ヒヨリの人間わずらい
死神の世界に行っていろいろあった。少しは成長出来た・・うん、人として。と、自覚出来る程、壮絶な死神の世界での生活だった。紅・・・いや、師匠からもらった石の首飾りは俺の首に下がっている。俺にとって、大切なモノがまた一つ増えた。今までは、大切なものなんていらなかった。作りたくなかった。でも、今やもう手放せない物が多すぎる。これからだって増えるつもりだ。その為に、俺は、守る術を手に入れなければ駄目なんだ。俺も、守るために。
そして、おかしな事が一つ。どう考えても死神の世界で、五ヶ月程は生活している。なのに、今まさにこっちに帰ってきた日付は、夏休みの最後の日だ。亮が言うには、向こうとこっちで時間の流れる速さが違うらしい。そんな理由で片付けられるのか。すげーな、死神。しかし、今や自分もその仲間入りだ。俺は、正規の死神ではないが、同等の権力がもらえる、それは何者にも犯されない!これは、ファントムの説明だ。
「お前それ持ち歩くの?」
亮は俺が持っている刀を指した。
「んーどうしよ。さすがに普段からこんな物騒なもん持ち歩くのはどうかと思うけど、これ、ないと俺力使えないしなー。やっぱ、持ってた方がいい?」
「仕事来たら、わざわざ家に取りに帰ってもいーなら、置いとけば?」
「ヒヨリ。そういう意地悪言わない」
ヒヨリの俺に対する態度はもう慣れた。慣れれば、全然普通だ。むしろ、可愛いものだ。
「いつでも武器が必要な仕事じゃない。こっちの世界の仕事は比較的易しいのだから、蕪螺木の判断でいーよ」
「うーん、分かった」
死神の世界の出口もやはり学校の屋上だ。一番暑い時期が過ぎて、季節は次へと動き始めた。しかし未だ温かい快晴の風を感じながら屋上を降りた。
「ねえ、悠人?」
「ん?」
「これから何か食べに行こうよ!今日暑いし!冷たい物食べよう!あれがいい!アイス!」
「ヒヨリってそんな好きだったの?アイス」
「だって、冷たくておいしいじゃん。前、ネルが食べさせてくれた。人間はこの季節にアイスを食べるんでしょ?」
「そーだな」
「よし、決まりだな。今日が夏休み最後の日だし、せっかくだから遊ぼうぜ」
こんな風に何気なく遊ぶ約束が出来るようになるとは思わなかった。俺は、笑顔で頷いた。
俺は一度家に戻り、刀をベットに置いた。久しぶりに帰った家には何の変化もない。写真の両親は笑顔で真ん中に写っている俺も笑顔だ。行ってきます。と、親にあいさつをすると、二人と待ち合わせした場所まで急ぐ。少し暑いくらいの気温の中走ると、本当にフィールドを走っていた時の記憶が蘇る。足しかとりえがない。でも、走る事だけが楽しくてしょうがなかった。今の生活になっても、やっぱりまだフィールドを走りたいと思う事はよくある。事故で怪我した足はもう治っていると医者は言う。自信なんてないけど、以前と同じ走りは出来ないかもしれないけど、いつかまたあそこに立ちたい。あの緊張を感じたいと思う。俺にとって、陸上は・・走る事は全てだった。あの頃は。そのせいで、取りこぼして来た事もたくさんあった。これ以上は落とさない。そう言ったら、いつか、紅は笑って頭を叩いてくれた。
「遅いー!悠人」
すでに二人は待っていた。亮もヒヨリもちょっといつもと違う服装だ。
「ごめん、これでも走ったんだけど」
汗を拭いながら大きく息を吸った。夏は過ぎても走れば暑い。そして、俺達は露店にあるアイス屋に向かった。さすがに、夏休み最後だけの事はあって、街は人だかりだ。
「うかつだった・・・。そうか、夏休みは人がたくさんいるんだな・・」
ヒヨリが人ゴミにイライラしながら言った。この暑さも手伝っているのだろう。かたや、亮は器用に避けているが。
昼の太陽光が降り注ぐ下、俺達は列に並んだ。ヒヨリは暑くて喋る気もない。俺達の番が来て、それぞれ頼んだ。亮はバニラ。俺は、ストロベリー。あまり外で買い食いなどしなかったので、密かに俺は楽しみだった。ヒヨリは、全ての味を頼んでいた。ネルからお金をもらったらしくて、値段など気にせずだ。アイスをもらうと俺達は近くの噴水で食べる事にし歩き始めた。すでに食べながら。夏が終わると言っても、まだまだ暑い。汗をかきながら歩く。
そして、事件が起きたのは噴水の目の前だった。ヒヨリが一人噴水目指して走り出した。
「危ないぞ!」
その亮の声は無駄に終わった。案の定、ヒヨリは浮かれて前を見ず、人にぶつかって噴水の池に体ごと突っ込んだ。が、突っ込んだのは手に持っていたアイス達だけだった。ヒヨリ自身は、すんでの所で抱えられた。ヒヨリの視界には無惨に流されていくアイスだけ映った。
『あーあ』
俺と亮はヒヨリに駆け寄った。そして、ヒヨリを抱えていたのは一人の男だった。
「あの、大丈夫?桐生さん?」
その男がヒヨリに声をかけた。が、ヒヨリは詰め寄った。
「どうしてくれんの?あんたのせいでアイスが!」
ヒヨリは男の胸倉を掴んだ。
「ヒヨリ!お前のせいだぞ。彼は助けてくれたんだ」
「そ、そうだよ!お礼言った方がいいって」
ヒヨリはまだアイスが溶けていく様を眺めていた。そして、違う場所にヒヨリは辿り着いた。
「なんであたしの名前知ってんの?」
男はこともなげに笑顔だ。
「だって、桐生さん有名じゃん。俺は違うクラスだけど、同じ学校なんだ。ちなみに、彼は遊月君だろ?彼も有名。ごめん・・彼は知らないけど」
「へー同じ学校なんだ?」
知らない彼は俺の事。まあ、別に俺の事は知らなくて当然だけど。
「俺は、翔太。雪(ゆき)平(ひら) 翔(しょう)太(た)」
ヒヨリは未だに、翔太の方を見ずにアイスがあった場所を見つめている。
「あのさ、これからアイス買いに行くんだけど・・・良かったら俺が奢るよ?」
「!・・・・本当か!」
初めてヒヨリが翔太を見た。俺達はため息をついたが、何も言わずに二人を見送った。
「やっぱ、ヒヨリも亮も有名なんだな!何か忘れてたよ」
「何?気にしてんの?別に関係ないだろ。有名だろうと、俺に必要のない人間ばっかだし、俺はお前がいたらいい」
「・・・そーかい」
久しぶりに帝王の降臨だ。
「何だよ?蕪螺木・・前より反応薄くなったよな」
「やっと、慣れてきたんだよ」
「ええー?反応がいい方が良かったのに」
「お前が楽しいだけだろ」
「俺が楽しけりゃいいもん」
もう俺は何も言わない。黙ってアイスを食べ、ヒヨリの帰りを待った。
「翔太は今日は一人でアイス食べに来たのか?」
「ん?いや、アイス食べるつもりはなかったけど・・ちょっと用があって」
「ふーん」
聞いといて興味がないようだ。ヒヨリはアイスを買ってもらえると知ると、御機嫌だ。
「桐生さんは、三人でアイスを食べに?」
「そーだよ」
「仲良いんだね」
「仲イイっていうか・・うーん・・こうゆうの何て言うんだろ?よく分からないけど、あたしは、亮達以外の人間はいらないんだよね」
ヒヨリの顔は無表情だ。その顔からは何を考えているのかは読めなかった。そして、アイス屋につき、順調に買えた。
「ありがと!翔太」
「いや、俺こそ悪かったよ。あのさ・・桐生さん、良かったら俺と友達に・・なったり・・しない?」
「え?」
きょとんとしたヒヨリ。
「あの・・せっかくきっかけがあったから・・」
「んー友達になって何すんの?あたしは休みの日は亮といるし、翔太と友達になっても何していーか分からない」
「え・・あの」
「じゃーね。翔太」
ヒヨリはあっさり翔太に手を振り、アイスを食べながら背を向けて歩き出した。翔太もポカンとした顔でヒヨリの背を見つめた。
「さすが・・ガードが堅いんだな、桐生さん」
やれやれと頭を掻きながら諦めたように翔太も街に消えた。ヒヨリは歩く途中で視線を感じて、翔太の視線かと思い振り返ったが、そこにはもういなかった。
「?」
首を傾げながら、亮達のいる所まで戻った。そして、今あった出来事を二人に聞かせた。
「うわー。思いっきりあいつ玉砕だな。かわいそ」
「何?どゆ事?」
ヒヨリは意味が分からないと言う。男二人はそのやりとりで分かった。
「いや、いーよ。ヒヨリも自分で気付こうな」
「それにしても、彼が不憫だ。相手がヒヨリなのもどうかと思うけど」
「顔だけはいーから」
「とりあえず、手合わせておくか」
男二人はそんなやりとりをすると、翔太の消えた方向に手を合わせた。合掌。
そんな一日で、俺達は夏休み最後の日を終えた。明日からは、学校だ。
次の日、俺は刀の前に立っている。さて、どうしたものか。刀を学校まで持っていくのがどうしても躊躇われた。まあ、今日はいっか。散々悩んだ挙句の答え。
