嘘とロマンスと純情と

 千冬さんと別れたあと、僕は1人帰路を辿り、自宅に帰った。

 時刻はとっくに夜の7時を過ぎており、規則に厳しい家柄だったら間違いなく怒られている時間帯の帰宅だった。

 幸い、ウチはさほど厳しい家柄ではない。

 なぜ帰るのが遅かったのか、父に何気ない口調で聞かれたが、


『友達と会ったから、つい遊んじゃった』


 と言うと、これ以上の詮索は何もされず、『そうか』の一言で済まされた。

 一人息子をちらっと流し見ただけで、後はテレビに釘付けになっている父の姿に、複雑な感情を覚えはするが。

 今日ばかりは、それがとにかくありがたく。

 母に『ご飯は食べてきた』と嘘をつくと、さっさと二階の自室に入った。


 そうして今、僕はベッドの上で寝そべっている。

 特に何もない天井を眺めながら、千冬さんの笑顔と、最後に言われたことを思い出す。


 ──俺キャラ、か。


 その言葉が強ち間違いでもないことを、心のどこかで自覚はしていた。

 ただ、あまり認めたくないだけで。

 認めてしまったら、それまで自分を保ってきた何かが、音を立てて壊れてしまうから。

 それが限りなく恐ろしくて、怖いのだ。


 ──多分、こういう部分がカッコ悪いのだろう。


 千冬さんにはきっと、大体見抜かれているに違いない。


 俺、という一人称を使い始めたのは、色気づき始めた中学生の頃だった。

 それまでの僕は泰然自若としていて、他人の目も評価も気にせず、ありのままに振る舞っていた。

 しかし徐々に背が伸び出し、元々整っていた顔立ちを友達にいじられるようになると──自分の中で、何かが変わってしまった。


『イケメンだから、カッコよくなければいけない』

『運動も勉強も交友も、皆の理想として、模範でなければいけない』


 今の僕が模範として生きているかは、大いに怪しいところだが。

 ともかくそんな強迫観念が、常に僕の頭の中にちらつくようになった。

 こうなると自由には生きられない。

 他人の目や評価に、常にアンテナを張らなければいけなくなる。

 そうして袋小路に追い込まれるように、自分を偽って過ごしていると。

 やがて周囲から、レッテルを貼られ始めるのだ。


『顔の良い男子』

『優等生』

『生徒会長に相応しい人間』

『彼女が出来ないのが不思議な男』


 素直には喜べなかった。

 相手は褒めてるつもりでも、僕にとってはそれらの賛辞が、まるで石畳を背負わされるかのような苦痛に変わっていく。

 期待や羨望、信頼の眼差し。

 見つめられ続けると、それを裏切れなくなってしまう。

 僕は模範などではないのに。

 女の子1人すらリードできない、情けない普通の男子高校生なのに──。


「はぁ……」


 ため息を吐く。

 枕に顔を埋め、すぐにぱっと起こす。

 窓の外を見上げれば、薄明かりの月と微かに光る星が、暗礁の空を彩っている。

 ここ最近は快晴続きだからか、妙に夜空が澄んで見えた。

 心なしか吸う空気にも、寒涼な風趣を覚えた。


 ──千冬さんも、同じ空を見ているだろうか。


 蒼色の瞳を思い浮かべながら、ふと気になって、ショートメッセージで尋ねようとした。

 しかしスマホの電源を入れたところで、ぴたりと指が止まった。

 数秒間、操作されないのを感知して、自動的に電源が切れる。

 真っ暗になった画面を見つめて、一瞬目を瞑ると、枕元に画面を伏せて置いた。


 僕と千冬さんは恋人役だ。

 あくまでお互いに演じているだけの関係──なのにどうして、プライベートにまで干渉できるだろうか。

 もう時間も遅い。

 そろそろ風呂に入って、出たら宿題を進めなければいけない。

 故に、千冬さんのことは確かに気になるが、無闇にメールを送ることは憚られた。


 ベッドから立ち上がる。

 とりあえず風呂に入って、いつでも寝れるような格好に着替えようと動いた。

 自室を出ると階段を下り、家の奥にあるバスルームに直行する。

 持ってきた着替えとタオルを洗濯機の上に置いて、服を脱ぐと、湯の張られた浴槽に浸かる。

 すると疲れが抜け落ちるように、肩の張りがすうっと和らいだ。

 ふぅ、とため息を吐いて、アンバー色に透き通った水面とその奥底を見つめる。


 ──千冬さんなら、きっと。


 弱々しい本当の僕を見つけて、受け入れてくれるだろうか?

