第2話 死人と話したい

 ~プロローグの話しから数日前


 『まずはじめに、私の自己紹介等の説明は後回しにします。最初から覚えないといけない情報が書かれてある文章はつかれてしまいますから。いえ、私のことなんて覚える必要もないです。悩んでいる人が満足してもらえれば私は充分じゅうぶんです。


 時代がどれだけ過ぎて、科学技術が発展していっても人の悩みはつきません。人は空に巨大な鉄のかたまりを浮かせ、はるか遠くの人と会話ができる機械をつくり、カロリーのまったくない甘い飲み物や食べ物を作りましたが、全ての人の心を満たすことがいまだに出来ていません。


現に今でも自分の悩みを解決することができず自殺等で自ら命をっている人達がいるのが現実です。


 きっと誰にでも悩みはあるはずです。家族や友人に悩みを話し、ストレスがなくなることで解決できるものがほとんどだとは思います。ですが、悩みが大きなものになると、そうはいきません。金銭問題や突然の事故、犯罪に巻き込まれるなど、世の中にはあなたを苦しめる問題がいたる所にあります。


 そんな、あなた一人では解決できない問題を、どうか私に相談してください。弁護士の知識と思考力で、どんな悩みも絶対に解決してさしあげます。逆に私に解決できない問題があるなら聞いてみたいほどです。


 相談内容の守秘しゅひは必ず守ります。法律関係の相談から、たわいのない悩みでも、お困りのことがありましたらその都度つど対応いたします。法律相談事務所と名打めいうってはいますが、幅広はばひろくご相談をうけたまわっていますので、どうぞ一度おきがるに、こちらの事務所までおしください。』



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 男はそこまでの文章をパソコンで打った後、椅子いすの背もたれにもたれて目をこすった。


 白いワイシャツにベージュのズボンの部屋着を着ており、シャツからのぞく彫りの深い顔は日本人とも外国人とも見える。少しボサボサな髪と白い肌、170cm後半くらいありそうな身長だけを見るとモデルでもいけそうに思うが、彼のやぼったい立ちいがそれを全てかき消していた。


 男は不満そうな表情で今パソコンで打ったばかりの文をながめた。



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 たったコレだけの文章を書くのにどれだけ時間をついやしているのだろうか。


 

 今、書いているものは自分がこれから取りかろうとしている仕事のホームページにせる宣伝用文句せんでんようもんく。つまり、お客さんを呼び込むための文章。


読みやすく、分かりやすく、目をひくような文章を書きたいが、そのどれにもあてはめることができないものばかり書いている。


 電気もつけていない暗い部屋で唯一ゆいつ明るいパソコンの画面をボーと見ながらアレコレ考えていたが、ここで一旦いったん目処めどをつけ切り上げることにした。手直しはいつでも出来るのだから。


 部屋は壁のほとんどを埋め尽くす本棚と、隅にあるベッドと机、後は服を入れる収納ボックスがいくつかある簡素かんそな部屋だ。

本棚の本は法律関係のものから、民族学やオカルト的な資料のものまでジャンルをはば広くそろえてある。


 ふと壁にかかっている古い振り子時計を見ると針が夜中の2時をしていた。パソコンの後ろにある窓から見える空には星がいくつかまたたいて、街の家々いえいえをぼんやりと照らしてくれていた。見ると他の家の窓はほとんどが暗くなっており、みんな寝ているようだ。


 俺は机に置いてる、陶器とうきのコップが空になっているのに気がつくと、急にのどかわきを覚え、何か飲み物がないかとリビングへ歩き出した。


 自分の部屋からリビングへは、廊下を渡ったすぐのところにある。台所とつながっているリビングは、広いスペースに食事のできるテーブルやソファー、外の庭が見渡せる縁側えんがわがあり、くつろぐ分には快適かいてきではある。この家も家賃が安いのはいいが、なんとも言いがたい暗いたたずまいさえどうにかなればとつくづく思う。


