第5話

 私が鎌倉の○○寺で働きはじめた四月中頃、私たち坊主が着ている作務衣を着せられた一人の高校一年生くらいの男の子が、朝礼で紹介されました。これから毎日横浜の家から建長寺に通い、修行するとのこと。

 何のことはない、この子供を連れて寺に相談にきた母親が美人であったために、普通はそんなことはありえない「一般人の子供を毎日、寺の中でウロウロさせる」という珍現象が発生したわけです。

 そして、私が彼の教育係に任命されたのです。彼と毎日、広い境内の掃除や寺院の中の拭き掃除などをしながら、彼を矯正させるという役割です。彼は引きこもりで不登校だと言うことでしたが、私は先ずこの少年のことを知るために、毎日作文(日記)を書かせたのです。人の頭(心)は口だけではわからないが、文章を書かせればすぐにわかるものです。

 はじめは三行程度の文が、一週間、二週間と経つうちに、どんどん増えていきました。五月の連休中、彼は寺には来なかったのですが、その時のことも書かせました。ところがそこに、私はおかしなことに気がついたのです。彼は口でも日記でも「僕のお母さんは意地悪で、食事も粗末なものしかくれないし、テレビやラジオも取り上げられている」と自分の家庭での不幸な環境を訴えていました。○○寺の上の人もそれを信じ、私も彼が親に苛められたかわいそうな子供だと思っていたのです。ところが、連休中の出来事を記した数ページにも及ぶ日記には、「毎日、朝からテレビを見ていた」「一日中ゲームをしていた」といった記述があちこちにあるのです。食事もけっこう美味いものを毎日食べていたようです。

 そこで、私は夕方、彼にそのことを指摘したのです。その時の彼は、今までの従順で弱々しい少年ではありませんでした。ドスのきいた低い、まさに悪魔のような声で「グググッ」と唸りました。下から私を見上げる目は憎悪というか怒り一色です。そして、挨拶もせずにプイッと帰って行きました。

 翌朝、彼が寺の上の人に応接室で何か話している姿を最後に、私の元に彼が来ることはありませんでした。そして、彼の日記帳は連休の部分数ページが、ボールペンで書いた部分が、朝きて慌てて消したのか、乱雑に修正液で塗りつぶされていました。

 「彼が嘘をついていた」という「疑惑」が消去されてしまった以上、彼の本性を上の人にも彼のお母さんにも伝えることはできない。といいますか、私は彼との縁が切れたことを返って喜んでいたのです。あのまま彼といたなら、彼が母親の悪口を言いふらしていたようなことをもっと悪辣に、私に対して行っていたかもしれない。逆に、もし彼との仲がよくなったとしたら、私が彼(の悪霊)に気に入られでもしたら、彼の悪霊が私に取憑こうとしたかもしれません。悪霊というのは、常に元気で生きの良い、居心地の良い個体を探しているものなのですから。

 このケースで私が学んだのは、悪霊とは自分の正体が暴かれるのを非常に恐れる・嫌がるということ。正しいこと、純真なこと、美しいことを表面的には賛美しながら、心では毛嫌いする。そして、真実を明らかにしようとする者を極端に憎む、ということでした。

2019年8月11日 平栗雅人 (続く)

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悪霊払い @MasatoHiraguri

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