第4話 守りたかった世界

「う……わああぁぁ! 何ですか、れは! 世の中がこんな風に成ってしまうなんて、一体誰が予想出来た事でしょう!」


『お、おい! 口に出してはしゃぐな! 変な奴と思われるだろうが!』


 今にも飛び出しそうなほどにはしゃぐ風麗を、俺は慌ててたしなめる。風麗は別にどう思われてもいいかもしれないが、問題は外見だ。奇行に走られたところを知り合いにでも見つかれば、たちどころに俺は奇人変人として噂になってしまう。


 俺達は見栗山を降り、ふもとの一見町まで来ていた。一見町はこの辺りでは大きい町で、車や人通りはかなり多い。時間も丁度人通りが多くなる時なので、そのせいもあるだろう。


『風麗、とりあえずこれだけは言っておく。声を出すな! 道に飛び出すな! 人目を気にせず無闇にはしゃぐな! 以上!』


 興味のまま行動されては困るので、ぴしゃりと釘を刺しておく。とりあえずこれだけ守っておけば、よほどの事が無い限り大丈夫のはずだ。だが、まだ残るこの胸のつっかえは何だろうか……?


『はいはい、分かりましたよ! 全く、零次は口やかましくていけませんね。男子足る者、何事もどっしりと構えておくものですよ』


『ほっとけ、若年増』


 説教のような風麗の言い方に思わずむっとしてしまい、俺はついそんな事を口にしてしまった。

 その瞬間、風麗の肩がピクリと跳ねるとゆっくりこちらを向いた。顔には気味の悪い薄ら笑いが作られ、糸目だった風麗の目がほんの少しだけ開けられる。そしてそこから漏れる謎の黒い光。誰だって泣きだしそうになるほどの凄まじい表情で顔面すれすれまで顔を近付けられ、冷たい両手が俺の頬に当たる。


『……零次、女性にの言葉は禁句です。し次に言えば……分かりますね?』


 風麗の強烈な怒気が含まれた声が、頭中に木霊こだまする。身の毛もよだつ迫力に、ただ頭を上下に動かして素直に従うしかなかった……。

 これに逆らっちゃいけない。俺の中の生存本能が、脳の中を引っ掻いて必死に訴えるのが嫌でも分かった。


 その誠意が通じたのか、目から出ていた光がゆっくりと消えてあの優しい笑顔に戻った。突然の恐怖体験から開放され、溜まりに溜まった息を思いっきり吐き出した。


よろしい。さて……』


 風麗がきょろきょろと辺りを見回しながら歩き出した。一瞬、それも止めさせたい衝動に駆られたが、さっきの出来事がちらついて意見できない。


れにしても、れは驚きを禁じえません。の人の多さと周りの巨大な墓は、しや最近大きな戦が有ったのですか?』


『……何だって?』


 早速理解不能な素っ頓狂の会話を振られ、俺の思考が混乱した。こんな町中に墓なんてある訳がない。


『だってほら、有るじゃないですか。こんなに沢山の墓石が。皆さんが中に入っていくのは、墓参りをしているのでしょうか? 不思議な風習が出来たものですね』


 その言葉でようやく風麗が言わんとしている事が理解できた。要するに、風麗はビルを墓石と勘違いしているのだ。


『そりゃビルってやつだ。えっと、そうだな……長屋って言えば分かるだろ? あれが縦に伸びた感じだ』


『ほうほう。ではの中に人が住んでいるのですか』


『ん、まあそうだな。住んでる場合もあるが、ほとんどは商売してるんだよ。ちょっと中を見てみるか?』


『是非!』


 風麗がこれ以上無いぐらいに嬉しそうな声で返事が返ってきた。

 いい感じだ。こうやって俺がコントロールしていけば、最小限のリスクで行動する事ができる。後はそれに気付かせなければ、三日なんてあっという間だ。


れでは、の一際高いびるとやらに』


『う、あそこか……』


 風麗が指を指したのは、この街の名物でもあるビル、スカイワードだ。中には大量のテナントが入っていて、老若男女問わず人気があるスポットだった。


『なあ風麗、あそこよりも……』


『さあ行きましょう! 一体中は如何どうなっているのかしら? 嗚呼ああ、想像しただけで胸が高鳴ってはち切れそうです!』


 咄嗟とっさに風麗を止めようとしたが、興味津々の風麗はもう聞く耳さえ持たない。早足でスカイワードへと向かっていく。体の主導権が無い俺では、どうしようも無かった。


(くそ、これじゃコントロールなんてできるか!)


