第6話 大学

 バスの運転席の窓には、左右どこまでも広がった視界しかいに、森を切り開いて建てられた建造物達けんぞうぶつたちが、樹木じゅき調和ちょうわして建っているのが見て取れた。


 バスは右折うせつし、大学のレンガ造りのへいを横手に進んでいった。しばらく進んで行くと均等きんとうに植えられている木々で大きくいくつかに分けられた、巨大な駐車場があり、その一画いっかくにあるバス停でバスをりた。



 外に出ると、自然の空気が気持ち良くて、大きく息を吸った。標高ひょうこうが高いためか、いくぶんすずしく感じる。鳥の鳴き声がして上を見ると、トンビがくるくると旋回せんかいしながら頭上高ずじょうたかく飛んでいる。空の雲はゆっくりと流れ、太陽をときどきかくしては地上にかげをつくっている。



 駐車場から大学の建物が見えるほうへと進んでいくと、大きな正門が見えてくる。門の両サイドに赤レンガ造りのはしらがあり、右側の柱には大学名が彫ってある銘板めいばんかかげられている。門の向こうには木々の間からあわい白色を基調きちょうとした校舎こうしゃや研究センターが見える。勉強をする場所にこの表現は良くないけど、最初見たときはテーマパークのような印象いんしょうを受けた。



 私は、そうだと思いだしカバンから赤いデジタルカメラを取り出した。カメラの電源をつけ、液晶画面えきしょうがめんを確認しながら大学の門が画面にちゃんとおさまっているのを確認し、ピントを合わせながらシャッターを押した。カシャっという音がして、撮った写真がカメラの画面に表示された。


うん、明るさも問題ないから、設定せっていをいじる必要もなさそう。私は写真の確認をした後、カメラを首からぶら下げ、もってきておいた帽子をかぶり、大学の門をくぐった。



  門をくぐるとまっすぐな一本道が続いている。道のわきには青々とした葉を実らせた木が何本も植えられていて、その木から伸びた枝でアーチ形のトンネルができている。この道は今の季節も良い景色なんだけど、秋の季節は葉も色づき、落ちた黄色い葉がこの一本道にじゅうたんのように敷き詰め《しきつめ》られているところは、本当に綺麗だから1度見に来て欲しい。


 私は、今度はカメラを立てにして、この一本道と木のトンネルが画面に入るようにして写真を撮った。今日は天気も良くて、木漏日こもれびがいいアクセントになってる。


写真として正しいのかは分からないけど、私は影と光の両方があるような写真が好きな傾向けいこうがあって、明るいところと暗いところのコントラストがうまくかみ合った写真が撮れると嬉しい気持ちになる。


 私は写真に満足すると、また前へと歩きながら、良い被写体ひしゃたいはないかときょろきょろ見回した。



 しばらく歩くと一本道が終わり、広大こうだい敷地しきち傾斜けいしゃのゆるやかな小高いおかの景色となった。丘の上には白く立派な校舎が数カ所に建ってられているのが見える。


 校舎へと続く広く長い階段には、講義がある日に多くの学生が行きい、なかには階段に座り本を読んだり談笑だんしょうしてる学生がいたりしてにぎわっている。


 そんな階段を最上段まで上って行くと、開けた芝生しばふの広場に出る。そこは真っ白なタイルがはめ込まれた道が枝分かれをしながら続いていて、道の途中にはベンチと光る部分がランタン型になった街灯が所々に置かれ、休息の場としても利用できる。


 そして、そのもっと先を見ると、両サイドにまるで美術館のようなモダンな造りの校舎と、正面にはこちらから見える部分は全面ガラスりの学生ホールがある。その白い建物達のバックには自然の緑がえてコントラストがかみ合ってる。


 校舎は、何百人も入れる中・大教室がいくつかあり、教室はとても大きく、まだ建てられて間もないこともあって、斜面しゃめん沿うようにしてずらりと並べられた長机や椅子、前の教壇きょうだんや黒板は真新まあたらしく、また多目的ホールや音楽練習室、アトリエといったほとんど学生のための部屋があったりと、設備せつびも充実してる。


