第9話 悪鬼

『本当にここなのか?』


 風麗に案内されてきたのは、見栗山の麓にある竹林だった。どうやら満足に手入れもされていないらしく、ぼうぼうに荒れ果てた様はまるで人を寄せ付けまいとしているようだった。

 けどなぜだろう。風麗に連れてこられるまで、見栗山に竹林があったなんて知らなかった。昔からここには何度も来ていたはずなのに。


此処ここには隠匿いんとくの陣と言う結界が張ってあるのです。私もの悪霊を追いかけて辿り着くまで、此処ここの存在に気付けませんでした。そして人や物を隠す法は、水代家の十八番でした』


『水代? おい、ちょっと待て!』


『今から結界を解除します』


 強制的に体の所有権を風麗に奪われる。風麗は両手を使っていくつもの印を結ぶと、竹林に向かって手を付き出した。途端に竹林が青く光り輝き、俺の目が眩んでしまう。

 光が収まり始め、視界が徐々に戻り始める。すると、目の前には竹林に埋め込まれるように構える古臭い門が姿を表したのだ。表札にはかすれて読みづらいが、墨汁で水代と書かれている。


『ここが』


『はい。水代の家です。存在をこの世から隠蔽いんぺいし、の様に存在していたのです。行きましょう。奥で私達を待っている筈です』


 風麗は歩き出して門をくぐる。門は今にも崩れ落ちそうなぐらいにぼろぼろで、あちこちに焼け跡がついていた。多分、空襲にあった名残だろう。


 竹林に囲まれた一本道の石畳の道を行く。何度か左右に蛇行し、突然さあっと視界が開けた。

 広がっているのは、荒れ果てた庭らしき敷地と、人気の無い不気味な廃墟だった。退廃的であるのに、空気は怖いほどと張り詰めていて、まるで神聖な場所のようにさえ感じる。


 すると、廃墟から小枝を踏む音がした。誰かがこっちに近づいてくる。

 一見、風貌は浮浪者にしか見えない。けど、溢れる威圧感は人のものを遥かに凌駕していた。そして俺は、この威圧感を良く覚えている。


「お初にお目にかかります、御本家当主、風麗殿。そして裏切り者、九十九家の末裔よ」


「矢張り、そうなのですね」


「はい。水代家四代目当主、水代総一朗に御座います」


 俺は相手の話に強烈な違和感を覚えた。俺のことを知っているような口ぶりで、しかも裏切り者とまで言い放った。全く意味が分からない。


『裏切り者って、あいつは一体何を言ってるんだ?』


『……全てを、お話ししましょう。分家は水代家だけでなく、もう一つ有ったのです。れが九十九家。零次、貴方はの末裔なのです』


『俺が? そんな馬鹿な! 俺の家は普通の一般家庭だ! 大体どこにそんな証拠がある?』


『それは……』


「貴様は間違い無く忌まわしき九十九家の末裔です。これだけ近くにいれば否応なく感じる。我等特有の霊力の波長が」


 突然、俺と風麗の会話の間に水代が割って入ってきた。俺の体の中でのやりとりだったのに、全部聞こえていたみたいだ。それは高い霊力の成せるものなのか、それとも別の理由なのか。どちらにしても、こそこそとは話せないみたいだ。


『総一朗の言う通りです。零次の体に初めて入った時から、波長を感じて分かっていました。でも』


 そこまで言いかけた風麗の言葉を、俺が割ってさえぎった。


『分かってる。言う必要はなかったし、巻き込みたくなかったからってんだろ? お前がそういう奴だってのは分かってるし、俺のためにしてくれたことだ。むしろ礼を言いたいくらいだぜ。全く、袖振り合うどころの縁じゃなかったってわけか』


『有難う、御座います』


「これで貴様の立場は理解できたでしょう。さて、風麗殿と裏切り者が同じ体を共有している等、不愉快です。まずは剥がさせて貰いましょう」


 水代がすっと腕を上げてこちらに向ける。すると、漆黒の奔流が腕から溢れ出し、あっという間に俺達を飲み込んだ。


『風麗!』


 飲み込まれる瞬間、風麗は目にも止まらない早さで空に何かを描き、青白い壁を作り出した。奔流は壁に阻まれ、左右に流れていく。


『く、う。流石に大丈夫とは言えませんか』


 壁が甲高い音を響かせてきしむ。壁を支える両手は小刻みに震え、奔流の勢いを物語っていた。このままではきっと、すぐに壁が壊れてしまう。


『風麗、俺にできることはないのか?』


『総一朗が霊体のままで在れば、私だけでも僅かながら勝機は有ったかもしれません。しかし、今の総一朗には体が有る。力の差は歴然です。れでも勝つ方法は一つだけ有ります。ですが、れは貴方の生活を壊してしまう事になる』


『この状況下でそんな事言ってられるか! 俺に出来る事なら何だってやってやる。どうすればいいんだ?』


『……零次、れから貴方の中に眠っている霊力を解き放ちます』


『俺に、そんな力が?』


『はい……く!』


 話の腰を折るように、さらにもう一本の奔流が上から覆い被さってきた。風麗は壁を維持しながら右に飛び、上からの攻撃を辛うじて回避した。


『今から零次に体の所有権を返し、私が力を解放します。でも、貴方はきっと恐ろしいものを見る事になるでしょう。だから……』


 そんなの全部聞くまでもない。覚悟なんかとっくに決まってるんだ!


