第13話 降臨!①
午後四時、ちょっと前。終業まで、あと一時間。今日の仕事的には追い込みの時間。
さくらは、次回行われる社員研修の段取りの電話をしていた。
部の中がざわざわしたなと思ったけれど、応対中。電話と目の前のメモに集中。
「……ありがとうございました」
話が終わって、丁寧に受話器を置く。あとは、細かいところをメールで送ることになっている。今日一日の業務報告を作って、おしまいだ。あおいを迎えに行って、帰ったらごはんのしたく。
よし、さくらが気合を入れたとき、背後からふわりと誰かに抱き締められた。
「さくら」
このにおい、このぬくもり、そしてこの声は。間違いない。
「……るいくん!」
驚いて振り返ると、類がさくらの後ろに立っていた。
「よくわかったね」
「当然だよ、でもどうして? 類くんがここに」
「四時半から母さん……社長と約束が取れたんだ。あれ、壮馬さんには朝、電話で伝えておいたんだけど」
「さくらさんの仕事が手につかなくなると困るので、黙っていました。申し訳ありません」
さくらのとなりの席の、壮馬が弁解した。
「そっか。とても賢明な判断ですね。さくらって、ぼくのことになると、見境つかなくなりますし」
「ですね。同感です」
な、なんなんだこの会話。人を何だと思っている?
「五分だけ、どうぞ」
壮馬は再び、会議室の鍵をさくらに渡した。類がさくらの背中を押す。
「ありがとう、壮馬さん。借ります」
「え……なに、五分って」
「さくらを借りるんだ、おいで、ちょっとだけふたりきり」
類はさくらの腕を引っ張った。叶恵が声をかけた。
「会議室? 医務室へ行けばいいのに。あそこはベッドがあるんだし。会議室の机じゃ、固いわよ。さくらさん、かわいそう」
「いいいいいいいいいやあああああああ、叶恵さん?」
「ご心配ありがとうございます。でも、五分ですのでその展開はありません。いざというときは、さくらが机か壁に手をついて、バックから、ね? それか、ぼくが下っていう可能性も残されていますし。まじめで純粋そうに見えて、さくらってけっこう貪欲なんですよ」
「じょうううううううううだんやめてよ、るいくん?」
ふたりとも、きわどい。あぶない。
会議室。
ドアを締めるなり、類はさくらを手招きした。
「おいで、さくら。ひとりでよくがんばったね。だっこしてあげる」
「い、いいって。ここ、会社!」
「なんだ、遠慮深いなぁ」
さくらは類からちょっとだけ距離を置いて立っている。
「……お店、類くんが留守にしてもだいじょうぶなの?」
「平日の月曜日だし。昨日も言ったけれど、吉祥寺店のスタッフには、ルイさん不在に慣れてほしいんだ、徐々に。それで、美咲さんからは連絡あったの?」
「ううん、ない。所属の建築事業部すら、朝電話が一本あったっきりなんだって」
「そっか。なにもなければいいけど。とりあえず、さくらが無事でよかった」
「心配してくれてありがとう。総務部のみなさんが支えてくれて……私、総務でよかった!」
「……なんなの、配属当時はあんなにイヤがっていたのに」
「へへへ」
「とにかく、美咲さんの連絡を待つしかないね。ほんとうにお子さんが具合よくなかったら、しつこく連絡しても迷惑だろうし」
「ん。待つよ」
「世界でいちばんしあわせにするつもりなのに、傷つけてばかりだね。玲に怒られちゃいそう」
「平気、これぐらい。類くんの奥さんだもん。たぶん、いろいろ大変なことが起こるって、これからも覚悟している」
「お。健気な決意表明だね。ちょっと抱き締めさせて?」
「誰か来たらどうするの……んっ」
さくらは身じろぎして腕を逃れようとしたけれど、類は許さなかった。
「だいじょうぶ、誰も来ないよ。ぎゅってするだけ。ふたりの時間、あと一分ある。ぼくが抱きたいんだ、さくら。だいすき」
「うん。私も、類くんがすき……」
五分後、きっかり。さくらと類は手をつないで総務部へ戻った。
「あらwつながってる。さすが、ふたごを熱望する夫婦」
「手です、手手手!」
叶恵の突っ込みに、類はようやくさくらの手を離した。よかった。会社、手をつなぐ場所じゃない!(何度言っても聞いてくれなかった)
さくらを席に座らせると、類は会議室の鍵を持ったまま、壮馬の机に直行する。
「壮馬さん、さくらと会議室をお借りしました。ありがとうございました」
仕事を再開しながらも、ちらちらと横目で類の姿を追ってしまう。なんか……変な感じだ。類が、夫が、同じ部にいるなんて。
「意気投合、できましたか」
壮馬は笑顔で鍵を受け取った。
「はい。もっとも、毎日気持ちは同じです、ぼくたち。ところで、社長との約束時間まで、あと二十分ちょっとありますし、なにかお手伝いさせてください」
「手伝い? 私の、ですか」
「はい」
腕を組んで、壮馬はちょっと考え込んでいたが、時計を見ながら頷いた。
「では、ここにイスを持ってきて座ってください。雑務しかありませんが、私が指示した通りに進めていただけますか。四時二十五分まで、お願いします」
類は後ろのほうで余っていたイスを移動してきて、壮馬のとなりに座った。
総務部の先輩が、ざわざわしはじめた。
『我らが壮馬マネージャーと、ルイさんのツーショット!』
『すごい、貴重。写真、撮りたい!』
『だめだめ、仕事中。残念』
さくらも、同感だった。類の仕事姿……かっこいいよおおおお! ちゃらりーまんじゃない、まじでできるサラリーマン!
類は壮馬の指示に従って、次々と事務仕事をこなしてゆく。書類のファイルからはじまって、資料の仕分け、パソコン入力にまで手を伸ばす。
「ルイさんは英語、得意ですか? 翻訳ソフトはこう言っているのですが、おかしなところはないか、チェックしてください」
「英語は人並みですが、見せてください……ああ、先日の」
資料をふたりで読み合いながら、英語混じりで会話が進んでいる。類がなにか提案し、壮馬が答える。その反対もある。
たぶん類は、壮馬が自分の『円卓の騎士』にふさわしいか、暗にテストしているのだ。
「壮馬くん、海外在住期間もあったのよ。帰国子女。英語、完璧。フランス語と中国語もできるし」
叶恵が耳打ちして教えてくれた。
なんなのこの会社、ハイスペックだらけ……! 登場人物のハードルを高くしたら、作者も困るだろうに。よくやるわ。
そんな壮馬と、類は対等に渡り合っている。さくらの前では隠しているのに、類はまだまだ能力を秘めているらしい。嫉妬!
まぶしい。類がまぶしい。壮馬もまぶしい。平凡地味子の自分は、小さくなった。
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