 この大学の建物を見ていて思うのが、勉強をするだけの場所にするにはもったいなく感じてしまう。何かいい活用方法があって、それが大学のためにもなるようなアイデアがないかなって、大学に入学した当初から考えていた。


 私は校舎と学生ホールの両方が写るように少し下がって写真を撮った。建物の規則正きそくただしい直線ちょくせんに木や葉の曲線きょくせんが混ざりあって美しく見える。自然だけの写真や建物や人工物だけの景色ももちろん好きだけど、こういった自然と人工物が合わさって調和している景色は特に好き。それぞれの良さが融合ゆうごうすることでさらに際立きわだって見える。あと、その景色がなんだか舞台劇ぶたいげきのセットのような感じがして、そこでの人と人の物語が想像できそうな雰囲気が好き。



 私は振り向いて、登ってきた階段から大学の広大な敷地しきち見渡みわたした。夏風が気持ちよくほほをかすめる。



 私が今立ってところは、いわゆる文系の学生が講義を受けたり、研究可動や自習をするための校舎がある区域くいき。実は、ここは大学のほんの一部で、ほかにも多くの校舎や研究施設などがあり、1日ではこの大学を回りきれないほど広い。確か、広さだけなら日本でもトップクラスだったはず。


その広さには理由があって、私が通う峠坂大学とうげざかだいがくは経済学や教育学なんかの文系だけでなく、工学部や医学部等の学部や研究科が11つある総合大学になっているため、この敷地面積しきちめんせきに多くの校舎が建っている。


 大学の中央には、山の川の通過点になってる大きな池があって、その池を囲むようにして北側には文科系の校舎、東側には理系の校舎や研究施設、西側には医学部等の校舎や大学病院とそれぞれ区域が分かれている。


 あまりに広いため、バス亭も私がさっき降りた大学北口、西口、東口と3つあり、学生が、自分の講義がある校舎の近くで降りられるようになってる。大学図書館も北図書館、東図書館、西図書館とそれぞれの学部の本が充実じゅじつしている図書館が3つに分かれている。また、食事のできる食堂やお店、カフェもいくつもあり、文房具や雑貨の買える生協せいきょうの数も多い。大学で必要なものは全てここで買うことができ、ここまでいくと大学が1つの小さな町のような感覚かんかくだ。




 私は階段を下りて、今度は理学部や工学部の公舎がある区域へと向かった。普段は多くの学生でにぎわってる大学も、夏休みに入ってからは静かになり、風になびいてる木の葉がすれる音もよく聞き取れる。また、ときどき吹奏楽部の人たちのトランペットやフルートの音が聞こえてくることもある。夏休みでも積極的せっきょくてきに活動している部やサークルの学生が、今は大学に来る主な人たちで、その他の目的で来るとしたら、図書館で勉強したり本を読むくらいかな?大学が都心に近いわけじゃないから来るのも大変で、お休みになると大学は一気に静かになる。多くの人たちで活気かっきがある時と、こういった静かな時の差が大きく感じるのが学校全般の特徴とくちょうじゃないかな。




 しばらく歩くと大学内に流れている川と、それにかっている石造いしづくりのアーチきょうが見えてくる。草木の間から見える透明とうめいな川は太陽の光が反射してきらきらと水面がかがやいている。


この川では5月の終わりから6月の初めにかけて、ホタルが飛び交う時期があり、そのときは夜でも多くの人たちが川に集まり、あわい光が飛び交ってるのを指さしながらながめて楽しんでいる。川が山の湧水わきみずで綺麗なため、ホタルが生息せいそくしていくための環境かんきょうがととのっているみたい。


 私もその時期は大学のりょうに住んでる友達にお願いして、遅くまで大学に残り、夜に懐中電灯を片手に川沿いのホタルを友達と見に行ってる。幻想的げんそうてきな景色のなかを友達と歩くのは、なんだか夢の中にいるみたいで楽しかった。去年は私と友達の女の子と2人で行ってたんだけど、カップルでにぎわう人達と女子2人の私達を見比べて、友達が「なぜ人は付き合うんだ」みたいな哲学てつがく的質問を私にしてきたのを思い出す。


