第6話 手がかりを探して

 翌朝、俺達は市立図書館に向かった。ほぼ開館と同時刻に行ったたためか、館内に人はほとんど見当たらない。


 図書館の司書さんにこの町の歴史に関係する本を調べてもらうと、古めかしい本が数冊出てきたので、席に座って読んでみることにした。

 一冊目は五十年ぐらい前の比較的新しい情報しか載っていなかったので、早々に見切りをつけて二冊目に手を取る。


『うわ、これはひどいな』


 二冊目を開いたところで現れた凄惨な写真に、俺は思わず眉をしかめた。風麗も口元を押さえて、動揺を隠しきれない様子だった。

 写真は第二次世界大戦中に起きた、空襲後の写真だった。建物は全て焼け落ち、人々が呆然と立ち尽くす姿が写されている。


『れ、零次! 此処ここの様な事が起きたのですか!』


『今から百年近い前のことだ。世界のあらゆる場所を巻き込んだ戦争が起こったんだ。どうやらここには軍需工場があったらしい。だからアメリカ軍に目をつけられて空襲されたんだな』


『そんな……』


 衝撃が強すぎたのだろうか。風麗の目には涙が滲み、元々白かった顔がさらに青ざめてしまっている。

 俺は一瞬だけ結界でここを守っているんじゃないのかと聞こうとして、慌てて口をつぐんだ。霊に関係のないそこまで求めるのは、風麗にとってあまりに酷だ。


 本によると、空襲後も疫病の大流行や飢餓で悲惨な状況だったらしい。だが、その先に信じられない事が書いてあった。


『……たった一ヶ月で沈静化? そんな事がありえるのか?』


 戦時中じゃ、他所からの物資の支援だってまともに受けられなかったはずだ。食料もない。医療品もない。そんな状況でどうやって持ち直したのか。詳しい事は書かれていなかったが、これは奇跡に近いんじゃないだろうか。


『零次、その本に水代という姓を持った人の記録は残ってはいませんか?』


『水代? ……無いな』


『そうですか……』


 あからさまにがっかりした様子で、風麗はしょぼんと顔を暗くした。どうやら、歴史じゃなくてこっちが本命だったらしい。


『歴史を知りたいっていうのは、その水代っていう人を探すためだったのか?』


『い、いえ。純粋にの地で起きた事を知りたかったからです。唯、水代家の事はふと思い出したからで』


 そう答える風麗の言葉は、どうも歯切れが悪い。別に風麗に縁のあった家系の人を探すのは、不自然な事じゃない。けど、どうも風麗はそれを誤魔化そうとしているようだった。


『風麗。俺に何か隠していないか?』


『か、隠し事なんてそんな!』


『じゃあ、その水代家ってのはどういう関係だったんだ?』


『それは……』


『そら黙った。なあ、体を貸すと約束した以上、そういうのは無しにしようぜ』


 責めるような問答は不本意だが、こうでもしないと話してくれないだろう。風麗はずっと押し黙っていたが、しばらくするとようやく口を開いた。


『私の家は御本家と呼ばれ、れに連なる分家が存在していました。分家筋も高い霊能力を持ち、本家に良く尽くしてくれました。そして私が即身仏となったあの日、代々必ず村を守ると約束してくれたのです』


『それが水代家か』


『はい。私の結界はまで、外からの悪しきものの侵入を防ぐ為で有り、内で起きた事にはどう仕様も有りません。村の内部から守る者が必要だったのです』


 なるほど、合点がいった。そういう関係であれば、風麗の落胆は十分納得できる。だがもう一つ。なぜそれを風麗は隠そうとしたのか。


『まだ隠してる事があるよな?』


『……危険な事です。零次を、巻き込みたくは有りません』


『く、くくく……』


『何が可笑おかしいんですか!』


『いや、会うなり人の体を乗っ取ろうとした奴のセリフとは思えなくてさ。俺だって分相応はわきまえてる。だから全部背負いこんでやるとは言えない。けど、少しでも力になれるとは思うんだ』


