十三.君は僕の敵じゃない


 毒消しの魔法をかけてから鎮痛剤を打つ。この順番を間違えると、せっかくの薬効が魔法で消されて無駄になるので気をつけなくてはいけない。


 少女の細い身体に包帯を巻き、裂き取った衣服のかわりに自分の上衣を着せて身体が冷えないようにする。

 途中でナイフが飛んできたのには驚いたが、その後は治療に夢中だったため、周囲の様子など気にする余裕はなかった。


 ひと通りカナイの手当てを終えれば、次は白蛇の彼だ。折れた翼骨を元に戻し、添え木と一緒に包帯を巻いて固定する。

 開いた傷口は魔法でもふさぐことはできるが、骨をきちんと接がず治癒魔法をかけるようなことをして骨格に歪みが残ってはいけないので、翼は応急処置にとどめておく。


 そうやってひとまず、すべきことを終え。ふとユーキは、二人の様子が妙に静かだということに気がついた。

 眼鏡を外して額の汗を拭うと、掛け直して目を上げる。少し離れた場所に倒れ伏す二人の姿を視界に拾い、さすがのユーキもぎょっとして息を詰めた。


 真っ先に目に飛び込んだのは、蒼。蛇のように長い蒼色の尾が傭兵の下肢を絡め取って、

 文字通り地に沈んでいる。

 それを辿って視線を移動し、ユーキは蒼い胴体がスオウの身体に続いているのを見た。


「スオウ!?」


 慌てて立ちあがり駆け寄る。半身を異形へと変じた親友は、背に小剣を生やし頭を傭兵の胸に乗せた状態で、意識を失っていた。

 左のてのひらは相手の右手を捕らえていたが、右の手が傭兵の喉首をつかんでいるのを見たユーキは、頭が真っ白になってその手を引き剥がした。


「おい、君、大丈夫かっ!?」


 虚ろに半眼を閉じていた若い傭兵は、ユーキに軽く頬を叩かれて瞳を動かす。

 ぼうっとした顔がふいに、へらりと崩れた。


「お迎えの死神は美人な姉さんが良かったなァ」


 一瞬目を丸くしたユーキは、遅れて理解した台詞の意味に全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。


「――……あぁ、本当に良かった。そんな冗談言えるくらい元気なら、安心だよ」

「全然元気じゃね、――ってェ!」


 正気を取り戻したと同時に痛みも戻ってきたのか、彼はうめいて表情を歪ませる。その様子が演技ではなさそうだったので、ユーキは気を取り直し二人の側に屈み込んだ。


「ごめん、君がかなり痛そうなのはわかったけど。どう見てもスオウの方が重症だから、少し我慢しててくれるかな?」


 言いつつ彼の上からスオウの身体をどけようとするも、傭兵の右手をつかんだままの左手が離れず、外そうとすれば彼が声を殺してうめく。

 ユーキは少し逡巡しゅんじゅんし、鞄から注射器を探して薬剤を吸わせ、傭兵の若者に打った。

 途端に怯えた表情で見あげてきた彼へ、ユーキは苦笑混じりの笑顔を向ける。


「鎮痛剤だよ、少しはマシになると思うから。名前は?」

「……ウヴァス。あの、さ。あんたこいつの友人なんだろ? 俺にトドメ刺さなくていいのかよ」


 当然の思考とはいえ警戒全開で尋ねられたのが不本意で、ユーキは嫌そうな顔を取り繕うこともなく、眼鏡を押しあげ言った。


「なんで僕が。君は僕の敵じゃないし、僕はスオウの事情に口出ししないと決めてるんだ。彼の代わりに誰かを殺すなんて、しないよ」


 よく解らない、といった風に眉を寄せるウヴァスにそれ以上の説明はせず、ユーキは力任せにスオウをひっくり返して、刺さっていた剣を抜く。

 傷口にてのひらを当て精霊語を唱えれば、柔らかな光が散ってあふれていた血が止まった。


 いささか荒療治な手当ての最中にも、スオウはぴくりとも動かない。さすがに心配になって、ユーキはスオウの口元に耳を近づけ呼吸を確かめた。

 かなり弱いが止まってはいなかったので、少し安堵する。


「てことは、そいつ起きたら俺、殺されんじゃね?」


 ぽそりと呟いたウヴァスを振り返って見やり、ユーキはため息のように息を抜いた。


「殺されないよ。……さっきので殺されなかったんだろう?」

「力尽きただけだろ」


 まだ自由にならない両足を引き抜こうとしているのだろう、上体を起こして足を動かしながらウヴァスが応じる。

 命を容赦されたのか殺し損なっただけなのか、確かにどちらとも言えない微妙な状況ではあるが。


「薬で痛みが和らいでるだけなんだから、じっとしてなさい。そうだとしても君は死ななかったじゃないか。だったら大丈夫だよ。……君が、カナイやスオウを殺そうとしない限り」


