第42話 怒涛の金曜日! 朝の総務部
「へ……」
総務部ばかりか、人事部、経理部など、同じフロアの、電話という電話が、ほとんど鳴っている。
始業時間にはあと三十分ほどあるので、社員の姿はまだ少ない。
とりあえず、目の前の電話を取ろうと、さくらは反射的に手を伸ばした。
「おーっと、待った」
さくらの手を止める者、登場。
「叶恵さん?」
「おはよう、さくらさん」
笑顔だけれども、目が笑っていない。こわい。
「おはよう……ございます、早いですね」
「現状、なにも知らないんでしょ、まずは事実把握から。パソコン、立ち上げて。電話は私が」
「はいっ」
さくらはパソコンを開いた。
社長からの新着メールがある。添付ファイルに、今朝の新聞朝刊に出した広告の画像とシバサキの新しいCM動画があった。
広告画像は、本社ビルに大々的に張り出してあるものと同じ、柴崎若夫婦のキス写真。らぶらぶすぎて、直視できない。自分だけど。
「ひいいぃ」
動画は……クリックする指が震えていた。もう、いやな予感しかしない。告知用の家族写真を撮りたいと言われ、吉祥寺店に集まったのに。CMなんて聞いていない。
自宅リビングを模した家具セットに囲まれて、さくらたち三人が夢中になって遊んでいる。散歩する三人、カフェでくつろぐ三人の様子が短いカットで紹介される。そして、締めはやっぱり夫婦のキス場面。
『家族。ぼくにはまだ早いかなと思ったけれど、なかなかいい。すごくいい。柴崎類、二十三歳』。類の一人称の語りが入っていた。
三十秒のロングバージョンと十五秒のショートバージョン。両方とも素敵にまとまっているし、配慮してあるのか、幼いあおいの顔のアップはなかった。
「ただのいちゃらぶ夫婦だと思っていたのに、上出来じゃない。さくらさんもかわいいし」
「か、かわいいっていうか。幼い……」
さくらはカメラの存在を知らずに、類とあおいと無邪気に遊んでいただけである。
「こんないい笑顔、あなたは会社でほとんどしないし。第一、あなたは自己評価が低すぎるの。もともと顔はかわいくて性格はピュアなんだし、有名大学を出て、シバサキの娘で、ルイくんの奥さんなんだから。もっと自信を持って、胸を張って歩く。そうするだけで、胸がおっきくなるわよ」
褒められているのだろうが、くすぐったい。
「新広告の反響電話は、取れる範囲で受けて。でも、社長の朝礼があるまでは『詳しいことはお答えできません』『詳細は追ってシバサキのホームページに掲載します』でじゅうぶんよ」
「分かりました」
「あ、壮馬くんも来た。壮馬くーん、さくらさんも出社したよー。壮馬くんってば、昨日うちに泊まったのに、今朝になって『出勤時間はずらしましょう』、とか言い出すんだもん」
え? 泊まった? さらっと、爆弾発言!
「おはようございます、さくらさん。私は感動しました。いい広告です。部下が輝いていて、私も自慢です」
「お、おはようございます。か……叶恵さんのところに昨日、泊まったんですか」
動転していたこともあり、さくらにしては珍しくずけずけと聞いてしまったが、壮馬は真摯に答えてくれた。
「最近、通勤がおっくうで。新居さがしをしていたんですよ。ひとり身なので、夜の飲食店の充実している街がいいなあと。中央線を中野駅で降りようとしたら、叶恵に会ってしまって、吉祥寺駅まで連行されました」
「それでお持ち帰り!」
叶恵は壮馬と腕を組んだ。べったり、くっついた。
困ったような顔を浮かべているものの、壮馬は叶恵の手を振りほどこうとはしなかった。
「壮馬くんは決心したんだって。絵衣子さんと別れる決心。だからあの部屋を捨てて、生まれ変わるんだって。この週末、彼女が住んでいる金沢まで、別れ話をつけに行くの。私も同行。今日、仕事が終わったら移動する。で、とりあえず、同棲することにした。部のみんなには内緒ね」
「は?」
新広告の件も急だが、叶恵×壮馬周辺も怒涛! く……くっついた? このふたりが?
そうなればいいなと夢想したときもあったけれど、近すぎて無理みたいだったのに。
「抱き合ったらね、よかったのすごく。好きな人と結ばれるって、いいことね。壮馬くんってば、久々だって言って間に合わなくて、ぜーんぶナカに出されちゃった。覚えたての高校生みたいだった。できちゃったかもー!」
「かなえ! そういう話は」
「いいじゃない。この人、毎日お盛んなんだもの。ルイさんひとりとはいえ、交尾経験という点では壮馬くんより上かもよ? 子どもを生んでいるぐらいだし、先輩かもよ?」
そこ、さりげなく淫乱認定やめてくれる?
「すみません、さくらさん。少しの間、内緒にしていてください。それに、ことあるごとにさくらさん夫婦を揶揄してきたこと、謝らせてください。もう、夜が待ち遠しいのです。叶恵には、溺れそうだから深入りしたくないと思っていたのに、この体たらく」
「やだあ、壮馬くんったら朝から、う・れ・し・い」
「叶恵のほうが上手いので、捨てられないか心配です」
「もう、変な心配しないで」
これが、社内での会話か? 自分のことを棚に上げ、さくらは茫然とした。信じられない。
「時期がきたら、みなさんにも話します」
「も、もちろんです、誰にも言いません。カップル成立、お、おめでとうございます!」
「ありがと、さくらさん」
叶恵は笑っていた。
いいいい、意外過ぎて、どうする? 玲のことは? き、聞けないよー。遠くのアレより、近くのソレ?
「玲さんには協力してもらった」
どきり。ちょっと今、心の中、読んだ?
「玲に? 協力?」
「壮馬くんが嫉妬するように、わざと仲よさそうな演技してもらったの。ほんとうは、ずいぶん前に付き合えないって結論が出ていて、お互い了解済だったのに」
「初耳だ、その件」
「はじめて告白したし。それと、機嫌がいいからさくらさんにはもうひとつ、教えてあげる。オトコ版『別れさせ屋』は、函館から吉祥寺に来た真冬さんよ」
「真冬さんが、別れさせ屋!」
「まあ、妥当な人選よね。でもあの人、私と違って異性だけじゃなくて、同性もいけるから。現役だし、私よりも強敵。攻略、がんばってね」
なんか、またとんでもない展開になりそうな予感もあるけれど、これで、叶恵は別れさせ屋を正式引退するだろう。ひとまず、よかった……と、言っておこう。
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