死神とワルツを

俺が目を開けた目の前には、亮の寝顔だ。まだ焦点が定まらないが、思いの外近かった亮の寝顔をまじまじと見つめながら、やはり整った顔だと思った。そして今となっては、ファントムにも顔がとても似ている。顔が奇麗だといろいろ得するんだろうなー、神様は不公平だよな、まぁ、この世界にそんなものいるのかさえ怪しいが。死神がいるんだから、もちろんそんなありえない存在がいてもいいような気がする。そう思えるようなった自分が成長したように感じる。

そして、俺が我に返ったのは、ひとしきり無駄な思考を終えた後だ。俺達を覗き込むようにして、プラチナが上を浮遊している。

「ぎゃっ」

「まだ亮が寝ておるんだから、静かにせんか!」

「へぇ?」

声のするほうには、優雅にお茶を飲む、あの紅という女だった。そして、その隣には、何故だかそわそわしたファントムだ。

「よ、よぉ!悠人。何かいろいろ悪かったな。変な所ばかり見せて。だが、これからは大丈夫!ノープロブレム!俺は、あいつから逃げない!そうだ!父としての威厳を!」

まるで自分に言い聞かせているかのような言い方。なんだかその姿がとても笑えた。亮が起きるのを恐る恐ると待っている。それをよそに亮は未だに寝ている。図太いというか何と言うか。

「すいません、俺寝てたんですね」

「いや、気にするな。久しぶりに寝てる亮も見れたからな」

と、ファントムが小さく笑う。そんなファントムの笑顔に見とれていると、後ろから声がした。

「気持ち悪い事言うのやめてくれない?」

「・・・亮!」

寝起きが悪いのは前から知っていたが、今回は特に仏頂面だ。大きく欠伸をしながらソファに座りなおした。やはり、ファントムと亮の間には微妙な空気が流れる。が、ヒヨリが構わず言葉を続けた。

「でも、亮がこんなに無防備で寝てるなんて珍しいよね?」

その言葉に悪気はないのだろう。ものすごい笑顔だ。亮はきまりが悪そうに頭をかく。俺はどう反応していいものか内心ドキドキしていた。しかし、亮は観念したのだろうか、小さく呟いた。

「・・・親父、何か用があるんじゃないのか?早く言ってよ」

『っ!!』

みんな驚いて亮を見つめた。ファントムも口をパクパクさせている。亮は顔を逸らして、俺からは表情が見えない。けど・・多分想像通りの顔をしている。それだけで俺は声出して笑いそうになった。が、堪えてファントムを見つめた。

俺まで嬉しくなった。ファントムも何かを言いかけてやめた。なんだか、空気が張り詰めたが、それはすぐになくなった。ファントムは亮に近づき、優しく頭を撫でた。髪の毛をぐしゃぐしゃにされて、亮はファントムを見上げた。両方とも、まだ昔のようには戻れない・・・けれど、二人の時間がまた動き出したのは、はっきりとわかった。苦笑いに近い、その笑顔を俺は忘れない。


「あのな、すごい本題に立ち返ると、お前が死神界に来たのは、仕事を手伝う手続きの為だったんだが、見て分かるように、死神ってな、やっぱり闘う力が必要なわけよ、仕事上。人間のお前を最前線に派遣するような事はないだろうが、最低限の戦力は欲しいんだよね」

ファントムが書類に目を通しながら言う。俺もそんな当所の目的はうっかり忘れていた。よく考えてみればそのためにここへ来た。亮と喧嘩するためではない。ファントムはあくまで亮の方をみない。未だに照れくさいのか、恥ずかしいのか、理由はそこらへんだろうけど。『戦力』と言われてもいまいちピンと来ないし、何の反応も出来ずにいた。見かねたのか・・・ヒヨリが目の前に立つと何もないはずの手の中に大きな鎌を出した。驚いて俺はイスから落ちた。これぞ、死神か?大広間で見たようなありきたりで絵に書いたような死神のイメージの鎌だが、でかいっ!

それに赤と黒で色がついており、一言で表すなら、

「・・・邪悪」

俺はつい心の声を出していた。ヒヨリは少し眉間に皺を寄せたが、誇らしげに鎌をもたげる。

「これがあたしの力で、武器だ。死神の力のうち、鎌を持ってる奴は多いけど、そこらへんの死神の鎌より性能いいんだぞ」

「ヒヨリは、鎌の一流の使い手だから。亮と引き分けた事もあるくらいだ」

「マジで?」

この『マジで』は亮がそんなに強いのかって事だ。素性だけなら、ファントムの息子だし、顔カッコいいし、優等生ってぽいよな・・・とか一人納得していた。

「あん時のヒヨリは怖かった」

亮がボソッと言う。その時、ファントムが一瞬ビクッとしたのを俺は見た。

「とにかく、また話がずれたが、悠人にもそんな力を持って欲しいんだ」

「俺にも、手から鎌を出せと?」

自分の両手を見つめた。が、それをファントムに笑いを飛ばされた。俺としては、至って真剣なのだが。

「うん、それは無理」

「じゃ、どうすれば?」

「答えは簡単。まずは、身体能力はずば抜けて高いし、軽く鍛えたらそれなりに使えそうにはなると思うんだけどな」

ファントムが意気揚々に言う。俺にとっては、そんな評価は何の役にも立たない、なぜならこれから何が起きるのかなんて予測すら出来ない。俺は生返事を一つ返した。それを聞くと、ファントムは振り返りと、我関せずと寛ぐ一人の女を見た。

「もちろん、一人にはしないぞ?ちゃーんと、鍛えくれる奴はいる!なぁ?紅?」

突然の自分の指名に女は何も言えずに目を丸くした。そして、変わりに亮とヒヨリが珍しく叫んだ。

え?何?何が起こってんの?全く状況を掴めていない俺だけが取り残された。が、すぐに紅から怒号にも近い物が飛んできた。

「絶対嫌じゃ!てか、無理じゃ。いきなり弟子取れなんて無理!しかも・・こいつ人間ではないか!悪いが・・・わしにこいつを育てろというならば死ぬと思ってくれたほうがいいぞ!」

紅は一気に言い切った。俺としても殺されてはたまらない。紅を追って俺も焦って言った。

「俺も無理です!本人も嫌がってることだし、ほ・・他の人にしてください」

「お前ら二人して、俺の意見に従わないのか?全く・・。まぁ、もう少し考えくれ。それじゃ、亮とヒヨリにも指令を出そうかなー。ヒヨリは悠人で、亮は紅の説得係りとする!説得出来なかった場合には減点が待ってるから二人はそのつもりでな」

「それ、横暴だよ!ファントム。あたし関係ないじゃん!」

「同じ班として、チームの奴の成長を願うなら当たり前の行動だろ?よろしくな」

そして、ファントムは仕事をすると言って、俺達は部屋を追い出されてしまった。紅は、頭を抱えて、逃げるように消えた。俺達3人はその場に取り残された。亮は紅の後を追うと言って、一応ファントムの命令に従う素振りを見せた。亮は紅の行ったほうへと歩いて行った。ヒヨリは、自分が説得には向かない事を、自分でも知っているようで、困った顔して俺を見た。そんな顔をされても俺だって困る。お互いが、どうしようという感じだ。

「あー、一応言っておくけど、姉御はすごいんだぞ?」

「姉御?」

ヒヨリは紅を姉御と呼ぶ。もちろん血の繋がりはないが、ヒヨリにとって・・いや、死神の世界で、紅は姉貴分であるらしい。さらには、どうやらさっき説明の中にあった、ファントムと共にあるツワモノ達の一人、『三巨頭』の一人が、紅であるらしい。他の死神からしたら、紅が自分の師匠になるという事がどれ程すごい事で、名誉な事かすぐ分かるだろうと説明された。

「俺としては・・文句は言えないけど、向こうが嫌がってるんだから、仕方ないじゃん?そんな偉い人じゃなくて、俺を鍛えてくれる人なら、亮とかヒヨリじゃ駄目なの?」

「あたし的には構わないんだけど、なぜだか知らないけど、この世界じゃ、資格のある人間しか弟子を取る事が出来ないんだ。逆に言うと・・姉御みたいな人達は必ず何人か弟子を取らなきゃいけないんだけど、未だに弟子を取った事ないらしいんだよね?だから、ファントムも人間の悠人の師匠にしようとしたんじゃない?姉さんは見た目通り、そんな簡単に折れる人じゃないし、悠人から頭下げてお願いするのもあたしは有りだと思うだけど」

ヒヨリは事もなげに言う。うーんと俺が悩んでいる間に、ヒヨリが一つの解決を予測した。

「まぁ、亮が絶対うまくやるはずだし、ほっといても大丈夫じゃない?とりあえず、亮探しにいこ」

ヒヨリにそう言われ、俺はついて行くしかない。


一方で、亮はすぐ紅を見つけた。紅がいつも行く場所なら知っている。

「・・・亮、なんじゃ、わしを説得に来たのかえ?無駄じゃぞ?わしはやらん。それとも力尽くで来るか?」

すぐに力で解決しようとするのは紅の性格だ。全てを知った上で亮は軽くかわす。

「三巨頭のあなたに勝てるとは思いませんから」

「ならば、何しに来た?」

「蕪螺木を弟子にしてください」

「お前、人の話聞いてたか?」

「もちろん」

「い・や・じゃ!わしはまだまだ一人で気楽にやりたいんじゃ。しかも、なぜ人間を弟子にせねばならん?あんな弱っちいのは嫌じゃ」

「何もすぐ了承をもらえるとは思ってませんよ」

「ほお?ならばどうするつもりじゃ」

「手の内を明かしたらおもしろくないですよ」

「まどろっこしいのー。正面から来たらよいものを。そういう所があやつ似なのだ!」

「あの人は関係ないです!」

お互いが挑発するような態度。三巨頭相手にそこまで出来る亮を、さすがと言うべきなのか。しばらく沈黙した後で、亮が不敵に笑う。

「とにかく、俺も減点があるし、黒緋のためにも頑張りますから。それだけ言っておきます」

説得という説得をせずに紅の前から去った。紅の方はすでに臨戦体勢に入っていて、最後の脅し文句として去って行く亮の背中に、血を見る覚悟で来い!と怒鳴った。

俺とヒヨリが歩いていると、暗闇の向こうから亮が現れた。

「よぉ、蕪螺木!」

『亮っ!』

俺とヒヨリと亮はそのまま亮の部屋に行った。もっと広くてすごい豪華な部屋だと思っていたが、亮の部屋は意外と奇麗だ。というか、質素だ。ばかでかい本棚にはびっしりと本が詰まってるが、本の内容もまた様々で、亮の無駄な会話表現のルーツを知った気がする。ベットとソファがある以外は、特に大きな家具はない。あまり運送会社のこの本部にいる事がないので必要ないと亮は言うが。