 そんな川と交差してかかっている橋は車も悠々ゆうゆう通れるくらい広く作られていて、万が一救急車や消防車を呼ぶ事態になったときでも困らないようにされてるらしい。


橋が架かっていない細くて浅い川のところでは、オシャレに飛び石を人工的に作ってあり、この大きな橋まで回ってこなくてもいいようにしてある。この飛び石は校舎の近いところにあるため、利用する学生が多く私もその一人なんだけど、気を付けてわたらないと、すべって私みたいに片足を川に突っ込んで、れた状態で講義を受けることになりかねない。特に、講義が終わった後すぐ次の講義の校舎へとむかうときは気持ちが焦ってるから注意してほしい。まぁ、滑ってるの私以外はまだ見たことないんだけどね。


 私はカメラをかまえ、草木の間を流れる川を写真に撮った。画面を見ると、水面が光っている部分も綺麗に撮れていて、大学の写真というより登山中に撮った川って感じがするけど問題なさそう。私はそこでも何枚かの写真を撮り、歩き出した。橋を渡るとそこからは理系の区域となる。大学内には大きな橋が3つあり、その橋がそれぞれの区域の境界線きょうかいせんになっていて、目印としては分かりやすい。



 そこからしばらく行ったところ、文系と理系の区域の中間くらいの、樹木がより鬱蒼うっそうとしているところへと差しかってくる。そこは大学内の他の場所より草木が長く伸び、まさに大学が山の中に建てられたことを実感する場所だ。ここには今は使われていない古い校舎が建っていて、もうすぐ取りこわされるというようなことを聞いたことがある。古いといっても、ヨーロッパ建築けんちくを思わせる高品質な煉瓦造れんがづくりの校舎で、それはそれで雰囲気があって好きだけどね。


中には鍵がかかっていて入れないけど、窓から中の様子を見たことはある。教室は新しい校舎ほどではなけど、それでも100人はゆうに入れる広さはあった。ほとんど木製で作られた机や椅子が多く並んではいるものの、ところどころちて破損はそんし、さびれてしまってる感じはいなめない。


 この古い校舎の特徴の1つは教室それぞれの後ろの方に、その分野の偉人の自画像の絵がかざられていること。それこそ、アルベルトアインシュタインやトーマスエジソン、アイザックニュートンにガリレオガリレイと、誰もが知ってる名だたる人たちが写実的しゃじつてきにリアルに書き込まれている。


また、絵にも特徴があって、よくある顔から肩までの自画像ではなく、縦に長いキャンパスに全身の立っている姿が描かれいる。生前せいぜんの写真をモチーフに特別にたのんで書いてもらったんだと思うけど、本当に細かな部分まで書き込まれていて、まるで絵に命が宿やどってる感じがする。こういった自画像を実際に見たことがなかったから、最初見たときは新鮮しんせんに感じたのと同時になんともいえない不気味ぶきみな美しさがその絵にはあった。


 また、こんな自画像のためか、古い校舎が出してる独特どくとくの雰囲気のためか、大学では珍しく学校の怪談のようなうわさがたっている。


例えば、この古い校舎の教室の1つで、絵から偉人が抜け出しいなくなり、しばらくしてまたその教室を見てみると、いつも通りの自画像に戻っていたとか、18世紀や19世紀のような、古い服を着た多くの人たちが、この鍵のかかった校舎へ入っていくのを見たというような話だ。


こういった現実味がない噂がもう大人である大学の学生の間で話されてるって不思議な感じがする。この山の中にある、都会から切り離された空間がそうさせてるのかな?


