五、サウィンの前日

   この世とあの世、人の地と神々の

   移ろうものと永遠とわなるもの――

   地と時の交わりあうサウィンの夜イーハ・ハウナ

   森はざわめき、土は鳴り、

   そして時はまわってゆく――

   いざ集え、いざ灯火ともしびを――


   廻り廻る旋律 廻り廻る輪舞 魂の調べ

   廻り廻る風 廻り廻る時 魂の灯火

   絡み合う旋律 絡み合う輪舞 魂の宴

   絡み合う蔓草 絡み合う運命 魂の円環

   サウィンの夜イーハ・ハウナ サウィンの夜イーハ・ハウナ 廻り来る時よ!

     :

     :

 闇と光の狭間のような空に、光の粒が舞っていた。

 白い光に包まれた馬車たちが、湖の水面みなもに立ちこめた霧の上を滑るように走ってゆく。

 カラスウリの灯明を手に、人々は誰しも沈黙して湖畔に佇んでいた。

 最後の馬車が、深い霧の中に吸い込まれていった。

 寄り添いあってそれを見つめる、二人の男女の影。

 ローブをなびかせた若い男、そして――

     :

     :

「…………!」

 妙な胸騒ぎに、クルトは明け方はっと目を覚ました。

「精霊たちが騒いでる……!」

 普段は静まりかえっている窓の外の森には、立ちこめた霧の中、無数の光の粒が乱れて飛び交っていた。

「ん~……もう朝ぁ……?」

 小妖精ピクシーのミルに髪を引っ張られ、リアンが寝ぼけて起きてきた頃には、他の四人は居間に集まっていた。

「リアン、外……!」

「なに……? !――わぁお……」

 クルトの指さした窓の外を(ミルに首をひねられて)見て、リアンの眠気は半分くらい消し飛んだ。

「精霊達の沸き立つサウィンの前日とはいえ、この騒ぎは尋常ではない……。ともかく下の様子を見てこよう」

 コナル氏に続いてクルトとリアンは麓へ向かった。

 深刻な面持ちで三人を見送る大コナル老人。

「遂にこの日がやってきたか……」


 コナル氏より一足早く駆けつけた二人は、時ならぬ里の光景を目にした。

 いよいよ明日はサウィン祭。樹や家々の軒には大小さまざまな瓜、カボチャのランタンが下がり、神殿前の広場には演台とかがり火の台が設えられ――それらを霞ませる朝霧にまじり、無数の光の粒がひしめいていた。

 人々は不安と怖れに満ちた表情で、その光景を見つめている。通りを落ち着きなく往来する者もいる。

「見たか、あの時のことを覚えているか……⁉」

「そうだ、これは九年前と同じだ……」

「何かが起こる予兆に違いないぞ……!」

 神殿前の広場に集まった人々は、口々にそんなことを噂しあっている。

「精霊のバランスが乱れている……あちこちの精霊が、神々の境にもっとも近いこの里に押し寄せるのは、神々の力が弱まっている証拠だ」

 合流したコナル氏は、二人に身を潜めさせ言った。

「その子がここに迷い込んできたのも、一つの前兆だったようだね」

 クルトのケープの肩フードから顔を出したミルも、不安そうだ。


「精霊力の大きく揺れ動く年が、周期的に訪れる。時により恵みもある一方、よからぬ変動もまた多い」

「恐れていた時が、遂に廻ってきたということか……」

 コナル家の屋敷で、グレン氏とともに卓を囲む。

 ――「3」、それは相関と相克の流動、そして存在の神秘――即ち三位一体を表す数。

   「9」、それは3の3倍。

   即ち、流転と回帰の永続、そして無限の深化を表す深遠なる数。

   と同時に、安定と調和完結を表す数である「10」に一つ届かぬ、不安定な数――

 人々の異口同音に叫ぶ九年という数に思いを巡らすうちに、リアンはふと数象徴学の本を思い出していた。

「この里は、周囲の村がヴェールとなり、そのまた周囲が――という具合に、ゲールの伝承を守る盟友の絆によって秘境が護られてきた。それも崩れつつある」

「時の移ろうままに人々の心が離れてゆけば、やがて伝承は途絶え果て、里は森に朽ちて消えるだろう……」

 時折リアンのために説明を交えつつ、代わる代わる話す二人の賢者。

「ああ、まるで九年前のエルフ達を、今度は人が我が身をもって追憶するかのようだ……」

 うなだれたグレン氏は、いつもの威厳を失っていた。

「教えて下さい、九年前に何があったんですか⁉」

 リアンは意を決して口を挟んだ。コナル氏は答えた。

「そうだね――その時が来たようだ」

     :

     :

 神々とともにその末裔・エルフ族も力を失ってゆき、もはやこの地では生きのびられなくなっていた。

 エルフは森の護り人、森の恩寵そのものと言ってもよい。その断交は、人と森との断絶をも意味する――

 人はいつしか森を遠ざかり、伐り拓き、恩寵を忘れ去った。人を見守り、共にあり、恵みをもたらした森はやがて人を拒み、人もまた森を忌避するに至った。

 進度の差こそあれ、この里とてまた然り。今や精霊使いや言霊使いは絶え、ドルイドも古のような大呪術師は稀で、司祭や修道僧と大差なくなった。人と同胞であったエルフ達は、人の持つ魔力が弱まるにつれてその不可思議の力を畏れられるに至り、畏怖はやがて忌避へと変わっていった。