昔に建てられたであろう木造のこの家は、補修工事ほしゅうこうじを何度もしながら、長年誰かが住んでは出ていきと繰り返されているそうだ。木のはしらをよく見ると誰かがつけたであろう傷があちらこちらにある。暗い廊下をスタスタと歩いていくと、どこからか薄明うすあかりがしているのが見えた。


その明かりは2階へ続く階段のほうかられていた。この家は2階建てで、1階の一室に俺の部屋があり、2階の部屋は家賃を稼ぐためある人物に貸している。2階の人もまだ起きて何かしているのか、それかただ電気を消し忘れて寝ているかだろう。俺の知る限りでは後者のほうが確率が高そうだ。


 きしむ廊下を音を立てないようにリビングまで歩いた。部屋へ入ると、温度が上がり切っており、空気が薄く感じるほどのし暑さになっていた。向かいにある戸を開けると、外の心地の良い空気が流れてくる。戸の向こうは縁側えんがわと、あまり広くはないが園芸を楽しむためには問題ない小さな庭が広がっており、夏草がはえている庭からは夏の虫の鳴き声が聞こていた。暗闇くらやみにポツんと浮いてる月の光が縁側えんがわを照らし、情緒じょうちょある風景になっている。


 冷蔵庫にあるお茶をコップにそそいだが、まだ冷えきっていなかったため、氷をコップに入れ、カランカランと音をさせながらそのお茶を飲んでいると、閉めていたはずのリビングのドアが急に開いた。



 「ハカセ、私にもちょーだい」

声のほうを見ると、一人の女性が立っていた。年は20代前半くらい、顔は整ってはいるが若さのせいで少し生意気なまいきそうにも見える。髪は黒のショート、背は160cm前半だろうか。緑のチェックのねまきにグレーのスリッパを履き、遅くまで起きているが寝る準備は万端ばんたんのようだ。

「まいご、まだ起きていたのか。コップを持って来い、ついでやろう」


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 『ハカセと呼ばれた男は、本名は抑内 八可世(よくない はかせ)。年齢は26歳。2年前に小さい頃からの夢であった弁護士資格をようやく取ることができたが、去年あるきっかけで、弁護士会より戒告かいこくを受け元の職場を離れることになってしまった。今は生活費を稼ぐために、他の仕事をしながらなんとかやりくりしている。まいごと呼ばれた女性から自分の名前を面白がられ、ハカセは博士とは漢字が違うと訂正したがその子からはずっと下の名前で呼ばれ続けている。自分だけではしゃくなので、その女性のことも下の名でまいごと呼ぶようになった。


 まいごと呼ばれた女性、本名は逸茂 真唯護(いつも まいご)。年齢は20歳、大学に通い経済学を学んでいる。今は2年生で、地元の大学には行かずに県外の有名な大学に通っているため、寝泊まりの場所とお金がなく、不動産屋に相談したところ仕事を手伝ってくれるなら安く部屋を貸してもらえる家があると聞き、このハカセの家で寝泊まりする流れとなった』


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 まいごは食器棚から自分用の白猫の描かれたコップを取出し俺の前にさしだした。俺はそのコップにお茶をそそぎ、ついでに氷もいれておいた。

「いただきまーす」と言いながら、まいごはコップに入ったお茶を飲み、「暑いときは冷たいものを飲むだけで幸せになれるから、暑さにも感謝だね」と眠気眼ねむけまなこでつぶやいている。外からの虫の鳴き声を聞きながら、しばらくのあいだ二人無言でお茶を飲んだ。 




