第8話 立ち向かう意思
気がついたら、俺はいつの間にか家の前にたどり着いていた。どういう道を通ってきたのか全く覚えていない。よく事故に合わなかったもんだ、と考えてから、事故という単語でまたあれを思い出してしまう。蘇る震えを頭を横に大きく振って払いのけ、いつもの日常に帰ろうと玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「おかえり」
母さんの返事が聞こえた。けど、その声のトーンがいつもより沈んでいる。
何があったのか不安に駆られつつ、廊下を歩く。すると、妹の美咲の部屋の前で母さんが暗い顔をして立っていた。
「零次、
そこまで言って母さんは言葉をつぐんだ。口に出すのもはばかる出来事。締め切られた美咲の部屋。嫌な予感が加速する。
「今日……」
『嘘! みーちゃんが死んだりするはずないもん! だってずっと一緒だったんだよ! ……明日も……遊ぶ、約束を……』
部屋の中から悲痛な叫びと共に、泣いているような嗚咽が聞こえる。
母さんが美咲に聞こえないよう、そっと耳打ちをしてきた。
「町で大きな交通事故があったの。それがどうやら
その瞬間、さあっと血の気が引いた。俺が目撃したあの事故のことだ。世界が歪み、足元がぐにゃりと曲がる感覚がした。
「美咲、今は気持ちの整理がつかないだろうけど、落ち着いたらちゃんとお別れを言いに行きましょう。美咲が行かなかったら、絶対に
普通の死に方をすればそうだ。そうやって人は自分の葬式を挙げてもらい、皆に惜しまれつつこの世を去る。けど、
(あれが祓われない限り、成仏は出来ません。
俺は知っている。普通の死に方をしなかった彼女の行く末を。成仏を願ったって、叶わない。無駄だって事を。でもそんな事、言えるわけがない。
ぎりっと歯を食い縛り、気がつけば俺は反転して走り出していた。
「零次!」
母さんの呼ぶ声が聞こえるが振り向かない。靴をつま先に引っ掛けると、乱暴に玄関を開けて車庫に向かう。そして自分の自転車に乗り、飛び出していった。
ただがむしゃらに自転車を漕いでいた。行き先なんて分からない。体中にほとばしる激情に身を任せ、夜の町を滑走する。
「零次危ない!」
風麗らしき声が聞こえたと同時に、自転車の前輪が縁石に乗り上げ、俺の体が宙を待った。そのまま強かにアスファルトへ体を何度も打ち付けられ、ごろごろと転がってようやく止まった。一瞬息が止まり、大きく咳き込んだ。
「零次! 大丈夫ですか? 何処か怪我は?」
「俺は……最低だ!」
「何を行き成り……」
「昼間起きたあの事故、あれに美咲の友達が乗ってたんだ。美咲の悲しんだ声を聞いた瞬間に、俺は見過ごせなくなっちまった!」
アスファルトに這いつくばったまま、俺は何度も拳をそこに打ち付ける。皮膚が破れて血が流れるが、それでも止めない。
「他人の事は平気で見捨てるくせに、知り合いが巻き込まれた途端これだ……。本当に自己中で流されるだけで情けなくて、自分に反吐が出る!」
「零次!」
風麗の鋭い声が聞こえ、反射的に地面を殴りつける事を止めてしまった。声のした方へ顔を上げると、いつの間にか風麗が俺の体から出て、自分の前にしゃがみこんでいた。
風麗が傷だらけの俺の手に自分の手を重ね合わせる。触られている感覚は無いはずなのに、なぜか温かく感じた。
「何故自分を下卑る必要が有るのです。貴方は巻き込まれたのが妹さんの御友人だと知っても、何もしない選択肢だって有った。でも貴方は自分で選んだのではないですか。妹さんの為に、そして
「風麗……」
その一言一言が、体中に染み渡る。嬉しかった。自分が認められるというのがこんなに嬉しいなんて、今までずっと知らなかった。胸の底から何かが沸き上がり、何だって出来るような気さえしてくる。
俺はすっくと立ち上がると、飛んでいった自転車まで歩き、それを起こす。そして風麗に手を伸ばし、
「破っちまったけどさ、もう一回だけ約束を守るチャンスをくれ。一緒に戦おう。ま、嫌っつったって何がなんでも付いていくけどな」
「零次が、そう望むので有れば」
風麗がフワフワと浮いてこっちに近付き、ゆっくりと体を重ねる。風麗が俺の体に入った事を確かめると、改めて自転車を漕ぎ出した。
「風麗」
『はい?』
「ありがとな」
自転車は夜の町を滑走する。それは滑らかに、そして軽やかに。
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