 九年前のサウィンの日、この島に残った最後のエルフ族が、常世の国――ティル・ナ・ノグへと去った。

 その時一人のエルフの娘が、エルフ・人間双方の忠告に反し、愛しあう人間の若者の元に残った。

 冬を越し、二人の間に娘が生まれたが、母親はそのまま床に伏し、日に日に衰弱していった。

 彼女の命を保つ手段は一つ。エルフの魔導師が彼女に残した、肉体の時を止める魔法を自らに掛けること。

 エルフの血を示し耳の尖った娘を、授かった魔法のもう一つで人間の姿に変えたのち――神々の境に最も近い「精霊の泉」の底に身を委ね、母は文字通り、覚めざる眠りに就いた。


 エルフの去った影響は大きく――即ち、森はもはや人を閉ざし、大地の恵みは薄れ、島は未曾有の大飢饉に見舞われた――行き場なきその動揺を、かの若者への非難へと振り向ける者もいた。

 そもそも、異種族エルフと許されぬ契りを結んだ時から、彼はもはや里の民ではなくなっていたのだ。

 里の混乱と、それが親族クランに及ぶことを避けるため、そしてこの危機と妻とを救うすべを探すため、若者は里を去った。

     :

     :

「九年前のサウィンの前夜も、無数の精霊達がざわめき立っていた――ちょうど今日のようにね」

 コナル氏は全てを話し終えた。

 リアンとクルトは、互いに言葉を失っていた。

 一粒の涙が、うつむいたクルトのまぶたから溢れた。

「――一つ、この里を滅びから救う方法がある」

 コナル氏の言葉に、皆がはっと我に返り、注目した。

「妻・ブリードにエルフが残した魔法の三つ目は、ある空間を外から完全に閉ざす、結界の魔法だ」

「まさか、里全体をその結界によって閉ざすと……⁉」

「そう、かつてのエルフの里のように」

 驚くグレン氏に、コナル氏は深く頷いて答えた。

「――しかし、覚めぬ眠りに就いた者の持つ魔法を、どうやって封印から覚ますというのだ⁉」

「この子だよ――いや、この子だけだろう」

「ん……?」

 横のクルトを優しく撫でながら、コナル氏は答えた。

「人とエルフの血を併せ持つクルトは、両者を繋ぐ、いわば境界の存在だ。『境界』は、脆く不安定である一方、束縛のない未知の力を秘める。それは、お母さんを救う一つの望みでもあるんだ」

 徐々にクルトに視線を移して、コナル氏は言った。

「そして眠る妻の周りを閉ざす結界の魔法は、エルフの里の結界と同じもの……つまり、その鍵であったエルフの竪琴で、一時的に弱めることができるはずだ」

 部屋の隅に置かれた古いハープを見て言うコナル氏。

「この竪琴を使い呪歌を操ることができるのは、言霊ことだま使い――バルドにあたうべき者」

「…………!」

 コナル氏はリアンを見つめる。息を飲むリアン。

「サウィンの夜には異界との交差が起こり、その境界が薄れる。むしろこの今は絶好のチャンスでもある」

「待て! 異界との接触は大きな危険が伴うぞ――⁉」

「我々の支えを加えても、確かに危険は伴うだろう」

 グレン氏の警告に答え、改めて問いかけるように子供二人を見つめるコナル氏。

 異界との接触、それは極めて危険な秘儀。精神を保ち得なければ、異界に魅入られ帰らざるか、あるいは、現世と異界との狭間で彷徨さまようこととなりかねない。それは、この地に遺る数多くの神話や昔話の言い伝えるところだ。

 一方、それを克服して無事還ったなら、非凡なる力を得ることもあるという。

「――わたし、助けたい……!」

 クルトは涙をぬぐって立ち上がると、しっかりとコナル氏を見つめ返して言った。

「僕も、少しでも力になれるなら――この里と、クルトのお母さんのために……!」

 リアンも続いて立ち上がり、力強く答えた。

 コナル氏も立ち上がると、二人の手を固く握り、力強く励ますように微笑んだ。


「ドルイドとバルドを受け継ぐべき資質を、おまえ達は十分に持っている。導師として私はそれを認めよう」

 グレン氏は、クルトにドルイドの杖、そしてリアンに呪歌の書とエルフの竪琴を手渡した。

「私が与えられるのはこれだけだ。森の小屋の大導師の元へ行き、儀を受けるがよい」

「はい……!」



 夕闇に包まれた杉木立の向こう、小屋の窓からは柔らかい灯りが揺らいでこぼれ、薪の煙が立ち上っていた。

 いつも帰りを迎えてくれた、この場所。

 変わらぬこの情景が、無性に尊く、儚い美しさを湛えているように映った。

 取っ手を握る掌に数秒の念を込めてから、木戸を開ける。待ちかねていたかのように老夫妻が出迎える。

「お帰り――時は来たのじゃな、賢く可愛い孫娘クルトよ。いつの間にかすっかり立派になったの……。そして孫娘の良き友となってくれたリアンよ、本当に有難う」

「お父さんの着ていた法衣を仕立て直しておいたんだよ……まぁ、こんなに早くこの日が来るとは思わなかったから、少し大きすぎるかも知れないけどねぇ」

 いつもと変わらぬ、その優しい微笑み。そして木の香り、暖炉の温もり――

 こみあげる思いに胸を詰まらせ、クルトは両の掌を胸元で固く握りしめた。

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