第3話

 花夏の強引な誘いに乗って、おれはその日の打ちあげに参加していた。打ちあげは八王子の繁華街にある大衆居酒屋で開催された。『リップコード』を主戦場のひとつとしている花夏と千亜はこのときすでに顔見知りだった。花夏のバンドのメンバーやほかの出演者たち、それを見に来た客たちが打ちあげ会場であるだだっ広い座敷に集まっていたが、千亜のサポートメンバーの姿はなかった。


 おれは花夏の隣に坐っていた。テーブルを挟んで、正面には千亜が坐っていた。花夏が千亜におれのことを紹介すると、千亜は開口一番に言った。

「なるほど、二枚目を持てあましてる大学の先輩ってあなたのことか」

 おれは虚を衝かれた。なんだよそれ? おれが花夏を見ると、花夏がにやりとした。

「そうです、そうです。二枚目なのに引っ込み思案な先輩がこの方です」

 千亜がやさしく微笑んでいたので、おれは黙って苦笑した。


 いつしか女ふたりのあいだでは、おれと花夏が参加している大学の軽音楽部の話になっていた。おれがジャガーを使っているのだ、となぜか得意げに千亜に話した花夏が、おれの背中を叩いた。

「うしろにいて適当にギターを弾いてくれるだけで絵になるからバンドに入ってくれないかって何度も誘ってるのに、全然聞き入れてくれないんですよ」

「だって、おれは遊びでやってるだけだからさ」

 おれは音楽で飯を食っていこうなどと考えたこともなかった。本気度が違うメンバーとバンドをやろうという気におれはなれなかった。

 花夏が溜息まじりにつぶやいた。

「うしろにいてくれたら心強いんだけどなあ」

 ジョッキに注がれた生ビールを前にした千亜が、猫眼をおれに向けた。

「穂高さんは色白で背も高いし、確かに華があるよね。……でもまあ、バンドは目指してる場所が共有できてないとやっていけないからね。それがバンドの難しさのひとつだよね」

 千亜はあくまでもソロシンガーだった。サポートメンバーのチケットノルマやリハーサルのスタジオ代は彼女がひとりで負担しているということだった。とにかく金銭的には大変だ、と千亜は語った。それでも自分は自分だけの音楽を追究したい、とも。


 千亜はおれよりひとつ年上だった。高校卒業後はフリーターをしながら、音楽活動をしているということだった。


 その日の帰りに、おれは千亜から自主制作の音源をもらった。六曲入りだった。おれはCDウォークマンでそれを毎日聴いていた。通学するときも、コンビニのバイトに行くときも、就寝前も、便器に腰をおろしているときでさえも。

 いびつな形状をした弾道のひとつが体内に食い込み、じわり、じわりと胸が痛む感覚が、千亜の音楽にはあった。しかし、その弾道が深く食い込んでいくうちに徐々に胸が掻き乱され、やがて陶酔にも似た感覚に襲われはじめるのだ。

 おれはいつしかその六曲を空で口ずさめるようになっていた。それでもなお飽き足らず、おれは欲していた。

 彼女が作る音楽を、彼女の声を、もっともっと聴きたい、と。

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