暗闇は世界を隠す

実に穏やかな日々。だが天気は、あいにく、外は吹雪いている。が、今の高校生にとったら、関係ない事だ。目の前には、冬休み。そして、その前に・・テストだ。現実離れしているかと思えば、そういう所はきちんとあるのだ。俺は、教科書を前にして頭を抱えている。無駄に手の上でシャーペンを遊ばせ、文字を書いては消すという繰り返し。教室の他の生徒も少しざわめいている。昼休みだというのに、皆参考書片手になにやら相談している。教室の窓が、外の吹雪のせいで、ガタガタと音を立てている。まるで俺の悲鳴だ。

俺と・・・ヒヨリは亮を目の前にして必死に勉強中だ。ヒヨリも俺と同様頭を抱えている。途中何度も発狂して、教科書を投げ出しては、亮や俺に噛み付こうとする。そういうのが、周期的にやってくる。今回もまただ・・

「うがーっ!なんで、あたしがテストなんて受けなきゃダメなんだー!?」

またしても、ヒヨリが教科書を投げ出す。

「何でって、俺達高校生だろ?」

しれっと亮が言う。

「違う!あたしは、死にが・・」

俺は慌ててヒヨリの口を押さえる。誰が聞いているか分からない。こんな所で、気安く【死神】なんて言葉を口にしないで欲しい。言った所で誰も信じないとは思うが。俺は、ヒヨリが落とした教科書を拾い上げ、開いた。そして、座りなおしまた教科書を睨んだ。ヒヨリの相手をしている場合じゃないのだ。この二人は、死神だから勉強なんてしなくてもいーかもしれないが、俺はそういうわけにはいかないのだ。留年なんて冗談じゃない。頭のいい学校ではないが、最低ラインは取らなければ、もちろん上にはいけない。だからこそ、亮に勉強を教えてもらっているのだ。亮はと言えば、毎回授業に出てたおかげか?高校の勉強を覚えたらしかった。そんな事もあって、俺にとって忘れかけていた亮の人気がこの頃すごい。他のクラスから女生徒がわざわざ亮に聞きにくるのだ。しかし・・ヒヨリの暴れようを見て、怖くて聞けずじまいだが。そして、そんなヒヨリを見に来る男子生徒も多い。ヒヨリはやはり人気なのだ。俺は、絶対視界には入っていないのだろうと思う。まぁ、いいけど。まずは、目の前にある数学だ。

「もう、ダメだ・・。頭パンクする・・」

俺は、大きなため息と共にシャーペンを置いた。

「まぁ、休憩も必要だしな!」

亮はそういうと俺の口にポッキーを押し込んできた。

「勉強疲れには、糖分だ!」

俺は、ポッキーを食べながら大きく伸びた。ずっと同じ姿勢はつらい。そして、何だか走りたい衝動に駆られた。体動かしたいなー。そんな風に俺達3人は、今日も昼休みを過ごしていた。そして、まさか外で吹雪いてるよりも、嵐が来るとは思わなかった・・・。


「大変よっ――――!」

突然、教室の扉が大声と一緒に開いた。

「誰ッー―――?!?」

だって、完全にこの学校の生徒じゃないだろ。髪は、腰まであって、ゆるいウェーブがかかっている。身長も高くて、顔立ちはとても綺麗だ。肌もとても白くて、まるで女神か。そんな綺麗な人が、大声で教室に入ってきたんだ。そりゃ、驚く。しかも、一直線にこちらを目指して進んでくる。

「あれ?マリー?なんでいるの?」

ヒヨリが普通に喋りかける。

「えっ?知り合い?」

俺は驚いて後ろを振り返った。ヒヨリが怪訝な顔をしている。

「ふふっ。久しぶり。ヒヨリ。あいかわらずブサイクね?」

美女はヒヨリに大胆不敵に言う。

「何だと!この変態!」

「あら!失礼ね!おこちゃまが!」

「それで?何してんの?マリー」

「あらー!亮じゃない。あなたはあいかわらずかっこいいわね」

美女が手を振る。え?この状況は何?亮達の知り合い?いや、待て!考えろ!俺。亮達の知り合いって事は、人間じゃないー?呆けて見ている俺に向かって美女がにっこり笑う。

「あなたも、ブサイクね」

「・・・え?・・・えぇー?」

な・・泣くな。俺。

「あらー?何よ!姉さん。その子可愛いじゃない!私、好きだわ」

後ろのドアにまたしても現れた。俺を含め、その場にいた誰もが言葉をなくした。さっきの美女とうって変わって今度は、身長180センチ近くある、スキンヘッドで・・・それに、おねえ言葉だ。

お・・おかまだーっ!叫びたかったが、後が怖かったので、心の中で叫んだ。

「ローズ!あんたこんな趣味だっけ?」

「嫌だっ!姉さん!私だって、可愛いものが大好きよ?だから・・その子は私の好みなの」

そのがたいのよいオカマは、俺にウィンクした。俺は後ずさって亮の後ろに隠れた。

「ローズまでいる・・」

「マリー・ローズ質問の答えが返ってきてないけど?」

「ごめんなさい、亮。今日は一応仕事なのよ!」

「緊急か?お前らの班がこっちに来るのは珍しいよな」

「亮ちゃん!そうなのよ~私達もびっくりよ?それに、お使いまで頼まれちゃってるんだからぁ」

「だから!早く本題に入ってよ!」

ヒヨリがイライラと二人を急かす。が、二人は全く話を聞いてないのか、自分達の話を続けた。亮は、慣れているのか、やれやれと何も言わずに相手している。マリーと呼ばれる黒髪の美女は亮の近くまで来て、亮にするように座った。俺は、さらに亮の後ろに隠れた。

「ローズ、マリー!ここにいたのか!」

グダグダと話が進んでいる中、またしても現れた。今度は、身長150センチ台であろう。俺より背が低い。少年が扉から入ってくる。もはや、俺たちの誰も外野は気にしていない。わが道だ。どうやら、今度の少年も兄弟らしい。三人兄弟の末っ子といったところだろうか。この子は普通のようだ・・。

「やぁ、壱。久しぶりだな」

「おう、亮。久しぶりだな」

壱と呼ばれる少年は亮に偉そうに喋る。一瞬を俺を見た気がしたが、すぐに視線を戻した。

「悪いな。騒がして。しかし、大変なんだ」

「それ!さっきから言ってるけど、早く話してよね!」

ヒヨリが壱にイライラMAXをぶつけた。壱は、笑顔でそれに答えた。なんだか、ちょっと亮みたいだと思った。

「それじゃ、本題だが、そいつが蕪螺木だろ?・・ファントムが、呼んでるぜ?」

「なん・・だって?」

「え?何?どゆこと?」

俺は意味が分からなかった。また、このパターンか?

