千年おばばと万年龍

卯都木涼介

第1話 ところであなた、誰ですか?

「空って青いよね」男はスタバの天井に向けてピッと指先を立てた。

 私はうなづくでもなく、はぁ、といささか気の抜けた息で応えた。それは当たり前だ。私、このひと知らないんだから。


「雲って白いよね」その指を綿あめでも巻き取るようにくるくると回した。

「空の青って誰が決めたんだろう? 雲が白いって誰が決めたんだと思う?」


 不思議な質問だった。なぜその色なのか、ではなく、誰が決めたのかという問いかけに戸惑いを覚えた。空が青い理由なら知ってるけど、誰がと訊かれると答えを探せない。


「神様かな?」この世に存在するすべての不思議は、神のなせる業で強引に一本背負いだ。

「海が青いのも?」

「かみ──さま、だね」

「なんか、投げやりになってる?」

「いや、別に」

涼音すずねちゃん。青とか白とか決めたのは人間だよ」


 七夜月ななよづきと名乗った男は、鳶色とびいろがかった目で私を見つめて、ふっと頬をゆるめた。七夜月というのはハンドルネームで、七月のことを指すらしい。


「で、話を戻そう。どれぐらい付き合ってるの?」

「あの……青とか白とかの話は終わりですか? なんか、釈然しゃくぜんとしないんですけど」

「そう? うーん……とらわれちゃいけないってことかな。当たり前のことを疑ってみる必要もあるってことさ」


 なんだかよくわからない。論理のすり替え? 明らかに口先ではぐらかされているような気がする。


「で?」

「四か月ぐらい、かな」テーブルの下で指を折った私は答えた。

 ふん、といささか不機嫌そうな息を鼻から吐き、七夜月はナチュラルショートの後頭部をしゅっしゅっしゅっと妙な動きできながらスタバの天井を見上げた。


「最初はやさしかったでしょ?」視線を戻し、テーブルに肘を乗せて前のめりになった。

「はい」顔が異様に近いんですけども。

「敬語はいらないよ。友だちじゃないか」

 友だちではない。ABCマートの中で人違いされただけだ。



「うっきっきー! 久しぶりじゃない!」ノースリーブの二の腕をぽよぽよとたたかれた。たぶんグーで。


 それがその声の主の癖で、えー、だの、あー、だのと付けなければ話が始まらない人だったとしても、あるいは、それがこの私に対するあだ名の呼びかけだとしても、うっきっきーなどというふざけた猿みたいなあだ名などもらったことはないし、うっきっきーと付けなければ話し出せない人だとしたら、すでに人間失格だ。


 ビクリと体を引いて振り向くと見知らぬ顔があった。


「うわぁ……っと、ち……違った……ごめんなさい!」男はおびえたような顔で飛びすさった。「ま……眉、怖っ!」


 うら若き娘をつかまえて眉が怖いなどと、なんてデリカシーのない言葉を口にする人なのだ。そんな眉にさせた責任の所在を、まさか見失っているのか。


 しどろもどろの説明によると、どうやら私は、学生時分に友人だった宇津木という女性と勘違いされたらしい。だけどそんな人なんてどこにも存在しなくて、これはナンの手段のひとつなのかもしれないけれど。


「うん。やさしかった」過去形にしてしまうのは悔しかったけれど、それは事実として認めざるを得なかった。


 しかし、そんな赤の他人と、なんでスタバに来ているのだろう。それに加えて、なんで恋愛相談なんてしているのだろう。まんまと罠にはまったのだろうか。


 おぉ神よ、彼氏のいる身でなんてふしだらな、わたし。

 手を握ったら浮気? キスしたら浮気?

 セックスは──明らかに……。

 見た目は穏やかに、けれど妄想は過激に暴走する。

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