第10話 真夏に昇る雪
辺りは一面の闇。総一朗は
「はあ!」
一撃目は背後。直前で気付き、霊力を込めた右手で弾こうとした。
「くう!」
痛みを堪えて
体を持たない今の私では、敵の攻撃を防ぐ程の力を練る事が出来ない。
(矢張り私だけでは……。いえ、諦めては成りません!)
第二波は頭上から。六本の黒い線が私に向かって降り注ぐ。今度はまともに受け止めはしない。手を線に沿って受け流すように滑らし、私は線の元へ飛んだ。
「総一朗!」
線の先には果たして、総一朗が
私は懐に飛び込み、総一朗の胸に一撃を加えた。私の手が総一朗に突き刺さるが、まるで手応えが感じられない。
直ぐに手を抜いて、背後に回り込む。今度は威力よりも手数を優先し、何度も背中を切り付けた。
「嘆かわしい」
ぽつりと総一朗が呟いた瞬間、私は地面に叩き付けられていた。力任せの一撃だが、
「あう!」
「私が聞き及んでいた頃の力はもう無いのですね。諦めて下さい。貴方では私を祓えません」
「諦めません! 道を
「……やはり、考え直してはくれませんか。仕方ありません。貴方を我が糧とさせて頂きます……ああそうだ、あの裏切り者の目の前でやるとしましょうか。くく、今から無念で歪む顔が見えるようだ」
話の途中で突然総一朗の雰囲気が変わった。残忍な表情に顔を歪め、非道な事をさも面白そうに語り始める。明らかに様子が怪しい……。
「総、一朗?」
「ヒ、ハハハハハ! それは良いな、実に良い! ついでに誰か、あいつの目の前で殺してやろうか。今日のあの時のように!」
「自分が何を言ってるのか分かっているのですか!? いえ、
「お察しの通り。貴方達が私の存在に感づいたと知り、力を補給するついでにと思い付いたのですが、いやいや存外に良い顔をしてくれました。どうせ町には人が溢れているのです。なに、一人や二人どうとなったところで」
総一朗の言動は常軌を逸していた。まるで、何か違うものに取り憑かれでもしているかのように。
「総一朗! 気を確かに持って下さい!」
「これは異な事を言う。私は正常ですよ。さあ、行きましょうか」
また表情は一変し、今度は打って変わって落ち着いたように成った。
殺された魂は負の情念が強い。
(無念。
絶望が私を包み込む。私はもう抵抗出来ない。後僅かの刻で私は総一朗に取り込まれ、近い内に総一朗の自我が崩壊する。そうなって仕舞えばもう終わり。未来は、完全に絶たれてしまった……。
◇
「……どうなった?」
風麗達が消えてから何度か強い力を感じた。しかし、少し前にそれはぱったりと消えてしまった。決着がついたのか、それとも。
「ぐ!」
またあの感覚だ。がたがたと体が強く震え、全身の力が抜けて立つことさえままならない。俺はかろうじて膝をつき、なんとか倒れてしまうのだけは免れた。
「お待たせしました。逃げなかったのは褒めてあげるべきですかね」
「済みません、零次……」
竹林の奥から水代が姿を表した。その右手には風麗を握って。やっぱり、風麗は負けてしまったんだ……。
「先程よりは多少顔付きが変わりましたか。まだ諦めずに、私に敵意を向ける。気に入りませんね。実は先程、思い付いた事があるのですよ。目の前で貴様の大切な人間を殺し、魂を喰らってやるというね」
「な、何言ってやがる!」
水代は薄ら笑いを浮かべながらとんでもない事を言い出した。あんなに役目にこだわってた奴が、一体どうしてしまったんだ!
「おや、もしかしたら逆の方が好みですか? なるほどそちらも面白い。自分の身内や友人が貴様の苦しむさまを見て泣き叫ぶ。ヒャハハハハハハハ! ああ、あまりに愉快で笑いが止まらない。キヒヒヒ……」
それを聞いた瞬間、ピタリと俺の震えが止まった。水代の下衆な話が、俺の目的を思い出させてくれた。美咲の悲痛な叫び声、そして
怖い。恐ろしく怖い。けど、そんなものをねじ伏せるほどの怒りが、俺の中からじわじわとこみ上げてくる。こいつが憎い。人を不幸にして、人の命を喰らうこいつが憎い!
さっきまでが嘘のように体が動き、俺はゆっくりと立ち上がる。
「……ざけんな」
「ん? 何だ、裏切り者の臆病者が私に命令か?」
また、あの愚かな者を見る目でこいつは俺を見下げる。その瞬間、俺の怒りは臨界点に達した。
「テメエだけは絶対に許さねえ!」
体の中から何かが爆発した。その何かを体中に巡らせ、地面を力強く蹴る。俺の体は高々と舞い上がり、あっという間に風麗が捕まっている場所まで上昇した。
「まずはその汚い手を離しやがれ」
力の使い方なんて分からない。ただ右手に意識を集中させると、手加減無しの全力全開で、風麗を掴んでいるその手を殴りつける!