「お前も一度死神の世界に行かなきゃいけないって事だよ」

壱が、説明してくれた。要約すると、死神の仕事の手伝いをする俺にも、ちゃんと証明書を発行しないといけないから、手続きのために一度死神の世界に来てくれって事らしい。意外と事務的なのだ。もちろん俺には、断る権利はないのだろうけど、ただ目の前の事実を呆けて見ているだけだった。突然の来客。それに、隣には、オカマの脅威。

「お前らは、何しに来たんだ?」

「だからーあたし達も仕事なのよ!さっきも言ったけど、緊急なの」

「そうなの!こっちにA級の奴が来ちゃったらしくてね?やっぱりA級でしょ?黒の奴らも狙ってるらしいし、白の奴らも来てるっていうから・・もう大変なのよー!」

「それで、運送率ナンバー2のあんた達が来てるってわけか」

運送率?なんだろう、それ。

「そうよ、亮ちゃん」

亮はうまくオカマの手を掻い潜りながら席を立った。そして、俺を見た。

「お前は、いつまで俺の後ろに・・一応死神の先輩だぜ?挨拶しとけよ」

「え?俺?」

「そうよ!そうよ!名前教えて欲しいわ」

「はぁ。あの・・・俺、蕪螺木 悠人って言います。よろしくお願いします」

俺は深々と頭を下げた。

「おう、俺は、死神の壱だ。まぁ、これからたくさん情報詰め込まれるだろうし、班の事はおいおい話すさ」

「あなたの不細工さは、聞いてるわ。私が、次女のマリーよ」

「私が、末っ子のローズよ。悠ちゃんよろしくね」

「・・ゆ・・悠ちゃん?!」

俺は、背中に寒気を感じた。

「鞠(まり)緒(お)!ちゃんと名前くらい名乗れ!」

「鞠緒?」

俺は首を傾げた。

「嫌だー!何で、言っちゃうのー?」

「悪いな、悠人」

壱がため息をついた。

「鞠緒なんて名前はとっくに忘れたわ!今は、あたしはマリーなのよ!」

「そうよ!姉さんの名前は、美しいマリーなのよ!ひどいわ!名前を言っちゃうなんて!」

「・・あの、名前変えたんですか?でも、あれですよね!もとが、鞠緒なら、マリーて名前に似てるし、合ってると思います」

「うるさいわね!名前なんて捨てたのよ!」

黒髪のマリーが髪を振り乱し震えた。

「姉さん!」

ローズがマリーの肩を支えた。

「ちなみに、そっちの三男が、ローズじゃなくて、雪男(ゆきお)だ」

「雪男っ?!」

待て待て。こっちはまったく接点がないじゃん!てか、雪男?漢字・・これ?

「いやん、その名前は出さないで。私は姉さんほど嫌じゃないけど、今はローズなの!悠ちゃん?ローズて呼んでね?」

ウィンクされた。俺は、さりげなくウィンクを交わしながら、亮とヒヨリの顔を見たが。二人は我関せずの顔をしている。

ひどいっ!

「何よ!壱なんて名前つけてもらってるからって・・・ずるいわ!」

「はいはい」

マリーもローズも完全にすねてしまっている。

「あ~・・壱君も大変だよね?」

「何が?」

壱が俺を見上げている。何だか新鮮な気分だ。俺は、いつもより声を落として壱にだけ呟いた。

「大変なお兄さんとお姉さんで」

「え?」

俺がそう言うと、壱が小さく笑い出した。俺は何事かとまたしても亮を見た。見かねたのか、亮が口を挟んだ。

「お前は、大きな勘違いをしている。壱は大人だぞ?」

「あぁ、そうだよね。三人の中で一番大人な考えをしていると思うけど?」

「違うよ、悠人」

まだ壱は笑っている。

「もうっ!行くわよ!あたし達だって暇じゃないんだから!」

マリーがとげとげしい声で教室の外に向かった。

「あっ!姉さん、待って」

ローズも後を追うように走った。こちらに・・またね!と手を降るとマリーの後ろを追いかけた。そして、怒号がまた一つ飛んできた。

「壱兄さん!早く行くわよ!」

「・・今行く」

「・・・兄さん?」

壱がこっちを見て、笑う。

「じゃな。またすぐ会えると思うけど、次会う時までにいろいろ理解しとけよ?悠人」

壱も手を振ると教室が出ていった。ちょうど、昼休みが終わるベルだった。俺は、混乱状態の頭をどうにか鎮めるため、頭を振ったが、気持ち悪くなるだけで終わった。怒涛の昼休みだった。

「悠ちゃん?説明が必要かしら?」

ヒヨリが近づく。

「悠ちゃん言うな!けど・・説明は・・いる」

「素直でよろしい」

亮もそれに加わって、プリントの裏に何やら書き始めた。紙には、壱・マリー・ローズと名前が書かれた。

「それでは、課題です。ここに、お前が知っている情報の全てを書け」

俺は言われるままに、ペンを取った。

「えーと、まずさっきの会話とか全部思い出して書くと・・・マリーの名前が鞠緒で、ローズの名前が雪男で、それで壱だろ?んで、マリーが次女で・・・あれ?さっきローズが三男て言ってなかった?あれ?壱はどこに行ったの?」

「悠人―!はずれー。訂正すると・・・こうなる」

ヒヨリが、今度は赤ペンを持って、俺が書いた上に付け足していく。そしてその結果に・・・

「ぎゃー!!壱が、長男?!そして、マリーは次女じゃなくて、次男?!男?・・おとこーーーー?・・・・マジで?」

「マジで」

亮が頷いた。

「何これ・・どうやったら、こんな兄弟が」

「すごいだろ?まぁ、実力あるから、周りも何も言わないんだよ。さっき言ったろ?壱は大人だって!」

亮は笑う。

「それに、あいつらは運送率NO.2の実力だ。運送率ってのは、仕事の成功率の事で、まぁ、成績がいいって事だ。死神といえど、仕事にはきちんと成績がある。お前も、あいつらの名前くらい覚えておいて損はないぜ?」

「あ・・・うん」

そして、ヒヨリは俺の肩に腕を廻して、ニヤニヤしている。

「それで?悠ちゃん。どうすんのよ?」

「何を?」

俺はキョトンとして、ヒヨリを見た。

「もうっ!マリー達の話聞いてた?悠人は、死神界に行かなきゃダメなんだよ?」

「はっっ!」

そういえば、忘れていた。あまりの目の前の騒がしさにそんな話題は耳に入っていなかった。

「そんな大した事じゃないが、一応死神界には行かなきゃダメだなー。別に緊張する事ないぞ?陰気臭い場所だが、手続き終わったら、すぐ帰れるだろ?それに、俺もあそこは好きじゃないから」

「なんだが、向こう帰るの久しぶりだよね」

そうか・・。亮達にとったら、自分達の世界なのだ。こちらが違う世界で、家に帰るようなもんなんだよな・・そんな事を俺は考えた。亮はなぜ好きじゃないのだろ?陰気臭いからか?【死神の世界】・・・こんな仕事を手伝っているんだ、今更驚きはしないが、まだ慣れない。ファンタジーか?違う世界に行くなんて。

「どんなトコなの?」

「こっちとあんま変わらないと思うよ!外見だって、ちょっとおかしなのはいるけど、人間みたいだしね。向こうの方が、空気がおいしいけど。・・悠人が想像してるような、怪物はいないから!つか、失礼でしょ!その想像は!」

俺は、自分の心の中を読まれたようで、驚いた。そして、ヒヨリに殴られた。

「ごめん。だって、他の世界に行くなんて、想像出来なくて・・」

「そうだなー。蕪螺木には、これからいろいろ教えなきゃいけない事があるけど・・その前にお前らテストはいいのか?もちろん、向こうに行くのは、テストが全部終わってからだからな?」