 「ねえねえ、こんな時間まで何してるって聞かないの?」

間が空いた後、まいごは俺の顔を下から見上げるようにして聞いてきた。風呂に入ったのは数時間前なのに、まだ石鹸のかおりがする。

「男とのメールや電話のやり取り以外の答えがあるなら聞きたいね」

俺はまいごの顔を見ずに、外の庭を眺めながら答えた。

「えー、わかっちゃう?私のモテてしまう魅力みりょくが」 

まいごはわざとらしく片手で口をおおい、おどろいたようにおどけた。


「そうじゃなくて、大学の課題をするためにパソコンで調べものしてたのさ。コレがなかなか難航なんこうしちゃって」

 そう言うとまいごは何かを思い出し手をたたいた。

「そうそう、ハカセ仕事用のホームページ作ったんでしょ?さっき調べものつでにちゃんと見といてあげたよ」

俺は持っていたコップを落としそうになりながら、まいごの顔を見た。まいごは目を細めてニヤニヤしている。


「でも、あの見出しの何でも解決できるって文は書きすぎだな。この世界に絶対はないって誰か偉い人が言ってたよ。誰か知らないけど」

まいごはテーブルに座り、『しかたないな』という表情で腕を組んで言った。

「書きすぎだが、そうでもしないと誰の目にもとまらないだろ。まず客に相談に来てもらわないと何もはじまらない。大きな目標があるなら、小さなことはこだわるなと福祉活動家のヘレンケラーも言っていた。あと、まいごの言う絶対はないというのは織田信長だ」


目だけをまいごの方に向けて同意を求めたが、まいごはっすらニヤけ顔のままテーブルの上で足を上下にパタパタと動かしている。


 「よかったら私がその宣伝用の文章書いてあげよっか?私こう見えて文才ぶんさいがあるから。たぶん」

まいごは顔を明るくして俺に提案ていあんをしてきた。

「書くって、どんなことを書くんだ?」

「どんなことって、いい感じのこと書くに決まってるじゃない」

そんなことを2人で言いあった後、まいごはしばらくジーと外の庭を見ながらカランカランとお茶を飲んでいたが、急に何か思い立ったように話し出した。


 「ねぇ、ハカセ、ちょっとお願いがあるの」

あまりまいごから頼みごとをされたことが無かったためか、どこか新鮮なセリフのように感じ、どうしたのかと頭の中で考えをめぐらせた。

「どうした。何か困ったことでもあるのか?」

どんな答えが返ってくるのかと若干じゃっかん緊張きんちょうを覚えながらもまいごに聞いた。


「じつは、友達のことで悩んでることがあるの、どうしても分からないことがあって。私じゃいくら考えても分からないし、ハカセなら何か解決手段かいけつしゅだんを見つけてくれるかなって思って…」

まいごは空にになったコップを見つめながら言った。


 「いいだろう、その相談をひきうけよう」

「…え?」

俺があっさり答えると、まいごは目を丸くして驚いた。

「ほんと?くわしい説明とかまだだけど…」

まいごはもう一度確認するためいただした。


「あぁ、もちろんだ。その悩みが解決できるように女子会がひらけるいい店を探しておこう。前にデザートバイキングの店で値段も雰囲気も完璧なところをネットで見たことがある。個室ありで、学生割引もつかえたはずだ。俺への報酬はその店で1番売れ筋のデザートを1つ買ってきてもらえれば充分だ」


俺がポケットからケータイを取り出し、指で画面をスクロールさせながら答えると、まいごはそのケータイの画面を手で見えないようにおおい隠した。

「もう、ハカセ。女子会をひらいて解決できる悩みじゃないの」

まいごは怒って、俺の冗談を返した。


 「友達っていうのは、詩化史 音夢理(しかし ねむり)っていう私と同じ歳の女の子でね、昔から知ってる子なの。その子がずっと探し物をしてたんだけど見つからなくて。その探し物どうやら私に関係があるものらしんだけど…」

俺はまいごがいつになく真剣に話しているのを、黙って聞いていた。


「あと、ねむりが私にどうしても伝えたことがあるから来てって言われたんだけど、それ以来会ってなくて、探し物の件もあるしどうしてもその子と話したいの」

まいごは座っていたテーブルから降りると庭のある縁側へと歩いていき外を眺めた。


「その子に直接聞けないくらいヒドイけんかでもしたのか?女性どうしの付き合いもたいへんだな。その子をつれて来さえすれば、茶菓子でも食べながら俺がまいごの素晴らしさをかたってやろう」

