第17話 黒パンは涙の味


 東大陸では魔法科学国家ルーテシアと並んで二大強国のカルデラ帝国。

 魔力を多分に含んだ鉱石マテリアルの発見と開発をいち早く行った地として、カルデラは世界の発展を担う重要な国である。


 大陸中に普及するマテリアル製品の雛形は全てここで作られきたと言っても過言ではなく、今でこそ様々な国でオリジナル製品の開発がなされてはいるが、それでもマテリアル技術の発展はこのカルデラの功績が大きかった。


 高度な魔力鉱石技術は旅商人や各国の珍品に目敏い貴族達によって、今では大陸中にマテリアル技術として浸透している。



 そんな最高技術があるカルデラ帝国は他国からも容易に攻め込まれる事は無いほどの軍事国家ともなっている。

 中央首都ではマテリアルによる大規模な戦闘兵器の開発、武装兵士の強化が行われ、近代となっては市民の利便性を求めた研究よりも国家軍事力、ただそれだけの為にマテリアル技術が惜しみなく使われているのだ。



 だが皮肉な事に、またそういった軍事力に囚われる国と言うものはすべからくその支配的な国政の犠牲になる者達をも生産しているのである。





「何!?馬は買い取れないだと」

「馬なんて一体何に使えってんだ、えぇ?ここは煙霧と鉄屑の街クロックだ。大体なんだお前らのその格好は?どうせ何処かの片田舎から出てきた異邦人だろうが。何にせよだ、この趣味の悪いアーティファクトだけでも引取ってもらえるだけ有り難いと思えや!こんなガラクタ持ち込まても一銭にもならねぇのが大人の世界だ小僧」



 ぼさぼさ頭の店主はリタを見下ろし、馬鹿にした様にそう嘲笑う。 

 と言うよりその店主の品定めはカウンターに並ぶ調度品よりむしろ、背後に立っている黒ドレスのミュゼと今はフードを取り去り、艶のある黒髪を靡かせたアンナに向けられているように思えた。



「いや、それはおかしい。これらの調度品に使われているものはそれぞれの部位での解体が十分に可能だ、しかも酸化による劣化も無い事からその純度の高さが伺える。ここでのマテリアル技術は高い、因みに後ろにあるそこの魔高炉は飾りじゃないんだろう?高精度比重濾過が可能な魔高炉だ。売る品に対して売却場所が悪いのは理解しているがどちらにせよその程度の額になるはずがない」



 リタはそんな店主の態度を見透かした、気にしていないか、それでもお前が間違っているとばかりに持論を展開する。

 店主もリタの言い分には一瞬目を丸くし、控える二人の女の事すら忘れて「ふざけるな!」と一喝した。

 

 だがどうやらその威嚇がリタに届くことは無い。

 リタにとってそもそも売値などはどうでもいい事であったのだ。



「まあ、とまで言いたい所だが俺にとってこれはただのゴミで荷物にしかならないからな、他の旧型マテリアル家財も一緒に廃棄してもらうという条件で引取ってくれ。ついでに換金代わりで銀鉄鋼のシミターとナイフを打ってくれ」


「何言ってんださっきからてめぇ!俺が嘘言っているってのか、ええ?んでシミターを打てだぁ?頭湧いてんのかこのガキ。田舎もんがあんまり│煙霧のここで出しゃばんねぇこったな……まぁ、このガラクタは処分しといてやるよ。おい!ミーフェルっ、とっとと片付けろ!!」



 店主は店奥で何やら汗まみれな獣耳の少女を怒鳴りつけ、カウンターに並んだミュゼの私物を片付けるように言う。


「は、あ、はい……」



 獣耳は獣人猫族に部類されるだろうか、耳は小さく少し尖っている。だがそんな耳はだらりと弱々しく垂れ下がり、胸だけは年の割に特徴的だがその身体は何処か弱々しく見えた。