『・・・ぎゃっっーーー‼‼』

俺とヒヨリの悲鳴が教室に響いた。そして・・・次の授業の間、亮はずっと窓の外を見て、複雑そうな顔をしていた。俺は、それをずっとこっそり見ていた。その頃の俺には、理由が分からなくて、踏み込む事が出来なかった。

目の前のテストよりもどうしても死神の世界に行く事の方が気になって勉強など手に付かない。あの日から、亮はその話を特にはしてこない。ヒヨリも勉強に必死で、3人で図書館で勉強する日々を過ごした。そして、淡々と月日は過ぎ、テストも全教科何とか終えた。俺は、机にうな垂れながら、とりあえずテストが終わった事を喜んだ。


そして・・・とうとうこの日が来た。テストが終わり、明日から夏休みだ。どこかに行くなら、絶好の機会だが、まさか死神の世界に行くなんて思いもしなかった。

「どうやって・・・行くんだ?」

俺は、亮とヒヨリと共に学校にいる。死神の世界に行くなんて言うんだから、すごい入り口があるに違いない。

「実は・・・入り口はこの学校にあるんだ!」

「えっ?!そうなの?」

「そうそう。だから、壱達も俺たちのとこに真っ先に来たんだって。それに、俺達が始めて会った場所は?」

「屋上‼」

「ピンポーン!入り口は屋上にあるんだよー」

ヒヨリが廊下を歩きながら言う。て、事は俺達は屋上に向かって歩いているわけだが、屋上にそんな扉っぽい場所あったか?

そして、屋上に着くとそこには、ネルがいた。

「ネル!何してんの?」

「遅かったね、悠人。ネルも一緒に向こう行くんだ。ネルもたまには、帰りたいし、メンテナンスもしてもらいたいから。あっ!準備はちゃんとしといたよー亮」

髑髏の顔が笑う。

「あぁ、ありがとう、ネル。早速行こうか」

「行くって、どうやって行くんだよ?扉っぽいものはないぞ?」

俺は辺りを見回した。

「すぐに現れるよ」

ヒヨリがそう言って、屋上への扉を閉めた。そして、次の瞬間・・・目の前に扉が現れた。普通の扉だ。扉が空中に浮いている以外は。扉の外観は、どこの家にでもありそうな引き扉だ。

「・・これ?」

「それ」

「何か・・意外に普通だよな」

「何想像してたんだよ?これは、ファンタジーじゃないんだぞ?そんな、これ見よがしな扉が出てくるわけないだろ?」

いや・・亮達の存在はすでにファンタジーだ。

「さぁ、行こうか?」

亮がゆっくりと扉を開けた。

俺は、大きく息を吸い、日常が剥がされる現実と、まるで、空想の世界に行こうとしている底知れぬ・・恐怖のような、誘惑のような焦燥感を抑えた。

一瞬目を覆うような光に包まれたかと思った瞬間、目の前には暗闇が広がった。

「着いたよ、悠人」

ヒヨリが腕を引っ張った。俺は、まだ目が慣れなくてあたりが見えない。が、冷たい風を感じる。静かすぎて、逆に耳が痛いくらいだ。だんだん目が慣れてくると周りの景色もおぼろげに見えた。そこに広がっていたのは、想像以上の闇だった。色で言えば、黒だ。どこまでも黒い。少し先に大きな建物が見える。かなりでかいものだという事は分かった。近づくにつれて、どんどんその建物のでかさが分かる。

「うわぁ!でかいな」

「ここが、死神の運送の本社だ。死神は、絶対にどこかの部署に所属してるんだ。俺らはもちろん、運搬な。他にも、受付とか引き受けとか。まぁ、いろいろあるわけだ」

「へえ」

「何、変な声出してんの?」

ヒヨリが笑う。だって、無理もないだろ?目の前にこんなもんあったら、誰でもこうなる。俺達は、裏口らしき小さな扉に向かった。

「正面から入らないの?」

「あれは、荷物用の扉なんだ。働いている俺達は、裏口で十分!それに、正面からなんて入りたくないからな」

そう言った亮は、前にもした、複雑そうな顔だ。俺は何か言いたかったが、やはり何も言えなかった。そして、小さい扉を押して中に入った。中は、外よりも少し明るかった。所どころに明かりがあって、その照明が揺れているのか、床に照らされる光も絶え間なく揺れて、足元を照らした。やはり中も大きくて、そこら中が拭きぬけになっていて、天井がとにかく高い。伸びた階段は、うねって上へ続いた。想像以上に内部は綺麗だった。俺は亮とヒヨリの後ろを着いて歩く。辺りは静まり帰っている。

「誰も・・いないね?」

「いるさ。たくさんな。ここはまだ入り口なだけだ。あそこの広間に出たら大勢いるよ」

すでに結構歩いたはずにまだ入り口だと言う。そこに通りかかる途中に、本がたくさん積まれた部屋が二つあった。一つは、とても綺麗に整備させていて、何とも奇麗な部屋だった。そして、もう一つは逆に本が散らばったり、高く積まれたり、あちらこちらに本の切れ端が落ちている。説明はヒヨリがしてくれた。

「なんで?」

「一つは、娯楽用の読書部屋。もう一つは、資料部屋なの。奇麗に片付いているのは・・娯楽用の方だよ。ここの他にも、本当はたくさん娯楽用の部屋があるの。例えば、映画鑑賞室とか、大浴場とかね?でも、全部この部屋のように奇麗に片付いてるんだ。ていうか、片付いてるんじゃなくて・・・ほとんど使ってないから、汚れないだけ!逆に、汚れているのが、資料室とか仮眠室ね。死神が下調べをしたりするのに、よく使われて、しかもそのままの状態でみんな出てくから、この有様なわけ」

「なんで、娯楽用は使われないんだよ?」

「ふふっ。そんな暇がないだけ。・・・間違っても勤勉だなんて思わないでね?死神は、莫迦な幻想な抱いているだけだから」

「幻想?」

「まぁ、そのうち分かるよー。それに、娯楽用なんて使わない部屋作っても意味ないのに、未だに増え続けているんだから!無駄な事だよね。娯楽用なんて、名前だけ!」

亮は何も言わずに歩き続ける。そして、亮の言っていた広間に出た。そこは本当に大きな広間で中心の場所だけ、光で照らされ、サイドは暗くてよく見えない。が、確かに人の気配をたくさん感じる。俺達は広間の光の道を歩いた。サイドから視線が来ているのが分かる。

「蕪螺木!大丈夫だ。気にせず歩け」

瞳を塞いでも、耳を塞いでも、嫌な声が頭の中に流れこんでくる。周りのヒソヒソ声が耳を劈く。

(おい!見ろよ。あの班が帰ってきたぞ!役病神の班だ)

(一緒にいるあいつ誰だ?人間じゃないか?)

(帰ってこなくていーのに!化け物なんてここには必要ないだろ)

(嫌われの男!呪われの男!闇に囚われる男!いなくなれ!)

(なんで、人間なんか連れてきてんだ?まさか一緒に運送やらせる気じゃないだろうな?)

