第37話 家族モデル②
***
急ごしらえのメイクコーナー以外は薄暗かった店内に、明かりがついた。周囲がよく見渡せるようになると、お店の一画に見慣れた光景が浮かび上がった。
「ままみて、あおいのおうち! おうちといっしょ」
あおいが指さした先には、さくら一家のリビングとまったく同じ部屋があった。
「おいで、あおい!」
ソファの近くで、類が手招きをしている。あおいは駆け出した。
広さ、家具の配置、すべてそっくり。多少、小物が充実している程度か。
「これ、類くんが作ったの?」
「うん。昨日、一日かかっちゃった。こういうセットなら、さくらたちもリラックスできてやりやすいかなって。さくらは飾らなくていい。家にいる、いつもの感じでいいんだ」
「いつもの感じ、って」
ごはんを食べて、あおいと遊んで、類といちゃいちゃ。それでいいのだろうか。
「衣装に着替えたら、この『我が家』でくつろいでいて。ぼくも、メイクしてもらってくる」
***
さくらの衣装は、襟元のフリルがかわいくて甘めの白いブラウスと、ふだんよく着ているチャコールグレイのワンピースだった。ただし、新品の。ふわっと、丈長め。
カメラやたくさんの人前でも緊張しないように、なるべく普通らしくふるまえるよう、類が選んでくれたのだと思う。
あおいは、類&さくらの新作。
上はサイズぴったりの白シャツ。リボンがたくさんついた、ピンクのお姫さま風スカート。動くたびにビーズが光る。
昨夜、このスカートを見せたら『これきてねる!』とうるさかった。
「かわいい、あおい」
「ままも、かわいい」
親ばか子ばか、自画自賛。
母娘がリビングのソファに座っておしゃべりをしていると、近づいてくる人影があった。
「ずいぶんのんびりしているんだな、余裕か」
「むしゃしゃ!」
声に振り返ると、武蔵社長がいた。撮影スタッフよりも早く、現場入りである。
「おひさしぶりです、武蔵さん。お元気でしたか! おはようございます!」
「いっぺんにいろいろ言うな。まあ、作者がセリフをたくさん書かなくていいように一度に詰め込んで、ものぐさしているだけかもしれないが」
「おは、むしゃしゃ! こんど、たいそういつ?」
「武蔵だ」
「むしゃむしゃ、あおいぴぴくぽてぷたいそうしたい」
「『武蔵』と呼べ。ピピクポテプ体操は言えるのに、なぜ『武蔵』が言えない? これも、作者の差し金か。挿絵がないぶん、口調で幼女感を出そうとして、あざといな」
「ぽーてーぷ、むしゃしゃ!」
ぱっと見、険があって少し怖い感じのする武蔵だが、あおいはお構いなしに突進していった。両手を広げて武蔵の胸に飛び込む。
無邪気な幼児の行動力、おそるべし。
武蔵も、あおいになつかれて悪い気はしないようだった。照れ笑いを浮かべている。意外だった、武蔵が照れるなんて。
「分かった分かった。お前のしつこさは天下一品だ。そっちの小娘、あおいを使っていいんだな」
「体操にだけ、です。四歳になるまで、です」
「寝取られの兄があおいのマネージャーをすると聞いた」
「あおいは、玲となかよしなので、最高の組み合わせだと思います。しつこく言いますが、春までです」
「人気が出たら、悠長なことは言っていられなくなるが、まあいい。あおいの活躍をよく見てろよこの平民小娘が」
あおいをだっこしたまま、武蔵はさくらを見下ろした。
「こむすめってだぁれ?」
「お前の母親のことだ、あおい。お前には才能がある、成長が楽しみな幼女だ。小娘とは違う」
「こむすび?」
おいおい、お相撲さんかい、母は!
武蔵まであおいにデレてしまうなんて、おそるべしあおいの魅力。
でも、ほんとうは、あおいのおじいちゃん、なんだよね。言っていないようだけれど。孫にじゃれつかれている武蔵の姿を、さくらは黙って見つめた。
***
メイクを済ませた類が、着替えも終えて出てきた。
白いシャツに、ブルーブラックのストレートパンツ。シンプルな服装のほうが、類の魅力は引き立つ。
「るいくん、かっこいい!」
「ぱぱ、かっこいい!」
「ありがとう。さくらとあおいも、すごくかわいいよ」
仕事の合間に、類は片倉が作ったトレーニングメニューを毎日こなし、身体を引き締めた。体重そのものはあまり変わらなかったが、精悍さが出た。
「社長、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「いい顔しているな、モデル本格復帰しろ。世界で活躍できる」
「この顔は、シバサキのために使います」
「もったいない」
「社長こそ、モデルすればいいのに。男装女装、どっちもイケますよ」
「年寄りに無理を言うんじゃない」
「むしゃしゃは、たいそうのかかりさんだよー!」
どんな係じゃ!
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