2019/08/17(土)

 小説の使命を問うことと、小説が何の役に立つのかと問うことは、似ているようでだいぶ違う、気がする。主語をもっと実用的なもの、例えばペンに置き換えたなら、ペンの使命はものを書くことであり、それが何の役に立つのかという問いの答えにもなっている。小説の場合は、それが書かれた後に、読者を得て、読んだ人に何かしらの影響を与えるということがまず一つの使命だろう。読まれない小説は存在しないのと同じだ。こう書くと、私は前に伝記映画を見たサリンジャーが隠遁後に書いた小説たちのことを思い出す。それらは今のところ世に出ていない。そうしたものを書いていてサリンジャーは心細くなかったのだろうか。

 話が逸れたが、小説が読者に影響を与えたからといって、それは読者にとって何かの役に立ったと言えるのだろうか(ここで主語は読者に限定するべきではないかもしれないが、とりあえず読者としておく)。ベストセラー小説を読んで、「感動しました。今の生活に疲れ切っていましたが、明日を生きる勇気が湧いてきました」とかいう人が一定数いて、これはまあわかりやすく小説が役に立った例だろう。これも小説の幸福なあり方の一つに数えられる。とはいえ、あらゆる小説が読者の人生を動かすわけではないし、中には悪影響を及ぼすと言っていい場合もあるだろう。私自身は、中学生のころに村上春樹を読んだ結果としては悪影響の方が大きかった気がする。村上春樹は現代人の心の闇というか、ニヒリズムみたいなものを実にうまく描き出したが、それをどう乗り越えるかということを結局教えてくれない。多分本人にもわからないのだろう。そのあたりがノーベル賞が取れないことと関係している気がする。

 話を戻すと、小説は薬ではないのだから、読んだら明日から元気が出ます、というような機能が保証されるものではない。機能という視点で小説を考えると、極めて貧しい結果しか得られないだろう。機能というのは「AしたらBする」みたいな、直線的な因果関係の上に成り立っているわけだから、同じ小説を読んでいつでも誰でも同じ結果が得られるのでなければ、その小説は機能を持っているとはいえない。実際にはそういうことはまずなくて、ほとんどの場合、読む人によっても読むときによっても小説が人に与える影響は全然違って予測がつかない。だから小説の機能などというものはないのだが、それで役に立たないと言い切るのはあまりにも早計だ。明日またこの話の続きを書く。

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