「それで?姉御の方はどうなの?亮」

「ああ、だいぶ殺す気だな」

「殺る気?!」

「俺、あの人と関わるの嫌なんだけど・・・怖い」

頬杖を付きながら珍しく弱気だ。

「姉御は短気だし、堅いからなー」

ヒヨリは他人事のように言う。お前が言うな。とは、口出しては言わない。

「何か策はあるのか?」

俺は亮に不安気に尋ねた。

「うーん・・・ない。あの人が簡単になびくとは思えないし、やるなら本当に血を見る覚悟だな」

「マジでか!」

「俺には、逆らう権利はないんだよね?どうにかして、あの人の弟子になるしかないんだよね?」

最後の確認だ。そして、二人は口を揃えて返事をしやがった・・・。

「よって・・作戦が必要だ。蕪螺木が知ってても意味がないので、それは俺とヒヨリで考えるし、しばらくお前はここで暮らすことになるな」

「早速、考えよーよ、亮」

ヒヨリが声高に急かす。

「・・なんか楽しんでない?」

この質問にもまた二人は口を揃えて返事をしてきやがった。

俺はどーせ・・と、一人でブツブツと愚図っていると亮が頭を叩いた。

「性格はあれだが、お前が強くなるためにも、あの人についた方がいいんだよ。俺はお前の死ぬ所は見たくない」

声が真剣だった。俺は何も答えられない。もちろん死ぬつもりなんて一切ない。けど・・ここは「そういう」所なんだ。俺達3人は夜通しずっとたわいもなく喋り続けた。俺にとって、友達と過ごす夜なんて初めてだ。今後がどうなるか分からないけど、今のこの楽しさが続けばいいな、なんて思ってしまった。


次の日から、俺がする事と言えば、建物の中をうろうろと散策する事だった。ヒヨリと亮は俺とは別に何やら考えているようだが。比較的・・あくまで比較的ではあるが前よりもあの嫌な声達は聞こえなくなった。特に行く所もなく、人のいない部屋を見つけてはそこで時間を潰した。前にも聞いたが、人のいない部屋とは主に娯楽系だ。読書室や映画ルームなど。俺にとったら、一番時間を使いやすい部屋なので、好都合ではあるが。死神界に来てから、7日が経った。だいぶ建物の構造は覚えた。相変わらず、亮とヒヨリは俺抜きで何かしているが、夜は一緒にいるから文句は言わなかった。この7日平和に過ごして、ここが自分とは違う世界である事を忘れそうになる。そして、事件は起きた――――――――――


「うげっ」

声を上げたのは、先にそこにいた紅だった。紅は着物を少し着崩し寛いでいる様子だった。頭で考えるよりも先に体が動く自分の性格は知っていたが、この時はそれを後悔した。もちろん遅かったが。

「そんなあからさまに顔に出さないでください!俺だって、あんたがコーチになるの嫌なんだ!」

コーチと呼んだのは陸上の名残だ。その言葉は火に油を注いだようだ。

「ほお?・・貴様わしに向かってその態度とはよい度胸じゃの!」

立ち上がると長身で俺より高い。長い髪が一つにまとめられている。俺はびくっとなったが、負けない。

「あれだろ?あんたに弟子がいないのは、あんたの性格が嫌でみんな逃げてるからじゃないのか?」

心の中で何かがヤバいヤバイと言っている。そこで止まれないのが俺だ・・・合掌。

そっからはお互いが大人げなく(特に紅が)言い合い合戦が始まり、最後には取っ組み合いだ。冷静に考えれば、相手は女だし、年上でおまけに死神だ。命が危険だろ。紅が素手で向かってくるのは、無意識で人間への手加減だろう。本当なら・・・本当の意味で瞬殺だ。お互いが肩で息をしている時だった。耳が壊れるかと思うくらい大きな音が聞こえた。それも俺のすぐ後ろで。振り返ったそこには見た事もない物が壁を壊して部屋に入ってきた。

「何だあれーー!」

俺は腰を抜かして後ずさった。紅は一瞬驚いたものの、すぐにその顔は余裕の笑みに変わった。

「騒ぐな、小僧。あれは修羅鬼じゃ」

「シュ・・ラ?」

さすがにいろんな物を見てきて、人型じゃないものもたくさんあるのは分かるが、この修羅鬼というのは、両手に斧を持って、顔はマスクをしているが、ネルの髑髏顔に近い。そして、何よりもこっちに向かって襲ってきてる!

「た・・助けてー」

「うるさいのぉ。あんなもんわしの刀一振りで終わりじゃ」

「そうか!三巨頭のあんたがいれば大丈夫だな!」

と、言いつつ修羅鬼はこちらに向かってくる、ぎゃーぎゃー騒ぐ俺を紅は拳骨一つくれると静かに刀を抜いた。刀身はうっすらと光っていて、とても奇麗だ。紅と共にあるその刀はまさに妖刀のようだ。鞘から抜かれた刀を修羅鬼に向かって翳し、一気駆け抜け、一閃できめた。修羅鬼は少し揺らいだが、全く動ぜず憤怒を煽っただけだった。

「あれ?」

紅は間抜けな声を出し、首を傾げた。

「・・・あれじゃねー!」

俺と紅は修羅鬼に追いかけられる派目になった。何度か紅が斬りつけたが全く倒れない。

「どういう事だ?」

「どうにかしてくれ」

「お主、何もしないくせにえらそーに言うでない」

また殴られた。俺としては足に自信はあるが、逃げるだけでは埒があかない。どうしても、紅に何とかしてもらわないとしょうがない。俺達は二人で城を逃げ回った。ここ最近城の中を歩いて、構造を知っておいて良かったと改めて思った。修羅鬼は回りを破壊しながら追ってくる。そして、ちょうど見通しの悪い角を曲がった所で、二人は一息ついた。そして、俺は汗だくの額を拭った。突然、隣から声がした。驚いて飛び上がったが、それは紅だった。

「・・何だよ?」

「ない・・ないのだ!首から下げていた石が」

紅はあたりを見回す。俺も見回して見て、修羅鬼の足元に光る物を見つけた。

「もしかして、あれ?」

「!あれじゃー」

「いや、無理でしょ?完璧取りにいけないでしょ?あんたの攻撃だって効かないし!・・ほら、あいつこっち来た!来た!」

「駄目じゃ!あれだけは譲れん。戻らねば・・」

「ちょっと、待てよ!後で、取りに行けばいーだろ!まずは逃げてファントムとかに倒してもらうしかないじゃん!」

「その間にあれが壊れたらどーする!」

「どーするって!・・そんな大切なやつなの?」

「・・・ああ」

そこで紅は黙った。その様子からもその石が大切なものである事が分かった。そして、俺に出来る事は・・・・

「分かった!俺が、あれ取りに戻るから、あんたはファントムを呼んできてくれ!」

「なんだと?何を言っておる?」

紅は何を言い出すのかと呆れ気味だった。

「俺は、足には自信があるんだ!あんた取りに戻るよりも絶対確率は上がるって!」

「駄目じゃ!危険すぎる!わしの刀が効かなかった奴じゃぞ?お主なんか出て行ったところでどうにもならん!」

「今はそんな事言ってる場合じゃないだろ!あんたは、あれが大事で、あれを取りに行きたくて、俺の方が足が速くて・・・この条件から考えたら俺が走ったほうが速いだろ!」

「・・駄目じゃ!お主がそんな危険を犯す必要はない!わしが取りに戻れば済む!わざわざ主が出る事はない!下がっておれ」

「何、意地になってんだ!そのほうがいいから、言ってるんだ!なんで、そんな堅くななんだよ!」

「性格じゃ!」

はっきりとそう言い切られると返す言葉に困るが、俺も後には引けない。修羅鬼はそこまで迫っている。ここで俺らが揉めていても何の解決にもならない。一刻も早くどうにかしないと自分が危ない。ここで紅を黙らせる一言が必要だった。

「なら、協力してくれ!俺が、あいつの足元まで走るから、俺が殺されないようにちゃんと援護してくれ!」

「・・・わしに命令する気かっ!」

「命令じゃない!協力だって言ってるだろ!余計な事言ってる暇があったらあいつ倒してくれ!」

俺はいつにもまして叫んだ。実の所は、俺だってあいつの方へ向かって走るなんて嫌だ、冗談じゃない。でも、紅のあんな顔を見た後なら仕方ない。あの石が大切だと言った紅はとても哀しそうな顔をした。俺は、その感情を知っている気がしたから。迫力負けしたのか、紅は軽く舌打ちをすると小さく、分かった、と頷いた。それを見て、俺は修羅鬼の方に顔を向けた。そいつは俺達を探してあたりをキョロキョロと見回す。化け物の叫び声だけが、城に響く。合図で、一気に修羅鬼の足元まで走る。チャンスは一度だ。止まる事は許されない。そして、石はもう俺の目と鼻の先だが・・・・次の瞬間、修羅鬼が思い切りその石を蹴り上げた。俺は石を掴む事ができず、石は宙を舞って窓のそばに落ちた。しまった!と思っても遅かった。失敗だ、と俺も紅も理解したが、俺の足は止まらなかった。どこかで紅が止める声が聞こえたが、俺の足が止まるはずもない。修羅鬼は俺を追い、両手の斧を高く掲げた。