俺が学校に着くと、亮が教室にいた。静かに本を読んでいる。転校してきてからだいぶ経つのに今だに注目の的だ。広く浅くな上、来る者拒まず去る者追わず主義なので、周りの皆が会話した事あっても、踏み行った事がないのだ。それが、亮をミステリアスな美形にしていく。くそくらえだ。
「ヒヨリは?」
いつも亮の側にいるヒヨリがいない。
「サボりじゃない?」
「よくやるよ。俺サボれないもん」
「知ってる。蕪螺木って何があっても絶対授業出てから動くよなー」
「うるさい」
それからすぐ教師が入って来て授業が始まってしまったので、俺は特に気にしなかった。
「今日は天気いいなー」
ヒヨリは屋上のさらに上の所まで昇り、猫のように伸びた。少し寒いが冷たい気持ちいい風を吹いている。昼寝するにはもってこいだ。ヒヨリは寒いほうが好きなのだ。授業の屋上ほど静かなものはない。そして、ヒヨリは横になって目を閉じたが、何か音がする。ポンプの影に何かいる。それは聞いた事のある声。
「ニャー」
「猫!」
小さな猫はよろよろとヒヨリまで近づくと、喉を鳴らした。
「可愛いな。お前も一緒に寝るか?」
ヒヨリは自分の上に乗せた。そして、猫と共に目を閉じた。そして・・・その下では二人の男女がいる。
「ねえ、この前の返事考えてくれた?」
「だから、無理だって言ってるじゃん。雪平君、顔はいーけど、他の子のにも告白してるって聞いたよ?別にモテるんだし、あたしと付き合う必要なくない?」
「だって、今は君が好きなんだって!」
「はあ?何それ!すごい失礼なんだけど」
「ちょっと待ってよ」
「しつこい!」
パンッと鈍い音と共に屋上の扉が閉まった。男が一人屋上に残った。
「殴る事ないだろ・・いてっ」
大きくため息をついた。いつもこうだ。好きな女には振られる。それも、理由はいつも一緒。そんなに自分は軽いだろうか?全く自覚がない。女の子とは仲は良い方だけど、別に皆彼女ではない。結局、誰とも付き合ってはいない。
しばらく屋上でうな垂れていると、上から何かが落ちてきた。拾ったそれは、
「靴?」
誰かの靴が上から落ちてきた。更に上に続くはしごを掴んだ。ゆっくりと上に昇ると、誰かが寝ているのが見えた。そして、驚いて足を滑らせて落ちそうになった。思わず、悲鳴と共に必死ではしごを掴んだ。その悲鳴で、ヒヨリはビクッとなり、猫は驚いて物影に走った。ヒヨリも周りを見渡して悲鳴の理由を探した。辛うじてはしごを掴んだ手だけが、ヒヨリの位置から見えた。そのままはしごに近寄り下を見た。そこには、昨日の男がいる。
「あは・・あはは。こんにちは、桐生さん」
「えーと、昨日のアイス買ってくれた人・・名前・・?」
昨日の今日でさすがに名前を覚えていないのか・・。内心ショックだった。それだけ、自分の存在は薄くかったのだ。こんなに美人だったら、男からいい寄られた事は星の数なのだろうか。
「あっ!思い出した!翔太!・・・こんなとこで何してんの?」
パチンと指を鳴らすとヒヨリはひらめいたらしい。
「あの・・これ落ちてきたんだけど?」
「あれ?あたしの靴だ」
「そうみたいだね。桐生さんはこんなとこで何してるの?」
翔太はヒヨリのいる所までちゃんと昇りきるとヒヨリに靴を渡した。
「寝てた。猫も一緒だったんだけど・・あ、いた。おいでー」
ヒヨリが猫を見つけて呼ぶと猫も嬉しそうに走ってきた。
「こんなとこに猫いたんだ。ちっさいな~」
翔太が撫でようとすると猫は嫌がった。それを見て、ヒヨリは噴出してしまい翔太を怒らせた。
「そんなに笑う事ないだろ!俺は・・なぜか昔から動物には嫌われやすくて・・・いや・・・それは好きな女にもか・・」
嫌な事を同時にたくさん思い出した。
「クククッ・・ごめん!だって、意外だったから。翔太って動物に好かれそうに見えたから」
「そんな事ないよ。思えば、動物に好かれた記憶なんてないんだからさ」
ヒヨリはまだ小さく笑っている。翔太は目の前で笑うヒヨリを見つめた。やはり噂の転校生だけあって、笑う顔も輝いている。あまり他人といる所を見ない・・・友達は少ないらしい事は予想がつく。だからこそ、翔太は友達になるしかないと思った。多分、自分を恋愛対象として見てくれる事がないのは前のやり取りでもわかった。ならば、この子と友達になりたい。それだけでいいと思った。翔太にとって、今まで付き合った女の子とは違う何かをヒヨリに感じていた。
が・・・問題は友達にすらなってくれない事実だ。『友達になってくれ』という正攻法さえ通じないのだ。ならば、どうすれば友達になってくれるのか?友達になるだけで、なぜここまで悩まなければいけないのかと、翔太は不思議だった。とにかくは会話をして、次に繋げなくては。その時、ヒヨリが翔太の会話を遮るように大きくくしゃみをした。
「大丈夫?今日も寒いもんな。こんなとこで寝てたら、風邪ひくよ」
「風邪ひくのは嫌だな!前、悠人が引いた時は、あたしもびっくりしたし、心配したもん」
どういう事だろう。あれほど他人には興味がないかのような彼女が、前に一度噴水の前で会った男が、風邪を引いたときは心配をしたと言うのだ。急激に、その悠人と言う男のポジションが羨ましくなった。
「とりあえず、寒いし内入ろうか?」
ヒヨリは頷くと立ち上がり、猫に別れを告げた。翔太はそのヒヨリの姿にまた猫みたいだなと思った。先に翔太がはしごを降り、次にヒヨリが続いた。が、ヒヨリがまたもくしゃみをした時足を踏み外した。
「のぉぉぉ―――!」
「危ない!」
翔太は落ちてくるヒヨリを受け止めた。身長が高い方の翔太がヒヨリを受け止めると、逆に小さいヒヨリが納まってしまった。
「大丈夫?」
前もこうやってヒヨリが池に突っ込みそうだったのを助けた。その時は、胸倉を掴まれて逆ギレされたが。翔太は、ヒヨリを抱きかかえてしまった事に動揺して、離れた。
「落ちるなんて、失敗したー!亮に言ったらまた怒られそう・・。翔太!ありがとう、前もこうやって助けられたな。よしっ!貸し一だな。もし、翔太が困った事あれば、あたしがいつでも助けてやるから、遠慮なく言って」
なんだろう。この潔いお礼は。女の子だったら、ここは可愛くお礼を言う所では?まあ、第一回もそんな感じだったし、期待するだけ無駄というものか。翔太は苦笑いした。そして、二人は下まで降りるとヒヨリが亮と所へ行くといって、別れた。結局、翔太はヒヨリと友達になる事が出来なかった。
「いや、諦めない。喋れるようになったんだから、次はもっといけるはずだ」
決意も新たに翔太は教室に向かう。その途中で、何度も女の子に呼び止められ、遊ぶ約束をした。
そんな翔太とヒヨリの第二回目の出会いが終わってから、次に二人が出会うまでに、1週間が過ぎた。内心、翔太はドキドキだった。1週間は長いのだ。それは、翔太が放課後に玄関に向かった時だった。玄関にはヒヨリと亮と蕪螺木が、ちょうど帰ろうとしている所だった。そして、ヒヨリが下駄箱の扉を開けた時、三人の動きが止まった。翔太は首を傾げながら近づいた。
「き・・桐生さん!どうしたの?」
翔太はヒヨリの後ろから下駄箱を覗いた。そして、息を飲んだ。そこには、切り刻まれた靴だった。ヒヨリは事も無げに翔太を見上げた。そして見つめて何も言わない。見つめられて翔太は緊張した。やっと口を開いたかと思ったら、
「えーと、あんた・・・・翔太だ!」
ヒヨリが考えていたのは翔太の名前だった。一週間経てば忘れるという事だろうか?そして、後ろから亮と蕪螺木もヒヨリを覗いた。
「うわっ!ヒヨリ、どうしたの!これ」
少し考えてからヒヨリはさらに何もないかのように答える。
「さぁ?何これ?えーと、何だっけ?・・・・ねぇ、翔太?こういうの何ていうんだっけ?」
ヒヨリは翔太を見上げたままだ。こういうのって・・・靴が一人でに被れるわけがない。しかも、こんなボロボロに。これはあれしかない。
「これって・・イジメなんじゃ!」
翔太は息を呑むように、しかし、声は小さく言った。
「イジメ?」
蕪螺木は驚いた。だって、そうだろ?あの、ヒヨリがイジメられてるなんて。俺とは違うんだ。
「イジメって・・・女が女に嫌がらせしたりするやつ?」
「え?うん・・まぁ、そんな感じだけど・・」
「ヒヨリ、誰かに何かしたのか?」
「えー?特に思いつかないよー?だって、学校じゃ亮達とずっといるし。わざわざ他の人間と仲よくなろうなんて思わないし」
亮とヒヨリが淡々と喋るのが、不思議だ。二人ともどうって事ない様子だ。
「大丈夫か?ヒヨリ」
蕪螺木が心配そうな顔でヒヨリを見る。翔太はそれを見てはっとした。ヒヨリもこの蕪螺木が風邪を引いた時は心配したと言う。そして、蕪螺木と言う男もまたヒヨリが心配だ。もしや、この二人は良い感じなのでは?翔太は軽く蕪螺木を睨んだが、それどころではない。目の前の切り刻まれた靴をどうするかだ?