「ぐあ!」
水代が痛みに耐えかねたように声を上げた。衝撃で緩んだ手から、風麗が瞬く間に逃げ出した。
『零次!』
「悪い、待たせた! やるぞ。絶対にこいつをぶっ倒す!」
「馬鹿が! 力の差が分からん愚か者にもう手加減など無用! 全力を賭して叩き潰してくれる!」
俺と風麗は地面に着地する。すると、風麗が俺の体に入り込み、体の所有権を持っていった。
「零次、少しだけ体を借ります! 臨兵闘者皆陣列在前。ノウマクサンマンダ・バサラダンセン……」
風麗が右手で何かを切るように動かしながら、呪文のようなものを唱えていく。すると、その切った部分が格子状になると水代の足元に飛んでいき、地面に張り付いた。
「ぬう! まさかこれは……」
「……オン・キリキリ・オン・キリキリ……ビキナン・ウンタラタカンマン!」
そう唱え終わると、風麗は地面に両手を押し付けた。すると、そこから青く光る鎖がびっしりと張り巡らされていく。そしてその鎖は水代の体を這い上がり、
「不動金縛りとは……おのれ、やってくれる!」
水代は必死に振りほどこうとするが、がっちりと縛り付けられた鎖はびくともしない。それどころかさらに食い込んで、ぐいぐいと締め上げる。
「零次! あれはそう長く持ちません。
『臨、兵って奴か? 確か、九字って言うんじゃなかったか?』
漫画か何かで見た気がする。耳に残る言葉なので、うろ覚えだが唱える事もきっとできるだろう。
「
『よし、分かった!』
すぐに体の自由が効くようになる。俺は右手の中指と人差し指を伸ばすと、そこに力を集中させる。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
俺がなぞった軌跡が、さっきの風麗と同じように光って格子状になっていく。そして最後の印を切った後に俺の体が独りでに動き、両手で複雑な印を組んだ。
『全ての力を手に込めて、
「うおおおぉぉぉ!」
言われるがまま、俺はその形のまま両手を格子に突っ込んだ。すると格子が見上げるほどに巨大化し、そこから何かがゆっくりと姿を現した。
『さあ、おいでませ。
本能的に俺は直感する。きっと、これこそが神様。
「
初めて見た神の姿に、俺はすっかり圧倒されてしまっていた。もう現実とは思えない。自分で呼び出しておいて何だが、目の前に居るのにその存在がどうしても信じられなかった。
「ぐ……があああぁぁぁ!」
『
風麗の言葉通り、水代の体がどんどん小さくなっていく。やがて、人の身とほとんど変わらなくなった時、水代は逃げるように体を手放した。
瞬間、俺は走り出していた。逃げようとする水代に追いつくと、腹に右拳を減り込ませ、逃げられないようにしっかりと捕まえる。
「貴様……!」
「お前はさ、本当にすげえよ。苦境に立っても役目を諦めようとしなかった。それに比べて俺の先祖は確かに責任感のない裏切り者かもしれない。お前に罵られても仕方ないと思う。けどな……」
俺は右拳に体中の全ての力を集める。青白い光が
「お前は俺の妹の友人を殺し、喰らい、美咲を悲しませた。俺にはそれが許せねえ! 返せよ、お前が喰った奴らを全部!」
『総一朗。
右拳に集めた力を一気に解放させる。いくつもの青い閃光が水代を貫き、その体をばらばらに引き裂いた。水代の存在が、この世から消えていく。
刹那、消え行く水代の顔が見えた。それは安らかな顔をしていて、まるで自分が消えるのを望んでいるかのようだった。
閃光が収まると、辺りは青く光る雪が数え切れないほど漂っていた。そしてそれはゆっくりと空に昇っていく。これが、水代の喰らった魂なんだろう。そして、ようやく成仏できるんだ。この中に
俺は両手を合わせて、魂達が無事に成仏できるように祈った。
最後の雪が消えた後、そこは静かな夜に戻っていた。水代が憑いていた浮浪者が倒れているが、微かに寝息が聞こえる。多分無事だろう。
「終わった……な」
その一言でようやく実感が沸いてきた。その瞬間、とてつもない疲労感が俺の体を襲う。立っているのも困難になって、膝から崩れてその場にへたり込む。どうやら、全力を使い切っちまったみたいだ。
風麗が俺の体からゆっくりと出てきた。そして、俺に向かって笑いかける。
「……逝くのか?」
『はい。零次、本当に有難う御座いました。
風麗の言わんとする事は分かっていた。今の俺の目は、否応無しに普通は見えないものが見えてしまう。正直、この状態が続くのはかなり辛い。
「なあ、これからも俺のそばにいてくれないか?」
「私もそうしたい。でも駄目なのです」
風麗がそっと自分の手を見せる。それは目を凝らさないと見えないほどに薄くなっていた。時々、ザザッと昔のテレビみたいに歪む。
「不動金縛りで力を使い過ぎました。このままでは、一日と経たない内に消えてしまいます」
「でもさ、体があれば大丈夫なんだろう?」
「ええ。でも……」
「なら簡単じゃないか」
「あ」
俺は両手で風麗の肩を掴むと、自分の方へぐっと抱き寄せた。風麗の体は俺の中に入り込み、俺と風麗は一つとなる。
『で、でも
「そんなことよりもさ、俺はお前と一緒に居たいんだ。頼む。これからも色々と教えてくれ。その、力の使い方、とかな。ご、誤解すんなよ! 本当にそれだけなんだからな!」
『……はい、はい。ありがとう、ございます。零次』
風麗は涙ぐんで俺の中で存在することを選んでくれた。ただ、本当に風麗に助けて欲しかっただけなのに、変な雰囲気になって俺は妙に気恥ずかしくなってしまった……。
照れ隠しに俺は空を仰ぐ。そこには昇った魂を明るくあの世に導くかのように、白銀の月が冷たく輝いていた。
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