綺麗な色の首飾りを己の手の中に納めた時、初めて冷静に我に返った。修羅鬼の位置を確認しようとして振り返ったそこには、すでに俺に振り下ろされそうになっている巨大な斧と、髑髏の顔だ。咄嗟に目を瞑った。紅が叫ぶ声も聞こえた。一瞬の静けさ。どこにも痛みを感じない。ゆっくりと目を開けると、大きな斧が紅の体を貫いていた。頭が真っ白になった。紅は俺の目の前に壁のように立っている。守られた?その思いが俺の中に浮かんだ。

「・・・紅?」

声が震える。返事が返ってこない。修羅鬼は紅を貫いたまま動かない。そして、ゆっくりと修羅鬼の体が薄くなっていく。完全に消えるまでにそう時間はかからなかった。

「・・・紅・・」

俺はもう一度、修羅鬼がいなくなった場所と紅を見た。

「・・・・そういう事か!」

返事が来た!紅が動いた。生きていた。あれほどの攻撃を受けて生きていた。

「もうよいじゃろ!出て来い!お前らー」

誰に言っているのか紅は叫ぶ。紅には傷ひとつない。なんでだ。叫び終わると、高い屋根から3人が飛び降りた。亮とヒヨリと知らない男だ。

「やはり・・・貴様らか。クロス、お前か。なるほど・・・道理でおかしいわけだの!」

紅がその男を責めると、同時に土下座した。

「申し訳ありませーん。だって、亮さんとヒヨリさんが無理やり・・ほんとうは僕だって嫌だったんです」

床に張り付いている男とは裏腹に亮たちは飄々としている。

「俺たちは二人のためを考えてやったんですよ?それに、黒緋のために頑張るって言ったでしょ?」

「姉御カッコよかったー。悠人の前に飛び出てさー」

ポカンとしている俺にクロスが手を差し伸べた。

「あの・・ごめんなさい。大丈夫ですか?僕、クロスといいます。怖い思いをさせてしまいました」

「大丈夫、大丈夫!それくらいで悠人に謝る必要ないし」

「どういう事?」

搾り出した言葉はこれだけだ。そして、その説明をしてくれたのはクロスだった。

「僕の能力は幻術なんです。だから、今まであったことは全部幻です。実際何も壊してもいません。僕の能力は相手に幻をよりリアルに見せる事ができる力ですから」

「悪ふざけでしかない!一体どういうつもりじゃ?」

「荒療治ではありますが、あなたが蕪螺木の前に飛び出してくれたから、俺の勝ちです」

そして、矛先は俺に回ってきた。紅は俺の目の前に出て来ると、思い切り頭に拳骨を落とした。

「いてっーーー!」

あまりにも勢いよすぎて俺も思い切り叫んだ。

「なぜ、修羅鬼の前に飛び出した!死ぬつもりか?本当に馬鹿者!」

「だって、あんたが大切な石って言うから・・」

「それで、お前が死んだら意味がないだろ!石よりも命の方が大切なのじゃぞ」

死神の口からそんな言葉を聴くとは思わなかった。

「あんたこそ!なぜ俺の前に出た?あれが本物だったら死んでただろ!俺なんて庇う必要ないだろ!」

俺達は亮達の前でまたしても口喧嘩を始めてしまった。本当は違うんだ・・。紅が自分の前で斧に刺された時本当に何も考えられなかった。ただ怖かった。俺の前で誰かが死ぬのは、自分のせいで死ぬのは、もう守られてばかりは嫌なのだ。クロスはおろおろしながら喧嘩する二人を見つめる。

「あの・・・止めなくていいんでしょうか?」

「いんじゃない?」

「あの二人似てるよな・・」

「だからこそ、姉御が悠人の師なんでしょ?」

「ああ」

俺も片方の耳でその会話を聞きながら分かった気がする。喧嘩している内に、紅の過去に何があったかなんて分からないが、この人も頭で考えるより、体が先に動く派なのである。俺が何も考えずに石を追った事、紅が何も考えずに俺の前に出た事、全ては一緒なのだ。

だからこそ、やはり俺は言わなければならない。ひとしきり二人共悪態をついてしばらく睨み合った。しかし。先に出たのは紅だった。

「危ない目に合わせてすまなかった。援護すると言ったのに、まんまと危険な目に合わせたのじゃ。本当に・・・石は大切じゃが・・お前に死なれるのは・・寝覚めが悪いではないか・・」

今にも泣きそうなしかし、笑顔だった。

「俺も・・・悪かった。俺のせいで死ぬとこだったんだよな。ありがとうございました」

「・・・何だよ、二人共気持ち悪いな」

「ああ!こういうのツンデレというのですね!」

亮とクロスが会話に入って来た。クロスの言い方がおもしろくて思わず、そこにいる皆が笑った。それで一応、解決という形になった。結局、紅は何も言わずに俺達の前から去った。そして、去った後で、自分の手の中に強く握られた石の首飾りを返すのを忘れていた。石は、手の中で奇麗に輝いている。後で返せばいーやと思い、とりあえずポケットにしまった。

「クロスも、もちろん死神だよね?」

歩きながらクロスを見たが、至って人間と変わらない人型だ。

「もちろんですよ?よく、死神っぽくないとか言われますけどね。ちなみに、僕はヒヨリさんと違って。配達ではないんです。後方支援というか・・届いた荷物を城内で分ける役なので、めった外には出ません」

「・・・でも、能力が珍しくて、よく外に借り出されるけどね」

ヒヨリが付け足す。

「おもに、ヒヨリさんの班ですけどねー」

やはり、クロスも強い方なのだろう。しかし、性格が手伝って後方支援部という所か。こちらに来て、始めて友好的な死神に出会ったと思った。そして、亮の部屋につくと、クロスが別れを告げた。俺は部屋に入るなり、ベットに倒れ込んだ。

「亮―!なんで仕組んでたんなら、教えてくれなかったんだよ!これだろ?最近ずっとヒヨリとヒソヒソやってたの」

「教えたら臨場感ないだろ?お前の対応も見たかったし、何の危険もないんだし」

「こっちはリアルに死ぬかと思ったんだけど」

「うん・・・臨場感て大切だよな」

「うるせー馬鹿!」

枕を亮に投げたが、軽く取られた。

「さっきも言ったけど、俺の勝ちだよ!あの人はお前の師になる!」

「その自信はどっからくんの?」

ベットでバタバタしながら反発する。

「蕪螺木の前に出た時点で決まりだよ。そのうちあの人が話すだろうし・・・待てよ」

「うーん」

よく分からないがこれ以上教えてくれる感じではなさそうなので、もう聞かなかった。

「なぁ、亮」

「ん?」

「この石どうしよう?」

ふいにずっと握っていた石に気付いた。返すタイミングを完全に逃した。

「あーあ、持ってきてる。怒鳴られるぞ?」

「やっぱり?・・・だよなーどうしよう?」

俺は大きくため息をついた。

「こっそり返せるかな・・・」

「バレたら、殺されるな」

「確かに」

またため息をついた。そして、なんだか嘘のように騒がしかった一日を静かに終えた。というか、気付いたら飯も食べずに、亮のベットを占領して寝ていた。次の日、朝から亮をたたき起こして食堂に向かった。相変わらず亮は不機嫌で、目を細めたまま歩いた。朝から食堂は混んでいた。窓から太陽光が入ってきて夜とは見違えるほどに明るい。この世界に来てから、季節感も時間の感覚も一切ない。今、冬のはずだが、俺は半そでだ。俺は意外だった。

「何が?」

亮の目はまだ開いてない。

「死神とかって、朝とか寝てるイメージなんだけど」

「それは、吸血鬼でしょ!」

「ヒヨリ!」

「おはよー」

俺達二人の後ろにヒヨリが仁王立ちしている。こちらは、朝から元気のようだ。

「死神だって、朝から仕事して夜には寝るの。普通の死神はそうなの」

「普通の?」

「そ。クロスとかね。でも、前に会った班覚えてる?壱とかいる班“銀朱”は、内容によっては昼夜逆転したりするけど」

「そーなんだ」

まだ知らない事はたくさんあるようだ。

「そういえば・・ネルを全然見てないんだけど?」

「ああ!休んでるんじゃない?久しぶりの死神界だし」

「ネルが休みってどうやんの?」

「あの風船が萎んで、シワシワになってる状態の事。あれは、リラックス状態らしいよ」

亮は白ご飯をつつきながら喋る。

「うわー。何かそれ、気持ち悪いな・・想像しちゃった!うわ・・」

「あれは、あたしもキモいと思うわ!」

ヒヨリは気にせず、ドカドカ朝から油物を食べる。太るぞ!とは、女の子に対して言うのが、駄目な事くらい知っている。

「んー、今日は何しようかな。俺いつまでここにいたらいいんだろう?」

不安そうに俺が言うと、会話が静まってしまった。俺は、何か駄目な事を言ったのかと思い、ハッとなったが、どうやら違うらしい。

「いや、さすがに俺もそろそろあの人強情だなって思うけど」

「え?何それ?」

「まぁ、待て待て。もう少ししたら絶対変わるから」

いつも亮は最後まで言わない。これだって、何か企んでるに決まってるんだ。

「ほういえばぁ、ファン・・ト・・ムが、ゆうほの事の呼んでたんだ・・」

ヒヨリが口いっぱい頬張りながら喋る。大体の主旨は分かった・・・。ヒヨリ・・女としてどうなの?