「別に平気だよ、これくらい。換えの靴は家にあるし」
「そういう問題じゃ・・」
「大丈夫だって。何、こっちじゃこれって大変な事なの?」
ヒヨリは蕪螺木の袖を引っ張る。
「ひ・・ヒヨリ!こっちとか言うなよ」
「とにかくまだイジメって決まったわけじゃないだろ?ほっとけば何とかなるだろ?」
亮が軽く言う。死神二人の考えは完全にズレている。むしろ、蕪螺木や翔太のように慌てふためく方が普通だ。蕪螺木にとったらあまり他人事のように感じないのだから。そして、翔太もまた自分の狙っている子がそんな状態なのだ。
「そうそう。靴がないなら裸足で帰ればいいじゃん」
そういうと切り刻まれた靴をゴミ箱にダイブさせるとその足で玄関を出た。周りは裸足で歩くヒヨリを何事かと見つめる。もちろん、裸足で帰るなんて普通じゃない。そして、ヒヨリ達の態度が普通過ぎる。亮とヒヨリは歩きだし、我に返った蕪螺木は二人後を追うように玄関を出た。翔太はそんなヒヨリの背中に声を掛けた。
「桐生さん!もし、何かあったら俺にも言ってよ!力になるからさー」
「うん・・・でも、平気だから、大丈夫―」
軽く交わされてしまった。雪平翔太、これで三回目の失敗だった。
次の日、多くの人の間で、ヒヨリの裸足騒動は噂された。実際に見た者も多く、至るところで噂が廻っているようだ。理由も様々な尾ひれがついている。当の本人は平気そうだが。そして、さらに騒動は起こった。朝、亮達と別れ、自分の教室に行ったら、ヒヨリの机には無数の落書きや傷があって、到底使える机ではなかった。ヒヨリは机を見つめたまま何も言わずに教室を出た。そして、いつものように亮達の教室へ来た。机の事を話すと驚いたのは俺だけだった。
「昨日に続き、一体いきなりどうしたんだよ」
「別にいいけど。どうせサボるつもりだったしね~」
ケラケラとヒヨリは笑う。
「お前、何でそんな普通なの?」
「え?だって、イジメのどこがつらいのか分からないもん。人間はこんなんがつらいんだな。弱い上に、精神が弱いとか。ダメダメじゃん。悠人もこんな事されてたの?」
「いや、俺はここまであからさまではないよ。俺の場合は、存在してなかったっていうほうが正しいし」
自分の事をこんな簡単に話せるなんて思わなかった。俺がそんな存在だった事が恐ろしく昔のように感じられた。
「そういえば、昨日のとか噂になってるぞ」
「ああ、裸足で帰ったやつ?あたし、あんまり目立ちたくないのになー。どうして、ほっといてくれないんだろ。今だに変な男はいっぱい来るし」
「あ!そういえば、あの人と仲よくなったの?」
「あの人って?」
「前、噴水の前で会った人だよ。昨日もなんかヒヨリの心配してくれてたし」
「あ!翔太ね。別に仲よくはないよ。ちょっとこの前喋っただけだし。落ちた所を助けてもらったくらい」
「そうなんだ?仲良くなったらいいのに。俺はお前に人間と親しくなって欲しいんだけどな」
保護者役なのだろうか、亮はヒヨリに頭を叩く。ヒヨリはそれに口を尖らせる。
「なんで?人間と仲よくなってどうするの?それに、仲イイってよく分からない。友達って何するの?」
俺は答えられない質問だったので、黙っていた。そんな風に結局は、イジメの話は流された。が、しかし、それで事は終わらなかった。体育だけは好きなヒヨリはしっかり授業に出て教室に帰ってきたら、机の上に置いておいた制服がごっそりと無くなっていたらしい。そこで、度重なる小さな嫌がらせのツケが爆発した。
「もう何なの!うぜ―――――っ!物ばっかり無くなるし。さすがにうざいんだけど!物盗ってくくらいなら、じかに来いっての!イライラするな。直接来る度胸もないくせに、やる事がちっさいのよ!」
半そで、短パンのヒヨリが移動教室帰りの亮と俺の前に立ちはだかり叫んだ。さすがにこれは見過ごせなくなってきた。とりあえずヒヨリには、亮が体操服を貸し、大きい体操服を着たヒヨリがまたしても噂の的だった。ヒヨリはイライラしたまま誰とも会いたくなくて、屋上に逃げた。空は暗く、今にも雨が降りそうな色だ。屋上よりもさらに上の塔まで昇り、横になった。亮から借りた体操服はいつもの制服姿より暖かくて寒空の下でもイケるなとか、考えてしまった。ポンプの後ろから猫がヒヨリに近づいた。ただ側にいるだけの猫だっただが、ヒヨリにとってそれは何よりも心地よかった。そして、眼を閉じ、夢を見た。
あの日もちょうど外では雨が降っていて、死神の城の中はいつもより一層ジメジメした雰囲気だった。ヒヨリにはまだ班がなくて、仕事について日が浅くて心細かった。知り合いはもちろんいたが、どこにいても一人なような気がした。実際、自分が死神達に好かれていない事は知っていた。だけど、一人は嫌だと思っていた。あの時まで。雨と共に激しくなる雷、対照的に静かすぎる城内。たまたま通りかかった部屋。聞こえた声。途中、大きな雷の音にかき消された言葉。何も信じられなくなった夜。雨に打たれる事が、自分がここに存在している事を教えてくれた。
そして、ゆっくり眼を開けるとやはり曇天だ。なぜ今更こんな事を思い出したのだろう。空が、あの時と似ているからだろうか。それとも、今の自分の状況からだろうか。そして、顔に水滴が当った。
「雨・・・」
とうとう降りだした。戻らなきゃと思い、はしごを降りた。急に降り出した雨ははしごを降りた時にはすでにヒヨリを濡らしていた。
「あの時と同じだなー」
ヒヨリは濡れる事もお構いなく空を見上げて、突っ立っていた。空を見上げ雨を受けた。今は、あの時とは違う。ここにいる事だって、こんな事しなくても分かっている。でも、なぜかその場を動けない。ひらすら雨を受け続けた。その時だった。勢いよく扉が開いてそこにいたのは翔太だった。
「桐生さん!何してるの!・・・!」
翔太が見た先には、空を見上げ、濡れ続けるヒヨリ。翔太は言葉を無くした。自分が知っているヒヨリとはまるで別人のようだった。雨に濡れ、不思議なほど奇麗だ。しかし、顔はいつものヒヨリからは想像出来ないくらい泣きそうだ。雨が降っていて分からない。
「翔太。雨を感じてたの」
その声はいつものヒヨリだ。顔だって、すぐいつものヒヨリに戻っていた。翔太とヒヨリは保健室に行き、濡れたヒヨリは翔太の体操服を借りた。
「ごめん、翔太。体操服借りて。また、貸しが増えちゃったよ」
「それぐらい全然いーよ。それより・・大丈夫なの?今度は制服盗られたって聞いたから」
「平気だよ。でも、物が無くなっていくのは困るよね。わざわざまた買えってのもね~」
「俺が言ってるのはそういう事じゃなくて」
「大丈夫だって。これくらい。いまいち、イジメって何なのかよく分からないけど、あたしはもっと辛い事知ってるから。だから、他の事は全部平気。それに今は亮達もいてくれる」
「ねえ・・・俺も桐生さんの事心配していいかな?桐生さんにとって、俺がいるから、平気ってなるような存在になりたいんだ」
「前からよく言ってるよね、友達になりたいって。翔太とはよく喋るし、いっぱい貸しも作っちゃったしいーよ。けど、あたしはこれからも変わらない」