(見ろよ!あの貧弱そうな奴!早く死ねばいいのに・・・)

そこら中でヒソヒソ声と、嘲笑の声が聞こえる。なんだよ・・これ。なんで、こんな事言われてるんだ?もちろん、亮にはこの声は聞こえているだろう。これじゃあ、まるで亮が悪者みたいになってるじゃないか!俺は、隣に歩く亮を見上げた。まただ・・あの複雑そうな顔。亮は分かっていたんだ。自分が帰ってくればこうなる事が。まるで、亮が咎人のような、世界の敵のような扱い。それでも、亮は俺の視線に気づくと、笑ってみせた。

亮は・・・気づいているだろうか?その笑顔がどんなにひどいものか。どんなに痛そうなものか。どんなに俺の心を締め付けるものか。ヒヨリは、亮の腕を掴んだ。全てを知っているように。

俺達はしばらくそんな状況の中を進み、そして、目の前には螺旋階段だ。

「ここ上がったら、ファントムのとこ着く。ネルはここでお別れー」

「あぁ。好きに休んでおいで」

亮はネルに手を振る。俺は、何も言わずにいた。何も言えずにいた。俺達は、さらに螺旋階段を上へ上へと進む。その途中に見えた部屋は、ヒヨリが言っていたように、仮眠室はとても乱雑になっていた。そして、庭園らしき場所はゴミ一つ落ちていない。最も、草木は全て枯れていたが。

「亮―!」

螺旋階段をものすごい勢いで降りてくる青年がいた。

「いやー!久しぶりだね!元気だったかい?ヒヨリも久しぶり」

その青年は亮くらい身長があり、口には飴を含んでいる。なんだか、今までの死神の印象を一気にふっとばした。顔は童顔なのだろう、とても若く見える。ヒヨリは驚いていて、声が出さない。そんなヒヨリを、青年は抱きしめる。

「あんた・・・何してんだ」

「来るのが、遅いから心配したんだぞ?また、逃げたのかと・・」

青年はやれやれという風に亮に笑顔を向けた。亮は一瞬表情を変えたが、すぐ持ち直した。そして、青年は俺に向き直って笑顔だ。

「やぁやぁ!君が蕪螺木君だろ?俺が、ファントムの部屋まで案内してあげるから、早く行こう!」

「あぁ、はい」

「カワイイな。蕪螺木君は」

頭を撫でられた。なんだか誰かみたいだ。俺達は、おとなしく青年に着いて行った。死神と言っても、容姿は人間と大差ないようだ。もっとすごいのがいるのかと思っていたからな。

「亮とは仲いいの?」

青年が俺に質問してきた。

「え?あぁ、まあ学校では大抵一緒にいたりしますけど」

「へぇ?そういうのって、仲いいっていうんだ?」

青年がくすくす笑う。何か嫌な感じだ。俺は話を変えるために、質問をした。

「あなたこそ亮とは付き合い長いですか?」

「うん、亮の事は生まれた時から知ってるよー」

「え?そんなにあなたって歳なんですか?」

「死神なんてものは、外見で判断したらいけないな。死神にとって、外見なんてあんま意味ないからね。そこで、惑わされたらダメだよ?案外、歳!て、人もたくさんいるからね~それに、君が思ってるほど、死神は奇麗じゃない。亮とかは、とても人に近い姿をしているけど、人とは呼べない奴らもたくさんいるからね?人の姿に近いほど、力があるって証なんだけど」

「それじゃ、あなたも力が強いんですね?」

「・・・さてね、それはどうかな?」

青年は嗤う。そして、俺達は死神の世界で一番偉いファントムの部屋の前に着いた。これまた、想像と違って、とても質素な作りだ。もっと荘厳な感じかと思ってた。

「蕪螺木君、ファントムに会うの緊張する?」

「そりゃまあ。何かすごい人出てきたらどうしよう!て思います」

扉を開けようとした瞬間だった。

「ファントムーー!見つけたーー!仕事サボってどこ行ってんだよー!」

遠くから、ネルが走ってくる。

「ネル?」

「あれは、ネルじゃないよ」

でも、どう見ても白い風船に、髑髏が着いてる顔がこちらに向かってくる。そして、そのまま俺の目の前の青年にタックルをかました。

「げっ」

「なんで!いつもいつも消えるのさ!その度に、うちが見つけるのに、どれだけ苦労してると思ってるんだ・・」

「ごめんごめんっ。亮達の迎えに行ってたんだって!ね?許して?」

「亮?」

「やぁ、プラチナ。相変わらず、大変そうだね」

「亮!帰ってきたんだ!おかえりー!」

ネルにそっくりの白い風船が亮にタックルをかます。

「なんで、俺には冷たいかな~プラチナは。こんなに可愛がってるのに・・」

青年は亮になつくプラチナにため息をついた。

「仕事しないファントムは嫌いだ!莫迦―!」

「また、仕事してないの?ファントムは」

ヒヨリも呆れた声を出す。ん?ちょっと待て?

「何だよ!皆して。蕪螺木君は分かってくれるよな?仕事ばっかしてると飽きちゃうんだよ!」

「・・・ファントム?」

俺は呟いた。

「あっ・・せっかくうまく誤魔化せてたのに、もっとかっこよく登場するつもりが・・プラチナのせいだぞ?」

「知りません!」

「おい!蕪螺木固まってるぞ!」

「ああっ!ごめんね」

青年は、立ち上がり、そして、ファントムがいるはずの部屋のドアを開けた。奥にはイスがある。彼は扉の前に立った。

「改めて自己紹介だ。死神の世界の頭をしている、ファントムだ!それから・・・亮の父親の、本名は竜二です」

ファントムは俺の前でVサインをしてみせた。そして、俺の叫び声が建物中に響いたのは、言うまでもない。

「あのなー悪ふざけも大概にしろよ!」

「ちょっと驚かそうと思っただけだろー。そんな怒るなよ!」

「蕪螺木は人間なの!おもしろがってからかう癖、どうにかしろよ!」

俺は落ちついて、ファントムの部屋でプラチナが入れた紅茶を飲んでいた。

「親子喧嘩だねー」

ヒヨリが平和そうに言う。

「いつもこんな感じ?」

「いつもは、亮がファントムから逃げ廻ってる。けど、ファントムはあんな感じだから、亮が好きすぎて、城中追いかけ廻してるんだ」

俺達は紅茶と共に出てきたデザートを頬張る。

「ヒヨリ!余計な事は話さなくていい」

亮が冷たく言う。・・・余計な事って・・・亮の事を俺が知る事は余計な事なのかよ。八つ当たりとは言え、ムカッときた。

「そういえば、ごめんなー蕪螺木君。実は、書類がちょっと遅れてて、今日は手続きが出来ないんだ。来てもらって悪いけど、今日はここで過ごしてくれるかな?城の中見て廻ってもいいし。案内は、ヒヨリに頼んでもいいかい?」

「あたしはいいけど・・・」

「あっ、はい・・だいじょ・・」

「冗談じゃない!話が違うじゃないか!蕪螺木だってこんなとこ長くいたいわけないだろ!蕪螺木も流されるなよな!自分の意見ははっきり言え!」

まったくもって、亮らしくない発言だった。そして、俺はその八つ当たりにまんまと乗ってしまった。

「勝手に決めんなよ!ここに来てから亮おかしいよ!俺は、ここにいる事、全然いいよ!それに・・俺にそんなに自分の事知られるの嫌かよ?ファントムが父親だったなんて、初めて聞いた!たくさん話題は出てたのに、初めてだ!しかも、亮の口からじゃない!別に、俺は流されてねーよ!八つ当たりかよ!何、イライラしてんの?お前は何も話してくれないから、俺は何も分からない!」