俺は、ヒヨリに言われるままに、ファントムの部屋に向かった。亮は珍しく着いて来ない。別に嫌いとかではないらしいが、どうやら極力ファントムの接触を避けたいらしい。なんだか亮が子供に見えるので、俺としてはちょっと楽しい気分だが。それにしても俺は何を言われるのだろうか?いろんな思考を巡らせながら、ファントムの部屋の前についた。風船に髑髏が描かれているプラチナが待っていた。

「待ってました。ファントム中にいます。どうぞ」

案内されるがままに、大きな扉が開いた。質素の作りの部屋のソファに腰を下ろした。大量の書類でファントムの姿が机には見えない。ペンが動く音だけが聞こえる。俺はおとなしく座って待っていると、ペンの動く音が止まった。

「待たせて悪いな。この前いろいろあったらしいな。無茶やったのは、紅から聞いた。まぁ、お前のためだし、許してやれよ?」

「別に怒ってないです。けど、あの人は怒ってますよね?あれから姿全く見ないです」

「ああ!もともとあいつは神出鬼没だからな。餌さえあればすぐ喰いついてくれるよ」

「餌って何ですか?!」

「この場合は・・・もちろんお前だろ。なんだかんだ言って、紅はお前の事気にしてるぞ?」

「マジですかー。俺、あの人と喧嘩しかしてないのに」

「そんなもんだろ。俺と亮だって親子なのに、ぶつかってばかりだが・・・」

その先は言わないが、顔を見ればわかる。ファントムは亮の事が大好きなのがすぐわかる。つまり、親バカなのだ。俺の両親も今思えばそうとうの親バカだったに違いない。少し亮が羨ましかった。俺には、もういないから。何も言わない俺に気づきファントムは顔を戻し話を始めた。

「そろそろ戻りたいか?だいぶこっちにいるもんな。本当は死神の仕事を手伝う事自体嫌になったんじゃないか?もともと人間が手伝うなんてありえない話だ。人間の悠人だって、死神の存在すら信じてなかったんじゃないのか?別に無理してやることはないんだぞ」

「・・・ありえない話かもしれませんが、俺は無理は・・してません!今は俺がちゃんと望んで手伝うって決めたんです。だって・・そうしないとあいつらがいなくなっちゃうんです。まだやりたい事たくさんあるし、言えてない事もたくさんある。これからも、“友達”でいたい!」

俺の中でこんなにあの二人の存在は大きくなっていたのだ。

「うん。そうだな、悪かった。お前と紅には、一緒になって欲しかったんだけど。それは、こちらの都合でしかなかったな。一応、他の奴のリストも作ったんだ。お前が、好きな奴に教えを乞えばいいさ」

「ちょっと、待った――――!」

バァンと勢いよく扉を開けたのは、紅だった。その手には、紙切れを掴んで、紙がぐしゃぐしゃになっていた。

「紅?どうした?」

「ファントム!なんじゃ、これは!こんな奴らが、わしの代わりをするというのか!わしを嘗めおって!こいつを鍛えられるのはわしだけじゃろ!ええ?」

「紅・・そうだな。悪い。俺が、悪かったよ。やはり、悠人を鍛えられるのは、お前以外をおいていない。どうかこいつを鍛えてやったくれ!頼む!」

「無論じゃ!わしに任せれば、悠人の一人や二人くらい最強の死神に育てあげてやろうぞ!」

三巨頭のうち二人がこんな会話を繰り広げた。俺は、会話に入る余地がなかった。が、俺の処遇はこうして意図も簡単にまとった次第だった。一騒動終わった後に、紅は去って、部屋にはファントムと俺が残った。

「よかったな。紅が師になってくれるってよ」

「あの・・何かいきなりの急展開ですね」

タネ明かししてやろうか?と、ファントムは悪そうな顔で笑った。俺は聞きたくないような気もしたが、とりあえず頷いた。

「実はな、紅が手に持ってのはさっき言ってた、お前の師匠候補のリストなんだけど・・使えない奴ばかりリストしてみました。それで、紅としてはそんな使えない死神が今まで自分がやれと言われてたポジションにつく。これほど、プライドが傷つけられる事はないよな?あとは、猪な性格の紅の事だ。待ってれば、この部屋に自分が来て、話はいい感じにまとまる段取りなわけだ。亮たちがやった事より、安全かつ健全だろ?」

俺は唖然とした。さすがは亮の父親というべきか。狡猾というべきか。全ては計算された芝居だったいうわけか。

「バレたら、殺されますね?」

いつか、亮が言っていた。

「誰が、言うかよ。悠人もこの事実は墓まで持っていくように!これ、ファントム命令な?」

少年のように笑顔だ。この笑顔がとても亮に似ていて、なんだか俺も腹が立ってきた。さあ、明日からの俺はどうなるのだろう。誰か教えてくれ。そして、助けてくれ。ソファの上で俺は大きく息を吸った。とにかくこれで、紅が俺の師匠になる事が決定してしまった。今までの記憶から俺と紅が性格上合わないのは、もう分かっている。不本意だが、似てる所もあるが、それはまた別問題だ。すでに何回か俺は拳骨をもらっている、これからの修行の事を考えるだけでおぞましい。今更ながら、大変な事になってきたような気がする。それでも今は俺はこのまま流されるしかないのだろう。

「まあ、そんなに落ち込むなって。紅は本当に強い。これでお前も強くなる事が決定したようなもんだからな。ちょっと、クセはあるが、慣れれば・・・そこらへん大丈夫だから!たぶん」

「めっちゃ不安しかないんですけど」

「なるようになるって。亮達にもフォローさせるからさ。それにあまりここにずっといたくないだろ?悠人が人間な事には変わりないんだからな」

「はぁ・・学校もあるし、あまり長居は出来ないですけど・・」

「早速今日から特訓が始まるんじゃないか?頑張れよ?」

ファントムは俺の頭を撫でた。何だか照れくさくて下を向いたが。そういうのを亮にもしてあげたらいいのにと思う。そして、さっきまで食堂にいたヒヨリがファントムの部屋に入ってきた。そのまま俺は押し倒された。

「やったな!悠人。本当に、姉御が悠人の師匠なんだ!すごい事だよ!三巨頭の一人が人間に着くなんて!・・なーに、不安そうな顔してんの!大丈夫だよ!姉御はあれで優しいし!死なない程度にはしてくれるから」

冗談には聞こえないヒヨリの励ましに肩を落とした。

「そういえば、亮も・・この事知ってるのかな?」

「知ってるんじゃない?もうすでに城中で噂の的だもん!何言われても気にしたら駄目だよ!あいつら、羨ましいだけなんだから。さっそく姉御の演習室行こうよ!姉御も待ってるだろうし」

「演習室?」

「そっか!悠人にはまだ見せてなかったね~師匠クラスの死神は一人ずつ自分の部屋を持っててね。そこが、修行の場所になるんだよ。姉御の演習室はすごいよ!とにかくでかいし、設備も万全。あたしも一回あそこ使ってみたいもん」

「・・そうなんだ」

俺はなすがままにヒヨリに引っ張られ、ファントムの部屋を後にした。ファントムとプラチナは若干複雑そうな顔で俺に手を振った。そして、紅の演習室の前につき、目の前の大きな扉を開けようとした。が、

「開かないっ!」

いくら俺が力をいれても扉はびくともしない。試しにいろんな方向へ引いてみたが、全く動かない。

「もう、これくらい開けられないと死神にはなれないよ」

ヒヨリがそういうと軽々と扉を押した。

「えぇ――――――?」

そんな簡単に開けられると男としてのプライドが・・・・ブツブツと言っていると、後ろから蹴り倒された。

「そのような男のプライドなぞ捨ててしまえ!この世は、おなごの方が強いと決まっておるのだ!」

腕を組んで不敵に笑う紅がいた。ヒヨリも賛同した。

「おっ!姉御良い事言う!」

「不本意ではあるが、お前の師匠になる事になったのだ。やるからには中途半端は許さぬ!お前には誰にも負けぬ死神になってもらう!これからは、わしの事は師匠と呼ぶがよい!その弱い心を鍛えなおしてやるからの」

「えっ!俺そこまで強くならなくても・・・」

「口答えも許さぬ!わしの元で特訓を受けるとはそういう事なのだからのー。ほれ、師匠と呼んでみ」

意地悪そうに俺に語る。絶対わざとだ!俺は、自分の中のプライドを押し込め、紅を呼んだ。

「・・・師匠」

「よしよし。それでこそ可愛げが出るというものだ。ならば、早速始めようかの。まずは、基本からだ。悪いが、ヒヨリは出ておれ。傍観者がいては気が散るからの」

「え?・・・うん、分かった。じゃ、悠人頑張ってね!ご飯は皆で食べるからさ」

そしてヒヨリは紅の演習室を出た。今、この部屋には俺とくれ・・・師匠の二人。何が始まるというのだろう。

「いきなり武器を持たせた所で何も出来まい。まずは基礎体力からだ!この部屋の中を走るがよい。一周五キロくらいはあるからのー」

「ご・・五キロ?!」

「なんじゃ?出来ないのか?・・・あっ!言い忘れておったが、出来ない場合、口答えした場合、拳骨が飛ぶので気をつけろ」

「うっ・・走ります」

うむ。と、紅は頷くと自分は木の下で寛いだ。師匠の演習室は、大きな部屋でしかもまるで大自然の中にいるようだった。木々が生え、太陽がある。太陽は造り物らしいが、日差しは暑い。どうやら師匠の趣味に合わせて作られるらしい。それから、俺はひたすら走った。別に嫌いでも、苦でもないので、走る事はいいのだが、いつまでたっても師匠からの次の指示はない。本人は至って普通に寛いでいる。そんな師匠を横目に日差しの下、俺はひたすら走る。汗が流れ落ちるのもお構いなく、ひたすら。もう何周したかも分からない。しかし、簡単には疲れない俺がもう駄目だと思いだした頃だった。

「今日はここまでにしようかの」

師匠は立ち上がり、俺は走る事を止めた。

「また、明日も朝からちゃんと来るように」

そう言い残して師匠は先に部屋を出た。俺も疲れた足を引きずって部屋を出た。そして、大変な事に気がついた。もう深夜なのだ。昼前から始めて、終わりは深夜だと?俺は一体どれくらい走ったのだろう。部屋の中にはずっと太陽が出ていて、全く気がつかなかった。時間感覚がない。部屋を出るとそこにはヒヨリと亮が座っていた。なんだか、亮を久しぶりに見た気がする。実際は朝以来だ。

