第3話 一つの体に二つの魂

「遅い!」


 待ち合わせ場所に到着すると、既に美咲が口をへの字に曲げ、仁王立ちして待っていた。


「別に遅いって訳じゃないだろ」


 ここに到着した時、時計は三時ぴったりを指していた。時間通りに来たのだから怒られる理由は無い筈なのだが。


「待ち合わせには十分前集合がマナーでしょ! 兄貴の方が年上なんだから、しっかりしてよね」


「へいへい、俺が悪うございましたよ」


 俺はとりあえず謝っておく事にする。美咲が一度へそを曲げれば、それが三日は続く事を知っているからだ。全く、成長するにつれてどんどん扱いにくくなって困る。触らぬ神に何とやら。一悶着を起こして得をする事など、一つもありはしない。


 ふと俺は、美咲の虫取り網が微かに動いた事に気付いた。どうやら虫が入っているようだ。


「美咲、虫取り網に虫が入ったままだぞ」


「違うよ、入ったままじゃなくて、入れてあるの」


「……なに?」


 見れば、美咲の虫かごには一匹も虫が入っていない。こいつ、虫を触るのが嫌だからって、捕った虫を網に入れたままやってたな。全く、妙に器用なことを……。


「兄貴、網に入ってる虫を虫かごに入れてよ」


「ったく、しょうがない奴だな」


 美咲から網を受け取ると、一匹ずつ虫かごへと移動させる。

 虫が苦手な割には、それなりに捕っていたようだ。しかし、こんな網の状態でよくこんなに捕れたもんだと、俺は呆れながらも感心した。


「ほら、全部移し替えたぞ」


「ありがと!」


「俺はこの後用事があるから、網と虫かごを家に持って帰ってくれ」


「うん、分かった。付き合ってくれてありがとね、兄貴。よーし! これで夏休みは心置きなく遊べるぞ!」


 美咲は俺の網と虫かごを受け取ると、脇目も振らずに家へと駆けていった。家に帰ったらおそらく、母さんに虫ピンで虫を刺して貰うつもりだろう。


「元気な良い妹さんですね」


 その声に振り向くと、風麗が傍にたたずんでいた。


「ずっとそばにいたのか?」


「ええ、彼女は私の事が見えない様でしたから」


 微笑み、少し寂しそうな表情で風麗が答える。

 誰からも認識されない世界と言うのは、とても寂しいものなのだろう。風麗の表情から、俺はそれが何となく理解できた。

 そのせいなのか、風麗に体を貸す嫌悪感が薄れるのを覚えた。

 たった三日だけ。そう、たった三日間だけなんだ。なら俺は、この可哀想な幽霊にできる事をしてやろうと思えた。こうなったらもう腹をくくってしまえ!


「さて、約束だ。俺の体、自由に使っていいぜ」


「はい! 有難う御座ございます!」


 風麗が両手を組んで跳ねるように喜ぶ。そしてゆっくりと俺に近付くと、自らの体を俺に重ねていく。風麗はまるで抵抗なく、俺の中に吸い込まれるように入り込んだ。


 体の中に入られても、特に何かが劇的に変わる訳でもなかった。試しに体を動かしてみる。感覚としては普段と同じように動かしているつもりなのだが、現実の体はぴくりとも動かない。どうやら完全に支配権は風麗に移ってしまっているようだった。


 目に映る景色も、以前とほぼ変わりない。ただ一つ違うのは、視界の中心に薄ぼんやりと風麗の姿が見える事だ。その奇妙な視界に俺は少し戸惑った。


「うん、乗り移り成功ですね。嗚呼ああ、矢張り久し振りの体は良いなあ!」


 俺の意思とは関係無く体が勝手に動く。あちこちを走り回ったり飛んだりして、風麗が体の具合を確かめているようだ。


『……何か変な感じだな』


 ちょっと声を出してみた。しかし、俺の口は動かない。つまりこの状態では外に聞こえる様に喋る事はできないようだ。だが風麗にはそれが聞こえているようで返答が返ってきた。


「済みません、慣れるまで辛抱して下さいね。れにしても、男性の体って何か変な感じがしますね」


『わ! おい馬鹿、止めろ!』


 風麗が俺の体をあちこち触り始めたので、俺は思わず叫んだ。体を貸す事は約束したが、あちこち弄くられちゃたまったもんじゃない。


「あはは、御免なさい。……あれ?」


 風麗が何かに驚いたような声を上げ、何かを確認するように俺の体を見回している。何か不具合でもあったんだろうか。


『お、おい。どうしたんだ?』


「あ、いえ、何でも無いのです。他人の体に乗り移るなど初めてですから、一寸ちょっと戸惑ってしまって。でもそう、九十九と言う姓。真逆まさか……」


 何でも無いと言いながら、風麗が下を向いてぶつぶつと呟く。これではやっぱり何かあると言っているようなものだ。


『おい、隠しご……』


「さて、少し散歩でもしてみますか。山を降りると何が在るのです?」


『う……。はあ、まあいいか。町があるよ。今の時間帯なら結構賑わっているはずだ』


 問い質そうとした刹那、狙ったかのようにこちらの言葉を切って話題を変えられた。強引に聞き出そうともちょっと考えたが、風麗は特に深刻な様子は見せなかった。何か隠しているのは間違いないが、まあ多分些細な事なんだろう。下手に刺激して初っ端から機嫌を損ねられても困るので、俺はこれ以上突っ込まない事にした。


「ほう。れではず、其処そこへ行ってみますか」


『いいけど、気をつけろよ』


「はいはーい」


 何も考えていなさそうな軽い口調の風麗に俺は一抹どころじゃない不安を覚えながらも、俺達は町へと繰り出した。

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