第18話 赤いバンダナ
煙霧の街は四六時中稼働している様々な工場の排煙によって、常に空が薄暗く汚れている。
それでも体内リズムのあるリタは変わらず、朝も明け切らぬ架橋下で素振りに勤しんでいた。
「心頭冷却月光の如しは常一瞬と自らを俯瞰し、一刀に信心を込め振り抜くが神の矢の如し……ぬ!!」
「ふぁ!?」
ふと、リタは一刀を振り抜こうとした所でその剣筋上に人の気配を感じ動きを止める。
ドサッと言う音の後、途切れ途切れに点灯を繰り返すオレンジのマテリアルの光に照らされた一人の少年をリタは視界に留めた。
茶色い髪を中央で分け赤いバンダナを巻いた少年は、尻餅をついたままリタの顔を見るなり怒鳴った。
「なっ!なんだよあぶねぇな、くそ。すげえ剣の達人かと期待したじゃねぇか、ただのガキかよ」
少年はリタの顔を見てそれが自分と変わらぬ年の頃だと分かると、いそいそと立ち上がり汚れた尻を叩きながら何癖をつけた。
「前々から餓鬼餓鬼と気になっていたんだが、そもそも俺は餓鬼だけではない」
「は、はぁ?」
「餓鬼と言うのは東国天津島原の孤島にて布教する教えの所の六道輪廻の一つだ。凡夫はこの中で天界に至れず五悪趣を繰り返す、それが地獄、餓鬼、畜生、修羅、人界……つまり凡夫でしかない俺は餓鬼だけでなく地獄餓鬼畜生修羅人とでも呼ぶべきだ」
「は、はぁぁぁ!?な、何言ってんだてめぇ、やべえ奴だ!!」
リタの突如始まった講釈に、マジでやべえやつに関わっちまったと気付いた少年は慌てて踵を返そうとする。
だがそれをリタは直ぐに呼び止めた。
「ふんっ!」
リタはそのまま何の気なしに木刀を横に一閃振り抜いた。
一瞬遅れて、剣線の波が波動となって少年の前髪を翻らせる。
「ひぃぃ、や、やめろよ、くそ!俺は何もしてねぇだろ!正義は俺にある、お前みたいな悪党にひれ伏してたまるかよ」
「素振りが途中だった。これで10万回」
少年は「ふざけんなこの馬鹿」と捨て台詞を吐きながら明け始める灰色の街に消えたのだった。
「うぁ、リタ。おはよう……」
素振りから戻った先では今しがた起きたミュゼが目を擦りながら腕を大きく伸ばす。
甘々だった王女は今となれば自然と朝早く起床し、食事も節約、石床で布一枚掛けて寝れるまでになっている。
立派な乞食の完成である。
「リタ、ちょっと食べてみてくれ。朝からちょっと嘆きの森近くまで行って山菜を採ってきた。種芋も採れたから朝から豪勢だぞ、隠し味は分かるか?」
「ふむ……」
普段は調理の殆どをリタが行っているが、数日前から少しずつアンナが料理法を知りたいと横でリタ独自の調理技術を盗みとっていた。
だが一人で食材調達から調理までしているのを見たのはこれが初見、リタは少しの危機感を感じながらもアンナの努力を認めようと、少し濁ったゴロゴロ野菜のスープを口にする。
種芋の食感はしっかりと残り腹に貯まりそうでよし。ただ、アク取りが甘い。
山菜は葉と茎に分けられ、上手く煮込み時間を変えてある。
その臭み消しに入れたであろう隠し味はジタの実を砕いて粉にしたのか、潰したときにだけ出るピリピリとした刺激が主張する。
母の愛、暖かな日差しと、匂う大地の健やかさが身体を迸――
「いかん、幻覚だ!」
リタは脳裏に広がる素晴らしき味の幻想を振り払い丸薬を一つ噛み砕いた。
まだ成長しきらぬ種芋には幻覚作用がある。芋選びには熟練の目利きが必要、アンナはまだそこには至っていないようだった。
「うむ……10点、良くできたな。丸薬をひと粒落として完成だ」
「ほ、本当か!?いきなり満点とは……そうか、私にも殺し以外の才能が。ま、まぁなんと言うかお前には詫びというか、借りもあるし、少しは返さないといけないしな……なんならこれからも作ってやらないこともないし」