一気に喋って息が上がった。亮は一瞬驚いた顔をしたが、そのまま返答してきた。

「そうかよ!なら、好きにしたら?案内だって、ヒヨリがやってくれるだろ?せいぜいここでの生活を楽しめよ!お前なんてすぐダメになるから!」

「なんだとっ!」

「亮!」

亮はそういうと、ファントムの部屋を出ていった。遠くで、扉の閉まる音が聞こえた。そして、静かになった。ファントムの部屋にいる俺達も誰も喋らない。俺は、しまったと思ったが、別に間違った事は言っていない。最初に口を開いたのは、ファントムだった。

「すまない。俺のせいだな・・またやってしまった。もし、良かったら・・・少しだけ、亮の弁解を・・いや、亮の事を話そうか?」

ファントムは苦笑した。俺は、本当は、亮の口から聞きたかった。けど、多分亮は話してくれないんだろうと思う。俺は頷き、座りなおした。ヒヨリもおとなしく隣に座った。プラチナはもう一度暖かい紅茶を淹れなおしてくれたし、ファントムは一つ一つ言葉を選んで喋ってくれていたし、ヒヨリはずっと俺の腕を掴んでいた。皆の配慮が見えて、とても申し訳ない気持ちになった。

「本当は、亮が言わなきゃいけないだろうな・・けど、あの子は絶対に言わないと思う。でも、それは全て俺のせいなんだ。亮はね・・・一度も俺を『父親』として呼んでくれた事がないんだ。あれの母親は亮を生んだ時に死んでね。まぁ、よくある母親の愛情を受けた事がない子供なんだ。・・でも、俺は母親がいなくて、哀しくなんかないように、必死で亮を育てた」

ファントムの顔はいつ間にかとても父親の顔になっていると思った。俺は、おとなしく話しを聞き続けた。

「でも・・亮は俺が息子として可愛がれば、可愛がるほど、離れていった。もちろん、可愛がるといっても、しっかり怒るところは怒ってきたさ?俺も、それにとても悩んでな。理由が全然分からない。そして、ようやく理由が分かった」

ファントムは言葉を止めた。

「蕪螺木君達はここに来るまでに、この城の奴らが、亮に対しての態度を見たかな?」

はっとした。あの、耳を劈くような、憎悪と恐怖の声。俺は、ファントムに頷いてみせた。

「そうか・・。それが、答えだよ。亮は、ファントムの息子として、幼い頃は周囲から疎ましく思われていた。あの子は、ずば抜けて才能があったのもそうだがな。そして、いつからかあの子は自分に対して反抗したものは全て潰すようになった。俺は・・・ファントムとしてではなく、竜二として、亮を育てたつもりでいたのに、いつ間にか歪んでしまっていた・・。あの子に近づくこうとすれば、するほど、亮を傷つける事に気がついた。それから、俺はあの子から距離を置くようになった。亮は決して、自分から弱さは見せない。いや、本当に平気だったのかもしれない。あのこは、強い子だから。昔から一人でいる事を好んだから。世界を、自分とその他・・としか、見ていない。今の仕事のメンバーを決めるのもとても大変だった。ヒヨリは、亮に力づくで認めさせたしな」

ヒヨリは笑って答えた。

「あたしは、亮の事嫌いじゃなかったし、いつでも城の中で亮が独りでいるのは知ってたから。それに、あたしも似たようなもんだったから」

「亮は・・・今でも俺を憎んでいるんだろうな。いや、死神という存在が嫌いなのかもしれない。だからこそ、運搬の部署に入って、あまりこの城によりつかないようになった。俺のせいなんだ。だから・・あまりあいつの事嫌わないでやってくれ」

「ファントム・・」

プラチナはファントムを見つめた。

「悪いね!こんな辛気臭い話になって・・・ヒヨリに城を案内してもらうといい」

ファントムは笑顔で促した。俺は、ヒヨリと立ち上がると扉を開いた。そして、俺は振り向いた。

「あの・・・俺は、亮がファントムの言うような事思っているとは思いません!うまく言えないけど・・・ファントムはきちんと父親だと思います!」

俺はファントムに一礼するとヒヨリと歩きはじめた。ファントムは俺達の背中を見つめた。

「全く。人間のあいつに何が分かるというのだろう。なぜ・・・あんな根拠のない一言が心を軽くしてくれるのかな」

ファントムはプラチナに紅茶のおかわりを頼んだ。そして、俺とヒヨリは、城の中を見て廻った。さっきここに来る前に見た大きな門が開かれていた。そこには、いろんな荷物が届いて、死神達てごった返している。高く積まれた手紙や小包が今にも崩れそうだ。そして、籠の中には、人魂のような物がたくさん入っているものもあった。それに、さすが死神の世界ともいうべきか・・鎌を持った死神やら、何人か物騒な連中もいる。そして、霊らしきものも、繋がれてたくさんいる。運送と言っても本当に様々のようだ。


ヒヨリの説明によると、死神の他に、通称【黒】と呼ばれる悪魔の存在と【白】と呼ばれる天使の存在があるらしい。そして、俺のいる人間の世界。死神は全ての世界から運送を請け負う。この種族は、全て対立関係にあって、抗争になる事も多々らしい。だから、死神のほとんどは闘う訓練を受けている。もちろん、俺が会った、壱・マリー・ローズもだ。思った以上にこれは血生臭い世界だった。それに、死神運送は、スリーマンセルが基本だ。常に、三人で行動しなければならない。それが、『班』と呼ばれる。これは、色の名前からとっているらしい。ちなみに、壱の班は「銀(ぎん)朱(しゅ)」らしい。そして、俺のいる亮の班は、「黒緋(くろあけ)」というらしい。他にも班によりいろいろ名前がある。それに、この世界には、ファントム以外に、もう二人偉い人物がいる。ファントムを筆頭にそれらを『三巨頭』と呼ぶ。


「ダメだー!覚えきれない」

「別に今すぐ覚える必要はないよ。そのうち覚えてくるから。それに、覚えなくていい知識もたくさんあるからね~」

「俺達の班は、黒緋って言うんだよな?スリーマンセルのはずなのに、俺が入る前は、二人じゃないか?どういう事?」

「むー悠人のくせに、いい所ついてくるな」

「なにソレ?」

「詳しくは、亮が言わないとダメなんだと思う。だから、言わない。けど、本当は三人になるはずだったよ?でもさ・・・確かな誓いなんて何処にもないんだよね。友情とかそういう安易な言葉じゃ・・説明出来ない。ごめん」

「何だよ!ヒヨリが謝る必要なんてないよ!元はと言えば、亮が悪い!」

俺はしおらしいヒヨリに慌てて亮のせいにした。そして、俺は一人になりたくて、ヒヨリに分かれを告げた。別に行く所もなくて、フラフラと彷徨った。他の死神を避けながら歩いた。そして、食堂の前で、あの嫌な声を聞いた。

(おいっ!聞いたか?黒緋が帰って来てるらしいぜ?)

(俺も知ってる!しかも、人間連れてきたらしいぜ~)

(人間・・・一度いいから食べてみたいわね~死神は人間を食べる事はご法度だけど、もしここで会ったら、わからないんじゃない?)