 鉄錆色の首輪が妙に首に食い込み痛々しい。




「ちょおぉぉとリタぁ!!駄目よ、ダメダメ!私のお部屋の宝物をそんな二束三文のゴミ扱いしないでよ!いいわっ!こんな小汚い犬小屋にルーテシア王家の品定めなんかできるわけ無いのよ!」



 そんな中、苦労してカウンターに並べた売り品をミュゼは全て刺繍のされた布にくるみ直して抱きかかえていた。

 どうやら意地でも自分の資産を大金に換えたいようだが、リタからすれば色々含めただのお荷物に過ぎない。移動に邪魔になるので直ぐにでも処分したかった。



 だが店主がそんなミュゼを取り押さえようとしたのでリタは仕方なく一旦引き下がる事に決めた。


 ふとそんな中、店主の後ろに立つ猫耳の少女と一瞬目があった気がした。






 薄暗い裏路地にある油臭いプレハブ工房付き家屋の工房を後にする。 


 無理な国境超えによって壊れた荷車によって、馬と王女のお荷物が邪魔で仕方なく、リタは適当な所で処分してしまおうと考えたのだが。

 リタの売却は残念にもミュゼの意固地と守銭奴、自己中、低脳によって失敗に終わった。

 


「今悪口言った!?……って、お、もい。て、手伝ってよ!!」

「お前が大切にしたいと言ったんだろう。全力荷物持ちだ」


 

 前が見えない程の荷物を抱えるミュゼを、一瞥することもなく歩みをすすめるリタ。



「だがリタ、お前もあの査定には疑問を持ったろう?大体あの男はろくな人間じゃないのは明白だ。視線がしっかりと私達の身体を追っていたからな、男など下らない。今回はミュゼが正解だろう、他に何処か探せばいいさ……そんな事よりも、此処にはまだ、奴隷制度が残るんだな……」




 アンナは何処か沈痛な面持ちでそう呟く。


 恐らくはあの猫耳の獣人少女の事だろうとリタは理解した。

 奴隷制度とは随分と昔から絶対王政の国で蔓延る悪習だ。過去に出来た身分の差、そこから脈々と続く血族、種族間の差別。



 今ではそれも少ないと言うが、それでも貴族と平民と言った暗黙の格差や、人族とそれ以外とという種族差別の風習も完全に消えてはいないのが現状だった。



 このカルデラ帝国では、マテリアル技術の発見により国が急激に発展した為にこういった差別が再び労働者と使役者と言う形で顕著になったのだろう。



 リタは必死でよたよたと歩くミュゼの荷を奪い取り、趣味の悪い国璽の入った花瓶を渡した。


「え、あ、ありがと……って、なんでこれだけ持たせるのよ!」

「俺が奴隷を荷物持ち代わりに使役していると思われては敵わない。だが甘やかしても図に乗るからな」



 リタの言葉に一々反応し、背中を叩くミュゼ。

 アンナはそんな二人のやり取りを横目で眺め、何処か安心したように笑った。










 今日もただ油の火に塗れる。

 毎日毎日がそんな生き様。


 覚えている事などない。

 そう、何も。


 自分はこうしてただ思考を停止しながらその身が朽ちるまで生きるのだ。

 死ぬ勇気もない、弱き者の定め。


 彼のように、私はなれない。希望なんてものは――



「オラ、とっととこれで身体拭いてろ!ったくトロくせえな。お前に幾ら使ったと思ってんだ、それが病気みてぇにやせ細りやがって。大体てめぇがもっと客引きしねぇからいつまでもこの店が儲からねぇんじゃねえか?今日のは上客だったのによ……あと少しで全部巻き上げられたってのにあのクソガキ、覚えとけよ」