「1000点中だが?」
「てめぇ!!」
そんな賑やかな乞食の朝食を取りながら、リタは何処かで見たことのある国璽入りの布を二人の前に置く。
中には小さな硬貨でも入っているのかジャラっと小気味いい音を立てる。
「え、何これ、お金!?」
「ここに金貨15枚と銀貨がざっと700枚ある。あまり実質の世間相場には疎いんだがこれで少しは良いものが食えるんじゃないか?二人ともあまり昆虫系を食べないからな、栄養の偏りは危険だ」
「な……そんな大金、どこで。お前まさか自分の貯金を」
「え?え!これってそんなに大金?これじゃあ私のお気に入りの花瓶の取っ手も作れないわよ」
開いた布にくすんだ色を放つ大量の銀貨と鮮やかな金貨に、ミュゼは疑問の顔だ。
お気に入りのルーテシア国章が入った花瓶を撫でながらブツブツと何かを言っている。
だがアンナの方はその価値が分かるのか、少し震える手で一枚の金貨を摘んだ。
「お前達……この金貨一枚でルーテシアなら10泊は宿に寝泊まりできるぞ。しかも二食付き」
「へっ!?」と言うミュゼの声にアンナは更に続けた。
「この街は工業地帯で労働者が多いせいか宿の相場もルーテシアの半分、リオ共和国の田舎町なら銀貨10枚もあれば寝泊まり食事付きだろう。銀貨1000枚で金貨一枚なのだから、つまりはこれ一枚で三月は余裕だ」
「ウソ!!それ遊んで暮らせるって事じゃないっ!?」
ミュゼの意味不明な言葉はスルーされたが、それでもアンナの言葉に二人は感動を隠しきれない。
「でリタ、そんなたいひん、ほこでへにいれたのほ?」
ミュゼがアンナの作った芋汁を木椀に掬って頬張りながらリタに問う。
「ん、ああ。ミュゼのいらん荷物を売っぱらっといたんだ。邪魔だからな」
「ぶーーー!!売ってんじゃないのよぉ!!」
◯
煙霧の街も気付けば夜の帷を下ろし、街には日勤を終えたのであろう油まみれの男達が笑いながらいつもの店へと足早に向かっている。反対にこれから交代で現場へ向かう者達の覇気は低い。
クロックの街中央に堂々と鎮座するもっとも大きなマテリアル溶鉱炉。
それに繋がる幾つもの高架橋を隔てて、この街では少し高めの宿場や酒処が存在した。
流石に貴族が視察に来て食事するなんて事も無いだろうが、それでも中流階級に位置する一般家庭位なら普通に入れるような所だ。
そして今朝まで乞食のような生活をしながら旅路をしていたリタ一行は、今日の夜を持ってその生活に終止符を打つこととなる。
「うま、うま、うまぁ!ひょみんのはべもののはるくないはね、んんっ!!」
「食いながら喋るな」
食事を喉に詰まらせたミュゼの背中にリタが一発お見舞する。「ゲホゲホ」と辺りに食べこぼしを撒き散らしながら、ミュゼは「皆も沢山食べて、私の奢りよ!オホホ」と声を上げていた。
「こんな急に使っては先が……何の為に今まで節約してきたんだ?と言うかリタ、お前はまたきれいに食べるな、てっきり森で狩りをしながら暮らす部族の出かとばかり」
見れば横の黒ドレスに見を包む元王女が食べこぼしを散らかす中、リタはナイフとフォークをくるっと動かしながら器用に魚の皮を剥いて丸めて食し、悠然とスープを嗜んでいる。
「食事のマナー位は最低限知っているだろ。と言うか店であろうが、誰かが狩りをしているからこうやって食べられる。普通なら調達から提供まで全て出来て当たり前だ」
リタの発言にぐうの音も出ないのはいつもの事である。アンナは横の馬鹿王女は放っておいて今日の寝床の予算決めに話をすり替える事にした。
「ひゃぁ!!」