 言われて、ウヴァスが動きを止めた。まっすぐな両眼がユーキを見る。


「そいつ賞金首だよな。俺が殺そうとしたら?」


 濡らした布でスオウの顔を拭いていたユーキは、その問いに手を止めた。

 不自然な沈黙の間をするすると滑るような音が近づいてくる。予想はついたがユーキは顔を上げ、白蛇の姿を見て表情をゆるませた。

 白夜は鎌首をもたげ、金色の瞳を傭兵へと向ける。


『生きていたか。無事ではなさそうだな。痛むのか』


 こんな状況でもマイペースな神獣だ。ウヴァスは変な顔でうなずき、そしてイライラと言い返す。


「なんなんだよおまえ、気に懸ける相手間違ってるだろがッ。そっちのそいつ、同じ神獣仲間なんだろ!?」


 白蛇はゆらゆらと首を傾げた。


『私は彼を知らぬ。ユーキやカナイの既知ではあろうが。だが、殺したくない者が死にたくない者を殺すのは、遣る瀬ないことだ』


 答える口調はただただ淡々としていて、事実のみを告げていると知れた。ウヴァスが不意に黙り込む。

 遠回しな言い方から、彼が気に懸けていたのはウヴァスの命だけでなくスオウ自身についてもだと、ユーキはなんとなく理解した。


『蒼竜はどうだ、ユーキ。傷は酷いか』


 ぼうっと思考に沈みかけていたところに金色の瞳を向けられ、我に返る。

 スオウの手当てが終わったら、次はウヴァスの怪我を診なくてはいけない。


「人間なら死んでるところだよ、まったく……。シロ君、ちょっとふたりを見ててくれるかな」


 ユーキは一度立ちあがり、少し離れた場所に横たえていたカナイを抱きあげて運ぶと、スオウの横に寝かせた。

 足に絡んだ竜の尾がほどけず、骨折で手も動かせず、仕方なく仰向けに寝たままのウヴァスの隣に、ユーキは片膝をついて屈み込む。

 睨むように見あげる若者に、彼は静かに言った。


「僕には答えられない。スオウに直接、聞いてみたらいいんじゃないか」


 少し前の質問の答えだった。

 ユーキとしては、スオウがなぜウヴァスの命を容赦したのか知らないし、彼が本気で問うているのかも知らない。だから答えようがない。


 ウヴァスはそれに答えず目を逸らす。

 悔しがっているようにも極まり悪そうにも見える険しい表情だったが、ユーキはそれ以上話題は引っ張ることはせず、処置に専念することにした。


 ひどく腫れた彼の手首は、どうやら数箇所の骨が折れているらしかった。

 スオウはきっと自分が意識を手放したあとで彼が、カナイを害する危険をなくしたかったのだろう。


 元のようには治らないかもしれないな。


 呟きは心中にとどめ、小声で治癒魔法を唱える。薬師の自分や町医者の手に負えない怪我であれば、痛みを長引かせる意味はない。

 魔法で無理やり骨をつなげた関節に固めに包帯を巻きつけながら、言い含めるように話しかけた。


「もしも『踏泉とうせんの国』に行くことがあれば、王都の治療師に見て貰うといいよ。向こうは腕の良い医師が揃っているらしいから」


 歴史が長くエルフ族とも交流があるという、南方の大国だ。魔法にしても医療やそれ以外の技術にしても、かの国は他国の追随を許さないほどの発展先進国だという。

 もっとも、先立つモノがなくては、その恩恵を受けることも難しいだろうが。


 もう片方の手も同じく魔法で癒し、包帯をテーピングの代わりに巻く。

 ウヴァスは大人しくなすがままにされていたが、表情に絶望感が滲んでいてユーキは胸が痛んだ。


 傭兵にとって両手が利かなくなるというのは、命脈を絶たれるのと同じことだ。

 彼はカナイやスオウを傷つけたが、スオウは彼の命を奪わなかったし、シロも彼の存命を望んだ。両手の不具が代償として重すぎるかどうかまでは、ユーキにはわからないことだ。


 と、不意にウヴァスが身体を起こした。

 その様子がひどく切羽詰っているのに気づき、ユーキは反射的に隣を見る。そして、睨むような藍と紫の双眸と目が合った。



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