 店主は伸びたまま手入れのされてない髪をボリボリと掻きながら、徐に少女のボロ衣を掴む。



「……奥様に」

「あぁん?お前に心配――」



 少女のボロ衣をたくし上げ甩ようとした所で奥の部屋から「あんた、早く食べちゃっておくれよ!」とダミ声が響き、男は「ちっ」と舌打ちを一つしてその手を降ろした。




 ミーフェルがこの煙霧街のマテリアル工房で奴隷として働く事になったのはもう二年前になる。


 店主のダットは態度こそ悪いがその腕はカルデラ帝国貴族の騎士団にも得意先を持つ程であった。

 そんな貴族の口伝てで、まだ発展途上の獣人ミーフェルを金貨一枚と言う破格で手に入れたのはダットにとって儲けものだった。

 

 妻に溺愛された一人息子に汚れ仕事を手伝わせる訳にも行かないダットにとって、ミーフェルは小間使いに性欲の処理まで出来る最高の道具なのだ。



 二階から食卓の音と夫婦がいつものように罵り合う声が聞こえる。

 奴隷であるミーフェルがそんな団欒に入れるはずも無く、週に一度主人のダットが棚に補充するチーズを一人齧る。


 普段は使い古された布で被せているとは言え、高温多湿に放置され続けたチーズには幾つも青いコロニーが身体を蝕む毒のようにシミを作っていた。 



 ふと物音が聞こえミーフェルはビクッと反射的にチーズを隠す。


 だがそこにいたのはいつもミーフェルが何かを食べる度に嫌味を吐いてくるダットの妻の姿では無かった。



「きったねぇな。よくそんなもん食えんな」



 今年で丁度10歳になるダットの一人息子、ダーティハリであった。ダーティハリはニヤニヤと口角を上げながらミーフェルに近づくと、手に持つ黒パンを徐に見せつける。



「ほら、これやるよ」



 その言葉にミーフェルは僅か戸惑った。


 ここに来てからカビたチーズ以外には小さな豆か穀物の種位しか口にしていなかったからだ。

 工場から出る少し茶色い水がミーフェルの命綱と言ってもいい。

 そんなミーフェルにとって目の前に突如出されたパンは、まるで高級レストランの食べ物を見ているような気持ちにさせた。


 ミーフェルの手が自然とダーティハリの持つパンに吸い寄せられる。

 だが次の瞬間、サスペンダーを外して下ろされたダーティハリの股に挟まれた黒パンが目に映る。




「なぁ、俺にも楽しませてくれよ。そしたらパン食っていいよ」



 ミーフェルはあまりに唐突な目の前の光景に僅か恥ずかしくなり目を背ける。



「で、でも……ご主人が」

「内緒にしといてやるよ。父ちゃんにいつもやってもらってんだろ?俺知ってるんだぜ」



 ほら! とダーティハリは黒パンをミーフェルに押し当てる。


 まだ15歳にも関わらず獣人の特性で無駄に大きくなったミーフェルは胸は少年にとって魅力的だった。



「んん」



 ミーフェルはだが思う。

 言う通りにして勝手にパンを食べてしまったとして、それをもしダーティハリがご主人に告げ口したらどうなるかと。


 自分には他に行く宛もない。

 主人に痛い罰を受けるのも嫌だった。


 必死に小さな頭で考えたが獣人は元来頭が良くないと言われている。

 そんな自分に思いつく事は少なかった。



 ミーフェルは思考を停止させる事にした。

 少しの間だ、我慢すればいい。

 


 そう思った時だった。



 ――「ダッティ!どこいったんだい!?」



 二階から階段を降りる音と聞き慣れた声が響き、ダーティハリは慌てて服を直しながら工房を去っていった。



 油と硝煙の臭いが残る工房は一通りの作業が終わってもまだ蒸し暑い。



 ミーフェルは汗ばむ身体を手で拭い、気付けば落ちた黒パンを一口噛っていた。




 ふとパンに大きな雫が一滴落ちる。


 それが涙だと気づいた時には、もうそれを止めることが出来なかった。



 黒パンはとても塩っぱく感じた。

 今まで食べ物の味等無かったのに、何故こんな時だけと。



 それはパンの味なのか、汗か、涙の味なのか。


 そんな事を考えながら、ミーフェルは必死に嗚咽を抑え、ただ黒パンを貪った。


 

 



 


 

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