二章 ケモミミ奴隷と排煙の街

第16話 カルデラ帝国国境


 リタ一行は霧もまだ晴れぬ白む外界で最後のキャンプをしていた。


 最後と言うのは人類未踏の嘆きノ森を抜け、隣国カルデラ帝国手前の山岳地帯を目にしていたからだ。

 この山岳地帯と嘆きノ森はいわばカルデラ帝国とルーテシア国を互いに牽制する壁とも言える。


 ルーテシア国でも未だ嘆きノ森を抜けてその先をはっきりと詳細を語れるものはいない。

 それが果たして嘆きノ森に住む危険な魔獣の数々のせいか、はたまた鬼と呼ばれる赤き鬣を持つ熊の脅威かは分からない。


 万が一嘆きノ森を抜けたその先には恐るべき何かがあったとしてもそれは、辿り着いた者にしかわからないのだ。




 そんな嘆きノ森云々より、嘆きたいのはむしろリタなのであった。


 限りある時間の中、道すがらやむを得ず助ける事になってしまったルーテシア国の王……否、追女。

 それどころかルーテシア国の政権を取り戻す為、ルーテシア国の未来を救う為、王女が一人前の立派は知識人となるまでのお守りを押し付けられる羽目となってしまったのだから。





「§©〇▲ひ〇ばび!!」

「ばに○△□©〒!!」



「な、何なのよ!!何なのよもぅっ!!リタ!リタ!何言ってんのアイツら!てか誰よ!何で裸で槍持ってんのよ」


「まさか……嘆きノ森の先でカルデラ帝国の国境兵がいるとは。くっ、どうするリタ。まさかルーテシアで嘆きノ森から戻った者がいないというのはこいつ等のせいなんじゃ」




 山岳地帯の入り口を塞ぐように立つ上半身裸の男達。

 顔は赤と黒の塗料で文様が描かれた仮面で隠し、下は藁のような物で隠しただけの粗末な防具とも言えない出で立ちだ。


 見ればその男達の持つ直槍は赤黒く変色し、あたかも数多の生物をその手にかけてきたようにも見えた。


 


「くそっ!!」



 リタは苛立っていた。

 それは二人のお荷物を背負う事になったにも関わらず、その見返りが高々ルーテシア国爵位とリオ共和国への商業路開発の約束だけだったから。



 などと言う事ではない。


 



「焦るなリタ!まだ奴等が手練と判った訳じゃない。だが、くっ、背に腹は替えられない、一旦嘆きノ森に戻って経路を――」



 二人のお荷物。


 他国救済。


 辺境の危険な国境兵。



 だがそんな事はリタからすれば非常に些細。 



 リタの目的はそのカルデラ帝国より更に先、二つの切り立った山を持つ連峰その谷だ。


 通称銀竜の谷はどこの国にも属さない、孤立無援の神聖なる土地。

 そんな場所で妹の作る神々の剣の材料を調達する事、そしてついでに魔王を倒しておく事こそがリタの使命だ。



 そして事ここに置いては更にそんなことより問題があった。



 昨晩のコヨーテ蒸しのホロ肉と森で取れたハウレン草に山人参を加えて煮込んだスープだ。



 リタの脳内ではいつもの朝ご飯気分でここまで手際よく準備したつもりが、煮込み始めた所で気付いてしまった。



 ミルクがないことに。



「なんてことだ、これじゃただのコヨーテ汁だ」


「何を呑気に朝ご飯の支度してるぅぅっっ!!」

「何とは……ミュゼがクリームシチューを食べたいといったからだろう。それに国境手前で最後のキャンプをしておくべきだと言ったのはアンナだ。それには俺も賛成だったし、昨日の夜食の時点から既に朝食の準備は整っていた筈だった。日が昇った瞬間に全てが完成する手立て、いや献立だった」



 それがどうか。

 蓋を開けてみればクリームシチューに必要なバターは月光蝶用の蜜蝋がいい代用になるが、最も重要なのはクリーミー部分。



 それは、ミルクなのだ。



 リタは常に家にミルクを常備していた為、朝ごはんといえばミルク、ミルクと言えば朝ごはんの要領で妹のミサにも出していた。

 そう、ミルクはある事が前提になっていた。



 これはリタにとって断じてありえないミス、やってはならない重大過失だったのだ。

 クリームシチューと言えばミルク。

 ミルクと言えば常備。


 この発想が良くなかった。

 知識過多と悪習がリタの献立を狂わせた。



「俺は、所詮この程度なのか……こんな事では妹を超えるどころか魔王さえ倒せん。いや、魔王の部下にすら歯が立たないクソゴミ村人A、いや、Kだ」


「何を言ってるんだお前は!今この状況が分かってるのか!?目の前の国境兵は完全に戦闘態勢で今にも襲いかかって……見ろ!お前にクリームシチューを頼んだ張本人は既に敵の手に渡り、今にもパンツを下ろされようとして――ミュゼぇっ!?」