俺が笑いながらそう言うと、まいごは振り向いてムッとした表情をした。

「素晴らしいなんて思ってないでしょ」

冗談ばかり言う俺に、まいごは少しばかりあせりにも似た感情が出てきたようだった。


「そうじゃないんだよ…」

話しながら落ち込んでるような、なんとも言えない歯がゆさを感じているまいごは、なかなか相談の本題を切り出さなかった。

「どうしたんだ。話すだけ話してみてくれ。俺にできることがあるなら何だってするさ」


らしくなく元気がないまいごに、そんなに落ち込むことがあったのだろうかと不思議に思いながら話した。

まいごは一瞬だけ俺を見た後また外をじっと見た。


 「そのねむりって子、3年前に病気で亡くなってるの」

「…」

 まいごの思っていなかった返答に俺は黙った。まさかまいごの口から死んだ人の話しを切り出されるとは夢にも思っていなかったため、返す言葉を準備することができなかった。

白血病はっけつびょうでね、いろんな治療をして移植手術いしょくしゅじゅつなんてことまでしたんだけど、病状が回復しなくて。」


まいごは亡くなった友人の話を淡々たんたんと話した。

「でも私、その子の最後の言葉を聞くことができなかったの。電話でどうしても話したいことがあるから来てって言われて、その子がいる病院へ急いで行ったけどその後も会えないまま亡くなって。だから、どうしてももう1度話しがしたい」


 俺はしばらく間をあけて、まいごに話しかけた。

「やはりホームページに書いた宣伝用の文章は、まいごの言うとおり書きすぎだった」

「え?」

まいごは頭の上に?マークを浮かべて聞き返した。


「どんな悩みも解決できると書いたのは間違いだった。自信過剰じしんかじょうだったよ。過ちを認めることを恐れるなとのロシア革命家レーニンの言葉を思い出す」

俺はまいごのありえないお願いを、必死にごまかした。


「ちょっとハカセ。偉人の名言を利用して断らないでよ」

まいごは自分が予想していた通りの反応をした俺に、なんとか相談を引き受けてくれないかと考えてるようだ。


「ハカセ、どうにかならない?ほんとは何か手段があるんじゃないの?隠さないでよ」

まいごの言葉に返す返事がなく少し困ってしまった。

「すまないまいご…。友人が亡くなったことは可哀かわいそうだが、俺にはどうすることもできない。できることなら願いを聞いてやりたいが、それは不可能だ」


その言葉に、希望をいていたまいごの表情がくもってくのが分かった。どうにかしたいというのは本心だったが、その相談に乗ることはできなかった。


 「…なら、ねむりが昔探していたものを一緒に探してくれない?1人じゃ難しそうで」

まいごは気持ちを切り替えて、もう一つの相談を聞いてもらうことにしたようだ。


「先週、実家に帰ったときに小さな小包こづつみ私宛てに届いていて、何かなって開けたら紺色こんいろ手帳てちょうが入ってたの。中を読んで見ると、それが昔ねむりが毎日書いていた日記の手帳だって分かった。私がいないときに、お母さんがねむりのお父さんから預かってたみたいで」

まいごは俺のほうをみながら話した。口調が沈んでおり、落ち込んでいるように見える。


「お母さんから聞いた話だと、本当は娘の遺品いひんだし、ねむりの家族が持っているつもりだったらしいんだけど。『この日記はまいごさんが持つべきなので、まいごさんにおゆずりします』って、ねむりのお父さんから言われたんだって」


 リビングに掛けてある時計の針は夜中の3時を指そうとしている。開け放している庭の窓からは、夏の風が流れ込んでいた。


 「はじめは、なんで私に譲ってくれたんだろうって思ってたんだけど。日記の中身を読んでわかったわ。日記に書いてある内容のほとんどが私のことだった。私があーしたこーしたって毎日のように書かれてて、私ねむりが日記を書いてたなんて知らなくて、ねむりがどれだけ私のことを考えてくれていたかを日記を読んでやっとわかったの」


 まいごはさみしそうに外を見た。悲しいというより、友人の気持ちを分かってやれなかった自分への後悔が表情になって表れていた。

「その日記を読んでいくと、ねむりが何かを探していたことがわかったの。しかも、その探し物を、ねむりは私にわたしたいって書いてあるんだけど、それが何かを日記のどこにも書かれてなくて。おかしいと思って何度か読み返したけど、やっぱり見つからなかった」


