第14話 降臨!②

 最後の一時間、怒涛だった……!

 終業後、さくらはしばらく机の上に顔を突っ伏して休んでいた。


 早く着替えてあおいを迎えに行かないと。そして、夜ごはん作り……! ああ、でも、社内に類もいるからと、甘えてしまいそうになる。だめだ、そんな考えでは。


「さくらさん、お時間ですよ? 気分でも悪いのですか」

「そ、壮馬さん! いいえ、そんなことはありません! ただ、類くんが来て以降、あっという間だったなって」


「ルイさんは、やっぱり抜け目ないですね。手伝うふりをして、私のことを探っていましたね」

「分かるんですか?」

「はい。例のアレですか、社内でルイさんの協力者を募っているという……いいえ。こんなことを言っても、さくらさんが困るだけですね。忘れてください」


「ごめんなさい。例のソレだと思いますが、今は詳しくお話できなくて。それに私、類くん体制後は蚊帳の外らしくって」

「さくらさんを除外? 意外ですね」

「……私は類くんを信じるだけです。期待に応えたい、だけど」


「落ち着いて。気負いは禁物ですよ。さあ、あおいさんが待っています、このフロアももうすぐ消灯です。帰りましょう、おつかれさまでした」

「ありがとうございます」


 壮馬には励まされてばかりだ。さくらは立ち上がった。



 保育園では、先に類が待っていてくれた。あおいやほかの園児たちと、スーツの上着を脱いで例の体操をしていた。

 あおいも類も熱心なので、ポテプ体操がほんとうに上手い。さくらはいい加減にしか覚えないので、いつも遅れを取って怒られてしまう。


 例のテレビ番組で、この完成度の高い体操が披露されたら、話題になってしまいそう。

 それでなくても、あおいは超かわいいし、北澤ルイの娘なのだ。前途洋々なようで、多難かも。うれしい悲鳴だけれども。

 さくらはあおいと類の名前を呼んで、自分の到着を告げた。


***


 美咲から電話がかかってきたのは、午後十時になろうというところだった。あおいはもう寝ていた。

 さっそく、類に抱かれそうになっていたので、どうにか手を押し返し、電話に飛びついた。類はちょっとだけ不満そうだったが、パジャマの上着をかけて丁寧にボタンも留めてくれた。


『……さくらさん?』


「もしもし、美咲さん!」


『今日、何度も連絡をもらったのに、返事が遅くなってごめんなさい。今朝、陸が急に熱を出しちゃって』


「だいじょうぶですか」


『ようやく落ち着いてきたところ。うつらないよう、空は実家に預けたし。でも明日も無理ね、このぶんだと』


「お大事になさってください」


『ありがとう。それより、会社で今日……ごめんなさい。私が陸にかかりっきりで、その隙にうちの夫が私のパソコンを使って、あなたやルイさんを傷つけるメールを、社員に一斉送信したって……早く謝らないといけないと思いながら、こんな時間になってしまったし。どんなに謝っても、足りそうにない。社長にも、電話で怒られた。私のパソコンの管理がいいかげんだったのが原因。せっかく仲よくなれたのに』


 美咲は涙声だった。


「そんなことありません。私、美咲さんがだいすきです。憧れの人です。仕事をしながら育児をして。これからもたくさんお話したいです」


『ありがとう。そう言ってくれるだけでうれしい。さくらさんってやさしい。ママとしては、さくらさんが先輩なのに。あのね、実は』


 それから、美咲は会社を辞めると語った。

 夫の宏明が、年内いっぱいで公務員を退職し、地元に戻って稼業を継ぐと決意したらしい。父の具合が悪いのだという。


『農家なの』


 ずっと考えてきたことらしい。しかも、陸には持病のぜんそくがあり、都会の空気がよくないようだった。


『さくらさんと親しくなれて、決心がついた。私には家庭と仕事の両立は無理だった。これからは介護もあるし』


「美咲さんなら、必ず社会復帰できます。ふたごちゃんのママだけなんて、惜しいです」


『子どもが大きくなったら、働くかも。シバサキの支店が車で二十分のところにあるの。田舎だけど、お店はなかなか盛況だし、手が空いたら、家具販売のおばちゃんにでもなろうかな。とにかく、今週は陸のお世話でお休みをいただくと思う。ごめんなさい。建築事業部の後釜には、さくらさんを推薦しておくからね』


 さくらは、もう一度お大事にを述べて電話を切った。



 類は、キッチンカウンターでワインを飲んでいた。


「あのメール、美咲さんのダンナさんが犯人だった」

「やっぱね」


「陸くんが、ぜんそくなんだって。昨日、あおいがおうちで大騒ぎしたのが後を引いたのかも」

「偶然だよ」


「それで、近々退職するって。ダンナさんのお父さまの具合がよくないから、実家へ戻るんだって」

「残念だね。でも、それも夫婦のひとつの選択」


 せっかく仲よくなれたのに。美咲に言われたことばが、さくらの頭の中を駆け巡る。さくらだって、そうだ。もっと一緒にいたかった。


「類くん。私、片倉さんに次の子どものことを相談してみたい。会ってもいい?」

「もちろんだよ。さくらが子作りに前向きになってくれてうれしいな」


 弟の皆への授乳を止めたので、そろそろ生理が来てもいいころだ。あおいは三歳半。あまり間が空くと大変だと聞くし、このまま仕事を続けたい気持ちもあるけれど、類の子どもがほしい。


 類は飲みかけのワイングラスを、ぐっと傾けて全部飲み干した。そして、ソファに座っていたさくらの身体にもたれかかる。


「あーあ、酔っちゃった。いつもより、すごいことになりそう」

「えっ、ここで? でんき、消し……」

「だーめ。もう、離さない。ぎゅっとしちゃう。奥まで入れちゃ、う、よ?」

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