「うん、今まで通りでいいんだ。だけど、何かあったら俺にも教えて。力になるから」
「ありがと」
ヒヨリはいつもの笑顔を見せると保健室を後にした。翔太はヒヨリの出て行った保健室にいた。前までは、本当に興味を引く対象でしかないし、噂の転校生だから気になっていた。けど、違う。やっと友達になれた。けど、やっぱり俺はあの子を好きになりたい。触れたい、守りたい。そう思う。他の子とは違う。今更ながら、友達じゃ我慢出来ないかもしれない。
「あの子が・・・好きだ」
翔太は外を見て、雨に打たれていたヒヨリを思い出していた。
「ヒヨリ!良かった。探してたんだ。どこにもいないから心配したんだよ」
俺はヒヨリに駆け寄った。亮も隣にいた。
「どうした?何かあったのか?」
亮はヒヨリの体操服が変わっているのに気がついた。
「何もないよ。屋上にいたら雨に濡れちゃって。・・・・ねえ、あたし、この犯人捕まえていいかな?さすがに、迷惑だしさ」
「ああ、亮と俺もその話してたんだ」
「その話俺も混ぜてよ」
ヒヨリの後ろから翔太の声だ。ヒヨリがさっきに友達になった!と、言う。それを聞いた俺達は、いろんな思いを抱えたまま一緒にヒヨリへの嫌がらせの犯人を見つける事にした。
「俺が思うに、手口的にも女子の犯行だと思うんだよね。やることがチマチマしてるし、本人じゃなくて、物がなくなるのは女子がやりそうな嫌がらせだろ?」
「そうなのか?」
亮が尋ねる。俺も、
「さあ?」
としか答えられない。翔太は横で苦笑いだが、話を進めた。
「俺ももう少し周りの女の子に話聞いてみるよ」
俺達四人は解散した。特に暗い様子もないヒヨリは亮にじゃれた。それを遠くで翔太が見ているのを知ったのはしばらく四人で過ごした頃だった。そして、犯人はやり方を変えたのだろうか、ヒヨリは倉庫に閉じ込められていた。
「はぁー。またやられた。前みたいに物じゃなくて、直接来るようになっただけまだマシかな」
ドアを軽く引いてみてもびくともしない。が、ヒヨリにとったら扉を壊すなんて朝飯前で。こちらの方がヒヨリ的にも対処しやすいのでありがたい。
「いいよね?ドア壊して。いつまでもここにいるわけにもいかないし」
そして、ヒヨリはドアに手をかけた。次の瞬間だった。ヒヨリではない力で、思い切り扉が開いた。
「亮?」
ヒヨリが小さく呟いたが、違った。
「桐生さん!・・無事?」
「・・・翔太」
「学校中探したんだけど、いなかったから・・また何かあったのかと思って・・。良かった、何もなくて」
汗だくで必死に探してくれたのだろう。肩で息をしている翔太がほっと息を吐き、ヒヨリに笑顔を向けた。ヒヨリは何だか・・・『亮』と呟いた事に罪悪感を感じた。なぜ、そんな気持ちなったのかは分からなかったし、翔太も全く気にしてないようなので、ヒヨリももう何も考えなかった。
「ヒヨリ・・またやられたのか。何か、最近やる事が過激になってきたな」
俺達は放課後三人で会議を開いた。翔太は今回は参加せずだ。というか、話がうまく出来ないので、省いたと言うほうが正しいが。
「でも、閉じ込められるくらいだったら、あたし扉壊せるし、全然大丈夫だよ?」
「ダメだろ。扉壊したら誰がその修理代払うと思ってんだ!」
「そこかよっ」
「逃げればばれないって!」
「そういう問題じゃないから!」
一回一回突っ込むのも慣れてきた。翔太はヒヨリが死神なんて勿論知らない。人間の翔太にとってはこの話し合いは想像出来ないだろう。て、俺も人間で、想像は出来ないはずなんだが。慣れって恐ろしい。
「嫌がらせには関係ないんだけど、ヒヨリって翔太とどうなの?」
「何が?どうなのって?」
ヒヨリがきょとんとしている。
「俺は、ヒヨリが人間と友達になるなんて思わなかったからさ。それに、なんだかんだ言って仲いいだろ?」
「確かに!俺もヒヨリが他の人と喋るところなんて、彼以外見ないかも」
「別に何もないけど?別に会えば喋るけど、あたしから絡んだ事なんてないし。他の人間と翔太は変わらないよ。あたしは友達なんて欲しいと思ってないし」
「でも、この前だって閉じ込められた時助けてもらったじゃん」
「あれは、助けてもらわなくても、自分で抜けれたよ!」
ヒヨリは俺の言葉に被せるように言う。なんだか意地になってるようだった。
「まあ、別に何でもいいけど。翔太にカワイそうな事するなよ?いろいろ助けてもらってるなら、尚更さ」
「別に何もしてないよ。分かんないよ!あたし友達とかわかんない!」
そう言うとヒヨリは教室を出てしまった。
「実際、どうなってるんだろうねー?ここ数日いろいろやったけど、犯人らしき人は見つからないし、ヒヨリへの嫌がらせはなくならないし」
「人間ってのは、どうして嫌がらせしたりするんだ?」
亮が素朴に聞いてくる。俺もそれに必死に答えようと努めた。
「んーやっぱ、犯人が女の子なら、ヒヨリに嫉妬とかかな?ヒヨリってなんだかんだ言って、目立つだろ?それが、面白くないんじゃないのかな?」
「なんで、面白くないんだ?ヒヨリが人間と違う事がばれてるのか?」
「いや・・そういう意味じゃなくて、何て言うのかな・・。人間は外見とかをすごい重視したりするから、他人が自分より秀でたりすると嫌なんだろうね」
「ああ、そういう事か。そういうのは俺達の世界も人間の世界も変わらないんだな」
亮が自分の事を言ってるのが分かった。俺は何も言えないでいると、亮から笑う。
「別に俺は気にしてないよ。今はまずヒヨリの問題だ。最近あいつイライラしてるしそろそろ限界かもな」
「そうだな。早く終わらせたほうがいいね。・・・あのさ、俺、翔太にも何か関係してる気がするんだよな。偶然かもしれないけど、翔太に会ってから嫌がらせが始まったし、まさか、翔太が犯人とは思わないけど・・・タイミングはいいんだよな」
「へー。蕪螺木もたまにいいとこつくな」
「・・喧嘩売ってんの?」
「褒めてんの。・・確かにたまに翔太がヒヨリを見てるのは気付いてたけど。人間の感情は難しいよな」
「俺さ、亮がそうやって人間と死神を区別するの嫌なんだけど!」
「蕪螺木?」
「確かに!全然違うけど!全く別の世界の住人だって分かってるけど、死神だって、人間だって同じに傷ついたり、逆に通じたり出来ると思う!亮も、ヒヨリもちゃんと分かってるくせに、そうやって距離を置こうとするのはなんで?亮が『人間』て言うたび、俺とお前は違うんだって言われてるようで、すごい嫌だ。俺は、人間とか死神とか関係ないと思う!お前は、距離を置かれるほうの気持ち分かるのか!」
「・・・ごめん」
亮が素直に謝ってきたので、びっくりしたが、前から溜まってた事が言えて、俺としてはすっきりだ。こうやって、時間を掛けてでも少しずつ、俺は言いたい事を言えたらいいと思う。歩み寄るのに時間が必要なのは分かっているから。そして、この時、教室の外にヒヨリがいるなんて気付かなかった。
「あたしは・・人間じゃないんだ・・。わからないよ、人間の感情なんて。もうあたしに踏み込んで来ないで!」
ヒヨリは壁によりかかって頭を押さえた・・・・。
俺達三人は朝の玄関の下駄箱の前でまたいつもの光景を見た。
「何か、そろそろ慣れてきたわ、これ」