 前にこのことをハカセに話したことがあるけど、「そういった噂が立つのは想像力そうぞうりょくゆたかな証拠しょうこだ。そういった場所でこそ新しいアイデアを持った研究者なんかが生まれるかもしれない」みたいなことを言って、とりあってくれなかった。


でも、私は噂にはきっと何かのきっかけや事実があったから、こんなにも学生の間で広まったんじゃないのかなって思ってる。根拠こんきょも何もない想像だけど、卒業するまでには何か突き止められたらなって常々つねづね考えてた。


私はその古い校舎も一応写真に撮っておいた。液晶画面に映る樹木の中にそびえる古い校舎は、長い年月を感じさせるたたずまいで、積み上げられたレンガの壁の造形ぞうけいからは厳格げんかくなイメージを起こさせる。




 古い校舎を後にしてまたしばらく歩いていくと、樹木がしげっていた道から抜け出し、明るくひらけた場所に出てきた。文系の区域に建っていた公舎と同じように真新しい建物がいたる所に建っている。やっと理学部や工学部の区域についたみたい。


文系の区域と比べると研究施設けんきゅうしせつなんかがあるため敷地しきちも広く、建物も多い。同じ大学だけど、違う部や科の場所は雰囲気が大きく変わる。いつも目にする学生や先生が変わり、どこからか聞こえてくる会話の内容も少し違う。遠目から見る景色は似ていても、そこはいつも私が通っている大学ではなくなってる不思議な感覚。



 文系の私から見ると、理学部や工学部にあこがれにも似たような感情がある。私も数字を扱った難しそうな問題を解いたり、ただの鉄や銅のかたまりから革新的かくしんてきな物を生み出すその知識を身に着けたいと思ったりもするけど、世の中の全てを学ぶには時間もお金も足りない。


生きていく中で多くの選択をしながら、歩く道を決めていかにといけない。ふと、前に町のイベントで一緒に作業をしていたたずねのことを思い出す。幅広く知識をつけるという意味では、あの子みたいに急に別の道へとかじを切らないといけないのかも。一つのことを深く学んだ人を世の中が求めてるのはわかるんだけど、1度だけの人生だから他のこともいろいろしてみたくなるんだよ。



 それにしても大学内なのにバス停一つ分歩かないといけないのは、さすがに疲れてしまう。私は花壇かだんの木で木陰こかげになってるベンチに座り、カバンから水筒を取り出しお茶を飲んだ。冷たい水分がのどを通りうるおいいがもどってくる。


標高ひょうこうが高く涼しいといっても、今は8月中旬の夏まっただ中。ひたいから汗が流れおちてくる。私は暑さに負けそうになりながらも、その後、文系の校舎と同じように理系の校舎や研究センターも写真におさめた。気付くと日はかたむき、夕暮れに差しかり、空が夜への準備を始めていた。暗くなる前に今日予定していたことを終わらせないとと思い、大学の大きな池のそばにある東図書館へとあゆみを進めた。




 川の流れる音や虫の鳴き声を聞きながら池沿いけぞいの小道を歩いていくと、小高くなっている丘に建つ図書館が見えてくる。大学の図書館は他の校舎とは違い、外観は淡い茶色や濃い茶色のタイルがモザイクがらられている。図書館の入り口付近には知恵の象徴しょうちょうと言われている大きなフクロウのオブジェが置かれていおり、外が暗くなってきたためライトアップされていた。


 私は図書館の自動ドアをくぐると、受付を通り過ぎ、お目当ての本がある場所へと歩いた。図書館の中は広々とスペースが取られ、ゆっくりと本を読めるように大きなテーブル席から1人専用の席までそろっている。その他には、かなり大きな学習室があるだけでなく、図書館の中央には中庭まである。図書館の中からガラスの壁越しに見える中庭には、1本のイチョウの木が植えられ、その周りにも本が読めるようにベンチがいくつか置かれている。それを見るだけでも、この大学の敷地しきちの広さを物語ものがたっていた。


 私は階段を上り2階にある専門書や資料が多く置かれている場所へと向かった。全ての本が種類ごとに棚に整理されているものの、普通は一人で探すのはかなりの手間になる。そのため図書館内の所々ところどころに置かれているパソコンのOPACっていう所蔵検索しょぞうけんさくを使い、本を見つけるほうが簡単かんたん。私のお目当ての本は何度も見に来てて、本の名前も置かれてる場所も覚えてしまってるから、今日は使わないんだけどね。