「やめっ、やめて!いゃ!リタ!や、わ、私が誰か分かってるの!?私はルーテシアの、いや!!いやぁぁぁ!!」




 ミュゼはいつの間に半裸の兵士に捕まり腕を押さえつけられていた。 

 男達はじっくりと舐め回すようにミュゼの尻を眺め、パティの村で折角着替えた黒と赤の卸したてドレスを捲りあげている最中だった。


 元暗殺者のアンナはその光景を目に留めると、ミュゼが今まで自分が殺そうとしていた対象であった事など嘘だったかのように二人の男達の元へと走り飛苦無を放っていた。



 だが男達はアンナの放った苦無に目敏く気付き、ミュゼのドレスからスパッと手を離すと瞬時に直槍でそれを打ち払う。



「馬鹿な!くっ」

「○□×ツק※」



 そのままアンナの短刀は男に触れさせることもなく、逆にその刃先を突きつけられ地面に伏せさせられていた。



「アンナ!!はっ、放して!離しなさ――あべし」



 刹那、ミュゼのドレスを引っ張っていた男の手が突如離される。

 その拍子にミュゼはこれで何度目かになる顔面土下座をする羽目となった。



 いつの間に背後に来ていたリタが、ミュゼを掴んでいた男の直槍をその手ごと木刀で打ち付け、念の為と槍の刃先を踏み砕いてから遠くに蹴り飛ばしていたのだ。

 その拍子でミュゼが顔面から地面に突っ込む事になったのだが、今は王女もただの少女。


 扱いはこんなものである。



 リタは続けてそのまま態勢を低く下段回し撃ちの要領で仮面男の両足腱を木刀で薙ぎ払う。念の為槍を持っていた腕とさらにその反対の鎖骨を叩く事も忘れない。



「リタ!!」

「!?」



 僅か数秒の騒動にだが、アンナに槍を突きつけていた男が異変に気付いて振り返る。

 直後その男の仮面にリタの木刀が飛び、もう一人の男もその場に昏倒した。



「お、お前……なんと言うか、容赦ないな」


「うっ、えぐ、リタぁー!怖かったよぉ……って!助けるならもうちょっと優しく助けなさいよ、馬鹿ぁ!」



 ミュゼはブロンドの髪をフリフリしながら余程恐ろしい目にあったのか顔をリタの胸に埋め擦り付けた。



「土が涙と鼻水に混合されて泥になっているから止めてくれ。しかし……一体何だこれは、これがカルデラ帝国の人間だというのか?だとしたら厄介だ、既に魔王の手に落ちているとしか思えん」


「あ、あぁ……。リタ、お前はこの先に用があるんだったな。お前が異次元的に強いからつい忘れていたが私もなかなかの手練の筈だ。そんな私が手も足も出ない程の担力とは。魔王とはいささか話が飛び過ぎだが一介の兵士でこれではとても入国など」



