不器用な僕らの、距離の縮め方
壁のある今の関係を変える。
それは、しかし一朝一夕で出来るようなことでもなく。
食事を終えてカフェを出た僕たちは、灰色のどんよりとした空の下、手を繋いで公園を歩いていた。
これまたサービスということで、レンタル料は請求しないらしい。
大丈夫なのかと聞くと、千冬さんは、
『貰わないといけないってルールはないから』
と、何だか噛み砕いたような口調でそう言ってくれた。
どこか違和感を覚えるのは、今まで丁寧語ばかりで喋っていた弊害なのだろう。
具体的に距離が縮まるのを実感する。
その反面、未だにそれを受け止めきれない自分も、心の片隅に存在していた。
この前と同じように、公園内をぐるりと回る。
たまに冷たい風が吹いたかと思うと、隣を歩く千冬さんが、ぶるっと肩を震わせる。
……やはり打ち合わせが終わったあと、解散するべきだっただろうか?
千冬さんの体調を懸念していると、
「……寒い、ね」
当然というべきか、困ったように笑いかけてきた。
僕もぎこちないなりに微笑み、頷く。
「そうですね。やっぱり曇り空だから、そんなに暑くないですし」
「いつもの真夏日和だったら、ちょっとは涼しく感じられたかもしれない、ですけど」
「確かに。こういう時に晴れだったらなぁ」
「本当に、ね」
──拭い去れない違和感。
千冬さんの言い慣れてなさが、ものすごく際立ってしまっている。
辿々しく喋る姿も、まぁもちろん可愛いのだが。
それ以上に『無理しなくてもいいよ』と、気遣いたくなるぐらいには心配になる。
「あの……千冬さん。いつも通りでいいですよ?」
「な、何がですか」
「その、話し方。何だか変に感じちゃって、正直やりにくいです」
「うっ……でもっ。これは必要なプロセスで、明日のデートの時にも絶対役に立つ、から」
「うーん……」
確かに気兼ねなく喋っているほうが、仲良さげには見えるが──いわゆる付け焼き刃では、必ずボロが出る。
ならばいっそのこと、敬語で話すままの関係でいったほうが、良いと思うのだが。
どうやら千冬さん的に、そうは問屋が卸さないようで。
「一緒にいられる今のうちに、ある程度は出来るようになっておきたいの」
「……そう、ですか?」
「うん」
千冬さんがにこっと微笑んで頷いた。
意外と負けず嫌いな一面もあるのか、と驚く。
たった1日──夜までしかいられないと考えれば半日だけで、この微妙な距離感を埋められるとは思えない。
それでもこうして、千冬さんの色んな顔が見れると思うと。
何だか役得に感じて、悪い気はしなかった。
もう少しで公園を一周する。
この後はまた、同じようにショッピングモールへ行くのだろうか。
僕としては別に、そうなっても良かったが。
どうせなら、頑張る千冬さんのために、僕からも何か歩み寄ってみようと思った。
「……うぅ、ダメです。全くタメ口で喋れません」
「今まで丁寧語ばっかりだったから、仕方ないですよ。人間そんなに早くは変われませんって」
「でも……私、変えたいです。やっぱり恋人っていうのは、壁のない関係だと思う……から」
「……また詰まってますよ」
「うぅーっ」
不器用な千冬さんも愛くるしい。
思わず笑みをこぼしながら、僕は言った。
「あの、千冬さん。もし時間があるなら、一緒に行きたいところがあるんだけど……どう?」
顔を赤くした千冬さんは、しかし目を見開くと、控えめに頷いた。
***
この街の名所はと聞かれると、大抵の地元民は白鷺運動公園と答える。
夏祭りや部活の大会、企業による大型イベントが盛んに行われているから、当然のことだろう。
だとしたら僕は、地元民の中でも変わり者の部類に入る。
白鷺運動公園にも負けない名所は、もう一つあると思っているからだ。
400年の歴史が漂う敷地。
撒かれた砂利には幾千もの人の匂いが染み付き、赤くそびえる鳥居の奥には、霊験あらたかな社が建てられている。
この場所の本当の名前は、誰も知らない。
長い時間の中で忘れ去られ、今では街の片隅にある、単なるお祈りの場所として記憶されていた。
鳥居を潜って中に入り、千冬さんと社まで歩く。
珍しそうに周りを見渡しながら、時折おーっと感嘆するような息を漏らす。
僕も少し、似たような気持ちを抱いていた。