 私はいくつもの規則正きそくただしく並んだ本棚の間を通り抜け、歴史資料と書かれたプラスチックのプレートが貼ってある棚で足を止めた。その棚から厚めの古そうな本を取り出した。本の立派な表紙には峠坂大学と大きく書かれており、他の本と見比べてもかなりお金をかけて作られてるのが分かる。私はその本をかかえ、近くの窓の景色がいい席へと座った。


 外を見ると、もうほぼ暗がりになり、池の周りの街灯がともっていた。私はその景色を見ながら椅子の背もたれに体をあずけ、深呼吸しんこきゅうをした。椅子に座ると、体が疲れこわばってるのが分かる。そういえば、午前中はハカセのお店のお手伝いをして、その後その足で大学に来て写真を撮っていたから休憩が取れていなかったのかもしれない。でも、今日1日したかったことはほとんど出来たし、予定通りに過ごすことができて充実感はあるかな。


 私は眠たくなってきた目をこすって、カバンからノートと筆箱を取出し、さっき持ってきた大きな本を開いた。この本は、今通っている峠坂大学がどういった経緯けいいで建てられ、今の大学の形になっていったのかが、事細ことこまかに年代順に書かれた峠坂大学の歴史の本だ。


全身校の文理科大学や工業専門学校、医科大学などが併合へいごうされて今の大学ができたこたや、大学理念だいがくりねんが制定された理由や時代背景、峠坂大学の初代学長の紹介などなど、当時の大学のようすが写された白黒の写真と共に乗っていた。大学の3つの図書館はそれぞれの区域の専門書が別々に置かれているけど、この大学の歴史を紹介した本だけは3つの図書館に共通して置いてある。


 私はその本を読みながら、自分なりに大事だと思った部分をかいつまんで、ノートに書きめて行った。この大学の歴史を図書館で調べる作業は何度かしてるけど、どうしても眠気におそわれてしまう。写真を撮っていく作業は楽しくてどんどん進むのに、こっちの方はまったくだ。本を借りて家に持ち帰ることもできるんだけど、大きいから持って帰るのも手間だし、何より家でこういった勉強に近い作業が出来ない自分をよく分かっているので、借りずに図書館で読むようにしてる。



 こういった大学の写真を撮ったり、大学の歴史を調べているのには理由があって…。


 じつはゼミの担当の先生にお願いをされて、来年にある峠坂大学のオープンキャンパスで大学を紹介するスピーチをするかもしれなくて、これはその準備というわけなの。


 先生からこんなお願いをされるまでには、ちょっとした経緯けいいがあった。




 スピーチを私にお願いした先生の名前は、先導(せんどう)教授っていう70歳近いおじいちゃん。私のゼミの担当者で、自由な発想や思考しこうする面白さを生徒に持ってほしく、学生が主体的しゅたいてきになんでもできるようにしていきたいと最初の講義で話してくれていたのを覚えてる。


そういった考えからか、数人の学生で1つのテーマを調べ、数週間後にみんなの前で発表していくグループ学習の課題も、経済に関係のある事だったら何でもいいですと言ってくれていた。


 私と同じグループを組んだ友達は、なんでもいいと言われると逆に困ってしまうと言ってたけど、私としては課題を自由に楽しくできると思って嬉しくなっていた。

 私たちのグループが研究したことは、この峠坂大学が周りの地域にもたらす経済効果っていうのを調べたの。ようは大学があることで、学生や先生が周りの街なんかにお金を落としたり生み出してくれている金額をはかるってだけなんだどね。


 この研究課題を最初に言い出したのは私で、調べやすいし、せっかく大学の学生なんだから、大学に関係したことをしたいと思って提案してみた。友達も優しいから、それでいいよって賛同さんどうしてくれて、その講義の終わった次の日から空いている教室に集まり、研究テーマの調べかたを細かく話し合った。