 アンナはあまりの戦力差に既に戦意を喪失しかけていた。このままカルデラ帝国に入るのは危険ではないかと。


 だがリタですらこの状況には焦りを禁じ得ない。



 本来防具を殆どつけないレベルの人間と言うのは、それなりの実力者でなければあり得ない。防具を身に着けないとはとどのつまり自分の実力に裏打ちされた自信の現れだ。


 サンブラフ村で普段から獣の狩りを暇潰しに行う自分達でさえ最低限の服や靴を履く。何も着ないというのは唯一村の元最強戦士ローグ老ぐらいのもので。


 にも関わらず先程までここに立っていた男達は何か。弱い、遅い、臭い、まるで力のない赤ん坊のようだった。


 こいつらは若干動く案山子か何かだろうかと。


 持っている槍も軽く踏んだら砕ける程度の劣悪品。

 国を守るどころかこれではただの変態仮面だ、あり得ない。狂気の沙汰だと。



 だが、だとすれば導かれる答えが一つだけあった。



「既に魔の気に障っているのか……」

「り、リタ」

「な……あれだけやられてまだ」



 見れば半裸の男達は必死でその身体を起こし、再起しようとしていたのだ。



「おきあがりこぼし!」




 見れば男達は仮面を外し、ある一点を凝視している。

 最早女子陣等まるで眼中にないかのように。


 苦しそうに、それでも必死に、動かぬ身体を必死で引き摺り何かを求めるその姿。

 リタはそんな様子を冷静に観察し、ある事に気付いた。




「繧ゅ@縺九@縺ヲ閻ケ縺梧ク帙▲縺ヲ繧九?」


「ッ日!?」

「縺昴≧縺ェ繧薙!」

「縺昴≧縺九?√◎縺薙?繧ケ繝シ繝励?鬟イ繧薙〒縺?>縺」


「縺ゅj!?縺後!」




「どうやら解決した」

「「ばかな!!」」





 一人の男はフラフラとしながらもリタが用意した失敗スープに食らいつく。

 もう一人の男はリタの連撃によって匍匐前進すらも辛そうだがそれでもスープを一口食べようと必死であった。


 リタはそんな男を見兼ね、いつもの丸薬を無理やり口にねじ込む。

 男は相当悶えたようだったが、やがてパタリとその場で力尽き、次の瞬間には元気にリタのスープに食らいついていた。




「そんなに腹が減っていたのか。あんなただのコヨーテ汁がうまいとは……やはりどこかの誰か王女のせいで時間を消耗した為にカルデラ帝国は既に魔の手に」



 リタは鬱屈とした表情で二人の国境兵を見る。



「誰か王女って私しかいないじゃん!」

「そうじゃないだろ!?私はお前らのツッコミ係か。とりあえずリタ、あいつらになんて言ったんだ」



 アンナは全ての疑問を逐一問い質しても仕方ないと、リタが他国語を話せる事は一先ず置いて翻訳をお願いする。


 

「朝食は……禁止だと言っている。と言う訳で先を急ごう」



「いや嘘つけ!!」

「ええ!お腹減ったよ、リタぁ、クリームシチューは!」


「だまらっしゃい」




 リタはぶーぶーとクレームを向けてくるお荷物達を一喝し、ミルクを忘れた事でクリームシチュー一つ作れない自分に苛立ちながら荷馬車を山岳地帯へと走らせていた。









 ルーテシアとカルデラ帝国を隔てる国境代わりの山岳地帯は、国境兵が守る程も無い位に人の姿はない。


 その上整備されてるとも言い難い道なき道を荷馬車で通るにはかなり無理があった。


 一馬力では自分の身すら登るのが辛い、荷車なんて全然無理と言いたげな馬に「一体どうなってるんだこの馬力は」と呆れながら、リタは後ろから荷車を押してやる。


 

 細く荒れた土砂利の道に嫌がる馬をゴリ押しで進ませ、気付けば急な下り坂となってあっという間に国境はその終わりを見せていた。



 眼下に広がるカルデラ帝国は、密集した工業街とも言うべきか。山岳頂上から見ると、薄暗い排煙で街の内部までは見通せない。


 辺りにはサンブラフやルーテシアの様な木々の一つも見当たらず、城塞の様な街がどこまでも続いている。


 

 近代的と言えばそうだが、リタはこの薄暗い街の空気をこれから吸うのかと思うと身体の健康が気に掛かった。



「あの谷が銀竜か、最短ルートで来たつもりなのに全く近づいているように思えん」



 都市から更に彼方で一際空気の違う連峰群。

 裾野には白い靄がかかり、その中心で二つの鋭鋒が屹立している。




「なぁ……さっきの仮面は本当にここの国境兵か?随分、その、文化が違うように見えるが」



 アンナは眼下の工業都市を見下ろしながら、先程の男たちを疑問に思っていた。

 そんなアンナの素朴な疑問に、リタは面倒くさそうな表情をしながら国境兵らしき男達との会話を伝えてやる。



「あぁ、さっきの奴らは国境兵風に見せて通行料だと言えば色々貰えると学んだらしい。あそこで数百年暮らしてるウフンバ族の生き残りだそうだ。森がいつの間にか大きくなってここ数十年は全く人が通らなくなったらしいが山の向こうは怖くて行けないと言っていた」


「そんなに沢山話した!?」



 会話の詳細を聞いたアンナから膨大な量のツッコミがあったが、その全て無視シカトした。




 リタは下り坂をちまちま降ろうとする馬を見兼ね、手綱を先立って引いて行く。

 荷馬車は瞬く間にスピードを上げてカルデラ帝国の地へと言葉通り転がり込んだのだった。

 



 

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