四、故郷とは
この世とあの世、人の地と神々の
移ろうものと
地と時の交わりあう
森はざわめき、土は鳴り、
そして時は
森に響く歌声と、小道を行く二人。
歌を口ずさみながら踊るようにステップを刻んで歩くクルトと、腰元に提げたライアーをかき鳴らしながらそれに続くリアン。クルトともだいぶんうち解け、この里の民謡もたくさん覚えた。
クルトはふと足を止めると、古木に近寄り立ち止まって、その木立をじっと見上げる。
しばらくそうしてから、気を取り直したようにまた歩き出す。そんな姿を、クルトは時折見せる。
「ねえクルト、さっきは何をしてたの?」
「みんな騒いでた。サウィンが近いから」
「え……? あ、待って!」
リアンが訊ねても、どうも不思議な答えが返ってくる。あたりを見回しても、静かな森が広がるばかりだ。
山菜を届け、代わってミルクなどを取りに、麓の屋敷まで行き来するのがクルトの仕事だ。
屋敷の裏門を入ると、幼い女の子が駆け出てきた。
「くるとおねぇちゃん!」
コナル一族の最年少らしきこの子は、いつもクルトによく懐いている。逆に他の子供達は、あまり親しくないようだ。無口なクルトが相手では仕方ないかも知れないが、どうもことさら距離を置いているようにも見える。
通りがかったコナル家の子供達に手を振るが、普段は人懐こい子も、リアンがクルトと一緒の時にはどうもぎこちない。リアンにはぺこりとお辞儀をして、クルトには目も合わせず去ってゆく。
思えば、大人達もクルトにあまり親しく声を掛けている様子を見かけない。そもそも、なぜ人里離れた森の小屋にひっそりと住んでいるのだろう……前から薄々考えていた疑問が、ふとよぎった。
「僕は書庫に寄るから、ついでにこれ届けてくるね」
「ん!」
庭で女の子と遊んでいるクルトを置いて、リアンは屋敷に入っていった。
『数象徴学』
――「3」、それは相関と相克の流動、そして存在の神秘――即ち
「9」、それは3の3倍。
即ち、流転と回帰の永続、そして無限の深化を表す深遠なる数。
と同時に、安定と調和完結を表す数である「10」に一つ届かぬ、不安定な数――
書庫で色々な本をひもときながらも、気がつけばリアンは羽ペンでリズムを刻んでいる。
「ダブル・ジグは6拍子……スリップ・ジグは3拍子が3つだから……そうか9拍子かぁ」
この里に来て、クルト達と出会ってからというもの、リアンは独特の調を持つこの里の民謡に夢中になっていた。初めて聴く曲ばかりなのに、不思議と懐かしく心躍る気分になるのだった。自分の粗末な携帯ライアーも、案外これには良く馴染むのだったが、やはり忘れられぬ憧れは――
帰り際に通りがかった居間の隅には、あの古いハープが置かれている。リアンはその前でふと立ち止まり、この里にやってきた日のことを思い出して眺めた。
「また弾いてみたいかね?」
ふいに声がして振り向くと、奥の戸口にはあの時と同じように威厳あるグレン氏の姿があった。
「あ、いえ……今日は書庫を見に寄っただけです」
答えるリアンの横の椅子に、グレン氏は腰を下ろした。
「――不思議な子だろう」
少し考えるようにしたのち、グレン氏は口を開いた。
「あ、クルトですか? うーん、確かに不思議ですけど……一緒にいるとなんだかほっとするような気がするんです。みんなあんまり近づかないみたいですけど」
リアンの答えをじっと聞き、また何か考えるようにして口を開くグレン氏。
「あの子の特別な力を、皆どこかで畏れているのだ……」
「特別な、力……?」
「精霊と、心通わすことができるのだ」
恐る恐る訊ねるリアンに、噛みしめるような口調で答えるグレン氏。
「せいれい……ですか?」
「それはドルイドの力であり、そして……」
そのままグレン氏は、考え込むように沈黙した。
「これが弾かれなくなってから、九年も経つか……」
しばらくして、ハープを見つめながらグレン氏はつぶやいた。
「えっと……壊れてもないのに、どうして弾かなくなっちゃったんですか?」
「――エルフ達がいなくなったからな」
