白き夜の涯 -片翼の小鳥と優しき神獣の物語-
羽鳥(眞城白歌)
一.はじまりの別れ
きらきらと踊る
獣道のような木々の間の踏み跡を、二つの影が辿るように歩いていた。森に
一人は背が高い男、もう一人は小柄な少女のように見える。
「兄ちゃん、いつまで続くのこの獣道ッ」
不意に少女が声を発し、頭上でさえずり合っていた小鳥が一瞬会話をやめる。
わずかな苛立ちと不安が含まれた声音を聞きつけてか、坂の上からキツネの親子が覗き見てすぐ走り去った。
「街道行けないンだし、仕方ねぇだろ」
そう言いつつも立ち止まって振り返る男の方は、むしろ
無造作に切り揃えられた
「兄ちゃんが変装すれば済む話でしょ」
唇をとがらせ言い返す少女と彼は、兄妹にしては違いすぎている。陽光で
彼女の背にある茶斑の翼は片方だけだったが、兄と呼ばれる彼は鳥人の姿ですらない。
「じゃァ、負ぶってやるか?」
「イイ、木の枝に髪が絡まりそうだもん」
顔の造作も声の質もすべてが他人じみているのに、会話の流れはよどみがない。双方の身に流れる血筋がどうであろうと、彼らにとっての互いは間違いなく兄妹なのだろう。
「髪染めたらイイじゃないッ」
「無理だッての」
茂みから鹿が覗き、通り過ぎる後ろ姿をじっと見送った。片翼ながらもバランスを取ろうと忙しなく動く左翼が、気になったのかもしれない。
「じゃ、目の色変えるとかぁ」
「どッかの国にはあるとか聞いたなァ、色付きレンズ。でも邪魔だから却下」
からりと笑って答える兄の横顔を、少女は眉を寄せて睨み上げた。
「兄ちゃんのバカっ」
妹の、怒っているようで泣きそうでもある表情を見て、彼は視線を上向け笑みを消す。
「バカだよ」
そう返されてしまえばそれ以上は言えず、少女は唇を引き結んで視線を落とした。途端、踏み出した爪先の先にトカゲを見つけてしまい、避けようとしてバランスを崩し顔から地面に突っ込んでしまった。
「きゃぁーッ、踏んだッ、踏んだ!?」
髪や顔が枯れ草まみれになるのも構わず、がばりと起きあがって辺りを見回す彼女の前に、ひょいとてのひらが差し出される。
「ほら」
兄の大きな手の上で首を傾げるトカゲを確認し、少女は安堵したようにはぁっと溜め息を吐き出した。
「もーヤダ」
「ミノムシみたいだぞ、なんか」
「煩ぁい」
手櫛で髪から枯れ草を払いながら、少女は軽く兄を睨む。
「あたしは無益な殺生を好まないのだッ」
「へいへい」
軽く流されたことに頬を膨らませつつ、立ちあがって衣服のゴミを払う。駄々をこね座り込んでいい場所ではないし、そんな時間もない。それくらい、解っている。
「あと少しだ頑張れ、
「はぁィ」
先だって歩きだす兄の広い背中を追いながら、少女は不満を飲み込むように奥歯を噛みしめた。
命に満ちたこの森の歩きにくさが不満なのでも、まといつく落ち葉が不満なのでもない。
二人が目指している場所には、別れが定められている。それが不安で、不満なのだ。
この道程が兄と共有できる最後の空間だと思えば、息苦しくて
相反する気持ちをどこへ持っていけばいいのか解らず、持て余す心が邪魔だった。
だがそれを口にしたところで、望む未来の違いはどうしようもない。どちらが正しくてどちらが間違っているのかなど、未来視のできない自分に解るはずがないのだから。
「兄ちゃん、やっぱり負ぶって」
伸ばした手が服の裾をつかむ前に、振り返った兄の腕に胴を抱きあげられた。布越しに伝わる体温に、ひどい切なさが喉元へ迫りあがる。
「髪が枝に引っ掛かるのヤダから、このままがいい」
鎖骨に額を押しつけ小さく呟いたら、彼はそうかと一言応じて抱え直してくれた。両手がふさがって不便だろうに、この甘やかし癖は治した方がいいと思う。
夜通し歩き続けて熱のこもった爪先が、じんわり痛みを持ちはじめた。恐らくマメが出来ているし、もしかしたら爪が割れているかもしれない。
