2019/08/16(金)

 海外でもカクヨムにアクセスできたので、変わらず毎日更新を目指す(が、今日は日本時間ではぎりぎりの更新になりそうだ)。

 小説ドリルで昨日書いた「記憶」については、何も言うことがない。いや、出来が良くて大変満足しているという意味ではなく、なんの思い入れもない、という方の意味で。書くことがないのに無理にこねくりまわすからあんな風になる。しかしまああれも一種の表現ではあると思う。

 さて、昨日は小説の中で流れる時間について書いたが、今日はまた別の話題について書く。

 私は小さいころからあまり物欲というものがなかったのだが、自分の行動に対しては意義みたいなものを強く求める傾向にあった。要するに、目に見える意義のないことはしたくないというわけだ。だからスポーツやゲームなどは全然やる気になれなかったし、今もなれない。試合に勝ったり負けたりしたからといって、それが何なのだ? という気持ちになってしまう。私が昔から好きだったのは本を読むことで、何かを読むたびに知識が増えていくということが私には快感だった。しかし、小学生になってからの読書は、単純に知識を増やすためのものではなくなっていった。怪盗ルパンやハリー・ポッターのような小説を読むようになると、知識が増えるのとは独立した読書の楽しみを私は知るようになった。中学二年生になって村上春樹を読み始めたときに私はその小説世界に深く没入したが、その感覚も多分小学校のころの読書の延長線上にある。

 それで何が言いたいかというと、読書については私は行動に対する意義をそこまで考えずに(少なくともある時期からは)してきたということだ。実は村上春樹を読み始めたのは教養を深めたいという今にして思うと意味不明な理由だったのだが、それは大した問題ではない。

 と書いているうちに日付が変わりそうだ。続きは明日。

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