第5話 家族

「ただい、うわ! なんだ!?」


 家について玄関を開けるなり、何かが俺の額に張り付いた。反射的に叩き落すと、それはアブラゼミだった。床に落ちたセミは少しだけ動かなかったが、すぐにジジジジとやかましい鳴き声を立てて、廊下の奥へ飛び立っていってしまった。


「あ、零次! ちょっとこれ何とかして!」


 奥から母さんが丸めた新聞紙を手に持って現れた。さらに、その腕に美咲がしがみついている。


「絶対に潰したらダメ! 自由研究の材料なんだから!」


「ならちゃんと自分で捕まえなさい! 夕飯までに全部捕まえられなきゃ、二人ともご飯抜きよ!」


「な! なんで俺まで……」


 俺の抗議も聞かず、母さんはリビングに行ってしまった。理不尽なとばっちりに、俺はその場にしゃがみ込んで頭を抱える。


「美咲、こいつは一体何事だ?」


「兄貴の言う通り、一人でやろうとしたんだけどさ。触った瞬間ゾワゾワってきちゃって、気がついたら虫かごを放り投げてた」


 全く悪びれない美咲の態度に、なんだか頭痛がしてきそうだ。どうせ標本化するのも俺がやるんだろうと思っていたが、まさかその前にこんな事をしでかしてくれるとは。

 とはいえ、とりあえず散らばった虫達を何とかしないと、こっちまで飯抜きになってしまう。


「……やるか」


「よっしゃ! 頑張れ兄貴!」


「お前はもっと頑張れ!」



 何とかおそらく全ての虫を集め終わり、俺は夕飯にありつく事ができた。夕飯を食べ終わった後は自室に戻り、狭い虫かごの中でひしひしと蠢く虫達を見つめている。


『零次、の虫達は如何どうするのですか?』


「標本にするために餓死させるのさ。生きてるうちにピンで固定して乾燥させてってな」


 二人だけの時は声で会話をするようにした。頭の中での会話は妙に頭が疲れてしまうからだ。


『……とがめる訳では有りませんが、可哀想ですね』


「そうだな。最近じゃ殺すのは野蛮とかで、あまり良いように思われてない風潮もあるみたいだし。この題材を選んだのも、簡単そうだからって理由だったか。ったくあのバカは、何でいつもいつも考え無しに!」


 考えてみれば、今日一日は美咲にとことん振り回された。何だか馬鹿らしくなり、俺は後ろに倒れこんでそのまま寝そべる。


『ふふ』


「何だよ、急に笑い出して」


『零次は本当にの子が好きなのですね』


「……どこをどう見たらそう思えるんだ?」


『だって、れだけ愚痴を言いながらも、ちゃんと面倒を見て上げているでは無いですか。嫌いだったら出来無い事です』


 風麗にそう言われて、何も反論できなかった。言われてみればその通りかもしれない。毎度毎度振り回されて苦労することも多いが、なぜか最後には助けてしまう。


「そう、なんだろうな。多分。あいつはさ、傍若無人に見えるけど、ちゃんと人の気持ちを考えられるやつなんだよ。まあ、俺にはいつも遠慮なしなんだが」


『あははは。良いじゃないですか。れだけ頼られていると言う事です』


「人事だからって気軽に言ってくれるよ。っとそうだ、明日はどこに行きたい?」


『そうですね。の町の歴史が分かる場所に行きたいのですが』


 風麗の希望は予想外だった。昼間のはしゃぎぶりから、また繁華街に連れて行けと言われるものとばかり思っていたからだ。

 でもその時、タワーの展望台で見せた涙が頭を過ぎった。あれだけここを愛しているこいつだからこそ、むしろそれは当然かもしれない。


「じゃあ図書館かな。確かでっかいのがあったはずだ」


『有難う御座います、零次!』


 視界の片隅で風麗が跳ねて喜ぶ。本当に、何でも大げさに喜ぶやつだ。


「いいよ。三日間付き合うって言ったんだ。金のかからない場所なら、どこだって連れていってやるさ」


 その時、ノックもなしにガチャリと美咲が入ってきた。


「兄貴、何一人でブツクサ呟いてるの? ちょっと気持ち悪いよ?」


「ほっとけ! で、何の用だ?」


「あのさ、今日は一日迷惑かけちゃったから、これ」


 美咲が差し出したのは一本のアイスだった。安っぽいオレンジの蛍光色の袋に包まれて、さらにオレンジの輪切りが印刷されているので一目でオレンジ味だと分かる。


「一日分の対価がこれとは、安く見られたもんだ」


「あ、ひっどーい! なけなしのお小遣いで買ったんだからね!」


「ま、貰っといてやるよ。ありがとな」


 ぶーぶーと口を尖らせる美咲の手からアイスを取り、逆の手でぽんぽんと二回美咲の頭を叩いた。

 家は小遣いが厳しく制限されている。美咲が自由に使えるのは千円もないはずで、これ一つ買うだけでも相当奮発したんだろう。それを考えただけで、美咲の気持ちは十分伝わった。

 すると、美咲が俺の隣に座り、隠し持っていたアイスを取り出した。メーカーは同じだが、美咲のはアップル味らしい。


「なんだ、自分の分もあるのか」


「だって兄貴と一緒に食べようと思ってたんだもん。そっち半分食べたら残りちょうだいね。こっちも半分あげるから」


「はいはい」


(こいつ、本当は自分が両方食べたいから、買ってきたんじゃないだろうな)


 気がつくと、風麗の姿が俺の中からも、部屋からも消えていた。どうやら気を使ったつもりらしい。


(余計なことを)


 結局その日、俺が起きている間に風麗戻ってこなかった。



(矢張り、何か可笑おかしい)


 私は零次から離れた後、遥か上空からの地を見下ろしていた。

 昼間に町を見ていた時に感じたあの感覚。最初は勘違いのようにも思った。しかし、人の気配の消えたの場所から、微かに嫌な気配を感じる。間違い無い。此処ここには何か異質なものが居る。


「でも、れは一体?」


 確かに何か居る。れは分かるが、居場所が特定出来ない。町の隅々まで回ったが、どうしても見つける事が出来なかった。

 欲望を押し殺し巧みに隠れる。そんな悪霊なんて私は見た事がない。本当にそんな存在が居るとしたら、間違い無く強敵だ。


「零次、感謝致します。私を今、の時代に呼び覚ましてくれた事を。私にはだ、最後に成すべき事が残っているようです」


 私は心に誓った。必ずや、の地から最後のけがれをはらってみせると。

 しかし、今のままではきっと勝てない。ただでさえ力を消耗しているのに、霊体ではれも満足に使えない。

 せめて体が有ればと考えてふっと零次が頭に過ぎるが、私は頭を振っての選択肢を頭から追い出した。おそらく零次はあの家の子孫に間違い無い。でも、何も知っている様子は無かった。巻き込めば、きっと怖い思いをさせてしまう。


(せめて、明日に水代家の子孫を探す事が出来れば)


 零次にの町の歴史を知りたいと言ったのは、れが目的だった。歴史を辿れば、きっと見つけられる。し役目を今も守り続けているとすれば、必ずや力に成ってくれる。


 朝日がゆっくりと昇り始め、今日が始まった事を告げる。私は零次に心配をかけぬよう、目を覚まさない内に零次の元へと帰った。

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