ここらで一回銭湯に行こう

冨竹 誠

新しい日本

 今日も社会人生活で最悪の日だった。


 花の金曜日とはよく言ったものだが、それを理由に先輩上司たちに飲みに連れまわされることを思えば俺としては地獄の金曜日と言い換えたくなる。

 大学を卒業し社会人になって早3年、最初の赴任先が俺のなじみのある関東ではなく大阪で、初めての仕事から初めての寮での一人暮らしと、公私ともに苦労の日々だったが何とか慣れてきて割と大きな仕事も任されるようになってきた。仕事の方は充実してるといっていいだろう。

 もう一つ充実しているというか、しすぎているというか、面倒くさいものがある。

 人間関係。

 会社にいる限り切っても切り離せないこいつは中々に俺を束縛してくるのだ。仲が悪いということはないのだが、同調圧力というべきか、土日に社内イベントがあったら理由がある人以外は強制参加。理由なく参加しなかった人は会社内で空気扱いされる特典がもれなくついてくる始末だ。

 地雷を踏み抜かないよう安全策を講じ進む姿はまさに戦場。今日も俺は花金という戦場に繰り出していたというわけだ。

「くっそあの上司、散々連れ回したあげく放置とはどういう神経してんだよ……」

 一次会、二次会からのカラオケ。もはやうちの会社の定番ルートを踏破した後、嫁さんが~とか子供が心配だ~とかなんだかんだ言いながら終電逃したんで颯爽とタクシーで帰って行きやがった。

 俺? 俺は無事定員オーバーで一人ぽつんと残されましたとさ。

 部下の心配はしてくれないらしい。

 俺もタクシーに乗って帰ってもよかったが、未だ独り身で帰りを待ってる人もいないので、めんどくさいから近場で寝泊まりできる場所を探し始めた。

 未だ人通りの絶えない、先ほどまで飲んでいた商店街の中を歩いていると飲食店の間に一つ、カプセルホテルを見つける。中に入ると「ホテルの受付はエレベーターを使って上の階へ」という表記が見える。1回にも受付があるが何の受付だろうと思いながらエレベーターに乗り、受付へ行く。

 俺と同じ考えの人が多く、結構並んでいたが無事今日の寝泊まりの場を確保することができた。

「そういえば、1階の受付ってなんですか?」

 受付の人に代金の支払いをしているときそう尋ねると、こう返ってきた。

「うちはスパもやってるんですよ。宿泊者は無料で入れますからぜひ入ってください」

 いいことをきいた。社会人になってから今まで寮で生活をしているが、うちの寮は水回りが共用で、浴槽というものがなく体を洗う時はシャワーしか使えないという現実があったのだ。別にシャワーだけで困ったことはないが、共用かつ浴槽なしということもあり、さっと浴びて帰るのが流れになっていた。

 だからこそ浴場があるといわれると、久々に体が湯につかるぞと反応してくる。

 カプセルホテル特有の室内着へさっさと着替え、ロッカーに荷物を入れて浴場へと向かった。

 浴場は2階にあるらしく、入り口から最初に見えるのは広々としたプールとサウナルームだった。全体的に壁や柱は白を基調としており、清潔感がある印象だ。プールは意外と潜れるくらい深い。温水プールとなっており、本命に行く前にゆるゆるとただ浮かびながら時間を貪っていった。入社して以来仕事仕事とせかせかしてばかりいたので、こうして自分の意志で何もしないのは久しぶりで、そしてとても甘美なものだった。

 もっとこの時間をかみしめていたかったが、本命がまだ待っている。どのくらい経ったのかはわからないが指の皮がふやけきった頃にプールを後にした。

 サウナについてはさっきまで上司と飲んでいたこともあり、コンディションが万全ではないため今回は見送ることにした。次の機会にはぜひ入ろうと思う。

 階段を上り2階へ向かうと、こういう場所では定番のあかすりと洗体スペースが見えた。早速体を洗って風呂に入る準備をする。カプセルホテルが一緒にあるから歯ブラシやカミソリも常備されていた。これなら俺みたいに急遽泊まることになった人でも心配せず泊まれるだろう。こういう配慮は素直に嬉しいものだ。

 入念に体を洗い、すべての準備が整った今、やることは一つだけになった。


 銭湯に入ろう。


 浴場はシンプルに一つ、大人数の使用に耐えれるようになっており、人が対面で座ったとしても手足を伸ばして座れるんじゃないかと思われる。時間帯は深夜も深夜なのでここにいる人もまばら。十二分にくつろげそうだ。

 ゆっくり、足から胴、手、肩と浸かっていく。

「ふ……あ、はああ~~~~~~~~~~…………」

 久しぶりのこの感覚、思わず声が出る。

 40度前後の熱くもぬるくもないちょうどいい温度。思いっきり伸びをしても何一つ障害物のないスペース。

 温かい食べ物を食べるとよく五臓六腑に染み渡ると表現されるが、風呂に入ったときは皮膚から体全体に熱を染み込ませていく感覚だ。最高だと言わざるを得ない。

体の可動域から順々に生き返っていき筋肉の強張りを解いていくのは風呂特有のものだろう。次第に心も体もノーガード状態になっていき浴槽に漂っていた。

 そのままどれくらいの時間が過ぎたのだろう。少なくとも指の皮はふやけ切っている。

 そろそろ出ようかと顔を上げると、丁度目線に螺旋階段が入り込んできた。物珍しさと好奇心に身を任せてもう少しこの銭湯を堪能しようと、階段を上っていく。

「へえ……」

 上り終えるなり一言、ため息が出た。小さいスペースながらも露天エリアまで完備していたのだ。コテージを意識した外見のサウナに樽型の水風呂、ジェットバス、そして木の温かみ感じる檜風呂。都心部にちょこんと作られたスペースだけに星空や開放感といったものはないが、室外というだけで特別感があるものだ。

 早速檜風呂に入り、独特の香りを体に吸収していく。檜の香りは科学的にも気分を落ち着かせる効果のある物質を含んでいるようで、社会人になって溜まりに溜まったヘドロのような心の汚れを洗浄してくれた。極楽浄土という言葉はこのためにあったのかと、再びの長風呂でとろけた頭が結論付ける。

 ほんの数時間前までの鬱屈とした気持ちはすでになく、むしろ晴れやかな気分だ。

来週は別の銭湯にも行ってみよう。


 そう思いながら、俺は風呂から上がったのだった。

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