 風麗は驚いたように目を見張り、俺を見つめた。やがて目を伏せ、観念したように話し始める。


『零次……。分かりました。全部お話ししましょう。の町には今、何か良くないものが巣食っています』


『良くない、もの?』


『はい。正体は分かりません。しかし気配を感じるのです。恐らく、可成かなりの力を持っていると思います』


『なるほどな。だからその水代家の子孫に頼ろうと。なんだ、別に全然危険な事じゃないじゃないか。要は探して協力してもらえばいいだけの話だろ?』


『そう、ですね。済みません。深く考え過ぎていたようです』


 照れたように笑い、風麗はちょこんと小さく頭を下げた。

 あんなに話すのを躊躇ったのは、俺が深入りする事を恐れたのだろうか。確かに何の力もない俺が下手に首を突っ込んでも、足手まといにしかならないんだろう。何だか頼りにされていないようで悔しいが、事実なのだからしょうがないのかもしれない。少しでも俺が力になれたらいいのに。


『分かった。人探しならここよりも多分市役所の方がいい。大丈夫、きっと見つかるさ』


『はい!』


 持ってきた本を元の本棚に返し、俺達は市役所へ向かうことにした。


 日はだいぶ昇り、じりじりと日差しが肌を焼く。図書館から市役所まではそれほど距離は無いが、ちょっと自転車をこぐだけでも、今日の暑さは堪えそうだ。しかし、視界に映る風麗は至って涼しげで羨ましい。体の主導権は今は俺にあるし、外に出ても幽体だから暑さは感じないんだろうが。

 と、ここまで考えてふと素朴な疑問に気づいた。


『なあ、一つ気になる事があるんだが』


『何です?』


『水代家の子孫が見つかったとして、お前の姿が見えるとは限らないんじゃないか?』


『多分、大丈夫じゃないかと。霊力というのは一子相伝ですから。血筋が途絶えていなければ、ちゃんと力も受け継がれる筈です』


『そっか。ならいいんだが。敵とは風麗が戦うのか?』


『いえ、霊体では力を練る事が出来ないのです。そうですね、簡単に言えば霊力は水、体は升と言えば分かり易いでしょうか。水のままでは形を保つ事さえ難しく、さらに拡散してしまいます。水は升の中に入って初めて、の形を保つ事が出来るのです』