ヒヨリは空っぽの下駄箱を眺めながら言った。そして、自分の鞄から靴を出した。そして、何事もなかったかのように教室に向かう。俺と亮は何も言わずにヒヨリの後について行く。教室に向かう途中、翔太がクラスの女の子達と楽しそうに喋っている。翔太はこっちに気付いていないのだろう。女の子達は翔太に腕を絡めて笑う。ヒヨリは何も言わずにその場を通り過ぎた。が、急に立ち止まり履いていた靴を脱いで俺に胸に押し当てた。
「持ってて!」
そう言うとヒヨリは踵を返して翔太に向かって行った。翔太はまだ気付かずヒヨリに背を向けている。そして、ヒヨリは思いきり翔太の腕を取った。
「翔太!おはよう。あたし・・今日もやられたんだ!」
翔太は驚いて焦っている。周りの女の子達は、突然何よ!とざわついている。ヒヨリは裸足の脚を翔太に見せた。
「桐生さん!大丈夫?あの・・」
「大丈夫じゃない。翔太、お昼空いてる?ご飯食べよ」
「え?・・ああ、うん、わかった。じゃ、教室に行くよ」
「うん、待ってる。じゃあね」
ヒヨリはぱっと翔太の腕を離すと裸足のまま教室へ向かった。俺達二人はぽかんとしたが、ヒヨリの後を追った。一体何が起きたんだろう?ヒヨリがあんな行動すると思わなかった。一足先に教室に着いて、と、言っても俺達のクラスの亮の席に着いているのだが、ヒヨリが頭を抱えていた。
「どうしたんだ?」
亮がヒヨリに言う。ヒヨリは大きくため息をついて、ゆっくりと口をひらいた。
「わかんない・・・あたし、何したんだろう?なんであんな事」
「俺も驚いたよ。翔太の事あんな気にしてたっけ?」
「違う!別に翔太が気になってたわけじゃない。何か・・・ちょっとイラッときただけ」
「何に?」
「・・・わかんないっ!」
ヒヨリは大きな声を上げた。と、同時に大きな音が廊下から聞こえていた。そして、生徒達の悲鳴が聞こえた。俺達は何事かと廊下に出た。廊下の窓が割られていた。割った生徒はもうそこにはいなかったらしいが、辺りは騒然としていて、ガラスが散らばっている。
「これも・・ヒヨリへの嫌がらせと関係があったりして?」
俺は小さく言ったが、ヒヨリも亮も何も言わなかった。窓ガラス事件は結局、犯人はわからなかった。ヒヨリはまたしても屋上に逃げてしまった。が、いつもの事なので、何も言わない。俺と亮は自習となった授業で、ざわついた教室で喋っていた。
「俺さー。今日のヒヨリとか、翔太を見てて思ったんだけど、翔太の周りにいる子達じゃないのかな?犯人。俺もよく知らないけど、翔太ってもてるんじゃない?それで、ヒヨリといるのが、許せない!みたいな?」
「なるほどなー。確かに翔太はよく女の子といるらしいな。女の子の間でもランキング上位らしいし」
「ランキングって何だよ?」
「何かあるらしいぞ?誰がかっこいいとか。まあ、俺が一位らしいけどな~」
「ああ、そう。・・・・それで、翔太もそのランキングっての入ってるのか。やっぱ、女の嫉妬かなー?窓ガラス割るくらいだし。怖いな」
「俺はさ。何か違うような気がするんだよな。よく分からないけど。女の子に攻撃するの嫌だしな。もうヒヨリに任せようぜ?翔太が何とかしてくるだろ」
「翔太と言えば、今朝のヒヨリには驚いたよな!なんだかんだ言って、ヒヨリは結構翔太の事好きなんじゃない?」
「ちょっと心配ではあるよな」
「何で?亮は過保護だなー。別にヒヨリが翔太の事好きでもいいじゃん」
「そういう事じゃないよ。別に駄目じゃないさ。けど・・・ヒヨリはまだ許せてないから・・・」
「・・亮?」
俺は亮がどこか遠くを見てるのに気付いた。が、それ以上何も言えなかった。まだ知らない事はたくさんあるから。それから、お昼になる直前にヒヨリが戻ってきた。
「翔太とお昼食べるし、二人も一緒に食べよう」
いつになく自信なげにヒヨリは言う。
「え?いいけど。ヒヨリは、二人じゃなくていいの?」
俺は気を利かせるつもりで言ったが、逆に地雷だったようだ。
「なんで?いつも三人で食べてたじゃん。あたしは、二人にもいて欲しいんだもん」
「わかったから。あんま怒るなよ。最近のヒヨリは良くないぞ」
「・・・亮、あたしどうしちゃったんだろう?自分でも何してるか分からない。嫌だ・・こっちの世界に慣れすぎて、おかしくなってるんだよ。もう人間と一緒にいたくない」
ヒヨリは亮に抱きついた。そんな場面は俺としてはいつも見てるが学校の連中は駄目だった。ヒヨリと亮の抱擁事件は一気に広まった。俺たちは翔太とお昼を食べたが、翔太も避けられている事に気づいたのだろう。自分からヒヨリに寄ってくる事はなくなった。しかし、ヒヨリへの嫌がらせは止むことなくヒヨリのイライラは日々溜まっていった。
どうやら・・・嫌われてしまったらしい。そう思えるほど、ヒヨリの自分に対する態度の変化がわかった。以前は、笑いかけてくれたのに、今は姿が見えただけでどこかへ行ってしまう。まあ、たぶん遊月亮のところだろうが。
あの日、ヒヨリに出会ってから、好きになって、毎日会いたくて・・・でも、どこか踏み込めなくて。どんなに他の子と仲よくても満足出来なかった。でも、今みたいな態度は初めてだ。たぶん・・・もう近づいては駄目なんだ。もともと違う世界に住んでいるような存在だった。この気持ちを伝える事さえ許されないんだ。
そんな事は友達に話したら・・・
「ポエマーか」
笑われた。本当にその通りだ。笑ってしまう。最初から無理だったのだ。せめて、嫌がらせの犯人を捕まえてあげたい。そう思う事すら、未練だろうか?
翔太とヒヨリが全く話さなくなって一週間がたった。ヒヨリはストレスからか、暴れる日々が多くなった。ヒヨリの周りには敵しかいないような素振りだった。ヒヨリが笑わなくなった。俺はそう思った。口では平気だと言うが、たまにどこか遠くを見ている。そして、二人の歯車はズレた―――。
久しぶりに寝坊して遅れて学校へ着いた。授業中のため、静かだ。途中ヒヨリの教室の前を通った。全く音がしない。体育なのだろう。体育だけはヒヨリは出るのだ。そんな事を思い出して笑う。と、中から音がする。翔太は怪しく思いゆっくりとドアをあけた。確かに音がしたのに誰もいない。しかし、ひとつだけ明らかに荒らされている荷物がある。近づくとヒヨリのらしかった。やはり誰かいたのだ。そう思った時、ドアがあいて誰かが教室から出て行った。
「!おいっ、待て」
翔太は声を上げたが遅かった。男か女かは分からない。だが、人影が見えた。ヒヨリに嫌がらせをしているのはあいつだ。荒らされたヒヨリの荷物を見つめる。そして、もう一度教室のドアが開いた。翔太ははっとなって振り返ったそこには、ヒヨリが立っていた。
「・・桐生さ・・」
「翔太なんだ?ずっとこういうのしてたの」
「え?」
「なんで、あたしのカバンあいてるの?」
ヒヨリの声は冷たい。顔からは感情が分からない。
「違う!今、違う奴が荒らしてたんだよ!」
翔太はまさか自分が犯人の方になるとは思わなかった。
「本当だ」
「いいよ、翔太と友達やめる。もう喋らないし、会わない。もともと無理だったんだ」
いつか翔太も思った。無理だったのだろうか?