俺はリビングにある椅子に座り、まいごの話しに聞き入っていた。

「お願いハカセ、その探し物を探すの、一緒に手伝ってくれない?」

まいごは俺のほうをむいて手を合わせた。

「お願いお願い」


俺はうなずき、「わかった、探すのを手伝うよ。」とすぐに返事をし、頼みを承諾しょうだくした。

その肩透かたすかしのような返答にまいごはキョトンとした表情になっていた。

「え?ほんと?」

「あぁ、だが話の続きは明日だ。今日はもう遅い、早く寝るんだ」

 俺は氷も溶け、空になったコップをシンクに置いた。

「ありがとうハカセ。ホントにどうしようか悩んでたからうれしい」

 ねむりは俺が手伝うと言うのを聞き胸をなでおろしていた。


「あとその…お仕事だし、手伝ってくれるお礼ってどれくらいなの?」

「報酬などはいらない。どうせ、仕事がなくてひまだしな。まいごの友人が考えることなんてだいたい予想がつくだろう。探し物なんてすぐに見つかるさ」


そう言うと、ねむりは喜び、その後イジワルな顔になった。

「そんなこと言っていいの?探し物がなかなか見つかんなくて、やっぱり報酬もらわないと割に合わないって言っても遅いからね」

まいごはそう言って俺を指さし笑い、ちょっとまっててと言って、2階にある自分の部屋に戻った。待っていると、紺色の大きな手帳を手に戻ってきた。


 「はいコレ、ねむりの手帳。探し物のことは全部ここに書いてあるから読んでみて。大事にしてるから、大切にあつかってよね」

まいごから手帳を受け取った。大きめの手帳で、使い込まれているようだ。表紙が色あせて、数年の月日が経っているのを手帳から読み取れる。

「いいのか、俺なんかが読んで?」

「うん、私が読んで1人で悩んでもねむりが探してたものを見つけることできないから」


 まいごは、どこかぼんやりとした表情でそう言うと「じゃぁね、おやすみ」と言って2階の自分の部屋へと戻って行った。俺もまいごを見送った後、リビングの戸を閉め暗い中廊下を渡り自分の部屋へと戻った。




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 私は自分の部屋に戻ると電気を消し、すぐにベッドに寝っころがった。部屋は机とベッド、服を入れる備え付けのタンスに、本棚が1つ、ハカセと同様に簡素かんそな部屋。本当はもっと女子らしく、いろんなオシャレな小物を置きたいけど、借部屋かりべやだから何かあった場合すぐに引っ越せるよう物が多くならないように気を付けてる。


 ベッドから、机に置かれたねむりの写真を入れてるアルバムをながめた。昔、ねむりが亡くなったとき、悲しくてよく開いて見てた。最近は落ちついてきたけど、ねむりの日記の手帳をもらってからまた見てしまってる。まだ昨日のことのようにねむりのことを思い出せるのに、亡くなってもう3年の月日がったことがすごく悲しい。


『ねむりと話したい』

さっきハカセにこんなありえないお願いをしたのには訳があった。私も普通の人にはこんなことを言ったりしない。でもハカセなら何か知っているかもしれないと思ったから。どうにかしてくれると思った…。




 あれは去年の秋ごろのこと。私は大学の授業が午前中で終わり、バスでそのまま家に帰ろうとしてた。でも、せっかく授業が早く終わったことだし買い物でもしようと考えて帰るバスを途中で降りたの。ショッピングモールが建ち並ぶ街の中心街にも秋はおとずれれていて、茶色いタイルが並んだ道に赤い落ち葉がまだら模様もようを作っている風景はとても綺麗きれいだった。少し冷たい風が首に巻いてるマフラーをゆらし、そろそろ息を吹くと白くなりそうだったのを覚えている。