『やってくれ。このまま何もできずにやられる方が絶対に嫌だ!』


『……分かりました。いきます!』


 俺の中に何かが入ってくる。それは胸の辺りをゆっくりと侵食し、弄られる。そして心臓をぐっと掴まれた瞬間、かちりという感触と共にそれは起きた。


『ぐ……あああああ!』


 体が熱い。さっき音がした辺りから、何かが止め処無く溢れ出てくる。言い様の無い高揚感と共に、力がみなぎる。そんな感覚だった。


『すげえ、これなら……』


 絶対的な自信に満ち溢れ、俺は前を見据える。けど、それは俺の知っている世界とは完全に別の物だった。

 周囲に何か汚らしい色をした物がべったりと張り付いている。良く見るとそれは人の顔。苦悩と怨みの表情を浮かべながら、じっとこちらを見つめている。


『ひ!』


『零次、気をしっかり持って! れは此処ここを汚染している負です。向こうから害を成す事は有りません』


「裏切り者の霊力を解放したのですか。風麗殿も酷な事をする」


 いつの間にか、総一朗が俺の目の前に立っていた。そして俺は初めて相手の全貌を見た。見てしまった……。

 浮浪者の背から六本の筋骨粒々の腕を持つ阿修羅像のような巨人がそびえ立っていた。大きさは優に五mを超えている。てっぺんに付いている顔は、無骨な体に似つかわしくない秀麗な顔立ちをしていた。体の表面からは人の顔が浮かんでは消え、時々苦しそうなうめき声を発している。


 一瞬で力量の差を理解した。昼間の恐怖なんて、まるで些細に過ぎなかったんだ。戦慄が全身を締め上げ、体を動かすどころか呼吸さえままならない。全身から力が抜け、その場に崩れ落ちてしまった。


「おやおや、私の力に当てられただけでこの様とは。全く、存外に期待外れです」


 水代は、まるで手足をもがれてのたうちまわる蟻を見るかのように、俺を見下していた。下卑た含み笑いが俺の鼓膜をちくちくとつつく。言い返したいのに言葉が出ない。喉の奥が麻痺して、まるで本当は言葉なんて生まれてからずっと発せなかったみたいだ。


 すると、俺の体から何かが抜けていった感覚がした。見れば、俺と水代の間に風麗が立ちふさがっていた。


「ようやく出てきてくれましたね。それにしても無様だ。所詮はどこまでいっても裏切り者の子孫という事か」


 水代が嫌悪に満ちた目をして嘲る。その視線を、風麗が自らの身で遮った。


「水代の。貴方は如何どうしての様な事に? 貴方の一族は使命感に溢れる良き人達だったでは無いですか。だから私はの身を賭して外からの災いからの土地を守り、中の事は貴方達に託したというのに」


「貴方が死んだ後、確かに私達はこの地を守り続けました。しかし先の戦争で水代家と九十九家は力を失い、九十九家は力を封印して普通に生きる事を選んだのです。だが、私はそんな事は出来なかった! そして私は体を捨て、霊体となったままこの地を守り続けたのです。あの飢餓も、疫病も。ありとあらゆる厄災を食らう存在となって」


「物を依り代とするのでは無く、土地全体に憑いたのですね。だからあの様に広く動く事が出来た」


「だが儀式は不完全に終わり、私は中途半端な形でこの地にくくられた。霊力の拡散はある程度防げたものの徐々に霧散し、外から力を補充するしか無かった」


「だからと言って人の魂を喰らえば、やっている事は変わりません!」


「ならばどうすれば良かったのか! その裏切り者のように、役目を忘れて生きろと! 私は許せない。役目を放棄してのうのうと生きている九十九家を!」


「私はれでも良かった……。貴方達が幸せに生きてくれるなら、役目等どうだって!」


「貴方まで私を否定するのか!」


 水代が激高する。その表情には苦悩と深い絶望が深々と刻まれていた。


「お願いです。私と一つになり、共にこの地を守りましょう。風麗殿の人格は保障しますゆえ


「私は、人に危害を加える存在には成りたく有りません」


「……残念です」


 風麗がふわりと浮かび、水代の脇をすり抜ける。


「来なさい! 御本家頭首として相手に成ります!」


 そう言い残し、風麗は竹林の奥に消えて見えなくなってしまった。残った水代は俺をじろりと見下ろし、


「貴様の相手は、後でじっくりとしてあげましょう。今は潰れた蛙のように、そこで地べたにへばり付いているといい。己の無力を呪いながら」


 水代もさくさくと足音を立て、闇の奥に消えていく。

 水代の気配が消えて、ようやく俺は体の自由を取り戻した。いつのまにか、服が重みを増すほどの汗をかき、緊張で全身の筋肉がきしんで、筋肉痛みたいな痛みを残していた。


「ち、くしょう……!ちくしょう、ちくしょう! ちくしょおおおおぉぉぉぉ!」


 結局何もできなかった。また俺は風麗との約束を破ってしまったことが悔しくて、無意味に叫びながら止めどなく涙を流していた。

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