 その日決まったことは、大学の近くの寮に住んでいる学生に、生活費が月にどれくらいかかっているかを聞くこと。それと、家から通っている学生には、交通費や食事代、その他どんなことにお金を使っているかを聞くようにした。ある程度の人数を聞いたところで、その平均の金額を出し、学生1人あたりの需要じゅよう供給きょうきゅう直接的経済効果ちょくせつてきけいざいこうかを調べるのが1つ。また、大学の医学や工学等の研究がどうやって周りの街や一般の人たちに貢献こうけんして、それにともなう経済効果を生み出してるかを調べていくことに決めた。


 調査の段取だんどりりの確認や、必要な物を準備し、グループの友達と予定を合わせて、さっそく大学内でゼミの課題を調べ始めた。


 大学の門の前で通りすがりの学生へ生活費のアンケートをとったり、施設にいる教授の方々に研究内容の説明をしてもらい、地域への影響や貢献がどれほどか等を聞いてきた。


大学での研究は、その分野の専門的知識もなかったけど、質問に答えてくれた教授方が簡単に要約ようやくし説明してくれた。大学病院の医療いりょうサービスの提供ていきょうのことや、大学の研究により製品化した物、例えばソーラーパネルや新素材のプラスチック等々が企業の売り上げにどれだけ貢献こうけんしたかを大まかには理解することが出来た。


 そして、この課題の最初の話し合いをしたときに、私は学生の人たちに本当にアンケートを取りに行ったり教授に研究の質問をしに行くのに、それをただ書きめて発表するのはもったいないし、せっかくなら調べている過程かていを動画で撮影さつえいしたいって提案していた。


ゼミの教室には講義で使う大きなテレビもあったし、センドウ教授に動画でグループ課題の発表をする許可をもらうこともできてたから、大変かもしれないけどやってみたいって話した。最初はみんな驚きはしてたけど、「楽しそう」とか「面白い研究発表ができそう」と言ってもらい、次の日からすぐにその作業をみんなと始めることが出来た。



 実家から持って来ていた父の使わなくなったビデオカメラで、自分の部屋やりょうに住んでいる友達の部屋を許可をもらい撮影し、インタビュー形式でその部屋の子達がどんな大学生活を送っているか聞いて回った。講義がある1日の生活や休日は何をして過ごしてるかをカメラに向かって話してもらい、その情報やアンケートを元に個人の消費額しょうひがくを割り出してたのを覚えてる。


 教授の方々かたがたにも同じようにカメラに向かい大学の研究のことや研究施設の紹介をしてもらった。ビデオカメラで撮影するのに教授たちもおどろかれてたけど、普段ふだん教壇きょうだんに立ち講義こうぎをされてることもあって、話かたがなめらかで上手じょうず。安心して見てられるというか、私たちと違ってボロをださない安定感があった。


 撮った動画は、私がパソコンに取り込み動画編集ソフトで動画をつなぎ合わせたりカットして、なんとか作り上げていった。思った以上にこの作業は大変だったけど、作ってみて勉強にもなったし、ゼミで良い機会をもらえて良かったかな。


 ゼミでの研究課題の発表当日は、パソコンを教室のテレビにケーブルでつなぎ、テレビ画面に動画を流しながら、その場面の説明をしていった。発表が終わると、動画を見ていた教授はすごく賞賛しょうさんしてくれて、「今まで、こんなことをした学生はいなかった」とめてくれた。私はそれを聞いてホッとし、友達と一緒に素直すなおに喜びあいその日は終わった。


 余談よだんだけど、ゼミの発表前日、動画が教授に見せて大丈夫なものか不安になり、1度ハカセに見てもらうことにした。この動画には私自身もちょいちょい登場していて、自分の部屋を紹介したり、大学の研究施設の説明をしてるんだけど、私が登場するたびに、ハカセはその日1番ってくらい笑ってた。動画を見終わった後もハカセは拍手をして「もう1回見よう」とか言ってたけど、「もう見せない」ときっぱりことわった。



 そのグループ学習の発表から数週間後、いつもどうりゼミでの講義が終わって帰ろうとしたら、センドウ教授に「いつもさんは少し話したいことがあるので残っていてください」と言われた。


 私何かまずいことでもしたのかなと、あれこれ考えていると、教授から、実はお願いしたいことがありますと切り出され、オープンキャンパスで大学見学に来た学生に見せる動画を作ってくれませんかと言ってもらった。