間をおいて返ってきた答えに、リアンは驚いた。
エルフという名は神話の世界でよく聞き覚えがある。知性と魔法の力、そして不死に近い寿命を持つといわれる、古の神々の末裔にして深い森に棲む高等妖精族のことだ。この国ではゲールの民と運命をともにし、やがて神々の住む
「エルフって、あのエルフのことですか⁉」
「ああ。ゲールの言葉ではディナ・シー――もっとも、それらの呼び名を彼らは好まぬ。トゥアハ・デ・ダナーン、即ち女神ダヌの末裔と称すが――この森の奥には、この島に残った最後の一族が住んでいた。九年前までな」
グレン氏は呟くように言葉を続けた。
「これはエルフの作った竪琴だ。彼らの里との入り口を開く魔法に使われていた。エルフの消えたのち、これを弾きこなす
「――そんなことをグレンおじさん言ってたよ。クルトはエルフ見たことある……わけないよね」
山小屋の前でミルク缶を下ろしながら、古いハープとエルフのことを話すリアン。
じっと聞いていたクルトは、足下に荷物を下ろすと、ふいに森の奥の方へ歩き出した。
「え、どこ行くの……?」
リアンも急いで荷物を下ろし、あとを追った。
道もない森の奥深くへと、駆け足で分け入ってゆく。
と、薄暗い森から木漏れ日の下へ出た。
古木に囲まれた空間には、降り注ぐ木漏れ日に輝く泉が湧き、その畔には、曲がりくねった根を一面に張った巨木、そして苔むした大きな石碑が立っていた。
あたりには木漏れ日を受けてきらきら輝く光の粒が、蛍のようにふわふわと舞っている。
「わぁ…………‼」
その神秘的な光景に、リアンは息をのんだ。
「あの光ってるのが『精霊』……? って、あれ?」
リアンは光の粒を指さして訊ねたが、クルトは泉の畔にしゃがみ込み、揺れる水面をじっと眺めていた。
「ここ、入り口だったんだって……」
いつの間にか摘んできた野の花をそっと泉に浮かべながら、クルトは言った。
その光景はまるで墓に花を手向けるかのように、哀しげに見えた。
と、ふいにリアンは、被り直した帽子の中で何かもぞもぞする感覚を覚えた。
「わあぁ⁉ 何かいる……!」
慌てて投げ捨てた帽子を拾い上げたクルトは、少し驚いた顔をしてその中を覗いている。
「何が入ってたんだよぉ……」
頭をさすりながら、リアンもしゃがんで恐る恐る覗く。
カゲロウに似た羽を生やし、ヒトの少女に似た姿をした小さな生き物が、リアンの帽子の中でおびえたようにちょこんと座っている。
「……なに、これ」
「ピクシー。妖精のなかま」
予想通りの答えに、リアンは苦笑を漏らした。
「おやまあ、今時妖精とは珍しいねぇ」
「ミル、ピクシー!」
泉で拾った生き物を、早速老夫人に見せているクルト。『ミル』と名付けられたそれは、クルトの頭の上に機嫌良く乗っかり、すっかりペットとなっている。
「それって、昔は珍しくなかったんですか?」
「そうだねぇ……エルフがいた頃は、小さな妖精達もよく姿を見せていたけれど……」
リアンの問いに、少し遠い目をして答える老夫人。
その横に座っていた大コナル老人も、つぶやくように口を開く。
「エルフは森の護り人。森羅万象に宿る精霊達と心通わせ合い、その力を操りて様々な技をなし、その均衡を維持し、その恵みを護るのじゃ――かつては人とも、深き友情で結ばれておったのじゃがの……」
:
:
暖炉とランプのおぼろげな火が、今宵も静かに揺らめく。
「この里はすっかり気に入ってくれたようだね」
「はい!……見たこともないものばっかりなのに、不思議に懐かしい気がします――
僕はまだ小さい頃に家族で街へ出て来ちゃったから、自分の故郷のこと、ほとんど覚えてないんです」
「――
そう
故郷は、身近にあればいいというものでもない。
君の故郷は、君の想いの中で、いつまでも
人知れぬ異境の地にありながら、リアンは折々につけ、ふと不思議な郷愁を覚えるのだった。
――僕の「故郷」って、何だろう
僕に「故郷」は、あるんだろうか――
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