この場所に来たのは、小学5年の夏以来だったから。
「……ひっそりとした場所ですね」
「でしょ。あまりに人気がないから、肝試しにも使われてるんですよ、ここ」
「肝試し……あまり好きじゃない、かな」
「オバケ、嫌いなんですか?」
「嫌いというより……怖いというか、何と言いますか……」
渋い表情を浮かべ、肩をぶるっと震わせる。
これは、かなりアウト寄りらしい。
何となく悟ると、この場所の明るい話題にチェンジする。
「でもここ、全然そんな場所じゃないんですよ」
「……そうなんですか?」
「はい。元々はお祈りの聖地で、願い事がよく叶うって言われてたんです」
恋愛、仕事、学業、出産。
様々な悩みをここで打ち明け、社に祀られた神様に祈る。
するとたちまち、祈願した人たちに幸運が訪れ、万事が上手くいくようになった──と。
今は亡き祖母から、おまじないのように聞かされたのを覚えている。
「もちろんただの迷信で、街の人たちはあまり信じてないんですけど。俺はちょっとだけ、その言い伝えを信じてるんです」
そうして社の前に着く。
顔を少し上げ、奥にある真水の入った銀杯を見つめる。
横から千冬さんの視線を感じた。
しかしすぐに感じなくなり、代わりに寄り添うように近づいて呟く。
「ここが好きなんですね」
「まぁ、気に入ってます。静かですし、1人になりたいときは特に落ち着くから……」
「私にも何となく分かります。あんなに冷たかった風が、少し涼しく感じるんです──」
耳元で、大きく息を吸う音。
ちらっと見ると、千冬さんは目を瞑っていた。
まるでこの場所の空気を感じるように、ゆっくりと空を仰ぐ。
僕と繋いだ千冬さんの右手から、ほんの微かに力が抜け落ちていく。
思わず不安になり、左手に力を込めた。
すると千冬さんは瞳を見開き、そんな僕に微笑みかけて言った。
「──綺麗です、夏貴くん」
「……えっ?」
「その笑顔、とても綺麗です」
そう言われて、咄嗟に自分の頰を確かめた。
いつの間にか緩んでいた口元は、笑っていたであろうことを裏付ける。
無意識のうちだったのか──何だか恥ずかしくなって、目を伏せてしまいそうになる。
しかし千冬さんは、やはり僕の心を読んでいるようで。
繋いでいた手をぱっと放すと、僕の頰に素早く両手を添えた。
半ば強引だが、向かい合う体勢になる。
蒼色の瞳でまっすぐに見つめながら、ぽつりと呟いた。
「もっと見たいな……」
「えっ?」
「……本当の夏貴くんを、もっと見てみたい」
妙に吐息を感じる。
それはとても甘く、刺激的な匂いで。
思いがけず変な気分になる。
「夏貴くんは知りたいですか?」
「何を……?」
「私のことを……本当の私を」
「……えっと」
知りたくないと言えば嘘になる、が。
僕たちは恋人を演じているのだという意識が、その欲求を抑えさせる。
突然の急展開に、頭の中はパニック寸前だが。
僕はしどろもどろになりながら、しかし首を横に振った。
「知りたいとは思います、けど」
「けど……?」
「……今の俺には、問題がたくさんあるから。それが解決するまでは、このままの関係のほうがいいかなって」
「……それで、いいんですか?」
「今はまだ。でもそのうち、距離が縮まってきたって感じたら……そのときは」
両手を上げ、千冬さんの頰に添える。
蒼色の瞳が大きく見開かれるのと同時に、僕ははっきりと伝えた。
「千冬さんのこと、もっと知っていきたいです」
***
社から去ったあとの帰路は、妙に照れ臭かった。
すっかり風も収まり、黒い雲が消えて半月が見えている。
この様子ならきっと、明日は晴れるだろう。
嬉しいような、雨が降ってほしかったような、とても複雑な心境だった。
千冬さんと何を話したのかは、あまり覚えていない。
というより、そもそも会話自体が少なかったような気がする。
お互いに踏み込めないというか、相手の出方を伺っているというか──じれったい空気だったのは、深く印象に残っていた。
最後は笑い合って「またね」と言い、別れた。
結局、最後まで千冬さんのタメ口は、違和感が際立ったままで。
明日のデートは大丈夫だろうかと、いろんな意味で不安を覚えるのだった。
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