「友達が言う話を・・俺が、違うって言ってるのに信じてくれないのか?」
「あたしは、一度だって信じた事ない。翔太だけじゃない。人間なんか嫌いだ。自分以外は、皆、裏切るんだ。知ってたのに」
「ああ!・・そうかよ。なんでそんな暗い考えになるのか知らないけど、俺ももういーわ」
翔太の中でも何かが弾けた。
「俺が、友達になりたいと惹かれたのは今のあんたじゃない。そんなんだとな!いつか一緒にいる奴らにも絶対嫌われるよ」
ヒヨリは何も言い返してこなかった。最後どんな表情をしていたのかは分からない。しかし・・・・言い過ぎた。そして、ショックでもあった。自分としては、友達のつもりでいた。信頼もされてると思ってた。なのに、信じてもらえなかった。しょせん、その程度だったのだろうか。
ヒヨリは亮達を探した。俺たちは屋上にいた。力なく屋上の扉が開いてそこにはヒヨリが立っていた。何も言わないヒヨリはただ立っている。
「どうした?また何かあったのか?」
俺はヒヨリの手を引いた。ヒヨリはそのまま亮の胸に落ちた。そして、小さく声を出した。
「翔太だったよ・・」
「・・何が?」
「嫌がらせの犯人。翔太だったよ。あたしが教室帰ったら、翔太が荷物荒らしてた」
「本当に?何かの間違いじゃないの?」
俺は信じられなかった。だって、翔太はヒヨリが好きなんだ。それは見たら分かる。好きな相手になぜそんな事を?普段の翔太を見ててもそんな風には見えなかった。好きな相手を傷つける?何のために?翔太はそんな人じゃないんじゃないのか?
いろいろ言ってやりたかったが、言葉が出ない。亮もヒヨリに何も言わない。それでも、ヒヨリは亮を掴み続けた。
「もう決めたんだ!あたし、翔太とはもう会わない。もう何されても大丈夫だよ。気にしない」
ヒヨリはもごもごと言う。俺は、一瞬・・・泣いているかと思ったが、さすがにそれはなかった。まさか、ヒヨリが泣くはずがない。ヒヨリは強いんだ。そして、俺はやはり信じられない。翔太が犯人だなんて。今、ヒヨリにしてやれる事なんて俺にはなくて。でも、俺がへこんでる場合じゃないんだ!俺は、亮にヒヨリを任せるとその場を離れた。
とにかく、翔太に話を聞かないと。薄々、翔太が俺を好きじゃない事は気づいていたが、そんな事言ってる場合でもない。半ば強引に聞いてやる。
「どこだっ!翔太―!」
学校中を声を出して走った。そして、見つけたのは中庭だ。翔太は一人ベンチの上で寝ている。
「見つけたぞ!この野郎っ!」
俺は寝ている翔太の上から覗き込んだ。そして、想像以上に翔太の顔もひどかった。
「なんだよっ。お前かよ。何の用だよ」
「どういう事か説明しろ!ヒヨリは犯人はお前だって言ったぞ!本当なのか?」
「・・・ふ、桐生さんが、そう言うならそうなんじゃない?」
翔太は小さく笑う。俺は顔を顰めた。周りには誰もいなくて、冷たい風だけが二人に吹く。
「俺は・・お前の口から聞きたいんだ!」
「どの言葉が真実だろうと、桐生さんが信じてくれないならそれで終わりだ。それに、今更どうでもいい」
翔太は言い放つ。俺は拳を握った。
「何だよ、それ。翔太はヒヨリの事が好きなんじゃないのか!」
「だったら、何?蕪螺木にとったら俺はライバルだろ?ライバルが減っていいじゃねえか!それとも、ライバルとも見られてなかったか?」
「は?お前何言ってんだよ!俺はヒヨリの事、お前と同じようには思ってない!ヒヨリは俺にとって大切だから、何かしてやりたい!でも、それはお前と同じ感情じゃない!俺はあいつにいつものヒヨリでいて欲しいだけだ!」
俺は翔太の胸倉を掴んだ。翔太は一瞬驚いたが、怯みもせずに返してきた。
「・・俺だって!俺だって、桐生さんに笑っていて欲しかった!俺が笑顔にしてあげたかった!でも、彼女が俺を信じられないと言ったんだ!」
翔太は俺の胸倉を掴んだ。しばらく俺たちは睨みあった。そして、分かった事がある。やっぱりまだ翔太はヒヨリが好きだ。こんなに必死に俺を睨んでいる。
「はあ?それで、いじけてるわけかよ?ヒヨリに何か言われたくらいで凹むなんてまだまだ甘いな!」
「・・そうやって、お前はいつだって桐生さんの事分かったつもりで話すところが嫌いなんだ!」
「はー!上等!今のお前だったら、俺のほうがヒヨリに好かれてる自信あるぜ」
「何だとっ!俺だって、最初はうまくいってた・・・はずなんだ」
そこで翔太の声が小さくなった。そして、また沈黙だ。
「・・・ああ、知ってるよ。ヒヨリはいつだってお前の話をするんだから」
「なんで、こんな事になったんだろ。俺は桐生さんが分からなくなったよ。俺には、何も話してくれないんだ」
翔太は掴んでいた手を離した。
「ヒヨリはな!俺だっていまいちまだつかめないほど変な奴なんだ!ひどい事言う時もあれば、なんか急に優しくなったりする気持ち悪い奴なんだ!それでも、ヒヨリはヒヨリなんだ!」
俺はぶちまけた。翔太はあっけに取られて俺を見つめている。
「・・・え?それ、褒めてんの?」
「いや、わかんない!・・・・けど、ヒヨリはいつもそんなんだけど・・お前はさ、そんなヒヨリが好きなんだろ?俺もそうだからさ」
目の前の翔太は、肩を落としてその場に座り込んだ。
「そんな事言ったってもう遅いだろ。俺、完全に嫌われただろうし?」
「ああ、うん。ヒヨリに何言ったかは知らないけど、フォロー出来ないくらいには嫌われたな」
「・・・あ?やっぱり?」
俺達はいつの間にか冷静に会話していた。ヒヨリを語る翔太は穏やかな顔だ。
「もう、いいんだ。お前にいろいろ言われてこれで吹っ切れたわ」
「え?いいのか?まだ伝えてないんだろ?」
「いいんだよ、もう。俺に出来る事はない」
俺は、しばらく考えてから翔太の肩を掴んだ。
「いーや!ある!まだやる事はあるぞ!犯人がお前じゃないなら、他にいるんだろ?なら・・・探すしかないだろ?」
俺は笑顔を翔太に向けた。翔太はため息をつくと小さくそうだなっと呟いた。
「と、言ったものの、俺には犯人の心当たりがまるでないんだよな~」
うーんと悩んでいると、翔太は口を開く。
「あっ、俺が犯人に間違えられた時、俺以外にもあの教室に誰かいたんだ!そいつが犯人だ!」
「まじか!それでどんな奴だった?」
「そこまでは見てない」
「使えない奴だなー」
俺は冷たい眼を翔太に向ける。なんだか急に翔太と親しくなれた気がする。翔太は必死に記憶を思い出すように空を見上げている。そして、急に声を上げた。
「あっっっ!あいつ、さっきの奴だ!」
俺は翔太のほうを向くと、まだ空を見上げたままだ。どこだ?とばかりに俺も空を見上げて、翔太の視線ですぐわかった。ヒヨリの教室の前に明らかに挙動不審な人物が見える。ここからでは、性別は判別出来ない。が、絶対犯人だ。俺達の心は一つだった。
『あの野郎ッ!』
二人一斉にその場を駆け出してヒヨリの教室に向かった――――。
「なあ?ヒヨリ。俺は、お前が人間を嫌いな事について別に文句は言わない。俺達はさ、やっぱり死神で蕪螺木達とは違う世界に生きてるから。あいつらが俺達を理解出来ないのは仕方ない事だろ。何怒ってるんだよ」
屋上に残された亮はヒヨリを抱いたままだった。ヒヨリはあれから何も言わずに亮に蹲っている。ヒヨリは何も言わない。亮はかまわず続けた。
「俺はずっと信じられる奴なんていないと思ってた。でも、したらさ、あいつが怒るんだよ。死神も人間も一緒だって。違う所なんてちょっとしかないんだって。一緒に傷つけるし、悲しめるんだってさ。俺は人間の事はよく分からない。けど、あいつがそう言うならそうなんだろうなとは思う」
「・・・・あたしは、死神だ。人間とは違う」
ヒヨリが腕の中で小さく答える。そして、亮は下で起こっている出来事を見ていた。ちょうど二人が中庭からものすごい勢いで駆け出して行く。そして、亮は笑う。
「ああ、お前は死神だよ、俺もだ。人間ではないな。でも、そんな事気にしてない奴がお前のために走ってるよ。好きになれないなら、好きになんてならなくていい。でもさ、少しだけ信じてやったら?」
やはり、ヒヨリは何も言わなかった。そして、亮も何も言わず、二人の行動を上から見ている。
「とにかく、今はあの野郎を探す事だな!」
俺は上に続く階段を上りながら翔太に話しかける。と、いうか翔太が遅い。もう、翔太を置いて軽くジャンプすれば三階まですぐ届くのに。まあ、そんな事人間には出来ないだろうが。普通に走ってもやはり俺より翔太は遅い。俺より少し後ろを必死で階段を登る。
「下から見た様子じゃ、あっちは俺達には気づいてないし、一気に追い詰めるしかないな!」