「お疲れ」

「亮、ヒヨリ。お腹減った。飯行かない?」

「・・・ごめん、あまりにも悠人が遅いから、もう二人で食べちゃった・・」

「はあ?一緒に食べようって行ったのはヒヨリなのに・・」

「だって!しょうがないじゃん!悠人が遅すぎるんだもん!今何時だと思ってんの?もう食堂開いてないよ!」

「マジでか。もう疲れたのに・・」

俺はまさかの事実に落ち込んだ。

「どーせ、明日も朝からだろ?朝一で食堂行こうぜ?疲れてんだろ?今日はもう寝ろよ」

「うーん、そうするか・・。はぁー」

俺達は亮の部屋の前までゆっくりと歩いた。俺は今日あった出来事・・と、言っても走っただけだが、それを話した。亮達は散々俺の愚痴を聞いてくれると知らない間に俺は寝ていた。次の日、意外と早くに目が覚めた。亮はソファで寝ている。そして、俺はいつのまにかベットの上だ。亮が運んでくれたのだろうか。なんだか悪い気分になって、亮を起こさずに俺は一人で朝食に向かうために起きた。支度をして、亮の部屋を静かに出ようとした時、

「頑張れよー」

後ろから目を瞑ったまま笑って亮が言う。

「・・起きてんのかよ」

俺は食堂に向かい一人で、食事を済まし、少し憂鬱気味で紅の演習室に向かった。そして、扉の前に立ち押してみたが、あれ?開かない。紅はまだ来てなくて鍵でもかかっているのだろうか?どんなに押してみてもびくともしない。叩いても中から応答もない。どうしたものかと・・・俺が迷っていると、後ろから紅が脚で扉を蹴った。瞬間、大きな音で扉が勢いよく開いた。

「何しとる?早く入らんか」

「えぇ?鍵は?」

「んなもん、掛けとるわけないだろ。お前が、弱いだけじゃ」

そう笑って紅は奥へと進む。俺も着いていくと、さっそく紅から指示がある。

「今日もまずは走れ。得意じゃろ?」

俺も文句が言えるわけもなく、何も言わずに走り出した。が、すぐに失速した。

なんだろう・・・息苦しい。まるで、山の上にいるかのように酸素が薄い。紅の方に視線を向けたが、やはり彼女は至って普通だ。短く呼吸をしながら走るが、どうにも苦しい。酸素が薄いなんてもんじゃない。もうこの部屋酸素なくないか?それでも走る事は止めなかったが、とうとう目の前が真っ暗になった。次に目を開けたら木の下にいた。隣では紅が刀の手入れをしている。

「ん?目覚めたか?なかなか頑張るのー。だが、倒れるまで走るでない。ここまで運ぶのが面倒じゃ。わしが大変になるじゃろがい!」

怒られた。あっけに取られた俺は口が塞がらない。俺への心配はなしか。

「まあ、また倒れられても困るし、もう少し休んでおれ。それからまた走ればよい」

「・・・いきなり優しいと怖い」

うっかり口に出してしまい、次の瞬間に拳骨が飛んできた・・・。

しまった・・・と、また走り出した俺は今度こそはちゃんと心の中で呟いた。さっきみたいな息苦しさは今はない。未だに酸素が薄いとは感じるが、そこまでつらくはない。身体が適応したのだろうか。陸上やったし、ボディコントールは一応出来る。走り続けて三時間くらいだろうか・・・

「あー、悠人―。危ないぞー避けろ~」

紅がいる所から何だか気のない声が聞こえてきた。次の瞬間、ものすごいスピードで俺の頭に石が飛んできた。避けきれるわけもなく、直撃だ。頭を抱えて蹲ったが、すぐに立ち上がった。

「だから、危ないと、避けろと言ったじゃろ?」

「いやいや・・もう少し危険を知らせるような声で言ってくださいよ!何あれ!普通の声のトーンで言ってるんですか!」

「お前の瞬発力がないだけじゃろー。人のせいにするでないわ。まぁ、頭は丈夫なようじゃの」

「・・・俺のせい?」

これ以上文句を言っても、また拳骨が飛んでくるだけのような気がして、言葉を飲みこんだ。また走るように言われて、もうやけくそのような気持ちで、どこまでも走ってるやる気分になった。


こんなやり取りが何回あっただろうか。すでに五日が経っていた。あれから走り続ける、俺。そして、たまに紅は俺めがけて石を投げる。最近ではもう声すらかけてくれない。毎回石が頭に当っては、俺は言葉を飲みこんだ。いや、そのうち何回かは紅に食いかかったが、その度に拳骨をもらった。それが、石が頭に当たるより痛くて、それが怖くて俺が紅に食いかかる事はなくなった。そして、いつものように紅が俺に向かって石を投げてきた。が、

「毎回同じ手にかかるかー」

俺は足首を返し、石を避けた。石は俺には当らず通り越して、向こう側の木に当った。体勢を一気に変えすぎて俺はこけたが、石を避けれた事でガッツポーズをした。その一連の動作を見て、紅に爆笑された。

「うむ。なかなかやるようになったではないか。じゃが、まだ甘い」

初めて支障が自分を褒めてくれた事に嬉しくなってニヤニヤした。それを見て紅は眉を潜めていた。

「・・・気持ちの悪い顔をするでない!言っておくが、これで終わりではないぞ。たった一回避けたくらいで調子に乗るな!手加減してやっていたのを気付け」

「いや、いや。俺、もう避けれますよ?一回避けれたんだしね」

「ほお――――。言いおったな?覚悟しとけよ?」

完全に俺も調子に乗っていた。紅に対して大きな事を言ったのは間違いだった。未だに走る事は終わらない。そして、以前にもまして、豪速球の石が飛んでくる。確率としては、四分の一だ。・・俺が、石を避けられる確率が。そして、残る四分の三は命中している。何度意識が飛びそうになったか。しまいには、当たりすぎて、痛さに耐えられるようになってきた。これでいいのだろうか?紅は言葉通り、手加減なんてしてくれない。本人は至って、笑顔で石を投げてくる。演習室を出る頃には、痣だらけだ。今日は一度も亮達を見ていない。今日あった事を聞いて欲しかったが・・仕方ない。そう思い俺は誰もいない亮の部屋のベットになだれ込んだ。そして、次の日までは早かった。眠りについて一瞬で朝だ。やはり亮は戻っていなかった。俺はまた演習室の前で立ち止まった。ここ数日、自分で目の前の扉を開けた事はない。というか、開けられない。

「よし!」

気合いを入れると俺は力の限り扉を押した。わずかだが、動いている気がする。もう少しだ。一人でこの扉を開けられる。と、思った時、扉が急に軽くなった。扉を押したのはヒヨリと亮だった。

「何してんの?悠人。早く入ってよ」

ヒヨリは事も無げに言う。俺はポカンとした。え?待て待て。もう少しで俺が開けられそうだったのに。

「・・・ええ―――」

俺はため息をついた。そして、いつものように紅に後ろから蹴られた。

「邪魔じゃ」

無残にも投げつけられた言葉に涙が出そうになった。

「何ここ?酸素薄っ!」

ヒヨリの言葉が現実に俺を引き戻す。

「え?」

「悠人、こんなとこで毎日走ってたの?すごいよ」

「蕪螺木は苦しくないのか?」

「いや、最初は死ぬかと思ったけど・・そういえば今は平気だな」

「成果じゃな!」

紅は意気揚々と言う。

「成果なの?」

俺は驚かずにはいられない。だって、走る事しかしてない。

「とにかく今日も走れ。もしかしたら、走るのは今日が最後かもしれぬぞ?」

「俺らも見てていい?」

亮は大きな木の下にすでに座っている。ヒヨリも木の上にジャンプし、枝に横になった。紅は何も言わずに自分も座り込んだ。残された俺は、寛ぐ三人を尻目に走り出した。そして、いつものようにしばらく走った後に紅から石が投げつけられた。前よりかは避けられるようになったが、まだ半々というところだろう。しかし、痛みに耐性がついてからはだいぶ楽になった。途中おもしろがって、ヒヨリも枝などを投げつけてくる。俺はそれに毎回文句を言いながら、それでも避けながら走る。我ながらだいぶ避けられるようになった・・・気がする。


そんな蕪螺木達のやり取りを亮はじっと見つめていた。そして、紅の隣にゆっくりと座った。

「何か言いたい事でも?」

先に口を開いたのは紅だった。

「言っていいんですか?・・・なら、言いますけど。蕪螺木どう思います?今見てる限りでもだいぶ成長したと思いますよ。普通の人間がこの短期間にあそこまで動けるようになるのはありえない。あいつが思っている以上に、あいつは強くなっている」

「なんじゃ、ベタ褒めではないか。確かに、成長は早いようだの」

「分かっていてなぜ先に行かないんです?ずっと走らせてるだけなのはなぜです?」

「あやつに武器を持たせろと?」

紅の声は鋭くなった。亮はそれでも言い続けた。

「結論に行かないでください」

「ならば、何が言いたい?わしが見る限りで、あやつにはまだ早いと思っているから、走らせているだけじゃ。ぬしはさっき“強くなっている”と言ったが、強さとは何じゃ?むやみに、武器を持たせて、戦地におくることかえ?無駄に死体を作りたいと見える」

「なぜそんなに嫌がるんです?あなたの教育に文句をつける気はないですが、あなたの私情であいつの成長を止めるのはやめて欲しいだけです」

「分かっておる。やるからには最強の死神にしてやると言ったことは、偽りではない」

「ならば、まだあの事を気にしてるんですか?」

その亮の言葉に弾かれたように、紅の顔色が変わった。

「喧嘩を売っておるのか?」

「違いますよ。・・俺は、あなたと喧嘩するほど無謀な性格じゃないし」

蕪螺木とヒヨリがじゃれてるのを横に、険悪な空気を放つこの二人に、蕪螺木達は気付かなかった。むしろ、気付かなくて正解だ。

「・・・もうよい、悠人!」

俺が呼ばれて振り返った顔面には石が迫っていた。ヤバイ、避けきれない!そう思った瞬間、手が出た。俺は目を瞑ったが、ゆっくりと目を開けると、左手には石を掴んでいた。ほっと息を吐いた。遠くで、紅と亮がこちらを見ている。