 私は、ショウウインドウに飾られた今流行っているであろう服を見ながら、これは派手かなとか服の品定しなさだめをして歩いていた。そんなとき偶然ぐうぜんハカセを見つけたの。私はハカセに気付くとって後ろからワッとおどろかした。びっくりしてたハカセに、今日は大学は休みだったのか?と聞かれたから、授業が午前中で終わったよと伝えた。するとハカセは納得なっとくして、笑いながら何かデザートでもおごってやろうとか言ってくれて、私は喜んでハカセに付いて行ってた。


 そして、食事ができるお店がないか街中を探して、私とハカセがスクランブル交差点の横断歩道にかかろうとしてると、前にすごい人だかりができていた。


電話で誰かと話している人や、前をのぞき込もうとしている人とさまざまな反応をしている。歩道に並んだ多くの人たちで目の前の状況は見えないけど、車道の車もスットップしているのを見るかぎり横断歩道に何かがあることがわかった。


 それは、なんともいえない異様いよう雰囲気ふんいきで、感じたことのない緊張感がただよっていた。非現実をみんなが共有しているようと言ったらいいのかな…。

 ハカセはそんな状況を見ると急に人だかりをかき分けて前に進みだした。それに驚いた私は「ハカセどうしたの?」と声をかけたけど反応がなく、仕方なく周りの人たちにあやまりながら私もハカセについていった。そしてやっと人だかりの1番前についたとき、私は何が起こっているのか状況を理解することができた。


 横断歩道の真ん中には10歳ほどの少年が倒れていた。どうやら車か何かに跳ねられたようだった。少年が倒れている周りにはおびただしい血がひろがっており、その横にはねられた衝撃しょうげきでUの字に曲がりりたたんでいるかのような自転車が転がっている。少年から流れ出ている血の量は尋常じんじょうではなく、誰が見ても少年が亡くなるのは時間の問題だった。


 私はその状況を見るやうつむいてしまった。悲しい状況をしっかり見ることはできなかった。多くの周りの人たちは電話で救急車や助けを呼んでくれていたけど、誰一人少年の近くに行こうとはしなかった。それは、医者ではない者がこの状況で少年に近づき何かをするすべがないこともあったけど、この状況にたじろいでしまっていたのが正直なところだったと思う。私もその一人だった。あまりの大怪我をしている少年の近くにいって、少年を直視ちょくしする勇気はなかった。


 そんな中、隣にいたハカセが急に1人で少年に走って近づいて行った。その途端とたんあれだけ騒がしかった周りの音が静かになり、群集ぐんしゅうの注目がハカセに集まっているのを感じた。私はハカセの行動に目を見張って驚いたけど、知りあいである以上ここにとどまって遠くから眺めるわけにはいかなくなり、私はハカセの後を追って少年に近づいた。すると私自身にも多くの人の視線が集まり、こんな人だかりの視線を一身にあびた経験はなく、ハカセを追う足がふるえてた。


 少年に近づくと、怪我けが悲惨ひさんな状況がいっそう明白めいはくになった。少年が着ている服は血で赤黒くなっていた。服の腹からみぞおちにかけては布がなくなり肌が露出ろしゅつしている。露出している肌は車の部品にでも引っかかってしまったのだろうか、肉がえぐられてしまっていて、そのえぐられた肉からは臓器ぞうきであろう一部が見えみゃくをうっていた。


 「大丈夫か?声はきこえるか?」

ハカセは少年の耳元に向かって呼びかけた。少年は声を出すことはできなかったけど、ハカセの方を見て小さくうなずいた。少年の呼吸はかすかで、もうすぐ止まってしまいそうなほどゆっくりだった。

「もうすぐ助けが来るはずだ。もう少しの辛抱しんぼうだ」

少年は呼びかけるハカセをじっと見つめていた。そうしている間にも少年の傷からはなく血が流れ出ている。


 「まいご、ビニール袋とガーゼかハンカチを買ってきてくれ」

ハカセは後ろにいた私に、自分の財布を渡しながらそう言った。それを聞いて私は驚いた。ハカセが傷の応急処置おうきゅうしょちである圧迫止血法あっぱくしけつほうをしようとしているのが分かったからだ。傷口をガーゼ等で抑え血を止める、もっともシンプルでほとんどの怪我に使われる緊急処置きんきゅうしょちではあったけど、どう考えてもそれで対処できる怪我ではなく、するだけ無駄だった。