荒い息を吐きながら言う。俺は頷くと、走り続けた。そして、二人がちょうど目的の階に着き、角を曲がった時、目的の人物を見つけた。俺達は声が出なかった。あれだけいろんな推測をして、犯人は女の子だとばかり思っていたが・・・体は確実にメタボリックで、額には変な脂汗をかいている。無駄に息遣いの荒いその両手には、ヒヨリの荷物だと思われるものが抱かれている。そして、男だ。まるで見たことのない男。
「え?誰?」
俺が質問すると男は一瞬びくっとなって、逃げ出した。
「ちょっ!待てー!」
メタボリックな男を追いかける。その途中、男がガラスを割る。辺りは悲鳴で充満した。俺達はそれでも止まらず男を追いかける。そして、逃げ込んだ部屋は家庭科室。
「おらっ!追い詰めたぞ!お前か!ヒヨリに嫌がらせしてたのは!」
翔太がメタボリックな体に詰め寄る。俺は、心のどこかで翔太に手柄を譲ってやったつもりでいた。
「嫌がらせなんかじゃない。僕ちんは、ヒヨリちゃんが大好きだから、ヒヨリちゃんの物は何でも持ってたかったんだ。僕ちんの家にはヒヨリちゃんの匂いでいっぱいだよ」
「・・え?気持ち悪っ。お前、もしかしてストーカー??」
俺はまさかの展開に驚いた。全く推測していなかった方面の答えだ。
「ストーカーなんかじゃない!お前らが、ヒヨリちゃんの周りをうろちょろするから、邪魔だったんだ。ヒヨリちゃんは僕ちんの物なのに。へへ、お前のおかげで僕ちんだってばれなくて良かったよ。それで、お前はヒヨリちゃんに嫌われたんだろ?へへ」
男は翔太にむかって嫌な笑顔を向ける。
「ふざけんなっ!お前のせいでこっちは・・・」
「まあまあ、翔太。落ち着け。それで?今までの事、全部お前がやったのか?」
「・・そうだよー?最初はさ、ヒヨリちゃんの物で我慢してたんだけど、変な奴が回りに出てきたから、追い払ってやろうと思って・・ガラスまで割っちゃった。でも、ヒヨリちゃんがそんな奴らに構うからヒヨリちゃんにもお仕置きしたんだ。えへえへ」
「・・・ふざけんなよ?そんなお前の勝手なストーカー行為で俺は!」
翔太が男に殴りかかった。俺は止めるのが間に合わなかった。翔太が男に殴ろうとした瞬間、男は後ろから包丁を取り出して、翔太に突き立てた。
「翔太!」
俺は間一髪で翔太の背中を引っ張ったが、間に合いきれなかった。包丁は翔太の腕をかすめ、深く刻んでいた。
「大丈夫か?お前っ!」
「ひいっ!お前らが悪いんだ!ヒヨリちゃんは僕ちんの物なのに!」
男は包丁を振り回している。そして、その時だった。ものすごい音で家庭科室の扉が吹っ飛んだ。
『えっ?』
「誰が・・誰の物だって?」
「ヒヨリ!」
俺は扉を蹴倒したヒヨリを見つめた。そして、ヒヨリの後ろには亮が苦笑いで立っている。ヒヨリは何も言わずにメタボな男に近づく。男はさっきよりも脂汗をかいている。
「ひ・・ヒヨリちゃん!やっと僕ちんに気づいてくれたんだね!あの日ヒヨリちゃんを見てから僕ちんは」
「あ?あんた誰よ?こんなブタ見たことない!」
言い切った。いくらなんでも、ブタって・・。恐ろしい子。ブタ・・メタボ男は震えている。そして、何かブツブツ言っている。
「変だな。ヒヨリちゃんはそんな事言う子じゃないでしょ。あ?もしかして、照れてるんだね?可愛いなーヒヨリちゃん」
どうやったらそこまで勘違い出来るんだ。これだから、ストーカーは怖い。そして、それ以上にヒヨリが怖いが。
「さっきから、黙って聞いてれば、本当に・・」
いや、ヒヨリは黙って聞いてはなかったぞ?
ヒヨリは男に近づいて、トドメの一言。
「キモチワルインダヨ・・・・ブタ」
耳元でそう囁くと、男は突然発狂して、ヒヨリに向かって包丁をつき立てた。
「うわああぁぁぁぁん!」 「桐生さんっ!」
翔太は大声を出して、ヒヨリの元へ駆けつけようとしたが無理だった。そして、当の本人は、顔色一つ変えず・・・
自分に向かってくる包丁が自分に刺さる前に、男の腕をいなして包丁を蹴り上げた。ほんの一瞬の出来事だった。包丁は宙を舞い、近くにあったまな板に刺さり、揺れている。そして・・・・
「人間風情があたしに刃を向けるとはいい度胸だ。殺されたいの?」
ヒヨリはメタボな男を足蹴にすると、上から言い放つ。足の下で男は恐怖からか震えている。まるで見たことのないような顔でヒヨリは言葉を放つ。俺でさえも、息を呑んだ。そして、亮が静かにヒヨリの肩を叩く。
「もういいだろ?ヒヨリ。お前も・・今後こいつの前には現れるなよ?まだ死にたくないだろ?」
にっこりと男に笑顔を向ける。なんとも空気の読めない笑顔だったが、それが逆に俺は怖かった。男は、叫びながら家庭科室を無様にも出て行く。そして、家庭科室に残された三人はしばらく沈黙が続いた。誰も言葉は発する雰囲気ではなかった。俺はどうにか沈黙を破りたかったが、出来そうにない。とにかく、翔太の腕の怪我を止血するために近くにあったタオルを腕に巻いていた。ヒヨリは何も言わずにそれを見つめている。止血が終わった俺を見ると、亮が小さく手招きしている。
え?どういう事?俺は言われるがままに何も言わずに、亮のところまで行くと、亮は教室を出るように促してきた。俺は頷き二人で教室を出た。そして、教室のドアを静かに閉めた。とたん、亮はすかさずドアの前にしゃがみ込んだ。
「え?立ち去るんじゃないの?」
俺は小さな声で囁く。
「いや、やっぱちょっと気になるし、見とこうと思って・・」
「立派な野次馬精神だな」
「親心だ!」
亮は得意そうに言う。そして、二人して隙間から中を伺う。未だに、どちらも口を開いていない。沈黙は破ったのは、翔太だ。
「桐生さん・・あの・・」
「翔太!その・・腕大丈夫?」
翔太に被せるようにヒヨリも言う。
「え?ああ、これくらいかすり傷だから。もう血も止まってるし」
それでも、翔太の腕に巻かれているタオルには血がたくさん滲んでいる。ヒヨリはそれを見て俯いて拳を握った。
「あたしのせいだね、その傷。許してもらえないと思うけど・・・あたしが全部悪かった!本当に・・」
ああ、久しぶりにこんなに彼女と喋っているのに、目の前の彼女は全く笑わない。俯いていて顔さえ見えない。
「俺は、信じてもらえなくて、桐生さんに無理だったって言われて・・・すげーショックでさ。やっぱ、蕪螺木達には勝てないんだって思ったよ」
「違うっ!そうじゃない!翔太が悠人達に負けてるとか、勝つとか、よくわからないけど・・あたしは、自分が分からなくて、無理だって逃げた・・。それが一番楽だと思ってたから。でも結局、翔太はあたしのせいで傷ついて・・・」
「別にこれは俺のせいだから。むしろ助けられてるしなー」
翔太は苦笑いだ。俺達は二人の微かな会話をもしっかりと聞いていた。
「あたしはバカだから・・もう今までには絶対に戻れない。それだけはどうしようもない。ごめん」
「ちょっ!ヒヨ・・」
ドアの隙間から見ていた俺はうっかり飛び出しそうになったが、それを亮に止められ、口を塞がれた。かろうじてその拘束から抜けると俺は亮を睨んだ。そして、小さく声を出した。
「何でだよっ!」
亮は首を振るだけだった。俺はまた小さく何でだよっと言うと、胸が痛かった。
そうか、やっぱりもう戻れないんだ。そんな気はしていた。一度もこっちを見てくれない桐生さん。嫌われてるとかじゃない、だけど、もう無理なんだと言われてる気がした。ならば、自分に出来る事はなんだろう?やはりここは男として、自ら引くのが正解だよな。翔太はそんな事を頭の中で巡らした。
「俺は、桐生さんに嫌われたくなくて、遠慮してたのかもしれないな~俺のほうが桐生さんより重かったのは知ってたしな。はは、ごめんな」
「・・・それは違うよ。あたしは知らないんだ。全部全部知らないんだよ。嬉しかったり、悲しかったりしたら、どうやって相手に伝えていいのか分からない。翔太に会うのが好きだった。借りもたくさん作った。まだ返してないよね。ごめん、返せそうにないや」
「なあ、俺達って友達だった?」
「うん」
「俺は、桐生さんと友達になれてよかったよ」
「うん、あたしも友達でいれて良かった」
「なら!・・・」
その後には言葉が続けられなかった。何を言っても彼女が動く気がしなかったから。そして、また大きく沈黙が起きた。ヒヨリは大きく息を吐くと顔を上げて翔太を見た。その表情はあまりにも無表情だった。そして、怖いくらいにまっすぐに翔太を見ていた。
「もう行くね。本当にごめん」
このまま・・・このまま何も言わないつもりでいた。そして、あの扉から彼女が出ていった後、凹むんだ。いつだってそうだ。て・・・こんなとこでかっこつけてる場合じゃない。かっこ悪くたっていいんだ。十分かっこ悪い所なんて彼女には見せてる。なら、思ってる事言わなくてどーする!
