九.討たれた小鳥


 剣の腕を売る自分らのような者にとって、恐ろしいのは魔法や妖術と呼ばれる力だ。なにせ得体が知れないし、ほとんどの場合目にも見えない。

 そういう術が得意だとわかり切っている相手と対峙せざるを得ないときほど、嫌な気分もない。それに比べれば剣だろうと槍だろうと飛び道具であろうと、現実の質感をともない向かって来る武器は、恐ろしくも何ともなかった。


 少し前から視線は感じていた。素人とわかるほど敵意が込められた、獣や鳥でなく明らかに人のものである視線を。

 それが雇い主のいう神獣だったら嫌だなと思っていたから、彼は第一矢を叩き落すのではなくかわすことで、まずは様子をうかがう。


 焚火に夢中になっていた騎士が驚いて振り返ると同時に飛んできた第二矢を、今度はよけずに、ウヴァスは矢を射って迎えうった。

 これだけは自慢できる正確さで、狙いあやまたず相手の矢を撃墜する。同時に射撃主が潜んでいるだろう位置をも見当をつけ、彼は続けてそちらに矢を射た。

 硬い音が返る。狙いは外れ、幹に刺さったか。


「何者だ!」

「伏兵だろ!」


 今頃になってようやく事態を察した騎士に少しイラつきながらも、ウヴァスは弓矢を放り投げて目的の樹に取りすがる。ふしに足を掛け勢いをつけて枝まで登ると、樹上に動く何かが逃れる前にそれにつかみかかった。


「や、――ッ」


 不発の悲鳴に、布の裂ける音が混じる。

 勢い余って地面に転がり落ちた彼は、つかんで一緒に引きずり落としたを見て、驚きに息を飲んだ。


 黒いふたつの瞳、茶色の髪と小柄な身体。地面に投げだされた少女が逃げるため立ち上がろうとする。

 その背に動く、片方だけの茶色い翼と――。


「ウヴァス、殺せ!」


 憎々しげな声が耳を打ち、彼ははっと我に返って少女を地面に引き倒した。

 悲鳴を漏らしてもがく彼女の上に乗り掛かり、膝と左手に体重をかけて身動きを封じる。右手で腰の小剣を引き抜き、振りかざす。


 少女がぎゅっと目を瞑った。

 細く柔らかな身体が緊張で強張るのを、衣服ごしに膝で感じる。それが細かく震えているのに気づいて、ウヴァスは振りあげた剣を下ろすことができなくなってしまった。


「何をしている、早く殺せ! その娘はだ!」


 雇い主の耳障りな怒声に、つい奥歯を噛みしめ右手に力を込める。

 彼女の投げだされた手にある矢の先端には、渋色の液体が光っていた。見ただけでは効果まで解らないが、明らかに毒矢だ。

 声音に込められた憤りから察するに、騎士の腕から自由を奪ったのはこの少女で間違いないだろう。


 正義ただしさがどこにあるか、など。

 傭兵という職業柄、いちいち考えてなどいられない。

 剣の腕を売り、それで物を食っていく身であれば、殺す相手に同情してはいられない。


 けれど、片翼の鳥族の娘はウヴァスに緋尖ひせんを連想させた。

 卑怯なやり方で執拗しつように白蛇の命をつけ狙う雇い主と、それを阻もうとする眼前の少女。断ぜられるべきは、どちらか。


 と、固く目を瞑っていた少女がふいに目を開けた。

 押さえつけられた全身に力を込め、泣きそうな表情で口を開く。そして叫んだ。


「ダメぇ、シロ逃げてッ!」


 シロ、と聞き返す間もなく。ウヴァスの首にひやりと冷たい何かが巻きつく。

 ゾッとして思わずつかもうと左手をかけた途端、いきなり首を締めあげられた。息苦しさに声も出せず、何とか引き剥がそうとした拍子に彼は、右手につかんでいた剣を取り落としてしまった。