「何?」

「・・・今日はこれでしまいじゃ。明日も朝一じゃ。遅れるなよ」

そういうや否や紅は一人で演習室を出て行ってしまった。

「何あれ?何か怒ってなかった?」

俺はヒヨリに問いかけた。ヒヨリも首を傾げて軽く頷いただけだった。本当に成果かもしれない!そう思ったのは、三人で夕食を食べている時だった。相変わらず俺たちの周りの席には誰も座らない。こっちの世界でも嫌われものだ。

「驚いたよ!悠人があんなに動けるようになってるなんて。もともと走るのが速いのは知ってたけど」

「俺的には走ってるだけだから、何も変わった気はしないんだけどなー」

「でも、あの扉開きそうだったよな」

「まあ・・・誰かさんたちが邪魔してくれたけどな?」

『・・ん?』

ヒヨリと亮は揃って笑顔だ。俺はため息をついて目の前にある肉をつついて、口に運ぼうとした。が、思い切り後ろからぶつかられ、水を浴びた。俺は何事かと振り返ったそこには、これぞ死神とでもいうような姿の死神が三人立っている。

「悪いな。人間なんて見えなかったんだ」

死神達は低い声で笑う。顔の髑髏が笑うので、とても怖い事になっている。亮もヒヨリも何も言わず、ご飯を食べ続ける。俺としても問題を起こす気はなかったので、そのまま受け流す事に決めた。

「そうか。次からは気をつけてください」

テーブルの上に零れた水は払いながら、静かに言った。どうやらそれが気に入らなかったらしい。死神は目を吊り上げ、掴み掛かってきた。俺はどうすれば・・と、亮を見たが我関せずと亮はこっちを見ない。その死神達も亮には絡まない。死神達は何も言わない俺に逆上して、鎌を出すと振り上げた。俺は、掴まれていた手を解き、椅子を蹴って軽く鎌を避けるつもりでいた。石を避ける事で避けるのはうまくなっていたから・・・しかし、俺は椅子を蹴ったとたん、跳んだ。それは、人間では到底出来ないようなジャンプ。三メートルは跳んだだろう。自分でも驚いたし、目の前の死神達も驚いていた。着地すると、あたりは静まり返った。

「え?・・何これ?」

亮がやっとこっちを見た。

「だから、それが成果だろ」

「これが、成果だって?今まで走ることしかしてないのに?」

疑問ばかりだ。

「あの人は他の演習室とは作りが違うんだ。あそこで走ってるだけ、実は体にはかなりの負荷がかかっていてだな。あんなとこで、人間が毎日生活してたら、そりゃ身体能力は大変な事になるだろうなー」

「何を暢気に!」

「いいじゃん。悠人が強くなってるって事なんだし」

ヒヨリも事もなげに言う。そして、ヒヨリは絡んできた死神に目をやると、俺に指示した。

「とにかく、そいつらにちゃんと見せてあげればいいんだよ。悠人、ここにあるグラス持って。・・・はい、んで、それをやつらの前に出す」

俺は言われるがままに、テーブルの上のグラスを取り、死神達の前に出した。

「はい、軽く握る!」

軽く握った瞬間、グラスが木っ端微塵に割れた。

『・・・・!』

死神達の驚きの顔はすごかった。それは怖いとかではなく、滑稽だった。そして、何より一番叫び驚いたのは俺自身だ。

「何だと――!」

だって、軽くしか握ってない。まさかそんなマッスル人間でもない。まるで自分じゃないような体の動き。死神たちはすごすごと引き下がった。辺りでは、今の出来事を話し合うヒソヒソとした声で持ちきりだ。俺は、急いで紅の演習室に向かった。亮もヒヨリも悠人を見送っただけだった。俺を見送った後の二人の会話は、

「本当に・・・すごいね、悠人」

「ああ、あそこまで成長してるとは」

「亮・・どうしよう。久しぶりにワクワクしてきた!あたし、悠人と戦ってみたい」

「ヒヨリがやる前に、紅にやられそうだよな。くく・・どこまでも蕪螺木はそういう運命なんだな」


俺は背筋に悪寒を感じながら、演習室にたどり着いた。そして、目の前の扉。今日こそは!と意気込で手をかけた。あれだけ走らされて、さっきだってありえない力を発揮したんだ。こんな扉を開くくらい出来るはずだ!!俺は、力の限り押した。動き出した。その扉を大きな音を立てて。そして、やはりだめだった。またしても邪魔だ。

「・・早く入れ」

その声の主は紅で、いつものように背後からやってきた。けど、何か変だ。声には覇気がなくて、しかも、俺は俺が押していた扉を手伝うように軽く押しただけだった。

「どうしたんですか?」

俺は部屋の中に完全に入りきると尋ねた。

「何がじゃ?」

「何か変ですよ?師匠・・昨日から怒ってたみたいだし!・・・その、何かあったんですか?」

そういうと、師匠は黙り込んだ。そして、ものすごい勢いで俺を睨んでいる。しまった・・と思い、俺は顔を手で覆った。いつものパターンならここで拳骨が飛んでくるところだ。が、やはり違う。師匠は、複雑そうな顔と共に何も言わずにいつもの木の下に向かう。

「え?ちょっと」

「早く今日も走らんか!適当な事を言うでない。わしは、いつだって華麗に素敵だ!」

師匠は俺に背を向けて言う。それ以上師匠に言うことは出来なかった。が、代わりにさっきの出来事を話した。食堂での事だ。

「ほお、成果ではないか」

「亮と同じ事言うんですね。俺、本当にびっくりしたんですよ」

俺は走りながら大きな声で師匠に話しかける。師匠は本に目を落としながら笑う。どうやら、いつもの調子に戻ったらしかった。そして、次に静かに俺に聞いてきた。

「のお?悠人。おぬしは、もっと強くなりたいか?」

「んー、別にこの世界に来るまでそんなん思った事なかったけど。別に人を傷つけるのは嫌だしな~って、ことは強くなりたいと思ってないんですかね?」

俺はありのままを話す。師匠にとってどう答える事が正解なのかはわからないが、俺の本音はこれだ。

「無駄に強さを求める奴よりかは、幾分マシだな」

「すいません。師匠にとったら育てがいがないですよね?・・あ!あの、師匠はどうしてそんなに強くなろうとしたんです?」

素朴な疑問だった。

「そうだな~おぬしのような人間、少し厳しくすれば死んでしまうかもしれないと思うと、やりにくいのぉ。それから、わしが強くなろうと思った理由・・本当に聞きたいのか?」

「え?はい、教えてくださいよ?」

「・・・わしは、すべてを壊したくて強くなりたかったのじゃ。誰の力も借りずに一人で生きて行けるように」

師匠の目は俺をしっかりと見つめていた。そして、その笑顔が一気に苦笑いした。

「まあ、それが間違いだったと思ったのは、もっと後だがな。わしが求めていた強さでは駄目だったんじゃ。どこまでも壊していけばいつかは自分が一番になれると思っておった。でも、どんどん辛くなっていった。わしが壊した後には何も残らなくて・・振り返ればいつも砕けた物しか残らなかった・・」

「師匠・・」

「じゃが、そこであいつらと会ったのじゃ」

「あいつら?」

「そうじゃ。ファントムともう一人。あいつはわしとは違っておった。誰よりも強かったが、ファントムは誰よりも優しかったのじゃ。わしは、当初、あいつが嫌いで嫌いで仕方がなかったがの」

「ああ、それが三巨頭てやつですよね」

「そうじゃ、まあ、それも後の話だがの。・・・わしの昔話はこれで終わりじゃ。のお?悠人。おぬしは何を目指し強くなる?強くなればなるほど、全てが壊れていくのだぞ?その手でたくさんのものを壊すのだぞ?」

「・・・分からない。俺は、なんで強くなりたいのかなんて。だって、今だって何か成り行きみたいな感じだし。でも!これだけは言える!俺はいつも人のせいにしてた。だからちゃんと自分で決めて、選んで、それから、一人は嫌なんだって事。てかー。強くなったからって言って壊すとは限らないでしょ?俺は、絶対壊したりしないし、傷つけたりしない。そしたら、なんで強くなりたいのかどんどん分からなくなってきますね」

俺は苦笑いを師匠に返した。師匠も俺に対して苦笑した。それは、今までになく穏やかな顔だったように感じた。

「そうだな。・・それでいいのかもしれんな」

「え?何か言いました?」

「言っておらん!早く走らんかい!今日もビシビシいくでの!」

師匠の声は本当にいつも通りだった。しかし、その後の修行はいつも以上に厳しかった・・・。

「今日は、さすがに死ぬかと・・」

それでもやはり日を追っていくごとに体も慣れてきた。

「待て、悠人。さっきも言っていたが、本当に強くなりたくないのか?」

「まあ、成り行きですよね?ファントムも最低限の戦力で良いって言ってたし」

「そうか・・行っていいぞ」

俺はそう言われると、そのまま演習室を出た。そのまま亮の部屋へ向かった。

「変な一日だったな」

ドアを開けると、すでに亮とヒヨリを寛いでいる。

「お疲れー。今日はどうだった?」

「師匠がさ~変だった」

「姉御が?変て何?どういう風に?」

「それもよく分からないんだけど」

「何それ?」

「何か・・強さとは?みたいな話されてさー」

「それでなんて答えたんだよ?」

亮は聞いてきた。

「・・よくわからんって言った」

『はあ?』

二人は同時に声を上げた。

「だって、仕方ないだろ!実際自分があんなに動けるようなったって実感もないし。俺は人を傷つけるのは嫌だし。なら、二人はなんでそんな強くなったんだよ?」

実際、二人がなぜ強さを求めたのか興味があった。そしてすぐに答えを返したのはヒヨリだった。

「強くならないと駄目だったんだよ。あたしは生きるために強くなった。ふ・・まあ、悠人には分からないとおもうけど。ここはそういう所だった。信じられるものは自分しかなかったんだよ。チームが出来て初めて、亮に命を預けられるとおもった・・・」

ヒヨリは抑揚のない声で話す。亮も何かを考えているようだった。そして、ヒヨリが終わると亮もすぐ答えた。

「当たり前だったんだ・・ここでは、強くなることが当たり前だった。強くなる事に疑いなんてなく、毎日が過ぎていた。仕方ないことだけどな」

死神の二人は俺には理解できない所にいるんだ。分かっていてもやはり嫌だった。自分から聞いておいて心に何か刺さった気がした。ヒヨリも亮も強くなる事にためらいも迷いもない。ならば・・師匠は悩んでいるとでも?まさか「三巨頭」と呼ばれるような人がいまさら迷っているとも思わない。ならば一体?