「待って!俺まだ桐生さんに言ってない事があるんだ!最後にどうしても言いたい事があるんだ!」
背中を向けて歩き出すヒヨリはびくっとなって止まった。が、振り向かない。
「何?」
「・・・俺、あんたの笑顔が好きで、初めて会った時から好きで、今だってずっと好きなんだ!」
翔太はヒヨリの背に向かって言った。ヒヨリはそれでもこちらを向かない。
「返事は?」
翔太はヒヨリを見つめる。
「あたしは・・・無理。人間の事、翔太の事、嫌い」
振り向いたヒヨリは笑顔だった。翔太が好きな笑顔だった。そして、ヒヨリは別れを告げるとまた背を向け扉を開けて出た。
最後に笑顔がこんな形で見れると思わなかった。嫌いだと言われたのに、笑顔が見れて嬉しい自分がいた。
「もう末期だよな」
大きくため息をつくと翔太は上を向いて怪我していないほうの腕で顔を覆った。
扉を開けたそこには・・俺達がいる。
「あ・・」
扉の両端にしゃがんでいた俺達をヒヨリは見下ろす。そして・・・
ヒヨリの頬からは一筋の涙が流れた。
「ヒヨリ!」
「!っっ―!!」
ヒヨリはそのまま走って行ってしまった。亮と俺はヒヨリを追うために立ち上がった。亮はすでに走り出していた。俺は、教室の中の翔太を見たが、今、俺に出来る事は何もない。翔太を気にしながらもヒヨリを追った。俺は追いながら亮に言う。
「わかんねぇよ!なんで、二人であんな会話してんだよ。なんで元に戻れないんだよ。おかしいよ!あんな会話。なんであいつら二人共つらそうなんだよ!」
「ヒヨリだって分かってるよ、それくらい。でも、あいつは翔太と関わらない事を決めたんだ。俺達が何か言う事は出来ない。俺達が出来る事はあいつの話を聞いてやる事ぐらいなんだよ」
「おかしいよ」
俺が小さく呟いた。同時に亮も何か呟いていた。
「蕪螺木・・・お前はいい奴だな。俺は、お前のようにはなれないよ」
そして、ヒヨリを見つけた。やはりと言うべきか屋上だった。
『ヒヨリ』
ヒヨリは屋上に突っ立っていた。こちらを向いたヒヨリは泣いてはいなかった。確実にさっきは涙を流したのだ。
「いいんだ、ヒヨリ。お前は間違ってないよ」
亮が言うのを尻目に俺は何も言えなかった。そして、俯くとヒヨリは大声で泣き出した。
「うわぁぁぁぁぁん!」 「ヒヨリ・・」
「あたしは、バカだからあんな事しか言えない。翔太があたしのせいで傷ついてるのに、心配の仕方も分からない。あたしは・・あたしは人間なんて嫌いなのに・・翔太と会えて嬉しかった。友達になれて嬉しかったのに、それも伝えられてない」
まるで子供のように大泣きするヒヨリをただ見ているしか出来なかった。まさかこんな風に泣くとは思わなかった。亮はヒヨリに近づくと抱いてやった。
「翔太に言われて気づいた。あたしは、やっぱり人間は嫌いだ・・でも、翔太は・・・好きだった。亮や悠人とは違う。違う好きだったよ」
「うん」
「あたしは卑怯なんだ。全部笑顔でごまかして、それしか出来なくて・・でも、目の前で泣くなんて出来ない。そんな資格ないのに」
「うん」
泣き声の中に微かに言葉をつむぐ。それを亮はずっと頷き続けた。ヒヨリはそれからずっと泣き続けた。自分を責めるように、謝るように。そして、そのままヒヨリは泣きつかれて眠ってしまった。それを亮は連れて帰った。俺は、一緒には帰らずに、翔太を探した。
「よお。大丈夫か?」
俺が翔太を見つけたのは保健室だった。
「・・ああ。怪我は大した事ないしな」
俺は黙って隣に座った。そして沈黙。
「・・何だよ?何か言いたい事あるなら言えよ」
翔太が急かす。俺は大きく息を吸って深呼吸した。そして、ゆっくり口を開く。
「お前、これでいいのか?」
翔太はきょとんとしてこちらを見ている。
「何だよ!その顔」
「いや、別に。お前っていい奴だったんだな」
翔太がくすくす笑う。なんでこんな平気そうなのだ。俺は膨れると翔太は謝った。
「悪い悪い。いや、もういいんだ。諦めてるわけじゃなくてさ。最後に笑顔見れたし、これ以上行くのは男としてナシだしな。それに、嫌いって言われたんだぞ?」
「それはっ!」
「うん、分かってるよ。違うんだろ?でも、彼女が嫌いって言ったからそれでいいんだ。それに、俺も気持ち伝えられたし。まあ、たいがい俺ってフラれるキャラだからさ。それに、まだ実感ないんだよな・・もう駄目だって分かってるのに」
「おかしいよ、そんなん。俺はさ、知ってるんだ。目の前に大事な人がいるのに、もう関わることのない悲しさ。理解してるつもりでも、そんな簡単に受け入れられるはずないんだ!」
「簡単じゃないよ。これからたぶん、いっぱい悲しくなる事あるんだろうね。でも、それでも決めた事だから、俺は意地でもそれを貫くよ。それが桐生さんに出来る友達として出来る事だ」
翔太は笑う。もう俺が何か言う事はない。俺なんかより、翔太は断然強かった。俺が揺らいでたら駄目だ。俺は保健室を出た。その時後ろから翔太が、
「ありがとう」
俺は、また胸が痛くなった。俺は何もしてない。礼を言われる事なんて何も。俺は、振り返らずに手を挙げただけだった。
家に向かう途中、いろんなことを考えた。なぜ二人は戻れなかったのか。ヒヨリが死神で、翔太が人間だからだろうか?それが問題なら、いつか俺もあいつらと離れる日が絶対来るのだろうか。こんな結末誰も望んでないのに。何も出来なかった自分に腹が立った。
人間も死神も大して変わらない。それは俺が死神の世界に行って学んだ事と言ってもいい。けれど、その違いを見せ付けられるのはまた後の話。結局、俺は何もわかってなかったし、甘かったんだと思う。
死神運送 夜泉子 @yomiko07
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