(止めとけってー。どーせ、ファントムが見てるだろ!お前、殺されるぞ)

(分かってるわよー冗談!けど、あいつは殺してもいいなじゃない?)

(亮は、いらない存在だからな~ここに帰ってくる事自体がおかしいだろ!)

(ファントムも、自分の息子だからって贔屓してんだろ?)

(あいつは、化け物だよ!)

全く勝手な事を言っている。亮の事何もしらなくせに!いや、俺も何も知らなかったんだった。でも、亮があんな風に言われる事がとても腹立った。今、もしここで俺があいつらの中に飛び出たらまさに袋叩きだろうな。そんな事分かっていたのに、止まらなかった。俺は、どこもかしこも汚れている食堂に入った。そして、一気にその部屋にいた死神の視線が俺に向いた。それは、まさに殺気のような、嫌悪のような、まるで、害虫でも見るかのような視線だった。俺は気にせず、さっきの会話をしていた死神の側へ行き、思い切り机をたたきつけた。

「お前ら!勝手な事言うな!亮の事知らないくせに!死神は自分の仲間すら殺そうとするのか!悪魔と違うって聞いてたのに、これじゃあ、一緒じゃないか。俺なんか全然亮の事知らないのに・・信じる事くらい出来るぞ!」

「何だと・・?人間風情が死神に逆らうか!悪魔と同等にされるとは、侮辱する気か!」

死神達が一斉に罵声を浴びせた。俺は・・最初は言い返すつもりでいたが。やっぱり無理!

俺は、浴びせられる罵声の全てを無視して、何も言わずに部屋を走ってでた。追いかけてきたが、そこは足の速さだ。俺はすぐに食堂から姿を消すことが出来た。

「あいつっ!人間のくせになんて足の速さだ!」

死神達は、口々に不満を漏らした。そして、食堂に隅の一角に女が座っていた。

「ふふっ、あいつ逃げおった」

そういうと、女は立ち上がり食堂を出た。

俺は、ひたすら走った。怖くて、後ろを振り向けなかったが、どうやら誰も追ってこないようだ。分かってはいたが、やっぱ馬鹿な事をした。なんで、あいつのためにこんな事をしてしまったんだろう。俺は座りこんで、ため息をついた。そして、次の瞬間だった。思い切り前のめりに後ろから蹴られた。

「こんなとこにおったか!」

「!・・・誰?」

「お主!よい啖呵だった!だが・・・逃げるとは全く笑えたわ」

俺を蹴ったのは、この女か。長い髪を後ろで一つにくくり、着物のような物を纏っている。身長がえらく高い。その女は、俺を見下ろし、腕を組みながら笑う。さっきの食堂にいた死神の姿は、人間とはかけ離れた者もたくさんいたが、この女は、本当に人間のようだった。

「何すんだよ!」

「生意気な餓鬼じゃな。亮の奴、こんな人間と班を組んでおるのかえ」

女は近づいてまじまじと俺を見た。

「主、名前は?」

「俺?」

「そうじゃ、早く答えろ」

「・・・蕪螺気 悠人」

「うぬ、悠人じゃな。わしは紅(くれない)じゃ。よーく覚えておいた方がよいぞ」

「それで、何の用・・ですか?」

「特に、用はない。久しぶりの死神界への人間を見たかっただけじゃ。だが、なかなか気に入ったぞ!」

「あの・・・亮の過去について知ってる?突然なんだけど・・・少しだけでいいんだ!俺には・・何であそこまで亮が忌み嫌われているのか分からない!亮は教えてくれない。俺だって分かってる。本当は本人に聞かなきゃいけないんだ。でも・・・教えてくれない!俺は、亮にとってその程度の存在でしかないんだ」

「・・・お主、どんだけネガティブなのだ?なーにが、教えてくれない!じゃ。ならば、教えろ!と、亮を殴ってでも、聞き出せばよかろう?実現すると信じて積極的にいかねば!もっと、ポジティブに考えよ!そしたら、世の中なんぞ、ちょろいもんじゃ」

なんて、楽天的な考え方。でも、確かに俺はそんな考え方思いもしなかった。

「そうか」

「まぁ、亮の場合はいろいろ事情が複雑だからのー。わしが思うに、亮は別にお主の事を軽く見てるわけではないと思うぞ?言いたくても言えない事があるのだ。だがな、何故言えないのだと思う?」

「え?」

「主の気持ちも分かるが、亮の気持ちも分かってやってくれ。・・・と、死神仲間だからかな?どーも、わしは亮の肩を持ってしまったの。亮もたいがい心が弱い奴じゃの!」

紅と言う女は、一人で憤慨した。俺は、その姿がおかしくて笑ってしまった。

「そうじゃ。お主が笑っている事で、救われる者もいるかもしれん?笑顔とは常に絶やしてはいかんな」

紅も笑顔だった。

「なんで、紅さんは他の・・」

「他の死神と違うか?・・・・わしも、他の死神より伊達に長く生きておらんからの。年寄りの経験と知恵じゃ。侮りがだしじゃろ?」

まるで、歳には見えなかったが、ファントムですら、あんな若いんだ。死神は、見た目で考えたらいけないな。

「あの・・俺はどうしたらいいでしょう」

小さく言った。

「ふむ。・・・人間とは面白き生き物じゃな。わしに答えを求めるか?残念だが、わしはそれに答える気はない。しかし、よい事を教えてやろう。先も言うたが、案外何気ない事で・・主の笑顔で救われている者がいるかもしれない。ならば、主がするべき事とは何だ?それぐらいなのだ。何かをしたいと思った時、それは大きな事でなければならないのか?些細な事でよいのじゃ。お主が出来る事を今一度考えるがよい。・・・・と、少し多く与えてしまったかな」

紅は、咳払いをした。そして、俺に近づいてもう一度俺を蹴り倒した。

「痛っ!」

「まぁ、せいぜい足掻くのじゃな。人間」

そういうと紅は、暗がりの方へ笑いながら言ってしまった。死神にしては、珍しい。人間の俺に敵意も殺意も向けずに、喋りかけ、話まで聞いてくれた。高齢の死神は、ファントムしかり、やはり大人だ、一人感心してしまった。それよりも、紅の言っていた事・・『笑顔で救われる・・俺が今出来る事』。どういう事だろう。俺の存在にそんな価値あるのだろうか?今まで、周りに目を向けてこなかった俺には、到底分からない。情報と経験が乏しすぎる。少しずつ、分かってきてはいる。分かってるんだ。俺にとっての亮の存在とか。その時だった。また嫌な声だ。会話は遠くでしているのだろう。風に乗って、いやに鈍く耳に届く。亮への嘲笑の声、嫌悪の声・・・気持ち悪い。俺は、走って声の届かない場所を探した。それでも、その声はどこまでも追ってくる。頭がおかしくなりそうだ。亮は、こんな事をずっと体験してきたのだろうか。逃げても逃げても追ってくる。纏わりついてくる。

「もう・・・やめてくれ――――!」

俺はどことも分からない大きく影が出来ている、角に逃げた。頭が壊れそうに痛い。さすがに遠くまで来たのだろう。声はもう届かない。遠くで、門の開閉の音が聞こえる。

「もう、嫌だ。・・・俺の世界に帰りたい‼‼・・」

俺は足を抱えてその場にうな垂れた。そして、亮の言葉を思い出した。『お前なんてこの世界じゃすぐダメになる』・・・その通りだった。耐えられない。なら、亮は耐えられてたのか・・・。