 しかし、そんなことを言えるはずもなく、私はハカセの財布を黙って受け取ると、それらが売られているお店がないか走って探した。その時のことはあまり覚えていない。あせっていて、必死にいろんな人に尋ねていたような気がする。


 探し回ってやっと頼まれたものを全部買い、ハカセのところに戻ったとき、少年が死んでいることを覚悟していた。ねむりの死を見てまだ間もないのに、幼い少年が死ぬところをこんな形で見ることになるのかと絶望感ぜつぼうかんいていた。


 そして、おそるおそる少年を見たとき、はじめ、信じることができず目をうたがった。見間違えだと思った。でも間違いない、少年のあんなにえぐられた傷があさくなってた。それは、治療したというより、自然に傷の肉がふくらみつながりあってると表現したらいいのかな。少年の呼吸は初めに見たときより深く呼吸ができるようになっていた。


「ハカセ、この傷…」

私は、少年の傷を見て、驚きながらハカセに話しかけた。

「あぁ、ありがとう。」

ハカセはそう言うと、傷の説明はせず、私の持っていたガーゼ等がはいった袋を受け取った。ハカセは血液感染けつえきかんせんふせぐため袋の中のビニールを手にはめて、ガーゼで少年の傷口を抑えた。そして、振り向いて、またハカセは私に話しかけた。


 「さっき近くの病院に電話したら、谷山病院というところが救急車をこっちに向かわせてくれてるらしい。あと、少年のカバンから壊れているがケータイ電話が入っていた。かけることはできないが、連絡先一覧を見ることができる。それで調べて、少年の親や家族の誰かに、まいごのケータイで電話をかけてくれないか?これだけ血を流していると、輸血ゆけつの血が足りない可能性がある。きっと家族の輸血が必要だろう」


少年の傷を抑えながらハカセは私に話した。

「家族に話すときは、少年が怪我をしているから病院に来てほしいとだけ伝えてくれ。怪我の具合を細かく説明する必要はない、パニックになるからな」

私はうなずくとハカセから少年のケータイ電話を受け取った。ケータイ電話の画面は割れてヒビが入り、少年の血で赤い水玉模様みずたまもようができていたのを覚えている。


 それから私は少年の家族に電話をし、電話が終わった後すぐに来た救急車に少年がタンカに乗せられ、病院に向かうのを見送った。後日に少年の家族から電話がかかってきて、少年の無事を教えてもらった。家族からお礼がしたいと言われてたけど、ハカセが『たいしたことしてはしてませんので』とか言って断ってた。


 でも私は見た。少年の傷がありえない速度でふさがっていたのを。あの時、傷の異変いへんに気付いた私に対するハカセのリアクションを見る限り、ハカセが少年に何かしたのは間違いない。私が手当てあての道具を買いに行った時、ハカセと少年の近くには誰も近づいていなかった。つまり、ハカセは私を追い出し、誰も近くにいない状況を作った上で少年に何かしらの傷の処置をしたんだと思う。


 私は分かっていたけど、その後もハカセにどうやって少年の傷を治したかを聞くことができなかった。ハカセがそのことを隠したがっていたことに気づいていたし、無理に聞きだしたところで話してくれないのは目に見えてたから。だから、ハカセが私にそのことを話すまで自分からは聞かないことにしようと決めていた。





 また、先月。ハカセの部屋の前を通ったとき、部屋のドアが開いているのに気がついた。ドアの隙間から部屋を見ると、ハカセはおらず、本が何冊か床に落ちていた。机には本と何かの書類のような紙が乱雑らんざつに置かれ、ノートパソコンも開いたまま電源を落とさず画面がついたままだった。


 その日は朝早くにハカセが慌てて出かけたのを知っていたので、私は本だけでも棚に直してあげようと思い部屋に入った。そして、本を直した後はすぐに部屋を出るつもりだった。でも、知りたいと思う好奇心こうきしんおさえることができなかった。