 気配すら感じさせず背後に忍び寄ったに対し、恐怖心がりあがる。


 そこへ、乱暴に草を踏む足音と、耳のすぐ傍で風を切る打撃音。

 少女が小さく悲鳴を上げた。

 窒息の苦しさから出た涙でぼやける視界を巡らせ、雇い主がすぐ側まで来ていたことに気がつく。


「……く、かはッ……」


 息を堰き止められたのは一瞬だったが、上手く呼吸が戻らなくて、空気を求め咳き込みながら、ウヴァスは落とした小剣を指先で探るが見つからない。


「シロ、シロっ」

「……って、コイツか?」


 身体の下で暴れる少女を押さえつけつつ、複雑な気分で雇い主を睨みあげた彼は、左手に剣を構えた騎士と対峙しているモノを見て瞠目どうもくする。

 騎士から少し離れた地面に、とぐろを巻いて鎌首をもたげる真っ白な大蛇がいた。

 鮮やかな翡翠色をした一対の翼は片方が折れて血に染まっている。金色の瞳はまっすぐ騎士を見ていたが、手負いの獣が放つたぐいの殺気は感じられなかった。


「ダメっ、シロを殺さないでぇッ!」


 少女が叫んでウヴァスを見る。膝下の細い腕がわずかに動き、少女の指が彼の衣服をつかんだ。眉根を寄せた泣きそうな表情で、黒い瞳が哀願するように自分を見あげている。


「ウヴァス。早くその娘を始末して、の頭を砕け。おまえとはそういう契約のはずだが」

「……解ってらァ」


 こんな気の進まない、不愉快な仕事もそうそうないだろう。雇い直してくれるなら、騎士を殺してこの二人を助ける方がよほど性に合っているかもしれない。

 ……が、そうまでして国家とてギルドからの指名手配に甘んじるほど、少女と白蛇に義理があるわけでもなかった。


 ウヴァスは迷うのをやめた。雇い主に白蛇の牽制けんせいを任せ、見失った小剣の代わりに少女が握っている矢を無理やり奪い取る。悲鳴が漏れないよう左手で少女の口を塞ぐと、彼は力任せに毒矢を彼女の腹に突き立てた。

 絞め殺される小鳥の悲鳴みたいな息を漏らし、少女の全身がぐったりと弛緩しかんする。思った通り、毒の正体は即効性の麻痺薬らしい。即死に至る部位ではないが、しばらく動けないだろう。

 毒が回り切る前に白蛇を片づけて手当てをすれば、何とか殺さずに済ませられるかもしれない……そんな思いから出た咄嗟とっさの行動だった。


「たく、やァな仕事引き受けちまったぜ」


 呪いでも吐きだすような気分で呟きながらも立ちあがり、落ちていた自分の弓と矢を拾いあげた。

 慎重に矢をつがえ、じっとこちらを見ていた白蛇に狙いを定める。


「よけるなよ? 逃げたり抵抗したりすりゃ、無駄な時間を食って娘は死ぬかもしれねぇぜ。あんた、このコを助けたいんだろ?」


 神獣は人語を理解する、と騎士が言っていたのを思いだし、話し掛ける。自分でもイヤな言い方だとは思うが、どうせ傭兵なんて汚れ役だ。今さらどう思われようと構うものか。

 白蛇はきんいろの目を瞬かせ、翼を畳んだ。そして首を傾げるように持ちあげる。


『私の鱗をすり砕いて飲ませれば良い。恐らく、毒消しになるはずだ』

「……は?」


 何言ってんだコイツ、と。

 ウヴァスは眉を寄せて白蛇を睨む。

 棄て台詞や呪いの言葉ならともかく、敵である自分に対し、よりによって毒消しの作り方とか。


 意味が解らない。

 

『それが済んだら、私の死体を燃やして煙にしてくれ。多少の浄化作用は得られるはずだ』


 音声でない声――心話の奇怪さに驚き損ねたと、遅れて気づいた。それもこれも、自分の身より少女や森を心配する蛇の思考が理解不能なせいだ。

 舌打ちをして、ウヴァスは弓を引き絞る。

 もうこれ以上、どうしようもない気分にさせられるのは勘弁してほしい。


「畜生なんかと無駄話するな、早く殺せ」

「うっせぇ、あんた一言ごとに殺せ殺せって胸糞悪ィんだよ! コイツを殺せば俺の依頼は終了、あとはどうしようと俺の自由じゃねぇのか?」


 わずらわしい雇い主に怒鳴り返すと、すがめた瞳をウヴァスは白蛇に向ける。


ゆるせ、とは言わねぇ。悪ィなとは思ってるが」


 これも仕事だ、と続けようとした台詞は最後まで言えなかった。何の前触れもなく突然、地の底から轟音が迫ってきたからだ。

 その音の正体を見分ける時間もなく。


 異変が、その直後に訪れた。





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