「違う・・・。俺だけじゃない。亮だって・・・。今・・俺に出来る事!」

俺は思い立って、ファントムの部屋がある上階層まで走った。かなり迷って手間取ったが、ファントムの部屋の扉を思いきり開けた。

「亮っ!」

そこには、ヒヨリとファントムとプラチナがいた。ファントムは、仕事に終われているのか、資料に埋もれている。ヒヨリは驚いて振り返った。

「悠人!どうしたの?帰りが遅いから心配してたんだよ」

「ヒヨリ!亮は?」

「亮なら来てないよ?」

「どこにいるか知ってる?」

「多分・・ここよりさらに上の部屋だと思う。ここの拭き抜けをさらに上に行けばつくよ」

「ありがと!・・・それから、ファントム。俺・・・やっぱり、ファントムはちゃんと父親だと思います。俺は、ファントムの笑顔を見て、最初亮に似てると思った。それに、ファントムが人の頭撫でたりするの・・亮もよくやる!そうやって、二人はよく似てます。亮は絶対に嫌いじゃないです!でも・・・俺思いました・・・。ファントムは亮は強い子だって言いましたけど、それは違います!亮は、毎回傷ついてます。誰よりも・・つらくて、逃げ出したかったはずです。亮は、強くなんかないんです!・・・失礼します!」

俺は言い終えると、ヒヨリに聞いた通り、さらに上を目指した。

「蕪螺木君・・あんな事言う子なんだ・・びっくりした」

ファントムが資料の隙間から、さっきまで蕪螺木がいた場所を見つめた。

「馬鹿でしょ?悠人って。本当・・人の事ばっか考えてて、自分でも気づいてないんだろうけどね?悠人もたくさん変わってきてる。人間って、わからない・・。あたしは人間は嫌いだけど、悠人は好きだ」

「そうか。・・亮はいい人に会えたんだな。俺は・・やはり亮の事、何も分かってなかったな」

「ファントム・・」

俺は、階段を駆け上がった。薄暗い明かりしかないなか、細い階段は続く。そして、昇りきった所には、大きな窓が一つあって、そこに、亮は外を眺めていた。

「亮・・」

「悠人、どうした?どうだ?この世界。お前の想像通りか?・・・・ここはな、汚くて、暗くて、狭いだろ?そういう所なんだ。人間のお前なんかには合わないよ。早くここから出ようぜ?」

亮はゆっくりとこちらに笑顔を向けた。

「なんで!何で笑ってんだよ!亮はいつだってそうだ・・ここに来た時、あの声が聞こえた時も笑顔だった。つらい事があってもいつも笑顔だ。それに、お前は何も俺には話してくれない。いつだってそうだ!何かあったら、俺に言えって言ったのは、亮なのに、自分の事は話さないのかよ・・」

俺は怒鳴った。拭き抜けのせいか、どこまでも自分の声がエコーしていく。

「そんなんじゃない。これは・・俺の問題だから。お前は関係ないんだ」

「何だよ!それっ!お前は、俺の事なんだと思ってんだ!お前、自分がどんな顔してるのか分かってるのか!・・あぁ!いいよ!分かった。俺にそんなに言いたくないなら、言わなくていい!その変わりその笑顔だけでも何とかしろ!」

「は?」

俺は亮の胸倉を掴んで、壁に押し付けた。亮は俺よりも背が高いので、何だか押し付けた俺が無様な格好になってしまったが。

「つらいなら、つらいって言ってもいいんだって、言ったのは亮だぞ!」

手が震える。亮はしばらく黙った。

「・・・蕪螺木・・・俺は、ずっと何で・・自分がここにいるんだろう・・て、思ってた。全ての奴から嫌われている俺が・・必要とされない俺が、ここにいる意味が分からなかった。味方なんていなくて、毎日が気が休まらなかった。泣いてる暇なんてなかった。どこで泣けばいいかさえ分からなかった。俺に、泣く場所なんて、時間なんてなかったんだ」

亮の声は無機質に宙を舞う。

「ファントムが・・竜二さんがいるだろ!」

「親父は俺を育てるために、たくさん犠牲にした。いつまでも親父の側にいるわけにはいかない。俺は、強くなきゃダメなんだ」

「ダメじゃない!俺も、人の事言えないけど・・独りじゃないんだ。気づかなくても、絶対亮の事見てる人いるんだよ!今だって、ちゃんと俺が見てる!」

「・・蕪螺木」

「お願い・・しんどいなら、泣いていいから!お前が、泣く分俺が隣で笑ってるから!」

「蕪螺木・・・そういうお前が泣いててどうすんだ」

亮は笑って俺の頬から流れる涙を拭った。俺は、知らないうちにボロボロと涙を流していた。その笑顔は、今まで見た事ないくらい嬉しそうだった。

「何だよ・・泣かないのかよ!」

「お前が泣いてるうちは、俺も泣けないだろ。早く・・お前が泣かないようになれよ。そしたら、俺がお前の隣でたくさん今までの分泣いてやるから」

「くそっ。俺のせいかよ!」

「違うんだ・・・蕪螺木・・ごめん」

「謝るな!」

「うん・・ありがとな。今の俺には、ヒヨリがいて、ネルがいて、で、隣にお前がいて。俺は、今すごい楽しいんだ。お前らと一緒にいれて良かったて、本当に思う」

「亮・・」

「・・・・て、ゆーか!亮も悠人も気持ち悪いっ!男同士の友情は結構だけど、会話だだ盛れだよ。わざわざ拭き抜けの場所であんな大声で!」

『ヒ・・ヒヨリッ!』

俺達は慌てて、姿勢を正した。冷静になれば、俺は自分がしていた事に恥ずかしくなってきた。それも、会話を聞かれていたかと思うと、顔が熱い。

「あたしはね・・いつもつまらなそうな顔してる亮がすごいつらかった。亮はあんな性格だから、あたしの前では絶対弱さを見せない。あたしには、亮のつらさ半分も支えてあげられなかった。でも、悠人と出会って、亮が楽しそうに笑うの見て、嬉しかった!」

ヒヨリも笑顔だ。そして、亮に抱きつくと、亮もヒヨリを撫でた。そして、俺は念を押すように聞いた。

「なぁ・・・もう俺に隠してる事ないよな?」

「・・・え?」

「お前!まだあるのか!俺に言ってない事!」

亮がぎくりとした。

「いや・・その」

亮がしどろもどろだ。こんな亮は見た事がない。いつも余裕を見せて笑う亮が・・・。俺は、前とは違う亮の姿に嬉しかった。が、まだ隠している事はなんだ!どうやら、亮はまだ言いたくないらしい。

「はぁぁ。OK、分かったよ。まだ隠し事があるんだな。それで、言いたくないんだな?言えないのは、許す。でも・・・嘘だけはナシな」

「あぁ!ちゃんと話さなきゃいけない事は分かってる。全部話すから、もう少し待ってくれ。嘘だけはつかない」

「・・なら、よし」

俺は、煮え切らなかったが、ひとまず了承した。ヒヨリもそれを見て笑う。

「よしっ!じゃあ、戻ろう!ファントムも待ってるよ」

「ファントムとしてじゃなくて、竜二さんとして待ってると思うよ」

俺は、亮の背中を押した。亮はやはりまだ複雑そうだ。前よりも少し亮と近くなった気がして俺は嬉しい。まだ、俺の知らない事はたくさんあったが、俺は待つ事に決めた。それでいいんだ。俺が出来る事はこれしかない。

