヤー』だった。事を成す前に、千亜との思い出のひとつのあの味を食そうと思ったのだ。店内では相変わらず軽快なオリジナルソングが繰り返し流れていた。その歌声の主は、今日も陽気に店名を連呼している。
おれが千亜との思い出の味であるシークカバブを咀嚼しはじめたところで、おれの携帯電話が鳴った。それは千亜の曲だった。おれは着メロを千亜の曲にしていたのだった。
液晶画面には国井花夏の名前が浮かんでいる。電話に出るのは億劫だったが、花夏に別れの言葉くらいは言っておくべきかもしれないと思ったおれは、携帯電話を手に取った。
「なにやってるんですか?」
開口一番に花夏はそう言った。仕事を終えて飯を食っている、とおれは答えた。立て続けに花夏は、本当にそれだけですか、と訊いた。普段とは違う花夏の声色に、おれはただならぬ気配を感じ取った。その瞬間、おれは曽山さんの顔を思い浮かべた。今日のおれの素っ気ない態度に曽山さんが異変を感じ取り、花夏に連絡をしたのかもしれない。しかし、ふたりに異変を察知されたところで、今更なんの問題も発生しないだろうとおれは高をくくった。故に、花夏には正直に告白をすることにした。
「これから、復讐をするんだ」
おれはそう言った。店内に流れる陽気な音楽が、しばらくのあいだおれの鼓膜をふるわせた。花夏がようやく新しい言葉をおれの耳に届ける。
「なんの?」
おれは言葉に詰まった。復讐といえば、千亜の、に決まっているだろうに。おれは憮然としながら言う。
「千亜のだよ」
返答はない。おれは自分が唾を呑む音を明確に感じた。うわずった声で花夏が言う。
「誰に?」
そこまでは教える必要がない、とおれは思った。いや、それを言って邪魔されることになるのは面倒だと思ったのだ。おれは今まで自分と関わってくれたことの感謝を花夏に述べると、一方的に携帯電話を切り、すかさずその電源を切った。
おれは掌をジーンズのポケットの上に当てた。そこには小型ナイフがはいっている。最後に曽山さんにも電話で感謝を伝えておくべきかとおれは考えたものの、それはしなかった。今頃曽山さんはスナック『平々凡々』で酒を飲み、豪快な声を店内に響かせているだろう。それを邪魔するのは気が引けた。
おれは今からわずか一時間半前の曽山さんとのやり取りを思い出した。
「おい、穂高、本当に『平々凡々』へ行かなくていいのかよ。全額おごりだぞ」
坂巻引っ越しセンターの駐車場に三トントラックを停め、愛車であるSMXに乗り込む前に、曽山さんが怒鳴るように叫んだ。
「今日はやめときますって」
おれは苦笑いを浮かべ、SRにつけていたヘルメットを摑み取った。曽山さんはSMXのかたわらに立ち、首に巻いたタオルの両端をいじくっていた。
「若い色男が同僚にいるって言ったら、スナックの女の子たちが皆会いたがっちゃってさあ。ちょっとだけ付きあえよ、どうせ予定なんてなんもねえだろうよ」
確かに普段のおれは予定などないに等しい。予定といえば、家に帰る前に千亜が暮らすアパートの灯りを見に行くことだけだった。しかし、それももう必要ない。
考えてみれば、おれが曽山さんの誘いを断ることは今まで一度もなかった。だからこそ、曽山さんもなにかしらの違和感を抱いたのかもしれない。曽山さんが妙にしつこく誘ってきたのは、おそらくおれの異変を察知してのことだろう。
おれがSRに跨がり、曽山さんに手を振ると、曽山さんが溜息交じりに吐き捨てた。
「なんだよ、じゃあ社長でも誘ってくかなあ。でもあれはロリコンの気があるから、おれ好みの渋いスナックには不向きなんだよなあ」
おれはSRに差しこんだカギをまわすと、軽やかにキックペダルを踏んだ。
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