 風麗のたとえは適確で、俺でも霊力と体の関係が容易に理解できた。そして、それは考えようによっては、俺でも力になれる可能性を示唆している。


『つまり、霊力のない俺みたいな体でも、霊力の強い風麗が使えば強くなれるって事か』


『零次、真逆まさか?』


『風麗。聞くけど、もし俺の体を使えれば勝機はあるか?』


『……断言は、出来ません。相手の力は分からないに等しいですから。でも零次!』


『探し人が見つからない可能性だってある。そうなったら俺とお前しか戦えないじゃないか。ここには家族も知り合いもダチもいる。守りたい気持ちは同じだ』


 風麗はそれきり何も答えなかった。後ろを向いてしまって表情も見えない。一体今、風麗が何を思っているのか、俺には全く分からなかった。

 そのまま無言で走り続け、俺達は市役所に着いた。市役所の中に入ると、肌を撫でる冷気で一気に鳥肌が立った。どうも空調が効きすぎているようだ。


 まだ昼前だというのに、順番待ちが出ているほどの混雑を見せていた。とりあえず番号札を取り、手近な席に座って自分の番号が呼ばれるのを待った。

 十五分ぐらい立っただろうか。呼出番号に自分の番号が表示されたので、席を立って受付に足を運んだ。受付の女性が少しだけ微笑んで、口を開く。


「本日はどのような御用ですか?」


 どんな用と聞かれて、うっかり建前を考えるのを忘れていた事に気付く。一瞬だけ言葉に詰まるが、すぐに思い付いた。


「えっと、すみません。学校の課題で調べ物をしていまして、この町で神職か何かをしている、水代という人はいませんでしょうか?」


「水代、ですか? 詳しい事はお伝えできませんが、それでもよろしいですか?」


「はい。いるかどうかで十分です」


「では少々お待ち下さい」


 女性が手元のパソコンを操作している。何度か固いエンターキーの叩く音が響き、終わったのか顔を上げた。


「すみません。残念ながら、水代という苗字の人はここにはいないようです」


「一人も、ですか」


「はい」


「……分かりました。ありがとうございます」


 女性に頭を下げ、俺は市役所を出た。


「はあ、まいったな」


 俺は落胆して空を仰ぐ。突き刺すほどの太陽の光が、まぶた越しに俺の目を焼いた。

 あの答えはあまりに想定外だった。まさか一人もいないとは。元々いないんじゃ、どうやったって探しようがない。風麗もショックを隠しきれないらしく、後ろ姿からどんよりとした気がこっちにまで伝わってくる。


『風麗……』


 続く言葉が出てこなかった。一番当てにしていたはずの人はもう見つからない。空襲で死んだか、それともどこかへ引っ越してしまったのか。どちらにしても、風麗の消失感は俺なんかじゃ計り知れない。何を言ったって無責任な他人事の気がして、黙るしかなかった。


『……零次』


 突然くるりと振り返って、風麗が真っ直ぐに俺を見た。射抜くような強い眼差しに、俺は思わずたじろぐ。


『先程の申し入れ、お願いしても良いでしょうか?』


 風麗が言っているのは、俺の体を貸して一緒に戦うということだろう。むしろ、俺にとっても願ってもないことだ。


『俺なんかでいいのか?』


『はい。必ず五体満足でお返しする事を約束します』


 風麗の様子はまるで気落ちなどしている様子は無かった。ただあるのは気丈に前を向き、決意を固めた視線だけ。こんな姿を見せられては、もう答えなど決まっている。


『分かった。好きに使ってくれ』


 そう答えると、風麗の顔が歓喜の色に変わり、さらに目には涙までにじませた。


『本当に、本当に有難う御座います。零次』


『礼なんていらないさ。言っただろ。俺にも死んで欲しくない奴らがいる。だから一緒に戦おう。風麗』


『はい!』


 期待は裏切られたはずなのに、なぜこんな晴れやかな気分になってしまったんだろう。なんだかおかしくて、俺は自然に笑みがこぼれた。


『よし、そうと決まれば次はどうするかだな。残りの問題はなんだ?』


『一番の問題は相手が何処に居るか分からない事です。確かに居る筈なのに位置が掴めないなんて、こんな事は初めてです』


 正直、この問題は俺には力になれそうもない。霊力の強い風麗が感じ取れないんじゃ、一般人の俺なんてどうしようもないのは目に見えている。せいぜい、この町で風麗が開放される前に起こった事を伝えるくらいしか……。

 そこまで考えて、重要なことが思考の輪から外れていることに気付いた。


『風麗、そいつは少なくともどれぐらいこの町にいる?』


『はい? れだけ強大な力を持つと言う事は数十年、いえ、百年は経っているかも知れませんが』


『そうか。そいつを野放しにしておくと、どういう事が起こるんだ?』


『性質によって様々ですが、大体は見境無く人を襲い、取り殺してしまうのがほとんどどです。れが何か?』


 それを聞いて確信した。今まで聞いた話をまとめると、どうしても矛盾が出てしまうことに。


『この町はさ、いたって平和なんだ。俺が知る限り、大量殺人なんて起きたことは一度もない』


 風麗に良くないものがいると聞いた時、俺にはなぜか恐怖心とか緊迫感が少しも湧き上がってこなかった。その理由がきっとこれだ。危険だなんだと言われても、実際にそんな事は何も起こっていない。だから、まるで他人事のように感じてしまっていたんだ。

