第7話

私の口から「谷川」と聞いてから

彼は黙ってしまった。


駅に着いた時、

私は手紙を返さなくてはと思った。


「すみません、ひょっとして桐谷聡介さんですか?」


「……そうですけど」


さっきまでの親切さとは打って変わって

怪訝な顔をした。


「実は…私は谷川のマンションの507号室に住んでいるものでして…この手紙うちに届いたんです。でも前の住人の方は…住所が分からなかったので……桐谷聡介さんに返した方がいいのではと思いまして…」


中身を見てしまっている罪悪感から、

しどろもどろになってしまった。


ただ、相手が亡くなっているとは私からはどうしても伝えられなかった。


「そう…ですか。お手数おかけして…」


「いえ!この近くに他にも用事があったので…」


と言った後に、

この駅には用事になる物が何も無いことを思い出して、かなり気まずくなった。


とりあえず手紙は返した。


見るからにショックを受けている彼をどうしていいものやら分からず、


「駅まで送って頂いて、本当にありがとうございました」


とお礼を言って、私は逃げるように改札に入ろうとした。


すると、桐谷聡介は


「わざわざ本当にありがとうございました」


と立ち直れそうにない様な

低い声で丁寧な挨拶をして頭を下げた。


私も慌てて頭を下げた。


そして、お互いが見えなくなるまで、ぺこぺこと頭を下げながら別れた。


電車に乗り込むと、

少しホッとした。

彼の様子が見ているだけで息が詰まりそうだったから。


でも、手紙は返してしまった…と何故か

大切なものを、失くしてしまったような気分がして

私まで気持ちが沈んだ。


昨日みたいに眠れることは、

また無くなるんだなぁ。

って、あの手紙で眠れるって意味が分からない。


眠れたのは、たまたまの偶然に決まっている。


行きとは逆側の窓の外の流れる景色を見ながら、

溜息をついた。


桐谷聡介はこの後、

あの手紙の人を忘れられるだろうか。


どんな事情なのかは分からないけれど、

相手が死んでしまっていることを知らないって

、知った時以上に絶望的な気がする。

でも、このまま知らない方が彼にはいいのかもしれない。


彼なら普通に新しい恋愛を始められるだろう。

どこから見ても清潔感のある好青年といった感じだった。


忘れるに決まっている。

若いんだから。


…私もまだ若い方だけれど。


でも、同じ若くても

結婚しているのとしていないのとでは、

全く違う。


桐谷聡介くん、君はまだまだ自由。

どこへでも行けるのだよ。



あの手紙の人の事は忘れて、

自由に羽ばたけばいい。



同情はしつつも、

彼のこれからの自由を思うと、

逆に私の方はもうどこへも行けない気がした。





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