 完全に誤算だったのは、風麗が全然物怖じしない事だった。こうなってしまってはこちらから体を制御できない以上、後は奇行に走らないよう運を天に任せるしかない。


 やがてスカイワードの入り口に辿り着くと、風麗は人波に乗ってその中へ入る。

 まず目に入ったのはこんこんと大量の水を流している大きな噴水と、そこに取り付けられた巨大な金時計。そして一階から十階までが大きな吹き抜けになっていて、その中心から四機のエレベーターがビルの名前の通りに、空へ突き抜けるようにそびえ立ってしていた。


『凄い……凄いです! 真逆まさか、こんな未来がやって来るなんて! あ。ほら零次、露天が出て居ますよ!』


 視界の中の風麗は正に上機嫌そのもの。青く透き通っていた頬が上気して、その色を赤く変えてしまっているほどだ。俺にとっては割と普通の光景だが、ずっと昔の人間にとっては、それは面白いもんなんだろう。


『俺の金を他人の為に使えるか。却下だ、却下』


『あら、今の体は私が動かしているのをお忘れですか?』


 意味深に風麗が言うと、俺のポケットからごそごそと何かを取り出して、それを視界に入れた。


『あ、てめっ!』


 風麗がちらつかせたのは、ポケットに入れておいた黒革の財布だった。それにはバイトで貯めた俺のほぼ全財産が入っている。こいつが無くなったら、俺は残りの夏休みをどうやって過ごせばいいんだ!


『ふふ、矢張やはれは財布でしたね。さて、中身の方は……と』


 風麗は楽しそうに財布を開けると、中身を確認し始めた。だが、そこから百円玉をつまみ出すと、それを見つめたまま手が止まってしまった。いや、微かに震えている。


『れ、零次! れ、えんの字が違いますが、ひゃ、ひゃ、ひゃくえんと……』


 一体何が言いたいのか、呂律がおぼついていない。だがその様子に、一つピンと来るものがあった。


(そうか。そういや昔は今と金銭価値が違ったんだっけか)


 そこまで考えて、俺の脳裏に一つの悪戯が閃いた。ここまでずっと風麗の良い様にされているんだから、ここらでやり返してみるのも悪くない。


『すごいだろ? それ一枚で、そこの店ごと買えちまうんだぜ』


『何ですって!』


 ただの百円を、さもありがたそうに両手で掴んで掲げる様子に、俺は思わず噴出しそうになる。だがここで笑っちまったら意味が無い。何とかそれを堪え、


『何ならそれで全種類買ってみろよ。そこで売ってる菓子はクレープっつってな、甘くてうまいんだぜ』


『よ、良いのですか!』


『ああ。せっかくこの時代に来たんだ。冥途の土産にってのも悪くないだろ?』


『有難う御座います、零次! の思い、感謝してもし切れません!』


(うっ……)


 あまりに素直な反応に、俺の良心が少しだけズキッと痛む。だが、からかってやりたいという思いがほんの少しだけ勝ち、結局止めさせようとはしなかった。

 風麗がとてとてと、クレープの屋台に走り寄る。


「いらっしゃい。何にします?」


 女性の店員が営業スマイルで風麗に笑いかける。


「……あ、あの! れで其方そちらの物を全て頂けますでしょうか?」


 どうしようかほんの少しだけ躊躇していたが、思い切ったように風麗は握り締めていた百円を突き出し、ショーケースを指差した。だがもちろん、店員は何を言っているか分からないといった感じで、完全にきょとんとした顔をしてしまっている。