 風麗は信じられないといった表情で、俺を見つめた。


『そんな、有り得ません!』


『けど本当だ。そんな頻繁に人が死んでいるなら、とっくに大事になってる。もう一度聞きたい。この町に何かいるというのは間違いないんだな?』


『信頼に賭けて。町中に漂う悪しき気配が如実にょじつに語っています』


 その答えには、絶対の自信が伺えた。俺は風麗が嘘を付いているなんて微塵も思ってない。けど、現実には食い違っている事が多すぎる。

 きっと、何か重要な事を見逃しているんだ。何とも言えないもどかしさに、俺は髪をグシャグシャとかき乱す。もちろん、そんな事をしても何も思いつきはしない。


『零次、少し何処どこかで休みませんか? 余り根を詰めても仕方有りません』


『……はあ、そうだな。ちょっと腹も減ってきたし』


 時間はもう昼の一時。普段ならとっくに昼飯を食べ終えている時間だ。このいらつきは空腹のせいであるかもしれない。

何だか家に帰る気分にもなれず、周辺を見回してみる。するとすぐそこに喫茶店を見つけ、そこで俺は昼食をすませる事に決めた。


 扉を開けると、カランというベルの軽やかな音が鳴る。店内はそれなりの賑わいを見せていたが、ピークを過ぎたせいか、ちょこちょこと空席が目立った。その中で俺は窓際の席に目をつけて座る。


「ご注文はお決まりですか?」


 すぐに店員がつき、お冷を出しながら注文を聞いてきた。メニューを見たものの、気が散ってしまって何を選ぶ気にもなれない。だから適当に目についたものを頼むことにした。


「このAランチを」


「Aランチですね。飲み物は?」


「あー、じゃあアイスコーヒーを」


「はい。少々お待ちください」


 結局一番無難そうな日替わりランチを注文し、なんとなしにぼうっと外を見つめた。


『零次』


『心配すんな、大丈夫だ。そうだ、今頼んだのお前が食べてみるか? ハンバーグとかきっと食べたことないから感動するぞ』


『零次が、れで良ければ』


 体の所有権が風麗に移る。風麗の事を気遣ったのは建前で、正直自分の体を動かす事さえ煩わしかった。

 全ての集中力を思考に回す。思い出せる限りの事をひたすら思い出し、何か見落としが無いかを探っていった。


(きっと鍵はあるはずだ)


 学校のこと、噂話のこと、美咲の友達のみどりちゃんが今日帰ってくることまで、関係なさそうな話でも全ての可能性を当たった。でも何一つ関連しそうな話は見えてこない。

 一息吐いて思考の渦から意識を戻すと、口の中にデミグラスソースの味が広がった。そういえば五感は感じるのだから、体を替わろうと替わるまいと同じことだったようだ。そんなことにも気付かないなんて、本当にどうかしている。


『零次、最高です! このはんばあぐというものは!』


『そうか、良かったな。あんまりがっつくと喉に詰まらせるぞ』


 俺の忠告などどこ吹く風か、今度はポテトサラダに手を出し、また感動の声を上げている。よほど洋食が気に入ったらしい。まるでお子様ランチを目にした幼児のようにがっついている。

 昨日の晩は完全に和食だったし、今日の朝は何も食べてこなかった。タワーに行ったときはクレープを食べさせてやれなかったし、考えてみれば物珍しい物を食べたのは今回が初めてかもしれない。

 食べ物に喜ぶ無邪気な風麗に、少しだけ心が和んだ。心の中でちょっぴり感謝していると、ニュースらしき音声が耳に入ってきた。それはカウンターの天井近くに設置してあるテレビからだった。


『……桐谷悟さんの転落による死亡は、事件性が無いことから事故と断定され……』


 聞いた瞬間、脳内に電撃が走った。今の話を軸にすれば一つの仮説を導き出すことができる。完璧じゃない。まだあちこちに納得できないところはある。それでも足がかりとしては十分だ!


『風麗!』


『は、はい!?』


 食べ終わって至福の表情を浮かべていた風麗は、驚いて飛び上がってしまった。悪いことをしたと思いつつ、それでもこの興奮は収まらない。


『体を返してくれ! すぐに図書館に戻るぞ!』


 体が自由に動くことを確認すると、レジに千円札を放りこみ、お釣りも貰わないまま、喫茶店の外に飛び出した。

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