「っお!!て、てめぇ何しやがんだ!?」
ふと店内に女のダミ声と、野太い男の怒声が響いた。
他の客に漏れなく、リタ達もふとそんな騒ぎの元に目をやる。
何処かの家族連れだろうか。
小太りで肌が少し爛れている男と同じく肥満体型の妻、育ちの良さそうなまだ年端もいかない少年達の円卓に並ぶ食事が床にひっくり返っていた。
床にはだが、何処かで見たような茶色いボロ衣を着た猫耳の少女が正座をしている。
「おっと、悪いな。デブの癖にせめえ椅子座ってるからだぜ、じゃあな!」
「ま、またテメェかぁぁ!!今度は容赦しねぇぞオラァ!」
頭に赤いバンダナを巻いた少年がどうやら卓を荒らした張本人のようだが、そんな悪態に小太りの男が更に怒り狂い自分の席の食事を全てぶちまけながら少年を追いかけている最中であった。
逃げるバンダナ少年はだが、追われるそんな最中背後を振り返ると、一度猫耳のを少女を一瞥し店から逃げ出した。
「何よ、治安の悪い街ね!ルーテシアじゃ考えられないわ」
「お前がどれだけ市民の生活を知っていると言うんだ馬鹿王女」
食卓を荒らされ、残った妻らしき女は店員に一頻り文句を言うと大層御立腹のまま息子を連れて店を出ようとしている。
床に散らばった食事を片付けながら、時たまその破片を口に運ぶ猫耳少女。
ふとこちらにいるリタと目があったが直ぐに逸らされ、少女は恥ずかしそうにまた一人やらなくてもいいであろう床掃除に専心していた。
「何やってんだい馬鹿猫!飼って欲しいならとっとと来な!」
息子の手に引く女にそう急かされ、猫耳の少女は小さく返事をするといそいそと店外へと出ていくのだった。
「なぁんか超ヴァイブス下がりけりよねぇ」
「碌な言葉を覚えんな」
「だが、まあ……気分は良くないな。久しぶりにまとまな食事も不味くなる」
リタ達は食事を終え、先程の店での出来事を思い返しながらまだ夜の活気も冷めやらない喧騒を抜け、薄暗い裏路地を歩く。
取りあえずの今日の宿はリタの意見とアンナの判断から出来る限り安い場所と言うことになった。
必然的に再びルーテシア王家荷車の残がいが放置される架橋下の工業地帯まで戻る。
オレンジ色のマテリアルがチカチカと点灯を繰り返し、排煙に汚れた地を映し出す。
血の臭い。
リタは鉄生臭いそれを敏感に感じ取って腰の木刀を自然と抜いていた。
「覇気は感じないが、気配を消しているのか……く、だとすれば手練――」
「ひぎゃぁぁ!!化物!!」
「馬鹿、待て!おい、大丈夫か!?」
見れば架橋下には血塗れで崩れ落ち、項垂れる子供の姿があった。
何かのモンスターと見間違えたミュゼは既にリタに抱きつき盾にしている。
アンナは真っ先にそこへ駆け寄り声を掛けていた。
体型から見るにそれは少年、頭に巻かれたバンダナは真紅に染まっているが、元からそんな色でもあったのだと次第に分かった。
それは店で例の卓を荒らした、あの赤バンダナ少年であった。
「……酷い有様だ」
リタがふとそう呟く。
「ああ、なんだか知らんがお前、何故あんな真似を」
アンナもこの少年が先程店で喧嘩を吹っかけた当人だと分かったのだろう、必死で声をかける。
するとやがて少年はゆっくりと、最早原型を留めない程腫れ上がった顔を上げ笑ったようだった。
「へ、へへ……豚、やろう、が」
「な、なに!?」
「私は豚じゃ無いわよ!」
「あれだけ食い物を撒き散らして食えば豚と紛う事もあるだろう」
リタはやれやれと言った顔で腰の巾着から丸薬を取り出し、少年の口と思しき場所に掌底でそれをぶち込んだ。
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