「お客さん、それはもしかしてギャグで言ってます? それとも何かの罰ゲーム?」


「あ、あれ? でも零次がこれで店ごと買えるって。零次、れは一体どういう……」


 こんなことになるとは、全く予想していなかったんだろう。あっちこっちに視線が泳ぎ、どうしていいか分からず困っている事が分かる。その様子に、俺はたまらず噴き出した。


『く、あははははは! 駄目だ、もう耐えられん! それ一枚じゃ何にも買えないんだよ!』


『な、零次! 騙したのですか!』


『あんまり好き勝手にやってくれるんで、ちょっと仕返しをな』


 ネタばらしをした後、怒気が立ち込め、ほんの少しだけ無言の間が流れる。だが次の瞬間、突然俺の体の自由が戻った。風麗が俺に体の主導権を渡したのだ。


「あれ? あ、おいこら! 勝手に引っ込むな!」


「お客さん、本当にどこか悪いんじゃないのかい? なんなら救急車呼んであげるよ?」


 店員の声に、はっと我に返る。気付けばその店員はおろか、周りからも完全に白い目で見られている。馬鹿なのか、どこかおかしいんじゃないかという声なき声が聞こえてくるようで痛い……。


「あー……と、すんません、失礼しました!」


 言うが否やすぐに反転すると、猛ダッシュでその場から逃げ出した。そして十分に離れたところで壁に頭を付く。


「あ、アホか俺は……」


 よくよく考えてみれば、中身は風麗でも外側は俺なんだから、こんな事をしても全く意味はなかった。むしろ自爆だ。考え無しにも程がある。


『人を騙すから天罰が下るのですよ。とは言え、私も愚かでした。抑々そもそも零次がの様な大金を持っている訳が無いですもの。少し考えれば気付けた筈ですのに、余りの大金に我を忘れて仕舞いました』


『お互い馬鹿同士で、本当に世話が無いな……』


『まあの事は両方が悪かったと言う事で水に流しましょう。れより零次、此処ここの一番上に行く事は出来ますか?』


『ん? ああ、確か展望台があったはずだが。行きたいのか?』


『ええ是非! お願いします!』


『分かったよ。あそこなら金はかからないしな』


 見ればエレベーターはすぐそこだ。俺は上ボタンを押し、到着したエレベーターに乗ると三二階のボタンを押す。

 しばらくエレベーター特有の浮遊感が続いた後に扉が開く。そこは外周が一面のガラス張りで、多くの人がそこから外を眺めていた。


『替わるか?』


『はい』


 風麗に体の所有権を譲ると、風麗は空いている一角へ近付き、そこから下界を俯瞰した。そこにはゴマ粒ほどの人が右往左往し、見渡せば隣の街まで見えるほどだった。


『すごいだろ。これがここの目玉で……ん?』


 体の所有権を渡しても、体の五感が消える事はなかった。だから、頬にすっと何か熱いものが流れるのを感じた。


『御免なさい。此処ここがこれほど豊かになったのが嬉しくて』


 風麗がぐっと両手で涙を拭う。


『そんなにここが好きだったのか。あんな祠に縛り付けられてまで』


『はい。みっちゃんや佐助、進爺に香苗さん。本当に皆良い人ばかりでした。此処ここは昔、二百人足らずの農村だったのです。あの頃とは大きく変わってしまいましたが、こんなに大勢の人が住んで発展している。の地を守ってきた者として、れほど嬉しい事は有りません』


 そう語った直後、また涙が頬を伝う感覚を感じる。こんな所で泣かれるのは流石に少し恥ずかしいが、俺はそれを止めさせる気にはなれなかった。感動に水を差すみたいで、気が引けたのかもしれない。

 突然、風麗が弾かれたようにガラスにへばり付いた。突飛な行動に、周りにいた人達がざわめき始める。


『お、おい! どうしたんだよ!』


『い、いえ。何だか懐かしい物を見た気がして。御免なさい、勘違いみたいです』


 俺が怒鳴ると、風麗は慌ててガラスから体を離した。

 これだけの高さがあれば、何か見覚えのある建物か何かが見えても不思議じゃない。でも、あの風麗の反応は少し度を超えていたように思えた。


 気づけば、差し込む光がオレンジ色を帯びてきた。あと一時間もすれば、完全に日が暮れるだろう。


『今日はもう帰るか。慣れない世界で疲れただろ?』


『あ、はい。お気遣い有難う御座います。では、体をお返ししますね』


 風麗から体の主導権が俺に返された。体を貸すってのはなかなか体に負担がかかるみたいだ。ずっと寝たきりの状態から解放されたような違和感を覚える。

 その場で体を軽く動かして慣らすと、俺は踵を返して帰路についた。

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