俺達は、拭き抜けの空間からファントムのいる部屋まで降りた。そして、ファントムの部屋に行くと・・・ファントムはいなかった。

「ちょっ!どこ行ったんだよ!」

ヒヨリはどかどかと部屋を出て、ファントムを探しに行った。

「亮・・ひょっとして、ほっとしてる?」

俺が亮の顔を覗く。亮は少しためらってから、小さく頷いた。新鮮な反応だ。

「今まで話しして来なかったんだ。どんな反応すればいいかわからない」

「普通でいいんだよ。別にいきなり態度変える必要はないよ」

「今思えば・・・俺、蕪螺木の両親いいなって思うわ。俺には、何も思い出がないから。別にファントムが悪いわけじゃないし、母親が死んだのだって、誰のせいでもない。俺達は家族なんて呼べる関係なんかじゃないな。こうなる事が運命だったんだよ。あいつがファントムで、俺がこんなだから」

「俺はさ・・運命ってあると思うんだけどさ・・・でも、運命があるからって、この先全部決まってるとは限らないだろ?・・・それで、それを教えてくれたのは、お前らだったりするんだけど?」

俺は笑顔で亮に話す。

「お前に説教されるとは思わなかったな」

「何?・・喧嘩売ってんの?」

「違う。褒めてんの」

「ほんとかよ」

「ほんとだよ」

俺達はファントムの部屋の大きなソファに腰を下ろすとヒヨリ達が帰ってくるのを喋りながら待った。俺は、亮に自分と両親の思い出を聞かせた。亮は興味津々に話を聞いた。

「俺もさ。人から言われて、気づいたんだけどさ。自分に出来る事って何だろうって思ったらさ。実はそんなにないんだよな。特に俺なんてさ、友達とかあんまりいた事ないから、何て声掛けていいのか分からないし、どんな言葉を掛けていいのかも分からないんだ。でもさ、自分が笑顔でいる事で救われる人もいるんだって思ったら心が楽になった。何ていうのかなー出来る事なんて、そんなもんでいんじゃない?」

俺もだいぶ他人事のように軽く言ってるが、本当にそう思うのには変わりない。亮はそれに何も返さず、考え込んでしまった。そして、俺はと言うと、一気に眠気に襲われた。そして、しばらく沈黙になったのをいい事に、のんきに寝てしまった。・・事に気づいたのはもちろん次に起きた時だが。

「・・・蕪螺木・・?・・・寝てやがる・・・」

亮は俺に話しかけてるらしかったが、その頃には俺は夢の中だ。とても遠くで何か言ってるようだが、そんなん知らない。


ヒヨリはファントムを探して塔の中をうろついた。そして、見つけたのは読書室だ。普段使われない娯楽用の読書室の方で、えらく奇麗な部屋だ。

「ファントム・・何してんの?普段本とか読まないでしょ?」

「・・・ヒヨリ。俺だってたまには、本くらい読むぞ」

「・・・本、反対だけど?」

「えっ?」

ファントムは慌てて本を裏返す。

「なんで逃げてるの?あたしには、親子の関係とかよく分からないけど、亮が変わるなら、ファントムも変わらなきゃでしょ?あたしは亮がつらいのは嫌だ。何も出来ないあたしが言う事じゃないけど、それでも悠人のおかげで亮が少しでも軽くなったらいいなって思う」

「俺はさ・・怖いんだと思う。実の息子に拒絶される事が。目の前で拒絶されるくらいなら、ずっとこのままでいるほうが楽だと思った。俺は、ここでファントムで、一番上で偉いかもしれないけど、父親としては失格なんだよ」

「それを決めるのはお前ではなかろう!」

ヒヨリとファントムの会話に突如、読書室の扉が開いた。そこには、蕪螺木に助言を与えたあの紅という女だった。

「紅!」

「お前がしている態度を見ろ!息子に拒絶されるのが嫌だ?お前が今している事は、息子を拒絶している行為なんだぞ?そんな態度を取られて亮が平気だと思うのか?」

「あいつは・・強い子だから!」

「ぶっ飛ばすぞ!」

そういうと紅はファントムの顔面に一撃を食らわせた。ヒヨリはそれを見て顔を覆った。ファントムは本の山に突っ込んだ。というより、吹っ飛ばされた。

「もうぶっ飛ばしたぞ?!」

さすがのファントムも紅相手に腰が引けている。

「全くお前を見てるとイライラするの。父親なんだから、ガツンとぶつかればよかろう?息子相手に怖がるとは・・なんとも無様な」

紅は呆れたように言う。ファントムが何も言えないでいると、紅はファントムを掴むと力技で引きずる。ヒヨリも何も言わずに紅と後をついて行く。もちろん行き先は、ファントムの部屋だ。ファントムは、引きずられながら深呼吸を何度もした。むしろ大袈裟なまでに。

「ほれ、着いたぞ!」

紅はファントムを扉の前に押す。

「何も考えなくていいと思う。扉の向こうに亮がいて、それで、ファントムはいつものように喋ったらいいんだよ」

「そうだ!今更、父親面されたほうが、むかつくからの」

「うっ・・うるさいな。分かってるって」

扉をゆっくりと開けた。少し開けた所で、向こう側のソファに亮が座っているのが見えた。そして、一気に扉を開けた。

「りょ・・・あっ」

そこにいたのは、間違いなく亮で。俺と一緒に睡魔に襲われて、ソファで眠る俺達だった。俺達はお互いにもたれかかって微妙な均衡でバランスを取って寝ていた。

ファントムは小さく笑うと後ろを振り返り、ヒヨリと紅に静かにするように目で促した。俺達は、二人して間抜け面で眠りこけていた。

「何笑っておる!ほっとしてるのかえ?」

紅が厳しくファントムに突っ込む。

「違うさ。俺さ、亮の寝顔見たの久しぶりなんだよな。いつからかな。あいつが、俺の前で眠らなくなったのは。もうずいぶん前で忘れてしまった」

ファントムは亮の前に静かに座るとまじまじと亮の寝顔を眺めた。それは、まさしく父親の顔なんだと思った。後で、ヒヨリが言ってた。

「俺は、こうやって亮の寝顔見ただけで幸せになれるって、初めて気づいたよ。普通の父親はずっとこういう幸せを感じてたんだな。いいな」

「ファントムだって、父親でしょ!プラチナ知ってるもん。いつもちゃんと父親の顔して亮見てた」

白い風船はファントムの後ろを漂う。

「何はともわれ、次にこやつらが起きた時が楽しみじゃなー」

紅は本来ならば、ファントムが座るであろう、大きな椅子にどかっと座った。そして、ソファで眠る俺達をずっと眺めていた。

この世界に来てから・・と言ってもまだ何時間も立ってはいないのだろうが、俺にしたら、とても濃い長い時間の初めての安らぎだった。そして、まさか次に起きた時、世界がこんなにも変わるとは思いもしなかった。

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