 私は、ハカセがいったい何をしていたのか気になり、ハカセの机に近づいた。机には何冊ものみ重ねられた本と、机から落ちてしまそうなほど散らばっている書類の紙があり、私はその紙を1枚手に取り読んでみた。


そこには電気工学のような文章がつらつらと書かれていた。電磁誘導でんじゆうどうやアンペールの法則などの説明と共に、ところどころに書いてあった電磁波でんじはによっての死人との会話という文は、私の目を引き興味を持たせるには十分だった。


 また、ほかの紙を見ると、海外の学者の写真が一番左上にっており、その人の持論じろんのようなことが書かれていた。の質量の物質が発見され、時間という次元の認識にんしきもでき、重さのない光や音を過去へと移動させることに成功したという内容の文章だ。


 私はその文を読みながら、本当にこういったことが現実に起こりえるのだろうかと、不思議な期待感を抱きつつあるのを感じた。普通ならそういったオカルトチックな話は信じはしないけど、少年の事故での出来事があったことで、本当なのかもと思ってしまう。


 そして、次に開いたままになっている、銀色のノートパソコンの画面に目をやった。そこにはWEBメールのページが開いたままになっていた。どうやら誰かとメールのやり取りをしてたみたい。私は迷ったけど、我慢できずマウスを動かしメールの受信トレイというタブを開いた。すると、上から下に時系列じけいれつでハカセのパソコンに送られてきたメールが差出人の名前とともに出てきた。私はその受信メールで、日付が1番新しいメールの差出人の名前に目が行った。抑内 狗未(よくない くま)、ハカセと同じ名字だ。


 たしか、ハカセのお父さんとお母さん、弟さんは亡くなってたけど、お兄さんはいるって聞いたことがある。前にハカセがお兄さんは防衛省で働いているって言って、私が「防衛省って、あの防衛省!?」と驚いたのを覚えている。なんでも国のいろんな情報の収集や管理をする事務のお仕事だそう。このメールはそのお兄さんからだろう。ハカセは最近お兄さんとは会えてないって言ってたけど、どうしたんだろう。この机に散らばってる書類と関係があるのかな…。


 私はもう知りたいと思う気持ちが止まらず、自然とお兄さんからのメールを開こうとした。そのとき、後ろでギーというドアの開く音が聞こえた。


私は驚きハッと息を飲んで振り向いた。しかし、そこには誰もいなかった。ふっと横を見ると、机の横の窓が開けっぱなしになっていて、そこから、窓をガタガタとさせながら風が入ってきていた。どうやらその風がドアを押していたみたい。そういえば朝のニュースで台風何号かが近づいてるって言ってたのを思い出した。雨が降り出し中に入ってくるといけないので、私は建て付けが悪くなり閉まりにくくなっている窓を、両手で押してなんとか閉めた。


 私はそこで、冷静になることができた。やっぱりハカセのメールを勝手に見ることはできない。気になることはあるけど、今度、直接ハカセに聞いたらいいだけなんだから。そう思い、私はハカセの部屋を後にした。


 それからも、ハカセにお兄さんのことや書類のことを聞いてみようかと何度か思ったけど、話すのを嫌がる姿が目に浮かび、聞くことができないでいた。


 しかし、先週ねむりの手帳をもらい、いてもたってもいれずハカセに相談した。死んだねむりと話したいと言ったことで、ハカセの部屋の書類を勝手に読んだのがバレたかもしれない。でも、それでも聞きたかった。ねむりともう一度話すことができるならなんだってする。どんなに可能性が低い事でも、やらないわけにはいかなかった。結局ハカセにはできないって言われたけど、探し物の件は手伝ってくれるから良しとしないと。


 ハカセが何かを隠しているのは確かだ。ねむりのことがある以上、知ろうとするのをあきらめられない。いつか、ハカセの部屋で見た書類のことも聞きださないと、私にも時間に限りはあるだろうから。そんなことを思いながら、ウトウトしていたらいつのまにか深い眠りについていた。

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