第2話 それって分析ですか?

「やたらとめてくれたでしょ? たとえば──君みたいにショートボブが似合う人見たことないよ、とか」私の妄想を置いてけぼりに、七夜月の話はまだ続く。


「うん……褒めてくれた、かな」ヘアースタイルをほめてくれたことは確かだ。

やたらと、に引っかかるけど、反論するのもおかしい気がしてフラペチーノをすすった。


「歯が浮くようなセリフは?」

「歯が浮く?」

「君がかつて受けたことのないような称賛とか」

「どうなんだろう……うん……あぁ……褒めてもらったことがないところをほめてくれたことはある」

大したことでもないのに、気が利くね、と言われた。それは意外な言葉で、すごくうれしかった。


七夜月は、憐れむような眼をした。私が過去に一度も褒められた経験がない女であるかのように。


「君の瞳は」右目をすがめた七夜月は遠くを見るような目をした。「まるで、森の奥深くに湧く穢れのない泉のようだ」

「なんか──センスない」


「あくまで例だから」七夜月の耳が赤くなったように見えるのは気のせいだろうか。

「君を叱ったことがある?」再び、テーブルに肘を乗せて前のめりになった。またもや顔が近いんですけども。

「叱る? うーん……あんまりないかも」

ほらね。つぶやいた七夜月ななよづきは椅子の背にもたれた。前後運動の激しい人だ。


付き合っている彼を、まったくもってダメな男だと決めつけられそうで、反論を試みた。

「でも今は……」

「それ、叱られてる?」

ほら、かぶせて否定にかかってきた。


「もしかしてさ、君の都合が悪くて会えなかったりしてさ、それで不機嫌になってるだけなんじゃないの?」


「うーん」そう言われれば、それは確かにそうかもしれない。


「本気の男ならさ、ときとして叱るのさ。ビシッとね。君を世間の批判の的にしたくないから。君の将来を心配するから。期待するからさ。

だから叱ったり、こうあるべきだと要求したりする。

あ、叱ると怒るは違うからね。叱るはかくあれかし。怒るは感情任せ。ここは叱るの話ね。

セックスの相手だけしてくれればあとはどうでもいい人を、男は叱ったりはしない。それは面倒くさいし、それで生身のダッチワイフが離れていくのはもったいないからね」


生身のダッチワイフ……なんてひどい表現だろう。けれど、時に柔らかく、時に鋭い目をして言葉を連ねる七夜月が、悪い男には見えなかった。


「嘘もついたでしょ」

「それはなんとも……」

「彼の言動とか誠実さに疑いを持ったことがあるよね」

「それは──うん。ある、かな」

「それが嘘さ。疑ったものは嘘さ。女の勘は下手な占い師より確かだ。おごってくれた? 食事とかさ」


思い返してみる。

「最初は──かな」

ほらね。七夜月は再び椅子の背にもたれた。

いや、それは違う。私は彼に負担をかけたくなかった、それだけ。


「それって、釣った魚にエサはやらないってことでまとめたいの?」

「君の態度次第ではときどきエサはやるさ、君が必要なんだからね。性欲処理の相手としてさ」


なんてひどい言葉を投げるの。彼との愛が、ただの性欲処理?


『ごめんなさい、今日は友人たちと会う予定があるの』その約束を恨めしく思ったあの日。

「あぁーそぉ」不機嫌そうな声が電話から聞こえた。

「あ、でも、明日なら」

「誰も明日の話なんてしてないよ」聞こえてないと思ったのだろうか、ちいさな舌打ちひとつを残して電話は切れた。


でも、その後の彼はやさしかった。

「この間はごめんね、会いたいのに会えないと思うとなんだか自棄やけ気味になっちゃってさ」


そんな彼が、駄々っ子のように見えて、愛おしかった。


「会うのは夜が多いでしょ?」

「そうでもないけど」


休日の昼間、彼に呼ばれて部屋に行く。けれど、セックスがすむと、「これから大事な用事があるんだ」と服を着始める。


そんなときにさえ会おうとしてくれた。私はそう考えていた。


「セックスの後、やさしくないでしょ」

確かに、背を向けて寝てしまうことが多くなった。


「男ってさ、射精しちゃうと違う生き物になるんだよ。その瞬間を賢者タイムとかいって、俺はなんでこんな女とセックスしちゃったんだろう、とか後悔したりするとき。気だるさや虚無感が続く時間なんだね。そのときはイチャイチャなんてしたくないんだ。ここで注釈が付くよ、心から好きな女の人以外とは、とね」


話が何とも生々しい……。


「涼音ちゃん、セックスは愛さ。でも、まったくの別物としても存在しうる。その男の愛の度合いは、セックスの直後ですべてわかる。両目を見開きなさい。痛いのは愛じゃないからね。愛はね、思いもかけないほどに柔らかで、暖かいんだ」

七夜月は、とても美しくウィンクをした。

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