七.とある傭兵の憂鬱


 神々が世界から去って久しいとはいえ、神話の時代から続いている古代森は人間にとって、関わりたくない未知の領域だ。大陸北方の連合王国が資源確保のため樹海の開拓に着手したという噂は、ギルドから得られる情報では比較的新しい。


 開拓に抜擢ばってきされた者たちは気の毒だったと思う。

 何せ、原生の森に棲む伝承の神獣――人語を理解し、怪しげな術を操る獣を呼び覚ましてしまったというのだから。


 真白な身体に翡翠の羽翼を持つ、身の丈を超えるほどの大蛇だったという。その蛇とも鳥ともつかぬ姿の生き物が脳に直接響くで話しかけてきたというのだから、作業員たちが恐怖と混乱で逃げ出してしまったのも、無理のないことだろう。

 連合王国の上層部は事態を重く見て、〝神殺し〟たちへ討伐命令を下したらしい。

 それが回りまわってギルドの依頼に混じっていたこと、それを目にした自分が内容を精査せず気軽に引き受けてしまったことは、自分の迂闊うかつさとはいえ不運なことだった。


(神獣狩りだとわかっていれば、引き受けなかったのにな)


 自分に限らずそういう傭兵は多い。対立する派閥の一方に肩入れして余分な危険を身に招きたくない、というのもあるが、神獣の扱う術は人間ごときの手に余る、という理由の方が大きい。

 神狩り側もそれをわかってきたのだろう。最近は嘘ではないものの巧妙にカモフラージュされた依頼も多くなり、受ける前に相手を調べることが勧めらるようになっていたのだ。


 それを怠って受けてしまった以上、途中で抜けることもできない。

 考えなしだった数日前の自分を呪いつつ、ウヴァスはぼそぼそと悪態を吐く。


「お上はいつだって、自分らの手は汚したがらねぇんだよな」

「口を慎め。雇われとは言え、侮辱は赦されんぞ」


 依頼が依頼なら、雇い主も雇い主だ。騎士が忠義を貫くのは当然ではあるが、この男に関しては誰に仕えているのかも判然としない。身なりと口調だけでなく頭も固いようで、世間話すら乗ってくれそうになかった。

 軽装備だが、仕立ての良い衣装と簡易鎧、そして馬。

 国章や紋章の類は見当たらず、言葉は大陸共通語で訛りもない。

 右腕に厚く巻かれた包帯は痛々しく、怪我から日数が経っていないのがうかがえる。

 怪我からくる麻痺が残っているとかで、彼の護衛も兼ねての依頼だった。それがますます気味の悪さを上乗せする。


「侮辱も何も、事実じゃねえの? どうせ呪いが怖くて人材を出し渋ってるってトコだろ。朱雀を滅ぼして自分らも滅びちまったイスカーク国みてぇになるのが嫌だから、あわよくば他国領内で根無草に狩らせちまえ、って魂胆だろ?」


 痛い部分を突いてやれば眉の一つも動かすだろうと思ったが、雇い主は失笑すらしない。


「呪いなど、迷信だ」

「ふぅん。だったらあんたの右腕は、なんで動かねえワケ?」


 畳みかけてやった問いには沈黙が返される。ウヴァスは眉を上げ、無言を貫く雇い主を見やってため息をついた。

 これだから、騎士って奴らは苦手だ。


「ま、俺も呪いは迷信だと思うけどさ。でもその獣、降魔矢こうまやくらったのに国境越えて逃げおおせたって言うじゃねえか。相当強い魔力の持ち主なんじゃねぇ?」

「だからこうして、他国領でありながら追撃の命が下されたのだろう。……少し軽口が過ぎるぞ、ウヴァス」


 口を開けば叱りつけられるだけで、どうにもつまらない。ウヴァスは肩をすくめる。本当に、こんな息の詰まる依頼を自分はどうして引き受けてしまったのだろう。

 対幻獣用に開発されたという〝降魔矢こうまや〟は、魔力を持つ獣の中枢神経を麻痺させる魔道具だ。その力に抗える相手だとすれば、それはいわゆる一騎当千というやつだ。

 剣と弓矢しか取り得がない自分の命の心配を口に出して、何が悪いのか。


「そりゃ、幻獣狩りと神獣殺しじゃ、全然話が違うっての」


 国家上層部に傭兵が使い捨てられるのはよくある話であり、自分たちはそれも込みで依頼を受ける。いざとなった時は、依頼達成をあきらめて逃げる選択も考えに入れている。

 しかし今回の場合、使い捨てにされようとしているのは自分だけではない。彼と自分の戦力で神獣に敵わなかった時、生き延びるため逃げるという選択が許されるのかどうか。もし「死ぬまで戦え」とか言われたら、最悪だ。


 お偉い方には安い命でも自分にとっては唯一無比。だが彼を見捨てて自分だけが逃げてしまうとの疑いが国家からかけられる危険がある。

 自分の不注意とはいえ、ひどい依頼に足を突っ込んでしまった、と思う。


「お前は得意の矢で、奴の頭を砕いてくれるだけでいい。神獣は森を守るのが役目だ。必ず、姿を現すはずだ」


 淡々とした指示には人間味が感じられず、彼の機械的な冷静さに不気味さを感じつつも、ウヴァスは言われた通り弓に矢を番える。

 腕にも鏃の鋭さにも自信はあるが、これで神獣の頭を砕けるものなのだろうか。

 彼が枯れ木や落ち葉に振り掛けた赤い粉には、幻獣の血が混ぜられているらしい。それに火をつけ、煙に匂いを乗せて神獣を呼び寄せるのだという。

 他国領で、なんとも大胆な話だが。


(そんな気味悪ィ物使いやがって、別の神獣まで呼び寄せられたらどうすんだ)


 心中に悪態をこぼし、雇い主を睨みあげたがやはり反応はない。

 その徹底した不動の態度もまた、ウヴァスにとっては気味の悪いものだった。


 破格の報酬と射撃の腕のみという簡単な条件に惹かれて、依頼を受けてしまった自分を呪いつつ、彼は煙が吸い込まれゆく空を見あげ、本日何度目かの深いため息をついた。




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