 当の僕には、受け入れてもらえる自信がない。


 素の自分を晒け出し、誰かと笑い合う。

 今まで仲良くしてきた友達や、生まれたときから一緒にいる両親とすら、そんな事、全然してこなかったのに。

 いくら優しくて、可愛いといっても。

 千冬さんとそういう、気兼ねない関係になれるなんて、到底考えられなかった。


「……はぁ」


 家に帰ってから、ため息ばかりがこぼれる。

 今夜は勉強する気になれそうもない。


 軽くシャワーを浴び、頭を洗って水で落とすと、さっと全身を拭いてバスルームから出た。

 ドライヤーで髪を乾かし、ついでに歯を磨くと、半袖短パンの寝巻きに着替える。

 そして自室に戻り、再びベッドの上に寝っ転がった。

 大の字になって天井を見つめ、ぼーっと物思いに耽る。


 ──会いたいな。


 ふと、千冬さんのことを思う。

 眠気が湧いてきて、瞼がウトウトと重くなってくる。

 部屋の電気を消そうとする気力も、だんだんと失せてきて。

 欠伸をしながら、ゆっくりと目を閉じた──。


 ピロン、と音が鳴ったのは、ちょうどそのタイミングだった。


「────ん……?」


 枕元のスマホを取り、電源を入れる。

 ショートメッセージの通知が一件──千冬さんからだった。

 思わずばっと身体を起こし、画面を凝視する。

 起動し、メッセージのアプリを開く手捌きは、自分でも引くほどに早かった。

 彼女が送ってきたのは、そこそこ長めの文章。

 僕はそれをゆっくりと、噛みしめるように読んでいく。


『こんばんは、夏貴さん。千冬です。

 夜に突然メールしてごめんなさい。2つほど用件があったので、こんな時間にメールしました。

 まず、今日のことについて。私とデートしていただいて、本当にありがとうございました。すごく楽しい時間を送れたんじゃないかなって、少なくとも私は思ってます。また夏貴さんとデート出来る日が、私はとても楽しみです。

 そこで質問なのですが、次に会う日はいつ頃になりそうでしょうか。分かり次第で大丈夫なので、早めに教えてくれると助かります。

 今日は本当に楽しかったです。

 夏休みの思い出、いっぱい作りましょうね♪』


 最後に『千冬』と名前を添えて、文章は終わっている。

 全体的に丁寧にまとまった構成は、特にストレスを感じることなく、すらすらと読むことができた。

 改めてお礼を言ってきてくれたことに、つい申し訳なく思いながらも、すぐに胸が弾む思いでいっぱいになる。

 会いたいという昂りを抑えて、僕はメッセージを打つ。


『こんばんは、千冬さん。確認のメール、ありがとうございます。

 直近の予定としては、7月28日に男友達に彼女を紹介しなくてはいけないので。出来れば打ち合わせのために、前日の27日に会いたいです。

 もちろん、都合が合えばで結構です。

 夜は暑いので、熱中症に気をつけてください。

 今日はとても楽しかったです。また会える日を楽しみにしています』


 ──こんな感じで、いいのだろうか。


 妙に緊張する。

 考えてみれば、女子とメールでやり取りするのは初めてだ。

 千冬さんをレンタルしたとき、少しだけ待ち合わせについてのやりとりは交わしたが──あの時はまだ、互いのことをよく知らなかった状況で。

 今みたいに仲が深まっていなかったのだ。


 送信を押す。

 行った、と全身が強張る。

 変な文章だと思われたらどうしよう。

 そんな不安に駆られてから、およそ3分後。


 千冬さんからの返事が、すぐに返ってきた。


『27日、了解です。

 今日と同じ時間と場所で待ち合わせましょう。

 都合が悪くなったら、いつでもメールください。

 その日を楽しみに待ってます♪ 千冬』


 この上なく簡潔で分かりやすい。

 何より僕の不慣れな文章について、突っ込まれなかったことに安堵を覚えた。

 これ以上の返信は野暮だと考え、スマホの電源を切る。

 枕元に画面を伏せて置き、ごろんと部屋の壁のほうに寝返りを打つ。

 真っ白な壁には、うっすらとホコリやシミが付いていた。

 いつもなら気になって仕方ないそれも、まるでどうでもよく思える。


 会える。

 千冬さんと、またお話できる。


 僕の頭の中は、その喜びで満ち溢れていた。

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