「蕪螺木!」

亮に言われて我に返った。

「悠人、大丈夫?」

ヒヨリも心配そうに俺を覗き込んでいる。俺は二人に笑顔を返すと・・何でもない。と話を終了させた。二人も顔を見合わせたが、それ以上は何も言わなかった。


次の日。いつものように演習室の前。辺りを見回しても誰もいない。好都合だ。いつもは邪魔されてばっかだったが、今日こそは自分で開けるのだ。軽く息を吐き、そして思い切り、吸い込んだ。大きな音を立てて、扉が開いていく。その時、後ろから足音が近づいてくる。俺は扉を押しながら後ろを見ると、師匠がこっちに向かって歩いてくる。

「まずいっ」

またしても邪魔されてしまう。一層に力を込めると扉は半分ほど開いた。それだけで体を滑り込ませれば部屋には入れたが、開けきってしまいたかった。師匠はもう後ろにいる。開けきる前に来てしまう。と、思ったが、

「ほれ、早く開けてみい」

と、まさかの励まし。いつもなら有無を言わさずに、蹴り倒されるのに。本当に気持ち悪い。とにかく俺は、力の限り扉を押した。

「おりゃあああ」

そして、扉は全て開いた。最初はびくともしなかったのに。これこそ、成長かもしれないと自分でも思った。師匠は何も言わずに俺の横を通って部屋に入る。そして、俺の頭を掴むとぐりぐりと掻いた。俺が師匠を見上げると、穏やかな顔で

「うむ」

と言っただけだった。なんだか・・・急に胸が痛くなって、俺は泣きそうになった。俺は何も言えずに扉の前に立っていた。

「どうした?入らんのか?せっかく今日で修行も終わりにしてやろかと思うたのじゃが・・」

「・・え?マジで?」

「そこはしっかり聞いておるのか・・現金な奴め。・・まあ、よい。ほれ、はよ入らんかい」

言われるがままに演習室に入る。今日は何をするのか、内心緊張した。最後というからには何か特別なことをするのだろうと考えていた。

「さて、今日も走るがよい」

その言葉を聞いた時は思わず聞き返して拳骨をもらった。

「え?今日も走るんですか?何か他にもっと強くなるための修行とかしないんですか?師匠」

「おぬしはすでに強くなったのだろ?成果が出たと言っておったではないか」

「そうですけど・・・でも、まだ走る事しかしてないですよ?」

「なんじゃ?そんなにわしと殺りたいのか?それとも・・何か欲しいのかえ?」

「いやいや!決して、戦いたいわけじゃないです!なんですか!殺るって・・・漢字おかしいです。それなら、何かください!」

「うむうむ、そうやっていつも素直ならよいのじゃが。して・・・お主に渡すものがある!」

「え?本当になんかくれるんですか?俺的には、冗談だったのに・・」

「・・いらんのか?」

師匠は俺を睨む。

「いります!いります!」

そういって俺の前に差し出されたのは、日本刀だった。綺麗な光沢のあるそれでいてどこか怪しい雰囲気を放つ刀だ。俺はあっけに取られて何も答えられずにいた。

「いや、あの、何かくれとは言ったけど、刀は・・。つか、刀なんて持った事ないし、普通に暮らしてたら刀なんて使う機会もないってゆーか。刀の使い方さえ知らないし、教えてもらってないし・・」

俺がぶつぶつ言うと、師匠は不敵に笑う。そして、その刀の別に刀を出して見せた。何もないところに突如長い刀が現れた。鞘が赤く、これもまたとても綺麗だと思った。

「わしの得意なエモノも刀じゃからな。弟子のお前が使うなら刀しかあるまい」

「いや、理由は分かるけど、使った事ないですって」

「んなもん、実践で、体で覚えればよかろう?」

「ええ!そんな無責任な!」

俺が抗議するといつものように拳骨が飛んできた。どうやら、無責任という言葉が気に入らなかったようだ。が、しかしいたいけな少年に刃物を渡されても困る。俺にはまだ常識があるから良いものの、多感なお年頃だ。一歩間違えれば、間違った世界の仲間入りだ。

そんな意味のないような事を考えながら俺は目の前の刀を見つめた。

「一度くらい手合わせてしてやってもいいぞ?」

突然の紅の申し出に驚いた。今まで師匠と言っても特に一緒に何かをしたわけではなかった。それが、急に手合わせだなんて。

「でも・・・でも、三巨頭とか呼ばれるくらいの人じゃないですか。そんな人と手合わせしたら俺が死ぬ気がするんですが」

「・・・小さい男じゃな。・・まあ、手加減くらいはしてやるぞ?わしは刀を使わん。どうじゃ?素手じゃぞ?刀のほうが圧倒的に有利じゃぞ?」

何かうまく丸め込まれてる気がするが、確かに師匠が手加減して相手してくれるなんて滅多にないし、いい機会だとも思う。俺は大きく深呼吸すると、一礼した。

「お願いします」

ゆっくりと鞘から刀身を引き抜いた。初めて扱う感触は何とも奇妙だ。これから自分が刀を振り回すのかと思うと、怖くもある。忘れがちだが、俺はあくまでも人間で、刃物なんて扱うような人種じゃない。

師匠は、羽織っていた布をはずすと、目つきが変わった。俺は一気に不安と恐怖が体中に走った。

「それじゃ、いくか。まずは適当にお主の好きに動いてみよ。絶対わしには当てられんから」

師匠が余計な一言と共に俺を挑発する。

「じゃあ、行きますよ?」

俺は刀を両手で握り、師匠に切りかかった。が、思うように刀が動いてくれず、かっこ悪くもそのまま躓いて転んでしまった。

「いててっ・・」

「わしは何もしてないぞ?情けないのぉ。成長したのなら、成果を見せぬか」

「・・・分かってますよ!」

俺は立ち上がるともう一度、強く刀を握りなおした。そもそも刀の持ち方からあってるのかも分からない。それでも、必死に刀を振り回し、師匠を狙った。師匠は優雅に交わしていき、時折俺に一撃を食らわせた。素手とは言っても・・・これが結構痛いのだ。見れば、俺の体にはいくつもの痣が出来ている。

「お主・・センスがないのぉ。もっとこう・・・ズバッと、ザクッと出来んのか?」

「擬音語が多すぎて理解出来ません・・。もっと分かりやすく教えてくださいよ」

泣きつくように、ボロボロになった俺は叫ぶ。

「面倒じゃから嫌。・・そろそろ飽きてきたのー」

師匠は余裕に表情だ。俺は、成果?のおかげが、一応は師匠のスピードにはついていけているが、一向に刀がうまく扱えるようにはならない。体中痛いし、俺としてもそろそろ限界だ。最後の力を振り絞って俺は師匠に向かった。だいぶ速さには慣れ、背後を取られる事はなくなった。足の速さで負けるのは、なんだか俺としても嫌だったし。しかし、刀はうまく使えないわ、当たらないわで・・・。

闇雲に突っ込んで行っても交わされるだけだと学習し、じっくりと師匠の動きを見る。そして、「見えた!」とばかりの俺は刀を振り上げた。

それは一瞬の事だった。本当に、師匠に刃先が当たりそうになった時、紅は俺の手首を叩くと簡単に刀を落としてしまい、それを奪われ、逆に俺にそれをつきたてた。そして、今・・・紅は俺に馬乗りになり、こんな状態になっているわけだが・・。

視線を横に移すと、顔のすれすれに刀が突き刺さっている。

(こ・・・・こえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!)

俺は声に鳴らない叫びを出して震えている。この震えは刀を刺されそうになった事もそうだが、一瞬見えた紅の瞳が怖かったのだ。何が怖かったのかは分からないけど、それは弟子を見るような目でなく、あの時・・本当に殺されると思った。

「あの・・・師匠?」

俺が呼びかけても返答がない。紅はしばらく俺の上で無言だ。俺からじゃ表情が見えない。一体どんな顔をしているのだ。そして、やっと口を開いた。

「お主は・・・本当に・・」

「え?」

よく聞こえず聞き返した。

「お主の事を・・殺したくない・・」

な・・何を言い出すかと思えば、とんでもない事を!

