2019/08/12(月)

 昨日仕上げた短編小説のタイトルは「おもかげ」とした。あまりぱっとしないタイトルかもしれないが、これ以上いいものも思いつかない。それから小説ドリルで「シンプルにすごい」を書いた。これはラッパーがストーリーを語る、みたいな感じで書こうと思ったのだが、なんか全然格好よく書けない。ただ、締めの「ナチュラルボーン天才」というフレーズだけは馬鹿っぽくて気に入っている。

 小説の使命について何日か前に書いた。その続きを考えようとすると思考が停止する。続きというか、実際には小説の使命はこれだと書いたわけではなくて、小説の使命とは何かという問いの周りをぐるぐる回っているだけで、全然結論に向かっていない。だから小説の使命について書いたとは言えないかもしれない。私は少し目先を変えて、小説とは何かを問うことにする。

 小説とは何か。この問いに対してもおそらく一通りに定まる答えを出すことはできない。散文で書かれた架空の物語である、と言えば、まあ全編が韻文で書かれていれば詩に分類されるはずだから韻文の小説はなさそうだとしても、小説世界と現実世界の区別がとても曖昧になっている作品というのはいくらでもあるし、物語らない小説というのも多分既にあるだろう(それを言うためには今度は物語るというのがどういうことかを考えなくてはならないが)。また、小説には人間か、あるいは少なくとも読者が感情移入することができる人間のようなものが出てきて行動する。その行動を描くのに小説はその多くの部分を費やす。しかしそう言うだけでは小説を定義したことにならない。

 ここでは小説が持っている基本的な性質について考える。まず第一に、小説は文字で書かれている。これはおそらく覆せない事実だろう。小説に挿絵はあってもいいが、挿絵が文章より大きな比重を占めていたらそれはもう小説ではない、というのが暗黙の了解になっている。つまり、小説は文字を媒体として内容を読者に伝える。そして文字とは、言葉を表すための記号である。

 私が大学生だった頃、言語学の授業で先生が「言語を持つ動物は人間だけ」だと言った。人間以外にも音声を使ってコミュニケーションしている動物はたくさんいるが、そこで使われている音声を詳しく分析してみると、人間の言語が持っているほど複雑な文法構造がないことがわかる。だからそれは人間の使っている言語と同じものとは言えない、と。私はその話を聞いて納得したし、その頃から言語こそが人間の思考を支えているものだと信じるようになった。

 今日は思ったより長くなってしまったからここで止めておく。重要なことは、言語活動が人間存在をある意味特徴づけるものだと私は考えており、小説を書いたり読んだりする営みも当然そこに含まれているということだ。

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