思ってもみない言葉に驚いて、教授になんでそんなことをお願いするのか聞いてみると、どうやら前にグループ学習で作った私たちの動画をとても気に入ってくれたらしく、学生が作った親近感のある大学紹介の動画が欲しいと言われた。


 センドウ教授は、事務職員と教授からなる広報委員会こうほういいんかいというところに所属していて、そこでは大学の宣伝せんでんをどのように進めていくかが話し合われてるの。例えば大学案内のパンフレットの中身やデザインに関することや、ネットの大学ホームページにせる概要がいよう、またオープンキャンパスのような広報を目的としたイベントの開催のことなどなど。


そこで決まった内容を教授会きょうじゅかいっていう大学教員の意思をとりまとめてるところに報告ほうこくして、承認しょうにんを得られれば実際に行動に移していけるの。


 広報委員会の会議でセンドウ教授が私たちの作った動画の話をして、大学紹介の1つにそれを取り入れられないか提案したみたいなの。


 センドウ教授から、もし委員会や教授会でOKをもらえれば、オープンキャンパスで大学の体育館に多くの高校生が集められたなか、前のステージで学長が大学の大まかな説明をした後に私の作った動画を流そうかと考えてると言われた。


 私はそれを聞いて、まだ引き受けてもないのに冷や汗をかくのを感じた。プロジェクターで巨大なマットのスクリーンに私の動画を流すそうだ。そして教授は、できればあの研究発表の時のように高校生の前でスピーチをして、動画の説明もしてもらえれば嬉しいとまで言われた。



 私は息を飲んだ。ムリだ。が重いじゃない、重すぎてつぶれてしまう。あの動画やスピーチを高く評価してもらえたのは本当に嬉しかったけど、その話を聞いただけで胃が痛くなり、具合ぐあいが悪くなりそうだった。「今すぐに返事をしなくていいですよ。来年の話しですから、どうするかゆっくり考えてもらって大丈夫です」と教授に言われ、「そ、そうなのですね。わかりました、少し考えてみます」と返事を先送りにしたまま、どうするか決められず今日にいたっている。


 そう、実はいま一生懸命やっている作業も、教授にそのスピーチをやるかどうかの返事もしておらず、自分自身でも決めきれない状態じょうたいの中、漠然ばくぜんと動画に必要な写真を撮ったりしていた。もし引き受けることになった場合、学生たちからの質問もあるらしく、知らないことがあってはまずいと、こうやって図書館に来ては大学のことを調べたり、研究などで大学が他の街へどうやって貢献こうけんしているかなど、そんな細かい質問はされないと分かっていながら、自分自身を落ち着かせるため調べている。


 どうしてこんな大変で荷が重いことをまだことわっていないか不思議に思われるかもしれない。私もすぐに断ろうと思ったんだけど、自分の短い人生を振り返って、こういった大舞台おおぶたいで何かをするってことをしたことがないし、この先、そんなことが出来るチャンスって来るのかなって考えたの。それこそテレビの有名人やスポーツ選手、歌手や俳優といった一握ひとにぎりの職業にでもならない限り難しいと思った。


 教授の提案ていあんを引き受けてもし失敗なんかしたときは、きっと一生のトラウマになる。でも、もしあのステージで上手にスピーチができ、質問の受け答えもなんなくこなすことができれば、それは一生の思い出になるし、自信という大きな財産をもたらしてくれる。もしかしたらそれが人生で一番輝いていた時にになる可能性だってある。もちろんリスクは大きいけどね。そんな考えがあっていまだに教授への返事が決まらない


 私は小さくため息をついき、オープンキャンパスで自分がスピーチをすることになった場合を想像してみた。ステージのくらそでから大勢おおぜいに見られている明るいステージへ歩いて出ていくことをイメージするだけでも鳥肌とりはだが立ってくる。でも、そのステージでマイク片手かたてに話している自分の姿は、いつも感じていた何か物足りない毎日から抜け出す答えがあるような気がしてならなかった。

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