「な・・何言ってるんですか?なら、殺さないでくださいよ」

俺は笑顔で答えた。が、それじゃあ問題は解決しなかった。師匠の様子はおかしくてどうすれば良いか分からない。

「・・・師匠?大丈夫ですよ?俺は、ちゃんと今生きてるじゃないですか?俺・・駄目な所たくさんあるかもしれないけど、師匠に殺されるような事しませんって・・たぶん」

最後だけ歯切れが悪くなったが、本当の事だ。

「そうだな・・・分かっておる。分かっておるんだが・・・わしは弱くて駄目だのお」

「何言ってるですか?師匠は弱くないですよ。この状況を見てください」

紅はやはりおかしくて、俺が声をかけても様子がおかしい。こんな時になんて声をかければいいのか分からない。しばらくお互いが無言でいると、紅が大きく息を吐いた。

「・・・すまぬ。おかしな事を言ったな。主は奴とは違う。・・比べたわけではないのだが・・・歳は取りたくないのお」

どうやら元に戻ってくれたらしい。師匠の言う、「奴」の存在は気になるけど、それは今聞くべきじゃない事くらい分かっている。紅が、俺の上から降りて立たせてくれた。

「それにしても、速さだけは一人前だが、どうも動きにまだムラがあるのお。まだまだ未熟じゃ」

何だか嬉しいそうに「未熟」という言葉を紡ぐ。不本意だ。だが、師匠が笑顔だったのに、いっかと思う。

「主にもう一つ贈る物がある・・・じゃが・・・どうにも手元に見つからなくてなー」

突然紅が意地悪く、俺を睨んできた。最初は何の事が分からなかったが・・一つ心辺りがあった。

「あのーそれって、この石だったりします?」

俺は恐る恐るポケットから、いつかの石を取り出した。返すタイミングを逃し、ずっと持っていたのだ。ゆっくり差し出すと、荒々しく紅がもぎとった。そして、勢いよく手を振り上げので、また殴られると思い、きつく目を瞑った。が、次に目を開けると、俺の首には渡したはずの石がかけられていた。

「へ?どういう事?」

「主にやると言っておろうが」

「でも、これ大切なんですよね?」

「そうじゃ、大切じゃ!わしの何よりも大切なものじゃ!だから、やるといっておる。主は、わしの弟子なのじゃろ?ならば、これは主が持つに相応しい。わしもそろそろ成長せねば、ならんからな」

紅は優しい顔で、俺の首にかけた石を撫でた。どこか泣きそうで、前にも見た顔だった。

「師匠・・ありがとう。俺、大事にするよ」

「当たり前じゃ。失くしたら殺すからの?」

そこで笑顔を見せられると怖い。そして、地面に刺さっていた刀を引き抜き、鞘にしまった。そして、紅は俺にその刀を差し出した。俺は何も言わずに受け取り、刀の重さを感じた。結局、刀はうまく扱えないし、まだ慣れない。紅は、それでいいというが、俺も死神の仕事を手伝うのだから、やはり戦力にはなりたい・・と思う。


「それじゃ、今日で主への手ほどきは終了じゃ。いつまでもこの世界にいるわけにもいかないのだろ?主は人間なのじゃから」

急に言われて我に返る。

「そうですね。そろそろ帰らないとあっちは今何月なんだが・・・それに学校もあるし」

「そうじゃ、そうじゃ。早く帰れ!」

むっと不機嫌な顔をすると紅は意地悪く笑う。俺達は演習室を出るとすぐに別れた。俺的にはもう少し名残惜しんでくれてもいいのに・・と思ったが、怖いので心の中に留めた。


「お疲れー悠人!!」

突然飛びついてきたのはヒヨリだった。

「あっ、ヒヨリ。どうしたの?何か嬉しそうだね?」

「だって、明日には人間界に戻れるんだよ?やっと帰れる!」

「そうなの?」

「ていうか、ヒヨリ・・そんなに人間界好きだったっけ?」

ヒヨリの後ろから亮も現れた。

「あれ?何それ?刀?」

亮が俺の持っている物を見つける。そして、その視線は首にも移ったが、そっちには何も突っ込まれなかった。

「亮、明日帰れるって本当?」

「ああ、いろいろ準備が整ったみたいだしな。そろそろこっちにも飽きてたし、俺は嬉しいよ」

「ああー悠人!刀もらったんだ!これで、やっと戦い合えるね?」

ヒヨリが嬉しそうに言う。

「は?嫌だし!俺まだこれ使いこなせないし、そもそもどの場面で使うのかも・・・」

「そのうち嫌でも使うから、使えるようになるさ」

亮は暢気に答える。俺達3人はそんな事を喋りながら部屋に戻る。部屋に着くと、途端に眠気が襲ってくる。今日が最後の死神の世界での夜だ。別にこの世界が好きとかではないが、しばらくこっちにいたので、少しだけ寂しい気持ちになる。今にして思えば、こんなありえない事実をすんなり受け入れられるようになった自分に感心する。こんな事、他の誰に言っても信じてもらえないだろうな。でも、死神も人間も感情は変わらない。それはここに来て学んだ。死神でも親子があり、情があり、仲間意識がある。もちろんそれ以上に劣悪なものもあるが、それは人間だって同じ事だ。またそう思えるようになった自分がすごい。隣で寝ている亮の顔を見つめ、むかつく程に綺麗な顔で寝ている。

全てはこの男に出会ってから始まった。俺の中で終わりがあって、始まりもあった。しばらく亮の顔を見ていたら、俺も眠りの中に落ちていく。


次の日、少しいつもより遅く起きた。隣に亮はいなかったが、すぐに部屋に入ってきた。

「おお、起きたのか?まだ寝ててもいいぞ?どうせやる事ないし。今、帰る準備中だ」

「んー・・・俺にもやる事ある?」

「ないな。俺自体もそんな準備とかないし。ネルを迎えに行くくらいだ」

「んんー俺も行っていい?」

ベッドの中で伸びながら、起き上がる。

「ん?ああ、いいけど」

亮はせわしなく本棚を整理している。いつの日か見た、「帝王学と周りの愚民共」の本が置いてある。

「・・・・」

「どした?」

「別に」

俺はベッドから降り、服を着替えると亮の後に続いて部屋を出た。

「どこにネルを迎えに行くんだ?」

「医務室だな」

「え?どっか怪我してたのか?」

「違う、違う。お前、覚えてるか?ネルが気を抜くとどうなるか・・・」

「あ、ああ。前に何か言ってたよな?何だっけ?思い出せない」

「ま、これから見るし。心の準備だけしとけよ」

亮がぼさぼさの俺の頭を叩く。そして、ざわついた城の中を歩き、上を目指す。そして、長い廊下を歩くと、ドアの前に「医務室」と書いた部屋が見えた。俺が心の準備をするよりも早く亮が扉を開けた。

「ぎゃあああああああああああああああああ」

その日、今まで一番大きく叫んだんじゃないかと思う。

そこには、いつもの風船のように膨らんだネルはいない。それには、萎んで原型すら分からない物体がある。元、顔というか髑髏があった場所は見るも無残に潰れて、顔と判別するのも難しい。いつもは真っ白な風船だが、いまは黒く濁っている。

「え?え?腐って・・?」

予想でもついていたのか、すでに耳を塞いでいた亮は何事もなかったかのように笑う。

「だから、言ったじゃん。あれが、ネルが気を抜いてる状態。てか、うるせぇな、心の準備くらいしとけよな」

「あら、いらっしゃい、亮」

「やあ、プラチナ。ネルを戻してくれる?」

プラチナと呼ばれる風船は、ネルに管?のような物を刺すと、ネルが膨らみ始める。

本当に風船じゃんか!と思った。

膨らみ終わるとネルの髑髏顔が不気味にこちらに笑う。

「ああ、二人共。何か久しぶり。今日、帰るんでしょ?ネルも一緒に帰るよ。たくさん休めた。満腹、満足」

俺と亮とネルは、医務室を出るとそのままさらに上に向かった。螺旋階段を上り、見覚えのある大きな扉の前に出る。そこには、すでにヒヨリとファントムがいた。

「やあ、悠人!君とも今日でお別れだな。人間の君には何かと不便な事もあったかと思うが。君にはいろいろ世話になったね。これからも仮死神として、亮達を助けてやってくれ」

「何か・・・最後だけ良いところ見せようとしてる?」

ヒヨリがからかうといつものファントムに戻る。

「う・・うるさい!ファントムとして、死神の長として、威厳を見せねば駄目だろ!」

うん、まあ、もう手遅れなので、余計な事はしなくていいですけどね。「もう帰っていいの?」

「いいよーいろいろ報告は聞いてるけど、成長したんだって?」

ファントムが笑顔で聞いてくる。自分で言うのもなんだけど・・

「ええ、まあ」    「別に」

俺と同時に答えたのは、紅だった。

「ちょっと、勝手に別にとか言わないでくださいよ!師匠」

ふてぶてしく俺の後ろに立っていたのは紅だった。

「なんだ、なんだ。役者が揃ったな?それじゃ、このまま帰っちゃう?」

『ええ?!』

何そのお手軽感・・・。

「そうしよ、そうしよ。俺、仕事残ってるからめんどくさいし。はい、帰ったー帰ったー」

ファントムが手を叩くと目の前に突然扉が現れる。もう驚きませんよ。これくらいではね。

「え?本当にこのまま?」

さすがにヒヨリが驚いている。

「でも、俺、刀置いてきちゃった・・」

「ここにあるわ」

プラチナが手?のような物から投げてよこした。

「はいはい、これでいいな?それじゃ、お前ら向こうでも元気にやれよ!まあ、また戻ってくるだろうし、しばらくの間だけどな」

何だか世話しなく追い出されてる気がするが、俺に拒否権なんてあるわけもなく頷いた。来た時と同じような扉が現れた。別れを言うでもなく、早々に扉の中に押し込まれる。

「ちょっと、押すなよ!」「早く行けって!詰まるだろ」 「痛い!」

俺達3人は押し込まれ無理矢理扉が閉められる。ファントムがひらひらと手を振っている。紅も笑顔で見送っている。もっとお礼を言うべきだっただったかな・・・少し後悔したが、もう戻れない。その時は、また次に会ったらいーか。その程度に考えていた。

「何か変に追い出された気がする・・」

俺が呟くと同じ事を思っていたのか、ヒヨリも憤慨した。

「あたしはまだ昼ごはん食べてないのに」

「そこかよ」

亮は何かを考え込んでいるようで、無言だ。俺もいろいろ考えたが、考えても分からないので流される事にした。いや、処世術でしょ?俺も大人になったな。しばらくすると、また学校の屋上に放り出された。さすがに、着地はしっかりと出来たので無事だ。


長いようで短く、あっという間に、俺の異世界での生活は終わった。いろいろな事があって、分かり合ったり、合えなかったり。分かり合いたいとは思う。人間でも死神でも俺達は友達だから。

死神の世界で思いがけず友達が出来たり、師匠が出来たり、大切な物をもらったり友達の親に会ってみたり。

ただ・・・今が続いて、大切な物を大切に出来たら・・・・そう願う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る