2019/08/23(金)
昨日はついに「雑感」を更新することができなかった。優先すべき仕事があったし、今日は朝早いから文章を書くために遅くまで起きているわけにもいかなかったからだ。今日帰国して、今は空港から家に向かう列車の中でこの文章を書いている。
近代文学の主流をなすジャンルは小説だと言われていて、実際の本の売り上げを見ても(詳しい数字は知らないが)他の色々なジャンルの文学(例えば詩や随筆やノンフィクション文学など)に比べると小説の方がだいぶ勝っているようだ。ではなぜ、詩や随筆やノンフィクション文学ではなく小説がよく読まれるのだろうか。
とりあえず小説を散文で書かれた物語と定義するなら、なぜ韻文より散文が、またなぜノンフィクションよりフィクション(物語)の方がよく読まれるのか、と二つの視点で分けて考えるのが良さそうだ。
韻文より散文、というのは、単純に読みやすさの問題だろう。必ずしも韻文が難しいというわけではないが、現代の散文は日常会話の言葉に近いから、大体において読みやすく感じられるはずだ。文を言葉のリズムに気をつけて読むのには普通に黙読するのよりも時間がかかるが、散文ならその必要はない。
ではなぜノンフィクションよりフィクションなのか。単純で素朴な答えとして期待されるのは、「面白いから」だろう。ノンフィクション文学は現実に起きた出来事の一つの記録である。それゆえ、作者の仕事は出来事の輪郭を文章でなぞることであり、余計なことを付け足してはいけないということになっている(ただし随筆と呼ばれるものは作者の思考を文章に表すことがメインである。ここでは伝記や歴史文学を思い浮かべてほしい)。一方小説の世界は現実の世界と一定の繋がりを持つが、そこで起こる出来事はほぼ作者の想像力によって綴られたものである。ノンフィクション文学と小説との間には、標本にされた死んだ動物を観察するのと生きた動物を直に観察するのとの間にあるのと同じくらいの違いがあるような気がする。つまり人間の想像力がそこで生きているかどうかである。そこにこそ小説の価値はあるのではないだろうか。このことは前にも書いた気がする。
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