失われた右翼の付け根も、ずきずきと
痛すぎて、どこが痛いのか解ンないよ。
喉の奥にそんな呟きを転がして、少女は
+++
かつて大陸の辺境に、
神々は遠い昔に去り、今は世界に神などいない。だが彼らは神の使いと呼ばれる神獣を奉じ、その加護により繁栄を享受していたという。
緋尖の国土である半島と大陸の境には磁場の狂った森が広がっており、外洋に獣が歯をむき出すような形の岩場が船舶を遠ざけ、内地の者からは『忘却の地』と恐れられた。
切っ掛けは、隣国を襲った雨のない夏と水不足。
大規模な飢饉には至らなかったものの、忘却の地への恐れに疲れ果てていた人々は、その天変地異によってついに臨界点に達してしまったのだ。
説きつけたのは、神殺しと呼ばれる過激派の者たちだった。
森羅と万象に力を及ぼす二柱の神獣は、神々の名残を厭う彼らにとって嫌悪と脅威の象徴である。それが人を治めている――排除すべき理由はその事実だけで十分だった。
そうして始まった戦争の果てに、緋尖が国土と神獣を失い世界地図から姿を消したのは、おおよそ十年ほど過去の出来事だ。
だが、記述された歴史がすべて真実であるとは限らない。
緋尖を
人を迷わせる森は焼き払われ、忘却の地は拓かれた。気候を操る忌まわしき獣の姿も、今はその地に見られることはない。
それが、可視可能な現実である。
だが不可視の事情に通じる者たちは、それが表面上の静寂に過ぎないと悟ってもいた。
土地や名称が失われただけでは、真実の意味で滅びは訪れない。
剣を向けた者、向けられた者、――どちらにとっても、緋尖の滅びは終焉ではなく幕開けだ。各自が望むかどうかに関わらず逃れられない、戦いのさだめを引き連れて。
それは緋尖を故郷とする者にとっての、必然である。
+++
逃げては隠れ、追い立てられてはまた逃げて、それを繰り返しながら生き延びてきた。薄々気づいていたけれど、無知で無邪気な振りをしていた。
けれど、それももう限界なのだろう――、自分にとっても、兄にとっても。
「
呼び掛けと同時に肩を揺さぶられ、目的の場所へ着いたことを知る。目覚めたばかりを装いながら顔を上げると、色違いの両眼が穏やかに笑って自分を見ていた。
「なんか、でっかィ」
彼の肩越しに見えた屋敷は想像していたより真新しくて、一人で住むには大きすぎる。不満ではなく感想だったが、声が不機嫌になるのはどうしようもない。
兄は苦笑に近く笑い、彼女を降ろして地面に立たせた。ふわっと離れたぬくもりが悲しくて、少女は黙ったまま彼を見あげる。
「ここの近くには街がある。歩いても大して遠くねぇし、『
街に行って引き合わせることすら危険が過ぎる、その現状が心に痛い。通り抜けてきた街でも兄の手配書は幾つか見たし、これから先も目にするに違いなかった。
理由は、ごく単純だ。
彼はひとを殺した。彼女が知っている時だけでなく、過去に遡れば、きっと数え切れないくらいに沢山の人間を。そしてこれからも、殺すだろう。
だからきっと彼の運命には、これからも戦争と殺戮がまといつく。それは珂乃が望む生き方ではないから、自分は彼の助けになれないばかりか、足手まといになってしまう。
それを思えば、離別以外にどうすればいいのか解らなかった。
「じゃな。たまには顔見せに来るから、心配すンな」
口元に笑みを貼りつけ言う兄を、見返し頷くと、
「兄ちゃん、無茶し過ぎて死んだりしたら、許さないからッ」
「生き抜く一番イイ方法は、隠れ住むことや強くなることじゃねぇ。人に混じり、人を愛し、人に愛されることだ。おまえにはできるだろ、
生き延びろ、と。それが自分にだけ向けられた言葉でなければいい。
そう、祈りのように思った。
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